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北方領土の日

●北方領土の日
 1981年(昭和56年)に、北方領土のが2月7日であることに閣議決定されました。
 その由来は、1855年(旧暦の安政元年12月21日)の2月7日に、日露和親条約が締結され、北方四島が日本固有の領土として認められたことに由来します。
 2月7日には、各地で北方領土返還のための運動が行われているそうです。
 さて、日露和親条約は、伊豆の下田(現・静岡県下田市)長楽寺にて、日本とロシア帝国の間で締結された条約です。
 日露和親条約によって、千島列島の択捉島と得撫島の間に国境線が引かれたそうです。
 このとき、樺太においては国境を設けず、これまでどおり両国民の混住の地とすると決められたといわれています。
 さて、一般に北方領土問題において、北方領土と呼ばれている領土は、北海道根室半島の沖合にある島々で、択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島(しこたんとう)、歯舞群島(はぼまいぐんとう)のことです。
 現在、ロシア連邦が実効支配しています。
 この領土に対して、日本が返還を求めている領土問題のことを、一般に北方領土問題とよばれています。
 また、北方領土は、北方地域、北方四島と呼ばれることもあるそうです。
 さて、北方領土問題は、1945年9月2日に、日本は降伏文書に調印したことからはじまるとされています。
 この時、南樺太・千島の日本軍は、赤軍極東戦線に降伏することが命令され、南樺太・千島はソ連の占領地区となりました。
 その後、1952年、サンフランシスコ講和条約発効により、日本は独立を回復したが、サンフランシスコ講和条約にしたがって、日本は南樺太・千島列島の領有権を放棄しました。
 しかし、この条約にロシア(当時ソビエト連邦)は調印していないため、ソ連との国交回復は、1956年日ソ共同宣言により行われたました。
 この時、日ソ間で領土の帰属に関して合意が得られませんでした。
 その後、日ソ・日ロ間には、幾つかの共同声明や共同コミュニケがあるものの、平和条約締結や領土問題での合意に至っていません。




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