八月が来る
- カテゴリ:日記
- 2010/07/31 02:21:17
昔、はだしのゲンは、どこの図書館にもあって、
読まなければいけなかったのだけれど、
読み終わるのに、そうだな。。。何年かかったんだろう。
母が、移動図書館からまで借りてきて
テーブルの上に置いてあった。
痛みが押し寄せてきて、読めないのだ。
眩暈も吐き気も、肩が重く、立てないほどになる。
想像力が、度を越した子だったんだろう。。。
それでも読めという。
事実を直視しろという。
ジョニーは戦場へ行った
父が見ていた。
迂闊にも、迂闊にもだ。。。見てしまった。
寝れなくなる、うなされる、食事が通らなくなる、考え込む。。。
無口になる、無気力になる、ああ、立てない。
「キャタピラー」という映画を、ブログで教えてくれた人がいる。
アンテナが、」張り巡らされていない私は
この映画のことを知らなかった。
感謝している。
私の小さいころは、四肢のどこかしらを失くした傷痍軍人さんが
祭りや普段の繁華街で、
白い衣に身を包み、筵の上に座っていたっけ。
悲しげな軍歌を鳴らして。。。
戦争の犠牲者。。
どんなに痛かったろうと、小さいころはそこまでの想像。。
大きくなる都度に、心の痛みを知り、家族の苦悩を想像し
大人の範疇の「あったであろう事実」も想像していく。。。
堪えられない。
持ちこたえられないのだ。
「キャタピラー」
この言葉だけで、多分すべてを知る、知りえる。。。
なにが起こったかも、鮮やかに知ってしまう。
ここまで赤裸々にせねば、人は知れないのか。
風化は、この鈍感さゆえか?
ああ、貴方がそうなったとき、私はどうするでしょう。
私がそうなったとき、私は貴方に何を強いてしまうでしょう。
8月がくる、いや、来た。
遠くになる戦後に
私たちは何をすべきか。。。
八月はホント考えさせられるわ。
そうそう、昔子供の頃、お祭りの時に道端に傷痍軍人さんがゴザに座ってお恵みをもらっていた。 子供心に怖くて怖くて・・・。
歳月は流れ、いつしか軍人さんはいなくなっていた・・・・。それはそれで哀しい気もする。
鈍感さは良いのか悪いのか・・・ 人類は何度も愚かなことを繰り返す。
どうかそんな日が来ないように!
なんとかならんのか・・・と思うよ。
ニコッとの青少年向けの注意書きね。
これを、ちゃんと読む人は問題を起こさないだろう。
見ない人が問題を起こすんだろうと、そういう議論を他のブログでちょっと見かけたわけ。
知らしめるってことは大事な行為でしょうけどね。
責任の所在を明らかにしたり、あるいは後々責任を免れるためにもね。
事実から目を背けるな。
これもね、事実が重過ぎて見れないっていう問題もあるんだけど・・・
それ以前に、その重さを理解する人に、追い討ちのように曝け出す必要があるのか?
ってことを、ふと思ったりします。
どんなに真正面から、覚悟を持って、事実を白日の下に晒したとしても
その重さを理解できない人には、バイオハザードなどの殺戮ゲームとどれほどの差を感じるだろう?
危険な賭けという一面は、どこかにある気がします。
伏せてしまうのは、もっと危ないっていうのも確かですが・・・・
知らないってことは恐ろしいからね。
情報操作の第一歩は、隠すことです。
今の日本の学校教育では、歴史の教え方に、大変な問題があるってことに
いい加減、注目して欲しい。
肝心なことは有耶無耶のままで、何一つまともに教えちゃいませんからね。
そんな、なにも知らされてない人々に
いきなり投げかけるには重過ぎる情報っていうのもある気がします。
受け手の状況っていうのも考えなきゃねぇ・・・・
ああ、その「理解が追いつかない」って言い方、いいえてるよ、うまい言い方だ、的を得てる。
悲しみがね、教訓の前に立ちはだかって、そこまで行き着かなかったりするのだ。
そうね。。。なんなんだろう。。。
子供とて、ちゃんと理論がほしいのだ。
なぜ故そうなったか、なんでこんな目にあってるのか、ちょっとばかしあると、
恐怖の刷り込みは、確かに「反戦」のこころを植えつけるけれど、
恐怖の一歩先が、子供といえど欲しいの。。。
こんな恐ろしいことが起こる戦争はいやだ。。。それは確かにトラウマのようにね、植え付いたんだけど。
ああ、死ぬ自由。。。そうなんだよね。。。
あのさ、私ね、話し飛ぶけどさ、死に掛けてる人の枕元で、「もう聞こえてないから」というお医者様の話
真に受けて、財産分与とかさ、まぁ、争そい事するじゃない?
