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うるしの日

うるしの日

 1985年(昭和60年)の11月13日を日本漆工芸協会がうる
しの日に制定しました。
 これは、平安時代 のこの日、文徳天皇の第一皇子・惟喬親王が、
京都・嵐山の法輪寺に参詣した時に漆の製法を菩薩から伝授した
とされる伝説にちなんだものだ そうです。
 実際、漆関係者は、この日んい報恩講(漆祭り)を設けて、供養す
るのが慣わしとなっているそうです。

 さ て、惟喬親王、844年(承和11年)に、第55代文徳天皇の第1
皇子として、生まれたそうです。
 天皇の第一子ということと、幼少より 聡明だった惟喬親王は父か
らも立太子を望まれたが、右大臣藤原良房らの圧力によって、立
太子になりませんでした。
 このことか ら、良房の野心が大きい事がわかります。
 惟喬親王を放っておくわけもなく、秘かに亡きものにしようと企て
いたのです。
 その企 てを察知した、文徳天皇は、惟喬親王を都から逃げるよう
に、すすめ、その勧めに応じて、惟喬親王は、都を後に山から山へ
と隠遁の旅にでま した。
 しかし、良房は、野望を遂げるために数名の刺客を出して惟喬親
王を追跡したそうです。
 惟喬親王は、山から山へと数年彷 徨い、遂に人跡未踏の大木林
立の小椋谷に逃れたそうです。ここでようやく惟喬親王は腰をおち
つけることになりました。
 その後、 大木林立の小椋谷の人々に、ろくろを使って膳・盆・椀な
どを作る仕事を広めました。
 そして、親王は、859年(貞観元年)に小椋庄に入 山し、865年
(貞観7年)蛭谷に筒井八幡宮を建立されるなどされたため、工人
たちは親王を業祖と崇めるようになりました。
 そ して、872年(貞観14年)、病を理由に出家し、山城国愛宕郷
小野に住んだそうです。
 たびたび詩歌の宴を催したそうです。

  現代においては、古今集に2首、新古今集・続後拾遺集・新千載
集に各1首を遺しているそうです。




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