わかんないこと 野田聖子
- カテゴリ:日記
- 2011/02/27 00:33:35
ナーバスな問題なので、巧く言えないんだけど
なんだろう、とても違和感を覚える。
子どもができないこと、これを甘受するつもりで来た。
これも「神の思し召し」と感じているんだ。
生々しい話になるけれど、一度生理が大幅に遅れたことがあった。
スイカは妊娠を恐れた。
出来ないでしょうと、いくら医者から言われていたとしても
恐れていたので、普段から気を付けていてくれた。
とはいえ100%完全ということは世の中ないので、
もしや。。。ということがないとも限らない。
私の身体が持たないこと、これを恐れていたんだ。
もしも出来たとして、中絶を選んだとしても、流産したとしても
私の身体に負担がかかる。
産むなんて言えば、何がなんでも反対するだろう。
生理が来たとき、スイカはオナカの中から搾り出すような声で
「よかった。。。」と呟いた。
創価学会の知り合いは、スイカを哀れだという。
スイカの両親を哀れだというのだ。
孫を抱けないこと、そういう女の人と結婚したこと
これを哀れだと。
まぁ、そう言われても仕方ないので、それはいい。
それはまた別の話として
ここまで負担を体にかけるであろう高年齢出産を
なんでそのご主人が止めないのか、これが不思議だ。
そして高年齢出産には、どうしても生まれる子どものリスクが伴う。
どういう形でそのリスクが現れるかは一概に言えないけれど。
結婚の適齢期は、自分で選べる。
でも、出産の適齢期は、やっぱりあるとおもうんだ。
どんな障害があったにしても、生まれてきてよかったと思える
そう思わせる自信、愛 があるんだろうけど
どうしても「エゴ」に思えるんだ。
体外受精だのなんだのなんて、まぁ、どうでもいいや。
そこはあんまり私には問題じゃない。
かなり力任せな選択だなとは思うけどどうでもいいや。
ただ、そこまでして生まれた子に、とても辛い思いを強いるのは
とても愛情深いと思えない。。。
あんな小さな身体で、1歳になるまでに6回の手術を受けなきゃならないなんて。
そりゃ、若い出産でもそういう事はあるかもね。
でもそういう状況で生まれる危険度は
高齢出産に、なればなるほど高くなるのは当たり前。
あかちゃんって、手段じゃない。
女性としての主義主張や、愛情を注ぐべきモノを望む気持ちを形にする
その手段じゃない。。。
そんなに子どもが欲しかったなら、どうしてもっと早く結婚しなかった。
身体が出産に万全な時期に、結婚すればよかったじゃないか。
それを選択していなかったことで、それは捨てなきゃならない望みだ。
野田聖子は、「希望の人」なんだろうか。
私には、
なんて身勝手な人なんだろう、
「欲しいものは、何がなんでも手に入れる」とても恐ろしい女
そう思えた。
そしてご主人も、なんて馬鹿な男なんだろう、そう思えた。
野田さんちは7つ年下、ウチは8つ年下だ。
私は普通生活者だから、浮気でもされるのが落ちだろうと、
知らない人は陰口でも叩く。
それも知ってる。
スイカをバカ男と言われたような気持ちになって、腹立たしいけれど
それはこれからの10年20年で分かることだから、どうでもいい。
ただ、野田聖子を、あまりに持ち上げるのはどうもね。
そして旦那をしょうもない男に思えて仕方ない。
間違いなくイニシアティブは、野田聖子が持ってる。
おかえりなさいませ!ませ!
