以前読んだ太宰治の「正義と微笑」から。
- カテゴリ:勉強
- 2009/02/19 17:19:58
「・・・勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、 もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。 植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。 日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。 何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。 覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。 カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記《あんき》している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。 つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。 学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。 けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。 これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。 そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!・・・」
この文章が凄く印象に残っていました。確か学校を去る先生が生徒にお話された節だと思いますが、cultivate(カルティベート)というのは耕すという意味で勉強とは心を耕す行いであり、学んだ内容自体が将来役に立たなくてもその勉強をしたことで自分で何かを考え、感じ得た事が素晴らしいんですよというメッセージを伝えたかったのだと思います。
読んだ時は色々と考えさせられましたが、あんまり考えすぎてもダメだなと思い心に留めている次第です。
結果って大事だと思いますがやっぱり色んな過程の積み重ねですよね。
無駄なことを沢山勉強しなさいって言われた事があるんですが当時は
意味が分かりませんでした。視野を広げろってことだったんだなと今に
なると思います。急がば回れも似たような感じですよね。
確かに勉強すること、その姿勢こそが大事だと
最近になってわかり始めました。
結果も大事だけど、その過程が後に
自分の肥やしになるわけですよね^^