あれ聞こえてると思うの。
「はだしのゲン」は前半かなり読んだけど、後半いつまでも続く悲しい出来事に子供の理解力が追いつかなくなったような気がします。
「ジョニーは戦場へ行った」 これはすごいです。そして死ぬ自由すらも奪われる。
妹の卒論を、私が書きました。
そのテーマは、シオニズムだったんですね、パレスチナだった。
妹はこれでAをもらい、ヒアリング?かな?のときにシドロモドロで
「誰にかいてもらったんだーーーーーっ」のおまけ付き(笑
わたしばかりが勉強しました(爆
事実を事実として、受け止める、これは大事です。
でも、ショッキングすぎる映像、これは「そこまでしないと解らんのか?」と言いたくなる。
とくにです、ハンバーバーヒルのような映像は、これ不思議と平気です。
でも、心に食い込んでくるを狙うであろう映像、これは
そこまでされんと、人を思い遣ることが出来んのか、と思うのだわさ。
えぐられんと、解らんのか、あほが!と。。。
多分ショッキングすぎる心の映像が出るであろうと、予告編が見れなかった。
ただ、焦りを感じます。
あ〜〜〜、このままなにかに突入するぞ、困ったなぁ。。。考えて踏みとどまるだけの力は
今の日本にはないぞ。。。
もっとビックリを言うと、
ワタシの仲好しだった女の子の母親は、そのころ教師だったの。
その人が、「アメリカが日本民族を地獄から救ってくれた。民主主義を土産に上陸した」
そう言ったのね。
うひゃぁ〜って。。。この人達とは付き合えない。。。そう思った。
原爆のことはどう考えます?と訊いた。
「降伏しないからいけなかった。降伏しなかった日本が落としたような物」
これって、どこかしらに生きてる思想なんだよ。。。ビックリでいけすかない。。。
日本が何をしたかね。ただ、カナシイカナ、日本は敗戦国なんだ。
してないことまでしたと言われるんだ。
満州事変然り、強制連行然り。。。
連れて来た朝鮮民族に対してだけ、日本が劣悪な労働を強いていたわけじゃないんだ。
負け戦だもの、どうしても勝ちたいんだもの、最後の一人まで死ぬ覚悟なんていっちゃって
それを強いたんだわ。
それを負ければもの凄く言われる。ここぞとばかりに、隣国もいいだす、おいおいって思う。
お互いが、公平に、自分のしたことを認めろ。
勝利国が、特に認めろです。
歴史は、大嫌いな科目でした。
近代は好きでしたが、やまたいこくぅ〜?こまったなぁ。。。ってなもんでした。
遠くになるのってさ、仕方ないんだよね、実際に仕方ない。
んじゃどうするか、想像力しかないんだよね。
こうしたら、こうなる。。。とか、こうなったらどうなる?とか。。。
事実を忠実に伝えること、そして想像する力。。。育てて欲しい。
うん、どんどん刺激に対して鈍感になってく。
これも仕方ない。
じゃぁどうするか。。。
その方向に流れそうになった時、そうするか、自分は。。。
このシュミレーションしかないんだと思うんだ。
いまだって何一つ横暴さは変わらない。
アメリカを頼らず対等に、アジアはアジアとして。。とした角栄の頭越し外交が気に入らずに、
アメリカの陰謀で角栄は失脚だもの。
そしてそれから、何一つ今も変わらない。
ますます属国化です。
自由の国アメリカが自国に対してして来たこと、他国に対してして来たこと、すること。
これを、もっと冷静に受け止めれなければ、
日本はダメです。
ナショナリズムという言葉は、悪いように取られるときもありけれど
運営する意識のなかに、必ず必要です。
それが育って無い。。。
長い長いスパンで、真綿で首を絞める白人のやり方、農業しかりです。
これに気が付かねば。
昨日丁度、地雷の話をしてました。
「ベトナムは、アメリカの明らかな負け」地雷源の節操のなさは、アメリカの末期症状。
高度な武力さゆえの傲慢は、ジャングルに阻まれて、生首を晒すってとこですね。
あ〜あ。。。だれか国の要人が、そう言っちゃえば良いのに!
そこで、おもうんだよ。
ああ、少々公平な映画が出てきたな、と、あのクイントイーストウッドの
父達の星条旗?と硫黄島からの手紙。。。これね。
どっちにとっても、正義があって、どっちにとっても敵がいたんだよね。
そして、無事を待つ家族が居て、どうか生きてかえってと思ってる。
死ぬ恐怖は、双方どちらにもある、ズルい心もある、綺麗な心もある。
それどうしが闘ってる理不尽。。。
そして戦いを強いるのは、遠い対岸で安全を確保されてる人々だわ。
真面目な人なんだよ、日本人が総じて真面目で妄信的だった。
中野兵学校出たのかな。。。?