多分ですよ、勇気が出た人、何かに追ったくられるような、ふくざ〜つな気分になった人
いろいろいたと思うんです。
私は、そうだなぁ、、、「可能なのよ!」なんて言われて、身内から産め産め言われたら
自殺します。
釈然としないだけですよ。。。なんか納得ならないだけですだ。。
出掛けていたからこんな重たいブログを遅れて読んでる。
このことに関しては、色々な意見と、それぞれの思いがあって、討論されて来たと思うわ。
ただ、自分が選んだ伴侶、その条件を考えるのは至極当たり前のことですわ。 それが、人間やんかぁ。(サルとは違う)
ま、ワテは、自分のこうしたことをブログに書いて無いからね。 でも、思いはキッチリと持ってまっせ。
あ〜。。。そうなのかもしれない。
でも、女系家族に生まれて、ものすごく大威張りで育ってるもんだから、
ピンときてないのかもしれない。
育ちってのは不思議なもんで、威張って育ってると、大きくなっても威張ってることを許される。
ゴマメの大威張り、と言われながら、威張らせてもらってる。
父がね、長男なのに【二】の字が付く。普通長男に数字つけるなら、【一】だと思う。
幼きときは、女の子のいる家はいい家!なんていう父の庇護にいて、
大きくなれば「所詮女のほうが賢いんだよ。」と言い出す男の子の中に居た。
会社務めで、嫌だったことは、アタシが女の子だから、相手がホテルなんかに引きずって入れ込もうとしたぐらいのもんだろうか。。。それは悔しかったなぁ。。。
結局、美しすぎるって罪だわぁなんて言って、昇華させるんだけど。
ほんと、そのぐらいのもんだったの、女で嫌だなぁと思ったことって。
女で嫌だなぁというより、男ったやだ!って感じだった。
心底、ジェンダーに泣いたことってないんです。
でもね、想像はつく
兄ちゃん(叔父)が、財閥系商社なの。
いつも言ってたのは、「女のほうが優秀だ。ジェンダーがなきゃ、管理職全部女の子に取られるぞ。生理だの出産があってよかったなぁ。。。」って。
それがあるからギリギリなんとか、男性社会を保ってるようなもんだって。
「お前が大きくなる頃には、もっともっと認められる世の中だったらいいな」
そう言ってくれてた。
でもね、父の広い背中を見、兄ちゃんが「かわいそうだったな」なんていって抱きしめ
スイカが、「いいんだよ、大丈夫」なんていうと、すごいな、男って。。と。
なんでこう、セクシャルでなく、人を居るだけで救えるんだろうかと。
いきなり豊しくなる。
アタシが男だったとして、可愛げだけでなんとか生きていこうとしたとして、
いまごろきっと生きてない。
でもね、想像はつくの。。。ショーもない男は、女のそれよりタチが悪い。
その中で戦っていくのは、並大抵でなく、悔し涙が溢れる日々だと思う。
ああ、そうだ、アタシにジェンダー被害があったとすれば、母からだわ。
「男に頼ったり、結婚願望があるような不潔な女になるな」そう言われ、
手に職、手に職と言われるのは、反対の意味でジェンダー被害だったなぁ。
なんか、全部うまく言えなくって、ごめんなさい。。。
あぁ >< ジェンダージェンダージェンダージェンダーフリー
社会の中で、嫌というほど味わわされる差別。
学校の勉強では負けていなかった男の子が、何にもできないくせに男と言うだけで
出世していく不当な世の中。
女はすぐ辞めるから。女は子供を産んで休むから。女は子供の病気で帰るから。
女だから子供を産んで、女だから家事をして、女だから育児もこなし。
女のくせに。女だから。女なのに。繰り返す時代の縛り。
「上野 千鶴子」の本を読みあさった過去があります。
今は、性別に関係なくすべての人が「個性のまま」に、生きるのが自然だと思うようになりました。
社会は緩やかにしか変化しないけれど、虐げられている現実を抜け出す努力をするために、
教育があり社会があり国家があると信じたいものです。
やっぱり教育だよ。イヤだと言っていいんだと、教えてもらわないと分からない事もあるんだもの。
自由に選んでいると思い込まされている現実を、分からないままの事も多いものね。
ごめん ↑ この手の話は熱くなる。
確かに多くを望み過ぎている人間の未来は、命の理に背いていくのかもしれません。
破滅への道なのか、理想の社会へと進化するための混沌なのか。
今はよく見えません。
ただ、10人の人が10の意見を言えて、10の選択ができる事は、大切。
日本はそれが比較的、できる国かもと思います。
ゴメン 野田聖子から遠く離れちゃったわん。
