孔雀扇を持つ貴婦人(勝手に貂蟬)
- カテゴリ:日記
- 2010/03/01 00:38:16
さてさて、勝手になりきりシリーズ 三国志編 今回は男性の皆様お待ちかねの絶世の美女「貂蟬」の登場です
貂蟬は後漢の臣、王允の養女とされ、楊貴妃・西施・王昭君と並び、古代中国四大美人の一人に数えられています
両親を亡くし(董卓に殺されたと言う説もある)奴隷として市場で売られていた所を王允に引き取られ養女となりました
その当時、民衆は 董卓の暴政に苦しんでいました
朝廷を牛耳り、洛陽から長安へ遷都し、その際二度と洛陽に人が戻れないようにと洛陽の都を焼き払ってしまうなど暴虐の限りを尽くしていたのです
それを見かねた王允は、なんとか董卓誅殺を計ろうとするのですが、董卓の養子呂布の目が光っていてなかなか実行に移せません
「お父様、なにをそんなに思い煩っておいでなのです?」 貂蟬が王允に尋ねると王允は胸の内を貂蟬に語ります
貂蟬は涙をぬぐいました
「お父様は奴隷として売られていたわたくしを引き取り、実の娘として育ててくださいました この身が男であったのなら命に変えても その御恩に報いたいと思いますのに…… わたくしは女の身に産まれた事が恨めしゅうございます」
王允が庭に目をやると、そこには大きなクモの巣が張っており、かかった一羽の蝶をめぐって2匹のクモが戦おうとしている場面を目にして一つの策を思いつきます
「貂蟬、お前の命、わたしにくれるか? ある、女のお前にも出来る事が、いや、女のお前にしかできない事が……」(注1)
翌日、王允は酒宴を開き 呂布を招きます
「実は将軍、わたしの娘が将軍をお慕い申し上げておりまして、将軍のおそばに置いていただければ娘も幸せでございましょう」
そう言って貂蟬を呂布に引き合わせます
あらわれた貂蟬を見て、その美しさに呂布は感嘆の声をあげました
日を改め吉日を選んで貂蟬を呂布のもとに届けると約束した王允は翌日再び酒宴を開いて董卓を招き、同じように貂蟬を引き合わせると そのまま董卓に渡してしまいます
それを知った呂布は王允をとがめますが「董卓には逆らえない」と、いかにも無理やり連れて行かれたような言い訳をしたのでした
それによって、董卓と呂布の間に亀裂が生じます
ある日、庭で二人きりになる機会を得た呂布は貂蟬を抱きしめ、今からでも自分の所に来て欲しい と懇願しますが、貂蟬は
「わたくしも将軍のおそばに居とうございます しかし、この身は董卓様の愛を幾度となく受け入れ汚れてしまいました このような汚れた体で将軍のおそばにまいる事はできません」 と、悲しい顔で言うのです
そこを貂蟬を探しに来た董卓が目撃して激怒します
董卓は呂布を屋敷から追い払い貂蟬をとがめますが 貂蟬は
「将軍が力ずくでわたくしの唇を奪おうとなさったのです 抵抗しましたが、強い殿方の力には勝てず、抱きしめられてしまったのです」と 言い訳をするのでした
そんな事が何度か続くうちに董卓と呂布の間の亀裂はよりふかいものになっていったのです
機が熟したと見た王允は呂布のもとを訪ねます
「今の董卓殿に逆らえる人物がいるでしょうか? お慕いする将軍のおそばにも行けず、あの娘も不憫ですが、どうか貂蟬の事はあきらめてください」
しかし、諦めきれないのは呂布です ひと目貂蟬を見たときから片時もその姿が脳裏から離れなかったのです
ついに呂布は董卓を殺してでも貂蟬を自分のものにしたいと思うようになるのです
「将軍のお気持ちが誠なら、後世にまで将軍は英雄として語り継がれる事でしょう 微力ながらわたしもお手伝いいたします」
こうして、王允は董卓を討つため、帝に上申して「帝の位を譲る」と言う書簡を董卓に届けます
宮廷には護衛の兵士は入る事が許されておらず、ただ一人、お伴出来る呂布はすでに見方です
大喜びで偽の書簡におびき出された董卓は宮廷の門が閉まると同時に呂布によって切り殺されたのでした
さて、王允の策で董卓は死にましたが、その後貂蟬はどうなったのでしょう
実は、まったく分かっていません。
自害した とか 呂布の妾になった とか 呂布の妾になり、その後呂布が曹操に殺された後、関羽の妻になった とか 関羽があまりにもご執心であったため、それを覗いた曹操が あまりの美しさに関羽に渡さず生涯自分のもとに置いた とか
中には劉備・張飛が気に入り、ぜひ自分のものにしたいと思いつつ照れもあってか関羽に薦めるが、呂布・董卓の二の舞にならないように関羽が切り殺したというお話まであります
いつの世も 美しい女性に男性は弱い物なのですね(笑)
注1 この計を『連環の計』と言いますが、『連環の計』はご存知赤壁の戦いで船同士を鎖でつなぐ と言う計にも使われており 区別するために こちらは『美女連環の計』と言うのが一般的だそうです
なお、この時貂蟬は16歳であったとされています
そうですね 好きですョ 特に関羽が亡くなる所は何度世でも泣けます I ❤ 関羽です
«柚子茶»さん
日本で一番良く語られているのが 使命を果たし自害した と言うお話ですね
一説によれば、貂蟬は董卓に両親を殺されており、そのかたき討ちの意味もあって王允の計に乗った とも言われています
いくら恩のある義父に頼まれても、よほどの忠誠心がないとできないことですよね~
いやぁ~美人は恐ろしいΣ(゜д゜;)
三国志好きなんですね
確かに、楊貴妃も西施も傾国の美女。。。国を傾けていますね(笑)
でも、それだけ美女の影響力は強い。と、言うことではないでしょうか?美しさにメロメロになって国を傾けたのは最終的には男性なんですから(*≧m≦*)ププッ
劉備が倭人とすり替わっちゃったりして、全然違う三国志が描かれていますね。
それは、さておき
中国で伝説的な美女というのは、男を狂わせている方々が言い伝えられているようで、
当時の女性観もそこに見えたりしますね^^
美しい女性と言うのは その『美』そのものが武器になりますからね~
魔女っ子メグちゃんじゃないけれど
男の子なんてイチコロよ~♪ってところでしょうか?
わたしを争ってくれる殿方がいませんので使いたくても使えません 女はきれいに産まれないと損よね~(☍⊖⁰)ゥゥッ
絶世の美女とはオソロシヤ~~~!
お見事です。メルちゃんは使わないように
(x_x)☆\(`´)おりゃあ~~
この当時の人の考え方が、まず帝の為、そして国の為と言うものだったのでしょうね
王允もこの計略に貂蟬を使うのは辛かったと思いますョ
ですがこれで良かったのか、この連環の計はいささか疑問に残ります・・・。