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海の安全祈念日

●海の安全祈念日
 2月10日は海の安全祈念日です。
 全国水産高校長協会がえひめ丸事件をうけ、2003(平成15)年に制定しました。
 えひめ丸事件は2001年(平成13年)2月10日8時45分(日本時間)において、アメリカハワイ州のオアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船「えひめ丸」が浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され沈没した事件です。
 乗務員の35人のうち、えひめ丸に取り残された教員5人、生徒4人が死亡して、救出されたうち9人がPTSDと診断されたそうです。
 また、衝突の際に海上に投げ出された26名は救出されたが、その内の1名が鎖骨骨折、11名が軽症を負ったそうです。

 えひめ丸事件は、ハワイ・オアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が、突然浮上してきた米国海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突されて沈没してしまいました。
 この原潜が突如浮上した理由は、訓練ではなく、民間人を乗せてのデモンストレーションだったということが事件の不条理さを象徴します。
 しかも、浮上以前からソナーでえひめ丸の存在に気付いてはいたそうですが、緊急浮上の操舵を、素人の民間人に握らせていたという信じられない事実も発覚しました。
 また、原子力潜水艦「グリーンビル」は、救命ボートを二艘保持していながら、沿岸警備艇が到着するまで、漂う者を救助もせず、たた眺めていただけと言う証言もありました。
 上記の事実から、原潜がこの事故の責任が、100%米軍側にあることは、衝突直後から明らかでした。
 そうした背景もあり、トーマス・フォーリー駐日米国大使は森首相および被害者家族を訪ねて直接謝罪。その後、米海軍のウィリアム・ファロン作戦部長が特使として日本に派遣され、家族、学校、および日本政府関係者らに謝罪したそうです。
 さらに日本側の強い求めに応じて「えひめ丸」の引き揚げに同意し、困難な作業も開始しました。
 一見、全責任をとったように見えますが、この事件では、事故に対して、米軍や米国政府側は、単なる米国内の事故と同様にとらえ、日米間での死生観の相違、日米間の安全保障上の思惑など、さまざまな問題が投げかけられたきっかけとなる事件でした。
 えひめ丸は、ホノルル沖620メートルの海底に沈んでいたそうですが、過去に、これほどの深海から、単に、遺体回収のために、「えひめ丸」クラスの船体が引き揚げられた例は皆無でしたが、船体の引揚げと不明者捜索は行われました。
 作業に要した費用は約6千万ドル(約72億円)にのぼったそうです。
  この引き上げ・曳航作業の資金として、米国は6,000万ドルを投入したが、この出資は米国内で議論を呼び、妥当性に付いて追及する声もありますが、英語 圏のマスコミ報道ではえひめ丸について「漁船」と紹介され、高校生が乗っていた実習船であることを報道した記事は少なかったそうです。




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