三国志演義のウソ? ホント? ぱーと2
- カテゴリ:日記
- 2010/06/14 18:21:14
続けます
Q 3. 劉備は三顧の礼をもって諸葛亮孔明を軍師に迎えたのは本当か?
A 事実と思われるが……(?マーク10個中1個)
解説 軍師として仕えていた徐庶が立ち去る際に後任として推挙したのが臥龍(伏龍とも)こと、諸葛亮孔明だった
早速、南陽の孔明宅を訪れ、3度目にして初めて孔明と逢う事が出来て劉備は孔明を軍師として迎える事になる(前ブログ諸葛孔明参照)
張飛は「そんな青二才に対して劉備玄徳ともあろう人が出向くまでも無い。使者を送って呼び寄せよう」と憤ったが、劉備は「天下の賢人を迎えるのに、呼びよせるような事は出来ない」と答えた
こうして、劉備は孔明を迎えるのに、3度彼の庵を訪ねた事に由来する故事で、後世、人をスカウトするのに礼を尽くせ との意味に使われるようになった
この「三顧の礼」は演義だけでなく、正史にもその記述があるため事実であると思われる
が、魏の歴史書「魏略」の中には孔明が、自ら劉備の元を訪れたと言う記述があり、100%真実か? と、言われれば必ずしも肯定できない部分もある
従って、本当に3度だったのかと言う疑惑と、「魏略」の記述を考慮して?マークを1個付けた
Q 4. 天下三分の計は孔明の発案と言うのは本当か?
A まったくのデタラメ 三国志の時代最初に「天下三分の計」を提唱したのは呉の魯粛(ろしゅく) (?マーク10個中10個)
解説 演義において、天下三分の計は、劉備が孔明を軍師として迎えたときに、孔明が提唱したとされているが、孔明のオリジナルではない
正史によれば、それ以前に「呉」の魯粛が孫権に「江東を足がかりにして天下を三分し、天下統一を目指すべし」と進言して孫権から絶大な信頼を受けていた。とある(注1)
では、魯粛の発案か? と、言えばそうでもなく、有名な孔子の『論語』には三国時代より前の人、周の文王についての記述に「天下を三分して、そのうちの二つを有しながら 云々」となっており、また、歴史書の「史書」にも、項羽・劉邦と覇を争っていた韓信(かんしん)に、家臣の蒯通(かいとう)が「天下を三分し、鼎(かなえ)の三つの足のように分立すべし」と、言ったと記されている
魯粛や孔明ほどの人が「論語」や「史書」を読んでいないとはとても思えない
二人とも、先人の考えた天下三分の概念を自分なりに焼き直したと考えるべきである
従って、?マーク10個中10個。全くのフィクションであるとした
Q 5. 諸葛亮孔明は言われているような大天才だったのか?
A 確かに才能はあったが、それは軍略面より内政においての事であった (?マーク10個中8個)
解説 演義では孔明は闘いの場において数々の大活躍をした事になっているが、「正史」によれば、その能力は内政面において遺憾なく発揮された。とあり、戦いの中で敵の意表を衝き勝ちを得るという場面ではあまりうまく働かなかった。とある
策略よりも内政能力の方が勝っていたようである
敵の意図を正確に読み、天候を操り、天文を読み大活躍する話のほとんどが史実を基に、孔明の手柄と書き直されたものか、全くの作り話とされているのが現在の歴史研究家の定説となっている(注2)
従って、大まけにまけて?マーク10個中8個とした
Q 6. 孔明は本当に10万本の矢を集めたのか?
A 時も場所も違う孫権の史実を基にした作り話 (?マーク10個中10個)
解説 演義において孔明の智謀を恐れた周瑜は、なんとか孔明を亡き者にしようと罠を仕掛ける
そのうちの一つが「10日以内に10万本の矢を調達して欲しい」と言うもの
孔明は3日で揃えると言い、周瑜は納期に間に合わないよう手を回す
孔明は20艘の船に兵卒を30名と藁束乗せ、幔幕を張っておくように魯粛に依頼する
三日目、朝から霧が立ち込め、孔明は20艘の船団を率いて曹操の陣営に近付き兵士たちに一斉に声をあげさせ、太鼓を打ち鳴らす
突然の敵襲に驚いた曹操軍は大量の矢を放つ
孔明は退却 船には無数の矢が刺さり、20艘では10万本を超えていた
周瑜は「孔明の機略は到底自分の及ぶところではない」と絶句した
これが10万本の矢のエピソードであるが作り話である
しかし、基になった史実があり「孫権伝」の中に、213年(建安18年)濡須で曹操と孫権が対峙、孫権は大船で敵情視察に出、曹操軍は大量の矢を射かけた
その重みで船が傾くほどだったので向きを変え、反対側にも大量の矢を受けバランスがとれるようになった後に自軍に引き返した とある
「赤壁の戦い」より後の事なのだ
注1 演義において魯粛は孔明と周瑜に翻弄されるお人よしの三枚目として描かれているが、実際には孫権ですら頭が上がらないような切れ者であったようだ
注2 蜀が主人公の演義において孔明を天才軍師とする必要があったため、このように作り上げられた
ま、日本で最も有名な作り話と言えば、ご存知「水戸黄門」ですね
黄門様こと光圀さん、諸国漫遊どころか、ほとんど水戸藩から出た事すらないのですから
300年ほど昔の話が、そんなんですから、1800年ほども昔(日本では卑弥呼が出てきたころ)のお話が、作り話でも不思議はありません
«zerostep»さん
確かに、すべて暴いてしまってはロマンは無くなってしまうのかもしれませんね
でも、お忘れですか? メルちゃんは天下のへそ曲がりなのですョ
知る人ぞ知るでいいではないか^^v
楽しく読まさせて頂いたますm(__)m
そんな日本の倍以上もの歴史のある国なら、作り話だらけでもおかしくないかなwww
確かに、今伝えられている(演義)のままの内容なら、読む人すべてが胸躍らせて読む事が出来るでしょう
しかし、歴史は常に勝者(と、言うより主人公)に都合のよいように作り変えられるものです
先にも書きましたが「正史」と言えどすべてが真実かと言えば?マークがつきます
いまさら、劉備や孔明の化けの皮をはがして何になる? それは野暮と言うものだ! と言う人も多くいるのは事実ですが、歴史の裏を読む事は面白いものです
特に、わたしのようなへそ曲がりにはこの上ない喜びです