終戦の時にさ、天皇がさすが潔過ぎたわけだ、命乞いをしなかった。
それで、マッカーサーが焦るのだけれど、一変、敗戦国の日本の根本が崩れた。
天皇は人間となり、いままでの支えたる「信念」が「不毛なもの」となる。
激動は、人の心の中にも激動だったんだよね。。。
ほれ、うちの父方は、敗戦を確信してたような、「不道徳(笑」な輩だから
打撃が少ない。
でも、母方は、そりゃもう士族じゃ華族じゃなもんで、
予科練だのなんだので、「生きてる地獄」を味わうわけよ。屍だわ。
んでもって、父方はと言うと、その激動、天変地異に、泳ぎまくるわけだ(笑
負けると思ってたもんだから、「それ!ほらきた!」ってなもんよ。
ぜんぜんショックがない。張り切っちゃうわけだ。
満州引き上げね、うん、そうみたい。
顎で使ってヒドかった人は、ほんと、なぶり殺され寸前。
でもそうね、ここで日頃の人間性ってのがでるんだね。
ワタシの知り合いも、「負け戦」を信じてたから、人に優しくした。
それで、満州人が良くしてくれたらしい。パルチザンが何しろ怖かったと。
でも、匿ってくれたと。
そうそう、引き上げ船が地獄だったって。。。
生きていることの感謝より、悲しみが先に湧く、つらく思う。
これはほんと、傷跡だ。何年経っても、消える事なく、帰って鮮やかになっていく。
いやぁ。。。気が狂うとしたら、弱過ぎだ。
実体験すればだ、おかしくなる人が続出だろうと思う。
あなたには、あの「キツかったから」子供家に置き去り死亡、
あの事件が衝撃で、怒りを禁じ得ない事件だったろうと思う。
でもね、ワタシのなかにもある種だとワタシは思う。
腐ってるかもしれない鍋。。。開けれないんだもの。
でも、人の命に対してそれをしないのは、やっぱ幼少からの受けた愛情だろうと
自分で自分を分析するよ。
なんだろう。
淡々と見たり、淡々と考える。
直、心に食い込むこと避ける防御法かもしれない。
震災の時、被災地にいなかったのね。
米国にいて、すぐに帰国の予定だったし、やる事をやらねばならなかったらから
毎日国際ニュースを観て、泣いてました。
帰国後、ある場所に行くと、爆弾投下後と変わらない焼け野原がありました。
その時に、あまりの風景に、泣くよりへらへらと笑いが出た。
どれだけの人がそこに住んでいたのか。
決して見える事のない、見えてはいけないビルがストンと直線状に建っていました。
映画のセットのように現実味がありません。
生涯忘れることのできない風景でしょうね。
後になって、今でも、思い出すと涙が出ます。
その何十倍、いえ何百倍の重さがあるんだろうなぁ。
戦地、戦場、被爆地。
カンボジア、大虐殺がありましたよね。
つい最近、自分たちの真の歴史が教科書に載ったそうです。
まだポル・ポト派が多数の地域もある。
あまりのことに大人たちは子どもに語れませんでした。
違う事を話している大人もいる。
それでも子どもたちは、自分たちの親世代の歴史と向き合うことになり
繰り返すまいと、心に刻む選択をできるのでしょう。
親、もしくは祖父の時代に戦争がありました。
わたしは自分の中を覗き込み
なんて、なんて、遠いんだろうと驚愕したのです。
これが戦後教育なんでしょうね。我が身の中にある。
昔の戦争は、今と直結しています。
心に傷を負った兵士は、65年前の日本兵でもあり
今のイラク帰還兵でも、イスラエルの兵士、イラク、イラン
アフガニスタン、全く同じなんですね。
それを学ばなければなりません。
過去は今を映します。
うなされてその夜は眠れなかったです。
アメリカ人の原爆の考え方にビックリします。
あれは自分の国には落とされないと思っているからかな?
それとも自分たちは正義だから?
