先生・2 ~記憶の奥で笑ってる~
- カテゴリ:30代以上
- 2010/12/12 01:47:02
以前「先生」と題して、高校の時の先生に書いた”ファンレター”のエピソードを
紹介しました^^〃(照)
今回は、小学3.4年の時の担任の先生のお話をノンフィクションでお届けいたします☆
チェリー得意のダラダラ文で参りますが、
何卒お付き合いを…(笑)
「先生」になるのが夢だった。彼はその夢を叶えるために、頑張って、頑張って、
はるか大阪から「先生」になって神奈川県にある私の学校にやって来た。
28歳独身。初めて受け持つクラス。初めての担任。目をキラキラと輝かせて、
大変ながらも、それはそれは嬉しそうに楽しそうに毎日を過ごしていた。
大阪弁を喋る先生は、穏やかで優しくて、ユーモアにあふれる人だった。
先生は時間を作っては個人的に、私たちをいろいろな所へ連れて行ってくれた。
アスレチック・登山・スケート・温水プール・野外活動…。
パソコンが普及していない当時、知らない土地で子供たちに喜んでもらうために、
これだけのことをしてくれるのは、とても大変だったろうし、安全上の責任などを考えると、
今ではとても出来ることではない。
先生の毎日は、子供を中心に回っていた。
私たちが4年生になり、その時の夏休みには、故郷大阪から生徒全員に手書きで、
はがきビッチリのコメントの暑中お見舞いをくれた。
2学期が始まり、すぐに休日がやってきた。当時は土曜日も半日学校があり、
みんな半ドンの土曜日を楽しみにしていたものだ。
その日も毎日の『恒例』となっていた『先生との握手』をした。
帰りの挨拶が終わると、みんなが一列に並んで、ひとりひとり先生と握手をするのだ。
「さようなら。また月曜日。」と言いながら、先生はいつものように私の手をギュッと握った。
その時の、少しかがんで私の顔を覗きこんだ笑顔が、今でも私の脳裏に残っている。
翌日曜日の夕方、夕食の支度をしていた母が取った電話。受話器を置くなり呆然と
立ち尽くしていた母が私のそばへ寄り言ったのは…。
「先生、…死んじゃったって…」
交通事故だった。早朝、自転車で出かけた先生は、居眠り運転のトラックに追突されて
しまった。即死だったらしい。その時の先生の荷物の中には、クラスの集合写真と名簿が入っていたらしい。
母に連れられお通夜に向かいながらも、まだ信じられず、人違いなのでは…と思っていた。しかし、途中で泣いている友達と会った時に、初めて『本当だったんだ』と思った。
先生はその半年くらい前、おたふく風邪で学校を休んでいた私のお見舞いに、
自宅まで来てくれた。
正直その時のことは覚えていない。
が。
翌朝、起きぬけの目をこすりながら居間に行くと、そこで先生が『朝食』を食べていた。
「あ、おはようございます。」と言った先生を前に、私がどれだけ驚いたことか!!!
