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スチュワーデスの日

スチュワーデスの日

 1931年(昭和6)年、3月5日、東京航空輸送が実施した日本初のスチュワーデス採用試験の結果が発表されました。
《エアー・ガールを求む。東京、下田間の定期航空旅客水上機に搭乗し、風景の説明や珈琲のサービスをするもの、容姿端麗なる方を求む。希望の方は2月5日午後2時、芝桜田本郷町飛行館4階へ》
 という新聞広告によって、東京航空輸送社が日本初のスチュワーデス募集がされました。
 当時は「エアガール」という呼び名で募集され、2月5日に試験が行われました。
 その試験の応募者は約140人。
 うち、採用決定されたのは、たった3人でした。
 さっそく4月1日から乗務を開始しましたが、搭乗機は旅客6人乗りの水上飛行機で、飛行機という職場のあまりの狭さと薄給(当時の女性平均給料38円に対しエアガールは17円の給与でした)に1ヶ月で全員退職となりました。
 その後、やむなく給料を1回の飛行で3円、地上勤務で1円としたところ、300人以上の希望者が集まったそうです。
 さて、この「エアー・ガール」は、当時の流行語となりましたが、エアー・ガールは日本で作られた言葉だったそうです。
 ですから、当然のことながら訳語はなく、新聞は「空の麗人」とか「空中の女給」とかさまざまな表現をしたそうです。
 そして、このスチュワーデスという職業自体、発明したのは日本だといわれています。
 もちろん、ニューヨーク~マイアミ間には女性によるサービスがあったのですが、質素なもので、スチュワーデスがおこなうサービスとはかけ離れたいたそうです。
 そんな意味で、日本が先駆けだったといえます。

 ただし、エアガールについては、1930年、アメリカ合衆国のユナイテッド航空が導入したのが始まりという話もあります。
 運行中の乗客の身体的なトラブルに対応することが出来る女性ということで、看護婦(看護師)を客室乗務員として登場させたともいわれています。
 これは、当時まだ、飛行機は危険な乗り物というイメージがついていたため、女性の乗務員を搭乗させることで「女性も乗れるような安全な乗り物である」とアピールするという意味もあったといわれているそうです。

 これは、スチュワーデスが、私たちが現在うけているサービスとするか、女性乗務員をスチュワーデスとするかの認識の差なのだとは思います。




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