Nicotto Town


メルティーのぼやき


臥龍の軍師(諸葛 孔明)


 臥龍(伏龍ともいう)は劉備軍の軍師となった 諸葛 孔明の事ですネ

 司馬徽から「将軍の陣営には人なし」と言われ 劉備は反論します

 確かに、陣営には関羽・張飛・趙雲などが居ましたが、それはすべて「武」の者 それを手足のごとく使う「知」の者を求めなさい と言われ、劉備は「知者」の探索に奔走します
 
 その時に言われたのが 
 
 『伏竜か、鳳皺か そのどちらかを得れば天下も取れる』 と、言うものでした

 その伏竜が諸葛 孔明その人です(鳳皺は 後に劉備軍の副軍師となる龐統)
 
 しかし、この二人の行方はようとして知れず、そんなとき一人の浪人の姿が劉備の目にとまりました
 その人が劉備軍の初代軍師「徐庶」です
 
 劉備が軍師を雇った事を知った曹操は この際劉備を滅ぼさんと攻め込みます
 
 曹操軍 2万5千 vs  劉備軍 2千
 
 
 しかし、徐庶はこの2万5千の軍を打ち破り、相手の本拠地であった城までも落としてしまいます
 
 徐庶の知略を恐れた曹操はその後、徐庶の母親を都に呼び、実質的な人質としました
 
 その事で徐庶は劉備のもとを離れる事になります
 
 別れ際 「身は都に移れど、曹の為に策は献せず」と誓い、伏竜を新しい軍師に迎えるように進言しました
 
 徐庶を失い、伏竜の居場所を知った劉備は 彼のもとを訪ねます
 
 1度目・2度目は会う事が出来ず、3度目に訪れたときにやっと在宅していたのですが、彼は草庵の中で昼寝の真っ最中
 
 しかし、劉備は起こす事もせず、庵に入る事もせず、ただひたすら炎天下で自然に目覚めるのを待ったと言います

 夕刻になって目覚めた孔明 非礼は詫びましたが、軍師になる話は断ります
 
 その時軍師になる代わりにと、ある策を劉備に提示します
 
 「北の曹操、東の孫権 共に国を奪うのは不可能 将軍は荊州と益州を取り 西に国を築きなさい」と……
 
 これが世に言う所の 「天下三分の計」です

 その計に感嘆した劉備は自分よりはるかに若い青年の前に膝まづき深々と頭を下げます
 
 「先生のその智謀、この劉備の為、否、天下万民の為にお貸しくださいませ」 
 
 その劉備の人柄に惹かれ、ついにこの稀代の天才は庵を出る決意をしたのでした
 
 「若輩浅学の1農夫にすぎないわたしの為に3度も庵を訪ねてくださった

 世に言う 「三顧の礼」です
 
 この時、孔明27歳の事でした

 この後、三国志は 呉の水軍提督であり、智謀にも長けた 周瑜  魏の天才軍師で孔明生涯の好敵手 司馬懿 との知恵比べへと進んでゆくのであります
 
 
 

アバター
2010/02/27 19:58
メルティーさんが三国志とは意外です。

三国志は意外に私はうるさい方です。

私は、呉国の孫権が好きかも知れませんね。もちろん、劉備玄徳も好きですがね。
アバター
2010/02/27 13:04
«魅優羽~みゅう~»ちゃん
 三国志ほど面白いお話はそう無い! 特に関羽さまステキ❤
アバター
2010/02/27 12:07
(*≧m≦*)ウププ~ッ
さすが三国志ヲタク
アバター
2010/02/27 10:54
«ぺこりん»さん
 はい、諸葛 孔明はまさに稀代の大天才でした たった2千の兵で曹操軍2万5千を打ち破った徐庶も 「自分が蛇なら彼は龍 自分が蛍の光なら彼は名月の光の如し」 と言って去って行ったそうです劉備も 「自分が孔明を得たは魚が水を得た如し」(水魚の交わり)と喜び、死の間際には「わが子、劉禅が君主としての器なら補佐してやって欲しい もしその器で無い時は劉禅に変わり、君が蜀の国を引き継いでもらいたい」と言ったそうです
 結局劉禅は蜀を滅ぼしてしまうのですが、もし、孔明が君主になっていれば歴史は変わっていたかもしれませんね


«zerostep»さん
 続けたいんだけど、三国志に使えるアバが無いの~ 男の子の方には曹操も司馬徽(水鏡先生)も関羽さまもあるのに~
アバター
2010/02/27 08:03
いいですね~~これは^^

是非続けて下さい。是非続けて下さい。是非続けて下さい。

     「三顧の礼」↑ チャウか^^;
アバター
2010/02/27 07:52
『日刊三国志』拝読させていただきます。
なるほど~~。諸葛 孔明ってキレ者だったんですね。
名前しか知りませんでした。



Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.