そうね、そゆこというのは、欲求不満面さげた女の人か、
愛せない嫁さん打き抱えたおっさんかだなぁ。。。
両方ご自分の科は認めてない。。。
そうね、自分の旦那を「しょうもない人間」のような言い方する人いるよね。
謙遜だったらいいけれど、心から言ってる。
それって自分を下げてるようにしか思えないわぁ。。。
とはいえ、モウモウ氏のつまみ食いを「諸手を挙げての応援!」
ってなわけではないじょ!(笑
もっとスマートなのがいいよ、何に関しても。
ケレンめなく、スマートに、軽やかに、そううのがいいな。
力任せにボルトをねじると、切れるんだ、ボルト。
ねじ山が潰れたりもするよね。。。
激怒っすか(笑 激しいですw
生む生まないは、少なくとも親は選択できる。
こどもは選択できない。。。宗教的にいえばさ、望んで生まれてくるというのだろうけど
その点は別にして、まぁ、選べない。
結果だから、仕方なく生きて行くために、「超えられない試練を仏は与えない」と
まぁ、詭弁に近いね、善意の詭弁だ。。と、こう解釈している。
子どもを持たない人生は、なんだろう、オトナになるキッカケが訪れないままに
身体ばっかりオトナになってしまったようなもので、どこで区切るかなんか
わからないままだわ。それを特権というか、なんというか。。。
うん、良い親にもなってないけど、少なくとも重い親にはなってない。。。
重い親になりたくて誰もなっていないなら、その重みは、出来る限り軽い状態で
それでものしかかるものはあるんだから、出来る限り出来る限りと、やっぱ願う。
私は、それでも緩やかに育った方だとは思うのだけれど、
それでも思春期を越えるのはキツカッタ。
破天荒な父よりも、愛あふれる母のほうに、キツさを感じた。
子供目線で考えれば、ああ、それ以上になにか負いたくないなぁと考える。。。
黒猫さんもアタシも、歳が若干違えど、もう折り返してる。
それでも親からの影響は、好きに付け悪きに付け受け続け、食い込んでいる。
「もういいだろ」と思いながら、それでもフツフツと湧くものがある。
ねぇ。。。罪な話だねぇ、親になるということは。
おもえば罪深い。罪深くて、そこから出発するもんだねぇ。
その罪深さをどうしてあげるか、それだけなんだねぇ。。。
ってか、人間そもそもがさ、罪深いねぇ。
性差を乗り越えようとも、何とかしようとも思わない。
そこに負けん気を置くほど、体力はない。
でも、そこにまで負けん気を置いて生きて行くならば、どんなにか苦痛な道のりだろう。
確定申告っすか?
そっかそっか。。。会社は11月に終わらせた。
んで、あたし自身の確定申告だけど、大丈夫、100万行ってない!
ウチは望んで作らなかったぐらいだから、欲しい人に何か言えないけど。。。
女性が気にするほど男って歳なんか気にしてないよw
陰口叩くような不幸なヤツには
「ウチの旦那はステキだから浮気の一つや二つあるでしょうね~」
って言ってやんのwww
彼女のような人が現実的に傍にいたら、激怒すると思う。わたしは。
たぶん、わたしは母性が強い人間で、子どもがいたならば
ほぼ間違いなく母にしかなれないだろうなぁと
薄々思っている。
でもね、親で苦労したわwww。
親がありがたかったなんて、やっぱり思えないわ。
それはとっても不幸なことだけど、まぁ仕方のないことだわ。
その点についてはいつも客観的に見る視点を見に付けるよう努力してたから。
自分の子どもを持たない人生でホッとしたことは
重い親になる可能性がゼロってこと。
親子はやっぱりいろいろある。
いろいろあって、それでもなんとかなれば、ウン。それでいいと思ってる。
子どもをどう育てていくかで、悩み、迷い苦しむんだろうし
そこで人として大きなものを授かりもするんだろうね。
うちの親たちは放棄だがww
親に転変していないと、どうしても子としての視点を、どんなに歳を経ても持ち続けるでしょう。
だから彼女のように子にあまりにも大きなものを背をわせることを
わたしも非常に嫌悪するよ。
ただ、個人の選択を尊重するので
否定はしないけれど
視界から消えておくれとは思っている^^;;
彼女は男社会の根源たる政治の世界で生きてきた人。
染まったのかなぁと思う。
子どもを生むことに非常に執着し過ぎた。
それって、家父長制における男の発想そのものだろうって
わたしは見えてくるんだワ。
ジェンダー系の話はまた後日w
ちょっとバタバタです。
なにしろ確定申告時期ですww
おっはよぉ〜ございます!
