西遊記 (三蔵法師・玉龍)
- カテゴリ:日記
- 2010/03/07 05:34:52
お休みをしましたが再開します(*≧m≦*)ププッ
三蔵法師
三蔵法師の三蔵、名前だと思っていませんか? 三蔵法師とは、西域(今のインドなど)から経典などを持ち帰り、漢訳したり、仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した高僧のことを指す敬称のことで1人ではありません つまり、手紙を書くときの「○○様」のようなものですね
その中で、この「西遊記」に登場するのが唐代に実在した僧・玄奘三蔵です
そのため日本では 三蔵法師=玄奘 と、なったわけです
つまり、玄奘の旅は『般若心境』を求めての旅 と、言う事になりますが、テレビで孫悟空の「緊箍児」(きんこじ、別名「金剛圏」)を締め上げるとき「緊箍呪」ではなく『般若心経』を唱えていたという記憶があるのですが、わたしの思い違いでしょうかね(*≧m≦*)ププッ
実は、この「三蔵法師」日本にもいるんです 歴史上、日本人僧の中で唯一「三蔵」の称号を与えられたのが、近江出身の興福寺僧・霊仙というお坊さん
霊仙は804年、最澄や空海と同じ遣唐使の一行として唐に渡り、長安で仏典の訳経に従事し、その功績を認められ憲宗皇帝より「三蔵」の称号を賜っています
玉龍
玉龍(中国では 白竜が一般的に使われている)は西海竜王敖閨の第三太子
かつて天界において父・敖閨が大切にしていた宝玉を、火事を起こして焼いてしまい(訳によっては婚約者が浮気をして他の妖魔と結婚したあげく、その妖魔と共謀して自分を殺そうとしていたことを知ったため、八つ当たりにやってしまったという訳もある) その罰として死罪を言い渡されますが、その後、観世音菩薩の竜王へのとりなしもあって蛇盤山の鷹愁澗に住み、三蔵法師の馬となるべく、五百年間三蔵が来るのを待ち続けていましたが、肝心の三蔵が来た時には、そうと気付かずに三蔵が乗っていた白馬を呑んでしまいます
そんな彼の正体を知っているのは孫悟空だけで、(悟空は元々天界で弼馬温をしていたため馬の扱いには慣れていた(弼馬温と同音(ピーマーウェン)の避馬瘟という猿は馬を病から護るという信仰に由来))悟空には大事にしてもらっています
元来、龍なのでその尿を悟空が薬の材料にしたというエピソードもあります
玉龍は物語の中であまり活躍することはなく、エピソードもそれほどしられていません
原作群においても描写が少なく、ただの馬として無視されることもあれば、美青年の姿をしているが、自分の与えられた役目しか果たさない、少し怠惰な性格をしているなど、さまざまに書かれています
原作群において玉龍は経典を運ぶ三蔵の馬としてしか登場しておらず、孫悟空、沙悟浄、猪八戒のように妖怪と戦う場面は殆どありません
しかし碗子山波月洞に住む天界の星辰・奎木狼であった黄袍との戦いにおいて一度だけ、三人が危機に陥った時に敵と戦いました
この時三蔵は囚われの身、悟空は破門、八戒、悟浄とは連絡も取れず、一行は窮地に追い込まれていました
そこで玉龍は自らが黄袍と戦うことを決意 厩の手綱を切って竜の姿に戻ると、妖艶な美女に変身して言葉巧みに黄袍に取り入り、隙を突いて妖怪が持っていた剣で刺し殺そうとしますが、結局負けてしまい、足に怪我まで負ってしまいました
しかし玉龍が活躍する数少ない名場面である為、西遊記の見所の一つとなっています
取経の旅の後は、八部天龍になる事を釈迦如来より約束されました
と、まあ「西遊記」のメインキャラはこんなところでしょうか?
最後に「西遊記」そのものについての 講釈
「西遊記」
『西遊記』は、中国で16世紀の明の時代に大成した伝奇小説で、唐僧・三蔵法師が白馬・玉龍に乗って三神仙(神通力を持った仙人)、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を供に従え、幾多の苦難を乗り越え天竺へ取経を目指す物語。全100回で中国四大奇書に数えられる。
著者は呉承恩(1504年頃 - 1582年頃、江蘇省出身の官吏・詩人)の著書に「西遊記」と記述されていることから中国では定説化しているが諸説が存在し、明確ではありません
21世紀の今日まで 誰が書いたのかはっきりした事はわかっていないのです
本を読んでいないので、細かいことは知りませんでした。
簡潔にまとめていて、メルちゃんの文才を感じましたね^^
御苦労さまでした。次回もよろしく(。・ω・)ゞデシ!!
オテヲハイシャク!ヽ(  ̄∇)ノヨォ~( ̄人 ̄)パパ!( ̄人 ̄)パン!( ̄人 ̄)パン!
次は何か楽しみです。
そういえばマチャアキ悟空の時、馬役の藤村さんいましたねぇ。
メルティーさんの『西遊記』シリーズブログよんだので、オリジナル1冊を読んだも同然ですね。(ノ∀`*)