“あの日”世界に起きたことを知らないままでは…
とは言う物の、恥ずかしながら歴史をほとんど学んできませんでした。
少しずつ学んでいこうと思っています。
長崎の記念館に行ったとき、胸が詰まりました。
涙も出ないほど、強烈な痛み…
夏になると、記念館の外で食べたアイスクリンと、涙の味を思い出します。
今でもはっきり覚えてます。それがほんの数十年前のこと。
今年も長崎で見ましたが、すっかり冷静に見れてしまう大人になっていました。
戦争もだんだんと遠い話になっていく気がします。
20世紀は、アメリカの覇権と侵略の世紀だったんよ。 20世紀初頭にやらかした、米西戦争・・・・・・そこで、アメリカが取ったのは、テキサス、ニューメキシコ、カリフォルニア、ついでに、ワテが住んでるフィリピンも取って、(ここは、一応、金を払って買ったことになってるけど、バカ安。)
おだやかに暮らしていた、ハワイのカメハメハも力で侵略。 そして、まさかジャップがロシアに・・・・・・が、日本がロシアに勝ってしまった。 その時に、日本が得た権益、満州鉄道の経営権でんがな。
これに対して、アメリカさんは、日本と共同経営を持ちかけて来たんやわ。 時の政府は、OKをしかけたんやけど、一人の若い政府高官が反対して、壊れたんよ。 その時以降に、アメリカが策定したのが、オレンジ計画ですわ。
当時の日本は、日英同盟を締結してた。 英国は、アメリカの母なる国やから・・・・・・それを、40年掛けて、破棄させた執念深いヤンキーでっせ。 もっと、言うと、アメリカは中国大陸が欲しかったんよ。
ところが、日本をオレンジ計画に基づいて、壊してからそのミス政策で、どれだけアメリカ兵が死にましたか?
アメリカの有識者が認めることやけど、日本を潰してなかったら、冷戦は無かったかも知れないでしょ。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、アメリカは20世紀の間中、どこかで必ず戦争をしてましたね。 それが、世界の警察??
嘘こけ、覇権のためやんかぁ。
そやけど、今の危うい日本の現状で、平和ボケなんかしてるのがアカンわ。 日本は、このままだと、中国遠海省になるか、アメリカの54番目の州になってしまうで。
公式サイトやその他見てみると、これって乱歩の「芋虫」が原作というか
下敷きになってるらしいですね。。。。
日本の近代史は(というか世界全体がですが)戦争の歴史ですよね。
今、現在、偶然日本は戦争していませんが
こういうときだからこそ、戦争のこと忘れてはいけないですよね。
あとちょっと話がズレてしまうのですが、
アメリカ映画(ハリウッドなど)では、戦争の映画だと
いつもアメリカが正義で、日本は悪ですよね。
「プライベートライアン」や「シンレッドライン」もいいけれど
ちゃんとアメリカ資本で、原爆の映画を撮って
きちんと謝罪の意を表明してほしいって思います。
電話線にカギ針みたいなのひっかけてね盗聴したり、とかしてたらしい。
勲章も貰った人なんだけど、でも、やっぱり肝心な事はあまり教えてくれなかったなぁ。
ただ、村の人達に一切悪さしなかったから、引き上げの時に皆に助けてもらったとは言ってた。
凄いのよ。 隣の村のそのまた隣の村のそのまた隣の・・・って何かしらの繋がりがちゃんとあって
引き上げの時は家族全員で、村から村へと移動させられたらしい。
しかも、行く村々、全部で家族全員を匿ってくれたんだってさ。
親父の想い出は引き上げ船の酷さだったらしい。
これも詳しくは言ってくれないんだけど、村の方が全然対応良かったって言ってた。
爺さんはね、アタシや親父と違って、お酒が強くて強くて、そりゃあ呑める人だったの。
でも、飲んだくれ過ぎると、勲章を前に置いて泣いてたりもしてた。
理由を聞いても、怖いとか、辛いとか、それぐらいしか言わない。
親父の話しだと、拳銃持ってた頃は、勲章じゃなくて、拳銃を眺めて飲んでて
いつか自殺したい、ようなコトを口走ってたらしい。
婆さんがとんでもない、って言って、うっぱらっちゃったらしいけど。 (正解だなw
戦争体験者ってさ、たとえ五体満足で戻ってきても、毎日笑っていられる人でも
心の奥底にずっと傷口を開けたままで、いつまでも血を流しているんだろうね。
勲章も拳銃も何かしら爺さんには意味のある物で
でも、その理由はアタシなんかには一生解りっこないんだ。
変な言い方だけど某国の兵器の賞味期限が切れそうとか不景気で国内が大変って時に
何かしらのケチ付けて直接介入したりしてる国々があるからね。
一時期「冷戦」なんて表現はしてたけど代理戦争だと思う。
ただね、戦前戦中に生きて来た人達って事戦争に関しては口を開かんよ。
まぁ、話し出したら何時間でもって覚悟は必要です。
時間と言う概念と言うかな・・・・・・・・・・・
そんな1時間とか2時間で語り尽くせる物では無いからね戦争体験は。
全部聞いたら今の平穏な世界で生きてる人は気が狂うかもね。