先生は人差し指を口元に持ってきて、「ナイショです。」と言った。
後で母に聞いた話しは。
お見舞いの後帰ろうとした時に父が帰宅。話しをするうちに、鳥取出身の母や宮崎出身の父と触れ合い、故郷が懐かしくなったのだという。そこへ、私の歳の離れた兄が帰宅。
意気投合して、思わず長居し、思わず飲んでしまい、そして飲みすぎた。
帰ると言いながら押入れを開ける先生をそのまま帰すわけにもいかず、
泊まっていったそうだ。
私は何も知らないけれど、先生との「秘密」ができて、”特別”気分になっていた。
翌日は校長先生の配慮で、葬儀に出席させていただいた。学校から数名の先生と保護者の車に分乗して、クラス全員が出席することができた。
葬儀が進行し、最後のお別れに、ひとりひとりが1輪づつ棺に花を入れた。
まるで眠っている様だよ、と誰もが言っていたが、ほとんどの子供は、先生の顔を見ることができなかった。
いよいよ最後だと思うと、みんなが泣きじゃくった。参列していた大人たちも泣いていた。
出棺の時にプリントが配られた。誰が考えたのか、そこには先生の大好きだった、
『大きなうた』がのっていた。
1番、「大きなうただよ…」2番、「大きな空だよ…」とあり、3番に「さよなら先生…」と、
替え歌になっていた。
「さよなら先生 思い出をありがとう ぼくたち頑張るよ さよなら先生」
みんなが号泣しながら歌った。もう歌にはなっていなかったと思う。
その歌声と、あまりにも若すぎる先生の死に、参列者みんなが涙した。
最後に、大阪から出てきた先生のお父様が、気丈に挨拶された。
「みんなと出会えて、息子は本当に幸せでした。ありがとう。」
その日の空は、青く、高く、どこまでもどこまでも天までも続いているように感じた。
初めて体験した身近な人の”死”だった。
それでも毎日はやってきた。みんな少しずつ元気になった。
その姿を見て、きっと先生も喜んでいたに違いないと思う。
「先生、思い出をありがとう。」
たまに先生を思い出す。
そう。夏休みが終わる頃に…
★ありがとうございます。
今では私の中では、懐かしくよい思い出です。
だから、このブログも書けたのですが、
詳細を思い出したら、胸が詰まる感じがしました。
きっと、一生忘れられないんだと思います。。。^^〃
素敵なコメントをありがとうございました*+*+
あらためて、良い先生方に恵まれたなぁと思うことができました♪♪
その先生の 教育にかける意気込み と はかなく散った最期を思うと…
後任の先生、とてもよい方が来られましたね。
ムリに忘れるでもなく、押し殺して隠すのではなく
「ここにいたよ」そして「もう会えないけど、いつでもそばにいるんだよ」ということを
残りの日々を通して教えることができる教師は、なかなかいません。
良い先生たちに巡り合えたのだ、と思います。
大阪から神奈川まで、夢を叶えるためにやってきた先生の 御冥福を祈ります。
★のんびり行きましょうネ*+*+
お尻に足型、ついていないといいけど…^^:
ずっと悩んでました
でも答えをださないことに決めました
このままがいいような気がします
延ばしてみます
へこんだら応援してくれる友がたくさんいますから
どこまでやれるか分かりませんが
毎日笑ってすごせるようにがんばってみます
本当にありがとうございました
チェリー♪♪さんにお尻を蹴られたような気がします
★ウン十年生きてくると、色々なことがありますよネ*+*+
コレまでの事は、当然ですが全然わかりません。
でも、これからの、ニコタで出会ったあなたのことは、
わかります。
るさんは優しい人です。
気持ちを素直に表現でき、るさんのくれるコメントには、
温かいものがあり、励まされ、癒されます。
そして、時にユーモラス♪♪
私だってくすぶっている人間の1人です。
人にいつも笑っていてほしい。人を楽しませたい。
と思う反面、本当はすごく冷静で、冷たいところがあるように思います。
でも、今こうしてニコタを通して、
顔の見えない素敵な友達のおかげで、
楽しい毎日を送っていますヨ*+*+
小さい頃から泣いたことがないです
少し幸せなのか 最近涙がにじんできます
私の求めていた友達はやっとみつかりました
ニコタのたくさんの友です
悩んでいたら励ましの言葉をもらい
落ち込んでいたらそっとだきあげ
こけたら ふんずけて
笑って生きてます
ありがたいです
励ましてるつもりが 励まされてます
いまからでも遅くないですよね
何のとりえもない退屈な人間でも
なにかできそうな気がします
ありがと
★*+*+もちろんですヨ*+*+
「どう生きるか」
いつから始めたって決して遅くはないし、
