【白鳥の歌】(1)
- カテゴリ:自作小説
- 2010/03/30 18:33:48
「ちびちゃん、おいで」
呼びかけられたリンドブルムが、主の枕元に姿を現す。
心配そうに頭をすりよせるリンドブルムの背を撫でながら、女がつぶやく。
「最期のお願いよ。あの人に言葉を届けて。今じゃないわよ?あの人の最期の時にね。…あの人のところへは、たぶん、あの子が連れて行ってくれるわ」
そして女は、残った魔力の全部を使って、リンドブルムに魔法をかけた。
「もし、あの子が、あの人の最期に間に合わなかったら……この気配をたどって行ってね」
首元にかけていた細い紐を外し、リンドブルムの首にかける。すると、紐は溶けるように消えた。
「…あの子の力になってやってね。……ハウス」
リンドブルムに最後の命令を下し、女は深い吐息をついた。
「…あとは……あの子に任せるしかないわよね。…騎士の手助けがあれば、きっと、何とかなる、わよね」
小さくつぶやいて、目を閉じる。
深夜の闇の中に、静寂が満ちる。
妙な胸騒ぎを覚えた娘が、夜中に母親の部屋へ様子を見に行き、母親がこと切れているのを見つけた。
娘が自分のの胸元に、うっすらと黄色い丸い痣があるのに気付いたのは、葬儀が終わった後だった。
その痣が、娘を王都まで連れ出すことになるのだが…それはまた別の話だ。
男の枕元で、リンドブルムが一声鳴いて、姿を消した。
入れ替わるように、女の姿が現れる。
「……ソフィア」
女の姿を認めて男がつぶやく。
「…いや「ちびちゃん」、か。…そんな芸当ができるとは、知らなかったな」
――あれからどれくらいの時間が経っているとお思いですか?…あ、お答えいただかなくても結構です。
口を開こうとした男を手で制して、女の姿をとった幻獣が言った。
――時間が御座いません。主からの伝言をお伝えします。一度だけですので、心してください。
そして、人の手を模した体の一部を、男の額に触れた。
どことも知れぬ森の中に、女が立っている。別れた時と寸分たがわぬ姿で。
(お久しぶりです、殿下。あ、もちろん「陛下」におなりになっている事は存じ上げております。でも、私にとって、あなたは「殿下」です。…ずっと、変わらずに)
柔らかい微笑みを浮かべて女が言う。
(…それから、私が「殿下」とだけ呼ぶのは、あなただけなんですよ。ご存じだったでしょうか?)
女が、はにかんだような表情をつくる。
(あなたは、名前で呼ばれないのがご不満なようでしたね、そういえば。でも、自分だけのものにはならない、と判っているものをそうは呼べません。私には)
ひとつ頭を振って、長い髪を後ろに払う。
(私のわがままを聞いていただいて、ありがとうございます。本当でしたら、娘は、殿下のもとで育てるべきでしたのに。……本来でしたら、殿下の許にやるべき息子もおりましたのに。……過ぎたことをあれこれ言っても、仕方がありませんね)
女が溜息をつく。と、少し大人びたように見える。
(『金瞳』の『龍』がおかしくなっているのには、気づいていました。でも、私にはどうにもしようがありませんでした。私にできたのは、娘が損なわれぬよう、娘に代わって、『龍』に『糧』を与える事だけ、でした。……そのせいで、ちびちゃんにはかなりひもじい思いをさせてしまったかもしれません)
しゃべりながらだんだんうつむけた顔を、ふと上げる。
(あ。…娘には、お会いになりましたか?外の事は教えぬようにして育てたので、怖気づいてそちらにはお伺いしていないかもしれません。もしそうでしたら、「手出し無用」と周囲の方にお伝えください。あれは「森」のものです)
「森」のもの、と言い切る目が強く輝く。疲れてやつれたように見える顔の中で。
(取り留めもない事をお聞かせしてしまって、申し訳ありませんでした。本当は、お伝えしたい事は、たった一つでしたのに)
女が近付いてきて、手を差し伸べる。