ピュア・ハート~2
- カテゴリ:自作小説
- 2010/12/15 16:56:16
「……お前、名前は?」 溜息をつきながら、俺は尋ねた。少年は、「え?」と小首を傾げる。黒目がちの瞳が、うるうるとこちらを見上げた。 「名前……ありません」 「……イリュージョンでないことは、確定だな」 「……はい?」 「いや、なんでもない」 さあ、いよいよ俺はファンタジーの真っただ中というわけだ。もうネズミ少女や少年が、どこからかやってきた実在する誰かさんで、それが何かの縁でサプライズとして俺のところで手品をしたという、わずかな現実への希望もついえた。 俺は溜息をついて髪をかき上げた。厄介なことになった。それが正直な感想だ。 さっき触ってみて、こいつが血肉の通った人間らしいということは確認済みだ。ということは、飯も食うしトイレにも行くんだろう。 俺の頭の中で、一気にこれからの生活のことが予測される。今の稼ぎと、こいつを養っていく分の食費、その他。ご近所への言い訳。三十間近の俺に、結婚をせっついている両親への説得のセリフ。 俺が難しい顔をして黙りこんだのを見て、少年は寂しそうにうつむいた。見たところ年齢は十六、七といったところだが、そうしているとさらに幼く見えて困る。 「……あの……ご、ごめんなさい……」 「なんで謝るんだ」 「だ、だって……。ぼ、僕のせいで旦那様が悲しそうな顔しているから」 「別に悲しくなんかない。ただ、ちょっと……」 言いかけ、俺は少年を見て言葉を呑みこんだ。少年は、今にも泣き出しそうな眼差しで俺を見ている。俺は、子供のころ拾った子犬のことを思い出していた。 まだ生後二カ月くらいで道端に捨てられていた子犬がいた。秋の終わりごろだった。ぶるぶる震えているそいつを見捨てられず、俺は抱きあげて家に連れ帰った。
親は飼うことを渋り、保健所へ連れていく、と言った。俺は犬が死なされてしまうことを知り、泣いて飼ってくれるよう頼み込んだ。親は俺の涙に折れて、飼うことを許してくれた。そして犬は、俺が大学に入った年に天寿をまっとうした。幸せな生涯だったろうと思う。
「……なんでもない」
困ったことになった、なんて言う必要はない。俺も男だ、ひとりくらい養う甲斐性はある。これでも小学校の通信簿では、『責任感の強い子です』と書かれたくらいだ。
「お前は何も心配しなくていいよ。……それより、お前、名前がないんだったな」
「はい。旦那様がつけてください」
「その旦那様ってよせよ。俺、そこまで偉くないし」
「だって。僕はあなたのお嫁さんで、妻ですから」
「つ、つま……」
臆面もなく嬉しそうにそう言ったので、今度は俺が赤面する番だった。姿かたちは人間だが、やはり思考回路は別世界らしい。このケーキの妖精らしき少年は。
「……幼な妻をもらった男の心境って、こういうものなのかな……」
なんだろうな。こいつを見ていると胸がそわそわする。こんなふうに一心に慕われて見つめられるのも悪くはない。俺はつい、つられて微笑んでいた。
「じゃあ、名前、俺がつけるか。……うーん、どうすっかな。せっかくだから、クリスマスにちなんだ名前がいいかもな」
「はい」
少年はにっこり微笑む。いかん、またさっき胸のどこかが疼いた気がする。
楽しいのか、俺。さっきまで考えていた将来の不安はどこかへ飛び去り、かわりに、これから新しく犬を飼うような、うきうきした気分になっている。
……犬か。そういえば、似ている気がするな。人懐こいところや、無条件に相手を立てて従おうとするあたりとか。くすくす笑う俺を、少年は不思議そうに見つめていたが、すぐに自分も嬉しそうに笑った。ほら、こういうところも犬っぽい。
かといって、犬につけるような名前はいけないだろう。やっぱり、クリスマスにちなんだ命名にするか。
「クリスマスだから、クリス……。いや、見た目完全に日本人だからな。それはないか。聖なる夜で、聖夜……。ありたきりか。うーん、ケーキの箱から出て来たから、ケイキ……いや、どっか異世界に連れて行かれて王様にされそうだから却下。――そういえば、きよしこの夜って歌があったな。そうだ、きよしはどうだ?」
「えっ?」
「よし、お前は今日からきよしだ」
「きよし……」
少年はひとつまたたきすると、はにかんで笑った。そのとき、俺の鼓動がひとつ、どきんと高く鳴った。
なんだ、男相手に、この、頬ずりしたくなるような胸のうずきは。
俺は、少年――きよしの頭をなでてみた。きよしは、にこにこしてなでられている。
いいかもしれないな。こいつと暮らすのも。俺は、そう思った。
そうそう、俺もうちの犬に見つめられると思わずちゅーしちゃいますよ。(←おいおい…)
十二国記のギャグは、ちょっとお遊びで入れてみました。あんまりこういうことはやらない方がいいんですけどね^^; 知らない人はまったくわからないから。
十二国記を読んでないとわからないギャグ(?)が。