2月4日の冬琉さん
- カテゴリ:日記
- 2011/02/04 12:07:23
当日記は他所で展開しているブログと同内容となります。
投稿日記以前の日記が気になる方、また、ここよりブログが見易いなって方は下のブログも併せてご利用下さい。
ブログ「冬琉の日記」
http://to-ru-diary.blog.so-net.ne.jp/
「正しい」「間違っている」について触れる冬琉さん(その2)
その3:真理も変わる?
数学の世界では「定義」「公理」「定理」「真理」と言う考え方が重要になってきます。
意味を掘り下げていくと、色々と抽象的な単語を用いて難解な表現で彩られており、一見すると素人にはちんぷんかんぷんです。
まぁ、以下の様に解釈すれば問題ないかと思います(。。ゴソゴソ
上の考えを料理に例えると、
定義→材料名
公理→その材料の特徴
定理→材料を特徴を生かして加工した調理品
真理→究極の嗜好品
厳密に言うと違うんですけど、話がややこしくなるのでここでは割愛します。
と言うのも、例えばの話、1.25+1.14=2.39だとしても、それが四捨五入されて≒2.4になろうが、もっと大雑把に≒2になろうが、目的に対して問題がなければ大半の人は気にしないものですしね(--ニンゲンソナモン
ただ、数学の方はこれから先100年先見越しても、覆される事が困難であろうほど、真理に近い考え方まで辿り着いてますが、物理や化学の分野ではそういうわけには行きません。
と言うのも、科学技術の進歩により、今まで認識する事の出来なかった物を理解する事が出来る様になって来た為、これまで≒2.4や≒2で通じてたものでも、今までの説明だと、見つかった事を説明するのには不味くない?みたいな状況になってきているからなんですよね。
逆に言えば、今まで私達が当たり前に思っていた事は、実はある分野での都合を通す為の方便だったとも言えてしまいそうです(--
その4:正誤と善悪について
この二つの概念はかなり似ているのではないでしょうか。
物事を2面のみで捉える事と言い、片方は賞賛され、片方は愚弄される事と言い。
ひょっとしたら両者には何か因果関係があるのかもしれませんが、今のところはなんとも言いようがありません。
少なくとも、2つの概念は共に突き詰めていく程、あるモノを肯定すれば、それ以外のモノを否定してしまう性質があるなぁって感じます。
正直、冬琉さんはこれらの考え方について恐怖を拭い切れません。
それはこういった概念が過去、様々な悲劇を生んでいるからです。
中世の魔女裁判、アメリカ大陸の開拓により始まった原住民(=黒人)の迫害問題なんてとても顕著な例じゃないでしょうか。
過去2度に渡って行われた世界大戦を紐解いていくと、こういった思想が元で戦争をせざるをえなかったと言う事例が数多くあります。
その5:正しいってなんでしょう?
これまで三々五々と正誤について考えてきました。それを踏まえた上で、改めて問いたくあります。
正しいとはなんでしょうか。
間違っているとはなんでしょうか。
少なくとも1つだけ言える事があります。
それは、正誤は共に必ず対象…何かと比較して述べられているという事です。
そしてそれは揺ぎ無く確かなものと言う事。
ですが、世の中で確かな物って何があるでしょう?
その3の数学の話でちょびっと触れてますが、そもそも学問としての数学でさえ、その考え方は絶対的なものではないと説かれているのはあまり知られていません。
また、正確だとされるコンピュータでさえ、実は間違えています。
嘘のようですけど、私達が知覚してないだけなんです。
じゃあ、常識はどうでしょうか。
実は過去、世界は平面で、四角い物だと信じられていた時代があります。
私達からすれば可笑しくも思える事ですが、その常識が実証されるまでは、世の中の殆どの人が本気で信じてたんです。
そういう意味では、常識も時代と共に変わっています。
物の価値もまた然りです。
物理法則だって極小や極大の世界では、通用しない事も多々ある事が現在判っています。
とまぁ、考えてみると、実は私達の住む世界って、実は確かなモノって何よ?って程、曖昧なんですよね(ーー
そんな世界なのに、絶対的なものを論ずる概念って言うのは、どれほどの価値があるのか…ほんと考えさせられる話題です。
言うは易し行うは難し
正しい、間違っていると言うのは誰にでも言えます。
でも、本当に大事なところはそこではなく、何故正しいか、どうして間違っているかを論ずる事にあるように思います。
ほんと、改めて考えてみると難しいものです(--メンドイネェ
そう言われるとそう見えますねw
んー難しい所なんですよね。
仮説でならなんとでもいえますが、証明しようにも、その存在自体があてになりませんから(--
まぁ、だからこそ人は嘘を付くのかもしれませんね。
嘘と言うと悪いイメージがついてきますが、曖昧なものに便宜的でも役割や意味を与える嘘を付く事で、形を成しているのかも。
繰り返しになりますが、、目的に対して問題がなければ大半の人は気にしないものですしね(--ニンゲンソナモン
「嘘も方便」と言う言葉がありますが、こういう意味も込められていたのかなぁとかちょっと考えてしまいます。
本当に、真実というのは存在出来ないものですよね。事実は存在すると言うことだけが真実なのでしょうかね。
ん、とすると真実は存在するのかな?
へぇ。どこのブログかわかるなら是非是非読んでみたいですね(^^
:ねぴ:*・♥さんへ
ちょっとでも考える機会になったなら、嬉しい限りです♪
書かれている人がいらっしゃったので
ちょっとビックリしておりますw
(♥´・ڢ・) 。◯ ♡ ┣┫Ё┗└О♬
♥゚+。⌒∪⌒∪⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒。+゚♥
訪問тндйк[○´・ω・]人[・ω・`●] уoц
★(op'ェ`q*《ス》《テ》《キ》★お届けですヾ(。Ő▽Ő。)ノ゙
少し難しい話だけどもタメになりました。