さすらいの女ガンマン(カラミティー・ジェーン)
- カテゴリ:日記
- 2010/05/14 06:56:42
カラミティー・メルです(笑)
カラミティー・ジェーン 本名マーサ・ジェーン・カナリー( 1856年(または1852年)5月1日 - 1903年8月1日)別名:平原の女王は西部開拓時代に実在した女ガンマンです
女だてらに軍に所属して、馬にまたがり、銃を撃ちながらインディアンと戦いました
と、映画などではヒロイン役なのですが、実際の彼女の仕事は斥候(偵察)が主だったようです
確かに、インディアン掃討作戦には参加はし、彼女自身が書いた自叙伝も存在するのですが、その中で語られている大活躍する場面は彼女の誇張、または夢物語とされているようです
彼女には2人の弟と3人の妹がおり、6人姉弟の長女
1866年、彼女が14歳のとき、父は家族全員を連れて幌馬車でモンタナ州バージニア・シティへ引っ越しますが、母は道中病死
1866年春にバージニア・シティに到着後、父は6人の子供全員をユタ州ソルトレイクシティに連れて行きます
1866年夏には現地に到着し、約16ヘクタールの土地に入植し農作を開始しますが、1867年、彼女が15歳のときに父も死去し家族は孤児となりました
彼女は家督を継ぎ、もう一度幌馬車で移動しワイオミング州のブリッガー砦へと入ります
1867年5月に現地に到着後、更にそこから鉄道に乗り継ぎピードモントへと旅を続けます
ピードモントでは、彼女は6人兄妹の長女として家族を養うため、皿洗い、コック、ウエイトレス、踊り子、看護婦、牛飼いなどを経て、最終的には1874年にラッセル砦で斥候の仕事を得ました
軍人の制服を身につけ、彼女は斥候として働き始めます
彼女の伝記によると、彼女はカスター将軍と一緒になったとありますが、カスター将軍がラッセル砦に駐留したという記録は全くありません
しかしながら、1872年の春に、彼女はカスター中佐が関わった1つの作戦に同行します
「ムセール・シェルのインディアン大暴動」または「ナーシー・パーシーのインディアン大暴動」 と呼ばれたインディアンの暴動鎮圧のために現在のワイオミング州シェリダン付近へ急遽派遣されたのでした
これは彼女の生涯でカスター将軍との面識を持つための唯一の機会でした
が、一介の斥候兵士が将軍との目通りがかなうはずも無く、遠くからチラリと顔を見て、彼女の妄想が膨らんだ。と、言った所ではないでしょうか?(この作戦に続く1874年に、彼女はカスター軍からの離隊を命令され、その後カスター軍には配属されませんでした)
さて、彼女の通り名「カラミティー・ジェーン」ですが、彼女によると
ワイオミング州グース・クリークでイーガン太尉は隊長として指揮を執っていた。
私たちはインディアンの暴動を鎮めるよう命令され、数日間出動したが、6人の兵士が死傷した。藪の中を戻ろうとしていたとき、目的地からおよそ2.4Kmの地点で攻撃を受けた。
発砲されると、イーガン太尉は撃たれた。私は発砲音を聞くと振り返り、イーガン太尉が馬の背から地面に落ちようとしているのを目撃した。私は大急ぎで馬を反転させて彼の元へ駆け戻り、彼が落馬しようとした瞬間にそこに到着し彼を受け止めた。私は私の馬の前部に彼を引き上げ、安全に駐屯地に戻った際に彼の指揮を引き継いだ。
彼は回復したあとに笑いながら私に言った。
「私は君をカラミティ・ジェーン、平原のヒロインと呼ぼう」
と、されています
しかし、この話も彼女の誇張または作り話だと考えられています
当時でさえ、彼女の話は真実として受け入れられておらず、よく広く知られている由来は「法廷の疫病神」として、彼女が法廷内の男性を怒らせ続けた結果、男性陣から彼女への警告として付けられた名前だと言われています
「カラミティー・ジェーン」として確認された話としては、クロック司令官への伝令としてカスター軍からの離隊が命令されたという事です
その後、彼女は病気になり、数週間後回復したあと、ワイオミング州のララミー砦へ移動し幌馬車隊に加わりました
1876年、駅馬車を襲うインディアンたちを撃退して数人の乗客を助け、駅馬車のドライバーが殺されたことにより彼女は代わりにデッドウッドの目的地まで手綱を取って運転。その年の後半にはデッドウッド地域で流行した天然痘の犠牲者を看病しています
1893年にはカラミティ・ジェーンとしてバッファロー・ビルのワイルド・ウェスト・ショーに騎手および曲芸ガンマンとして参加し、また、彼女はショーの全米巡業にも参加しています
1903年7月に、彼女はサウスダコタ州テリーへ旅行に出かけ、1903年8月1日、キャロウェーホテルに滞在中に肺炎を起こし、47歳で死亡しました
なんと波乱万丈の人生だったのでしょうか
しかし、妄想癖・虚言癖まであったとは驚きでした
«優(まさる)»さん
15歳で一家の長になり、弟や妹を養って行くのは並大抵の苦労ではなかったでしょうね
そのため、一種の現実逃避的な意味でこんなくせが着いてしまったのかもしれません
家族を養って行く為には、相当な覚悟が有ったのでしょうね。
自分を保つためには妄想壁などは仕方がなかったのかも知れませんね。
彼女プライドがめっちゃ高そう・・・薄給の貧乏生活から這い上がるのに、
妄想してないとやってられない時もあったんでしょうね。
軍隊に入ってもその癖は治らず、他人にもそれをしゃべったり、書いたりしちゃったのかな。
『風とともに去りぬ』のスカーレット・オハラは情熱的ではあるけれど、女性的なヒロイン。
カラミティー・ジェーンは、同じ情熱的でも男性っぽさがあるヒロインな気がしました。