まるでなってないか。。。そうか。。なんか安堵した。
政治家としてでなく「個人的は選択」であれば、
多分ここまで私も「納得がいかない何か」を抱えることはなかっただろうなぁ。
きっと、「個人的な選択」をもって「政治家が可能な広範囲への己の露出」をした。
このことにバランスの悪さを感じているのかなぁ。
もしね、個人的なで済ましてくれれば、「希望の人」と祀られる、その事に
「う〜ん?そうなのか?」を感じることもなかっただろうなぁ。
「そんなに欲しかったんだ、苦しかったね」と言えたのかもしれない。
ふとね、ふとよ、思ったんだけどね、
ねえ、女性は虐げられてるかな?いま。。。
私の勉強不足があるから、判断がつかないんだ。。。
DVだとか色々あって、それはわかっているんだけれど、社会の一員として虐げられてる?
多くを望み過ぎている気がしているのは、なんでだろう。
ほら、人にお願いごとをするとき、「これ以上はヤバイ!」って線があるじゃない?
そこを見極めてお願いごと、甘えごとはするよね。
なんかね、神様がいるならば、神様に多くを望み過ぎた気がするんだ。
もうそろそろ、「のぼせるな!」と、一喝される気がするんだ。
きなちゃん、どれかひと〜つよ。
と、両親が「これも欲しいアレも欲しい」と私が言ったときに
どれか一番欲しい物、ひと〜つよ。。。そういった言葉をね、思い出した。
ご返答ありがとうございます。
人間愛があると言ってくださって、これもありがとうございます。
でもね、人と会う、話す、これが大っきらいなのもアタシなんです(爆
も〜〜〜〜ね、引きこもれるなら、引きこもりたい!
一杯飲んでの切り口上の啖呵のようなコメントに丁寧にお答えいただきありがとう。
世の中の母になりたい予備軍の代弁者には、まるでなっていないんだろうと思う。
あれは野田聖子さんの非常に個人的な人生の選択だ。
道を開いたとはとても言えないし、もし開かれているのだとしても
続く人々をいばらの道に追いやるような、浅慮な選択だったように思う。
政治家としては、もっと安心できる他の道を探し、指し示すべきだったろう思う。
でもさ。世の中の人すべてが、あなたは道を間違えたと言っても
自分がそう思っていたとしても、彼女は認められはしないだろう。
政治家としては認められても、産まれてきた子の母としては、認められないんだろうと思う。
>こうやって書いてるとね、自分の醜さも確認していく。
KINAたんに醜さを感じてる人なんて誰もいないよ。
あなたの心根に人間愛があるのは、ちゃんと伝わってくる。
KINAたんは私よりずっと人間を愛してる。
こうやって書いて、そして諭されたり、教えてもらったりしてるとさ
自分の考えも、少しづつ変わってはいく。
「野田聖子が嫌い」を確信したのも、ここで書きながらだったけど、
でも「虚勢」から我が子に、素直にごめんね、頑張らせてしまって、といえない人ならば、
それは可哀想で哀れだ。。。
そうみると、まったく野田聖子が違う人に見えてきた。
見えてきたけど、哀しいかな、またそういう虚勢の張り方をする人が嫌いなので
結局のところ「嫌い」が増幅しただけに終わって、アタシってなんて狭い人間なんでしょう!
