火事と喧嘩は江戸の華~八百屋お七~
- カテゴリ:日記
- 2010/03/14 02:41:41
大変申し訳ありませんが、彼女については『謎』だらけで、「何一つわからない」 と、言うしかない状態です(一般に知られているお七にちなんで手には恋文を持たせてみました)
わかっているのは名前と罪状、刑死した。と言う事だけで、なぜ放火未遂をしたのか、一般に言われている恋した男は誰なのか 諸説「ありすぎて」はっきりした事はわかっていないようです
お七の死から三年後、井原 西鶴が「好色五人女」の第四巻に登場させ、その後、芝居・歌舞伎・浄瑠璃等で演じられるようになって有名になりました
その西鶴も、しっかり下調べをして書いたのか、まったくのフィクションとして書いたのかも定かではなく、そのためか、一説には 恋した男などおらず、ただ単にお七は「放火癖」のある娘だった。とする説まであるようです
八百屋お七(やおやおしち、寛文8年(1668年)? - 天和3年3月29日(1683年)は、江戸時代前期、江戸本郷の八百屋太郎兵衛(注1)の娘(養女)
以下、一般に知られているお七です
お七は、天和2年(1683年)の大火(天和の大火)で檀那寺(駒込の円乗寺、正仙寺とする説も)に避難した際、そこの寺小姓(注2) 生田庄之助(注3)と恋仲となり 翌年、彼女は恋慕の余り、その寺小姓との再会を願って放火未遂(注4)を起した罪で捕らえられて鈴ヶ森刑場で火刑に処されました (遺体は、お七の実母が哀れに思い、故郷の長妙寺に埋葬したといわれ、過去帳にも簡単な記載があるそうです)
その時彼女はまだ16歳(当時は数え年が使われており、満年齢だと14歳)になったばかりであったため町奉行・甲斐庄正親は哀れみ、何とか命を助けようとします(当時、15歳以下の者は罪一等を減じられて死刑にはならないと言う規定が存在したため、これを適用しようとした)
厳格な戸籍制度が完備されていない当時は、役所が行う町人に対する年齢の確認は本人の申告で十分で、甲斐庄は評定の場において「お七、お前の歳は十五であろう」と謎を掛けたますが、それに対し彼女は正直に16歳であると答えます 甲斐庄は彼女が自分の意図を理解出来てないのではと考え、「いや、十五にちがいなかろう」と重ねて問いただしたところ彼女は再度正直に年齢を述べ、かつ証拠としてお宮参りの記録を提出することまでしました
これではもはや甲斐庄は定法どおりの判決を下さざるを得なかったのです(この事実も確認されていません)
余談ですが……
丙午(ひのえうま)の年は火性が重なることから、「この年は火災が多い」、「この年に生まれた女性は気が強い」などの迷信が生まれ、さらに、「八百屋お七」が丙午の生まれだといわれていた(実際には戊申の生まれという説が有力)こともあって、この迷信はさらに広まりました
一般庶民の間では、この年生まれの女性は気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮める(男を食い殺す)とされ、死後「飛縁魔」という妖怪になるともいわれていました
特に、江戸時代中期に盛んに信じられており、1846年(弘化3年)の丙午には女の嬰児が間引きされたという話が残っています
1906年(明治39年)の丙午では、この年生まれの女性の多くが、丙午生まれという理由で結婚できなかったといわれ、この迷信は第二次世界大戦終結後まで尾を引き、1966年(昭和41年)の丙午では、子供をもうけるのを避けたり、妊娠中絶を行った夫婦が多く、出生数は他の年に比べて極端に少なくなりました
しかし、当時の日本でも丙午に対して疑問がなかったわけではなく、1965年(昭和40年)11月に、山形市で、法務省山形地方法務局が主催となった「ひのえうま追放運動」が展開され、同月21日には市内パレードで啓発を呼びかけています
同法務局によると、子どもを産む産まないで、離婚調停に至ったとか、近所から嫌がらせを受けたなどの相談が多発したためだったそうです
しかし、丙午(1966年)生まれの川嶋紀子が秋篠宮妃に内定すると、その後、マスコミ上において「丙午生まれの女性は-」といわれることは一切なくなりました
さすがに皇族に『丙午だから云々』とは言えなかったんでしょうね(笑)
注1 八兵衛・久兵衛と記されているものもある
注2 寺で僧侶の身の回りの世話をする少年 仏教では女犯(女性と性的交渉を持つ事)が禁じられていた為、夜のお伴も務めたとする説も
注3 吉三又は吉三郎とも、武士で左兵衛とする説もあり(庄之助説では 吉三にそそのかされ放火した事になっているが、その存在は確認されていない)
注4 お七と言うと、放火した後、自ら櫓に上り半鐘を打つシーンが有名だが、あれは芝居等の演出でなされたもので、事実は小火(ぼや)程度であったとされている
お七が処刑された3/29は「お七の日」とされている
時代が時代だし、一般人なので詳しい記録が残ってません。
私個人の意見ですが、赤く妖艶なイメージがあります。
詳細の分らない彼女だからこそ、格好の題材になったのかな。
丙午の友人(女性)がいたけど、そんな迷信をもろともせず産んでくれた両親に感謝ですねぇ。
そんなに信じている人が多いのもびっくりでした。
紀子様効果抜群になるといいけど、2026年、どうでしょうね?
とはいっても、虚実皮膜論といったのは近松であって西鶴ではないけれど。。。