いつだって最後はNo Logic
- カテゴリ:日記
- 2010/01/29 23:29:50
いつまでもいい加減な記事ばっか書くわけにゃいかんか。
「暇」と書いて「いとま」と読む。
この話をしよう。
俺、実は野球少年でした。いやそんな爆弾発言じゃないけど。
まぁ忙しかったよ。プラス勉強だし。多忙を極めるってやつ。
でもね。俺やっぱ向いてないわ。
忙しいのも向いてないし、マジ体育会系は本当きついわ。
身の程をわきまえずクラブチームなぞ入ったのも原因で。
「余暇」が生まれないのよ。
俺は勉強さぼれねぇから、「寸暇」を惜しんで勉強してた。
でもそれじゃ駄目なんだよ。
「余裕」がねぇんだよ。
つーかマジの勉強とマジの体育会系はよほどじゃねえと両立できねえ。
俺は常人なんだよ。
ま、今となっちゃ過ぎた話。
受験前の今の方が「余裕」はあるな。
「余暇」があるってことだ。
勉強って「余暇」でするもんだと思う。
趣味みたいなもんだ。
本とか読むのもそうだろ?知識をつけるイコール勉強という作業。
それが楽しいから読むんだよ。
そこには興味もあるだろうし。
興味や関心があるから立ち向かえる命題がそこにはあるのだろう。
「好きこそものの上手なれ」
この言葉は核心的なものだと思う。
勉強出来る奴は勉強好きで、
運動好きな奴は運動好きで、
これは音楽とか美術とか料理とか色々当てはまることだろう。
一人ひとりがアブノーマルな個性や特技を持っている。
それが当たり前になった時、人類は何か進化を迎えるのだろう。
何が言いたいかまとめると、
好きなことに全力になって、興味があることを極める。
誰もがそんなふうに歩いたらいいと思う。
「No Logic」という歌がある。
「神様この歌が聞こえるかい あなたが望んでいなくても
僕は笑っていたいんです そして今叫びたいんです
いつだって 最後は No Logic」
No Logicは「理屈じゃない」という意味で、
俺はこのことを何かに夢中になっているとき、
理屈じゃない奇跡が起こることと捉える。
貴方はどうだろうか。
何かに夢中になっているだろうか。
俺はきっと行きたい高校に行って、
やりたいことをやっていると思う。やりたいと思う。
きっといつか後悔するから。
今は、ただ。
気ままに歩いていたって、いいよね?
でもね。法は犯しちゃだめよ。危ないよ君。
器用貧乏なやつは漫画家になればおk
後悔がないと何も始まらない笑
したいことしないで人生どうなんだよ
犯罪だろーと何だろーと自分がしたいからみんなするんだろ笑