遠山桜花吹雪~遠山の金さん~
- カテゴリ:日記
- 2010/03/15 17:00:06
やいやいやいっ! さっきから黙って聞いてりャご託ばかり並べやがって 知行500石の明知遠山氏の分家の6代目にあたる人物で、父親は長崎奉行を勤めた遠山景晋 文政7年(1824年)末に景善が亡くなったため、文政12年(1829年)、景晋の隠居に伴い家督を相続。 天保14年(1843年)、鳥居の策略によって北町奉行を罷免され当時は閑職となっていた大目付に就任(地位は上がったが実質的には閑職) 嘉永5年(1852年)に隠居して家督を嫡男の景纂に譲ると、剃髪して帰雲と号し、3年後63歳で亡くなりました もう一つ「遠山の金さん」と言えば入れ墨ですが、放蕩時代に入れたといわれ、有名なのが「桜吹雪」です また長年痔を患っており、馬での登城が困難になったために幕府に対して駕籠での登城を許可してもらうよう申請し受理された文書が残っています(景元の身分では駕籠での登城は許されなかったため、疾病を理由に申請した) 景元の死後、基本的な物語が完成し今ではドラマ等で、名奉行として大岡忠相(大岡越前)と人気を二分していますが、ドラマのような名裁きをした記録は殆どありません ただし、当時から裁判上手だったという評判はあり、名裁判官のイメージの元になったエピソードも存在しています
てめぇらの悪事は この遠山桜がお見通しでぃ いい加減に観念しやがれ
……っと、ご存知「遠山の金さん」の名場面 と、いうか、黄門さまの印籠と同じくお決まりの場面ですね 当然、こんなお裁きや素性を隠して内偵捜査 なんてものはお話の中だけの事でございます
今回は「遠山の金さん」こと、遠山金四朗景元
遠山 景元(とおやま かげもと 1793-1855)は江戸時代の旗本で、天保年間に江戸北町奉行、後に南町奉行を勤めた人物 正式には遠山金四郎景元(とおやま きんしろう かげもと)
景晋は遠山家に養子入りしたのですが、後に養父に実子・景善が生まれたため、景晋は景善を養子にしていました
景元出生時には、未だ景善の養子手続きをしていなかったため、景元の出生届はその手続が終わった誕生の翌年に提出されています
青年期はこうした複雑な家庭環境から家を出て放蕩生活を送っています
文化11年(1814年)堀田伊勢守一知の妹と結婚。堀田伊勢守家は知行4200石で遠山家とは釣り合いが取れなかったのですが、この時当主景晋は長崎奉行であり、堀田家は景元の将来性を見込んだと言われています
公職についてからは、従五位下大隅守に叙任、のちに左衛門少尉(左衛門尉)に転じ、後に勘定奉行、町奉行となります
天保の改革の実施に当たっては南町奉行の矢部定謙とともに老中・水野忠邦や鳥居耀蔵と対立しながらも様々な政策を実施しますが、鳥居の策謀により矢部が罷免され、鳥居が南町奉行となると一人で水野、鳥居と対立し水野が鳥居の進言を受けて芝居小屋を廃止しようとした際、景元はこれに反対して浅草猿若町への小屋移転だけに留めました
そんな景元の働きに感謝した関係者が景元を賞賛する意味で『遠山の金さん』ものを上演したのがそもそもの始まりです
結果、鳥居や水野との対立が「遠山=正義、鳥居=悪逆」という構図を作り上げます(鳥居はそれ以前から江戸っ子からの評判が悪かった)
2年後、逆に景元から水野への讒言によって鳥居が失脚し南町奉行として返り咲きます(同一人物が南北両町奉行を務めたのは、極めて異例のことです)
しかし、これも諸説あって「右腕のみ」 「左腕に花模様」 「桜の花びら1枚だけ」 「背中に女の生首」 「全身くまなく」 と様々に伝えられています
また、入れ墨自体を疑問視する説もあり、入れ墨をしていた事を証明する文献ありませんが、一説によれば、奉行時代しきりに袖を気にして、めくりあがるとすぐ下ろす癖があったとされ、奉行として入れ墨は論外なので、肘まであった彫り物を隠していたのではないかと言われています(テレビとは大違いです)が、真相は?です
この時代、町奉行の仕事は東京都知事と警視総監と東京地方裁判所判事を兼務したような存在で、裁判官役は町奉行の役割の一部でしかありませんでした(もっともこれは大岡忠相にも言えることですが)
天保12年(1841年)の歴代の徳川将軍が一代に一度は行う、三奉行の実際の裁判を上覧する「公事上聴」において、景元は将軍徳川家慶から裁判ぶりを激賞され、奉行の模範とまで讃えられています
景元が、たびたび水野や鳥居と対立しながらも、矢部のように罷免されなかったのは、この将軍からの「お墨付き」のおかげだと考えられ、景元のこうした名声は、明治になっても旧幕臣をはじめ、人々の記憶に残り、景元を主人公とした講談 映画やテレビの時代劇へ継承される大きな要因となったと言えるでしょう
「西郷輝彦さん」「柴田恭兵さん」です。
色々な方が演じていますが・・・・
『遊び人の金さん=(冷や飯食いなのだから当然)細身』
というところは譲れないのです。
江戸を斬る 大好きでした。
沢山の情報があって参考になります♪
遠山の金さんは有名ですよねw
インターネットで調べてますョ とくに、Wikipediaという百科事典の文章を引用しています
後は、ほかに面白いお話が無いかな? と思って、個人のブログやホームページを巡回してます
«ぺこりん»さん
そうなんです 髷が無いんですョ 宴会用のヅラって設定でいいから出してくれないかな~?
«ぶらっちぇ»さん
そうみたいですね~ 金さんを善玉として演出するために悪玉に仕立て上げられていたのかと思ってましたけど、いろいろな人のブログを見ても実際に鳥居南町奉行は評判が良くなかったようです(規律規律で取り締まりが厳しすぎたから らしいんですけどネ)
«呂布»さん
まあ、書いた通り諸説ありますが 「遠山の金さん」と言えばやっぱり桜吹雪ですから(*≧m≦*)ププッ
しかし、本当に入れ墨していたんでしょうかね? 桜吹雪ではなく、女の生首って話は聴いた事があったんですが……
見事な演出ですね。
う~~ん、まいった。
ドラマでも頻繁に南町の鳥居と対立してましたね。。。
実際に、追い落とされたり、追い落としたりしてたんですね^^;
遊び人の金さんの時は、髷をいちいち結い直さないといけないですね。
刺青が見えないように袖を気にしていたのなら、
「この桜吹雪が目に入らねぇか~!」なんてことは、やっぱり演出ですねwww
私も、そう言った知識を知りたいですね。