それは途中で変わったって、間違いではないと思います^^〃
それがその時、真剣に思ったコトならば。。。
どんな時でも笑っていられるって、スゴイと思います。
でもでも。
そのままだと、いつか『いっぱいいっぱい』になってしまいそうで心配です…
『やまない雨はない』
よい言葉ですネ♪
文章の流れから、『今は涙を流しても、きっと笑える日がくる』
と、勝手に訳して、るさんに贈りたいと思います(笑)
実際には、素直になることはなかなか難しいです(経験上ww)
このニコタで素直になる練習ができている気がする今日この頃です*+*+
長い間 意地をはっていきてきました
どんなときでも笑ってました
ニコタはじめてから 自分が素直になったような気がします
笑うことも大事で
泣くことも必要かなと思いはじめました
【やまない雨はない】と言う言葉がすきです
いつも自分に言い聞かせています
自分が死んだときに
誰が泣いてくれるのか
先生のように みんなに送ってほしいです
どう生きるか
今からでも間に合いますよね
★とうに先生の歳を越えてしまいました^^
昔、何度か母と事故現場へ手を合わせに行ったこともありましたが、
辛かったです。
私が親ならしません(笑)
私、その後も素敵な先生に出会いました。
先生亡き後、私たちのクラスを受け持ってくださった女の先生です。
傷心の私達の為に、どこからか来てもらったらしいです。
移動教室や、運動会などの行事、集合写真を写す時も、
教室に飾ってあった「先生の写真」と一緒でした。
無理に忘れさせようとせず、自然と受け入れられるようにしてくださいました。
彼女のおかげで、悲しかった出来事を上手に受け入れられたように思います。
★そうですネ^^
一人遠くから赴任してきて、いつもは周りの先生方や
子供に囲まれて生活していたけれど、
ふと、「親兄弟」のような「家庭の空気」に触れて、
先生自身の「家族」を思い出しちゃったのかな^^
しかし、あり得ませんよネ~!!!
小学校の先生が泊まっちゃうなんてwww
うん。ないな(笑)
★色々な先生との、色々な思い出がありますが、
これは悲しい思い出でした。。。
今では懐かしい思い出ですが、
夕べはこのブログを書きながら久しぶりに
先生のことを鮮明に思い出して、
目頭が熱くなりましたヨ^^*+*+
「大きなうた」単純だけれど、良い歌ですネ♪
先生のための歌詞もなかなか素敵です^^
★その後、教室には先生の写真が飾られていたのですが
なんだかいつもそばにいるようで、少し恐かったです^^:
花が大好きだった先生のために、常に誰かが庭に咲く花を持ってきていたのですが、
花瓶の水を取り替える時の花の根の独特の香りがとても嫌でしたw
自分でもちょっとヒドイと思いますが、子供の複雑な心境だったのかもしれません、はい^^
★30年近く経っているのに、夏休みが終わる頃には
必ず思い出します。。。
その後クラス替えでバラバラになった友人の多くが、
卒業文集に先生との思い出を書いていました^^
私もその中の一人ですが、例のお泊りの一説は、「ナイショ」のままです☆
どうしてでしょうね
世の中不公平な気がします
一生懸命生きてるのに
辛いことが多すぎます
平等であってほしいです
事故に遭わなければ 結婚して子供ができて
熱血先生で今もがんばってるはずなのに
辛い思いでありがとうございます
コメントになりません
また後で来ますね
チェリー♪♪さに泣かされた
切なく哀しいお話なのですが、泊っちゃった話が何より印象的で。
一人で故郷から出てきて、
仕事熱心で子供好きで毎日充実していたとしてもやっぱり寂しかったんでしょうね、きっと。
ご家族と意気投合しちゃって、飲んじゃって、押し入れ開けちゃうところなんて最高でした^^
素敵な先生にお会いできてよかったですね^^
一番の宝物なのではないでしょうか。
ブログを読んで、会った事もない先生や
当時のチェリー♪♪さん達を想像してしまいました。
朝から涙がポロポロで
今私の顔はグチャグチャです(/_<。)
素敵な先生のお話ありがとうございました☆
「大きなうた」
懐かしい(*^^*)私も大好きです♪
幸せだっただろうな~と思いました。
私も、そんな先生に巡り合ってたら・・なんてね。
先生、きっと、皆にそうやって送ってもらって、
幸せだったんじゃないかな。
何か小説の一部に出てくるかのようなエピソードですね。教え子に慕われていた先生の人柄がひしひしと伝わってきます。事故で若くして亡くなったことは残念ですが、教師としていい仕事をされたように思います。チェリーさんの心の中でいつまでも生きているんですから。
ステプさせていただきます。