と、そこに終始したけれど。
そこまでもどこまでも、人は甘受することを拒もうとする。
それってどうなの?とも思う。
でも、空を飛びたいと、初めはナイモノネダリだったであろうタワゴトが、現実になる。
命にまで、それが及ぶ。。。
良い事悪い事は。べつにして、そういうもんかもしれない。。。
なんだろうなぁ。。。私には子どもがいないからね、人の子も「世の中の子」も「地球の裏側の子」もね、全部いっしょなんだ、私の子じゃなくて、でも「子供」
痛いだろう、苦しいだろう、そう思うとね、何も出来ないくせに泣きたくなる。
私だったらね、なんて思っただろうか。
まず「痛い思いをさせてごめんね、でも頑張って。一緒に乗り越えて頂戴。」かなと。
野田さんもそう思ってるのかもと、少し考えた、黒猫さんと空豆さんがおっしゃることをよく噛み締めて、ああ、そこで苦しんでいるかもしれないと。
でもね、そこでなんでああいう感じでしか表現できないのか。。。
世の中の「母になりたい予備軍」の人たちの気持ちって、それで代弁したことなんだろうか。
違うような気がするんだ。。。
道を開いたんだろう、それはきっと身を呈して、道を開こうとしてるんだろう。
でもそこになにかの「不在」を感じさせる今が、なんかとっても嫌だった。
決断できる状況の日本ではなかったこと、
そのためばかりではないけど、今の歳になってしまって、そのリスクはこうであること。
だからできるだけ早く望む人が望んだ出産ができるように、みながこの幸せを抱けるように。
なんかね、それもココロが不在に聞こえるかもしれないけど、
それでもね、「頑張ったワタクシ」よりは、ココロに響く。
そうだね。。。これからだね。
でもね、これからには、あまり興味がないんだ。(大きな意味での「子供」は別にして)
赤ちゃんじゃなくなったらね、人の子。人の信念のもとに育っていく他人の子。
そこに口を出せば、きっとね、下世話になっちゃうもん。。。
こうやって書いてるとね、自分の醜さも確認していく。
そのなかでどんどん自分の考えもね、緩和していく。
ああ、違うのかもしれないと、もう一度考えてみようと、そうも思いもする。
そう思いつつ、釈然としないのは、私の後ろめたさからなんだろうか。。。
そうであるとは思いたくないなぁ。。。
それはいかんね、あたし。
反省だね。
不快感を覚えさせることの根底には、必ずそういうモノがあるんだろう。
それは私の狭さで、イカンだったと思う。
野田聖子さんをね、嫌いと確信してたわけじゃないんだ、いままで。
でもね、書いてるうちに、ああ、私この人が嫌いなんだとおもった。
それが全面に出るようじゃ、ダメだねぇ、あたし。
自分に対する恐怖の裏返しかもしれないね。
ともすれば、アタシはそうなりがちなのかもしれない。
そこをね、戒めようとすると、いろいろ歪むね。いかんいかん。
私自身のことも、よくよく考えよう。
ありがとう、あやのすけ。
なんだろう、出口がそこしかなくって、終着駅はそこで、そう思うとなんて苦しいことだろう。
「授かりもの」って好きだと、黒猫さんがおっしゃった。
私もその言い方が好きだ。コウノトリが、「あなたのうちはココです」と連れてくるんだ。
ありがとうありがとう、ウチに来てくれて!と、家族は手を伸ばして受け取るんだ。
いろんなコトを思い出すよ。
ウチにチビたちが来た日のこと。
ありがとうありがとう!みんなで「ようこそ!」と。
赤ちゃんがいる部屋は暖かで、いい匂いがして、ゲップやオナラやウンチまで可愛くて
アタシは、ああ、もういいや、子供は一生無理しないつもりでいようと誓った。
もう充分!って。
その喜びに浴す権利は、誰でもあると思えば、そう切に願う気持ちもね、本当にわかる。
でもね、あの時の家族の気持ちを思い出すとね、
だれも「いいことをしてる」だなんて思わなかったの。
ただただね、家族になろう!楽しかった、よかったと、彼女たちの幸せの糧になるように
そのことばかり考えてた、みんなが。
虚栄心も偽善も、そんなモノ無かったんだ。
そうやってね、こどもって迎えるもんだと思うんだ。
だから、世の中の不妊に苦しむ人、戦う人、この人の気持はね、よくわかるんだ。
いくら身体が弱く生まれても、なにかビハインドがあったにしても、一生をかけて愛していこうとそう覚悟してのことだと思うんだ、だから何も言えないの。
おなじね、おなじような境遇の人だとしても、そこに野田さんには違う何かが臭ったの。
なんで「自分」を捨てれずに全面に出るのか。。。そこが信じられないんだ。
でもね、黒猫さんから「素直に表せない人」といわれて、初めてそう見ることも出来る
そう感じた。そうなんだ。それはなんて哀れなことだと。
悲し嬉しいありがたい、どうしても言えない人はいる。。。虚勢。。。可哀想だ。
ああ、そこを私は分かってなかったのかもしれない。。。
ちょっと反省した。
反省したけど、「虚勢でしか表現できない人」
これがまたあたしゃ嫌いなんだァ(爆
ありがとう、なんとなく見方を学んだよ。。。
嫌い好きにかかわらず。。。ありがとうです。
あ〜、個体差(っていい方でいいとは思わないんだけど、思いつかねい、ごめんね)が
顕著にあるんだろうね。
ものすごく響く子と、おおらかな子。
モノを吸わすと、たしかに無意識にパコって内耳がなるでしょうね。
あたしはね、なんだったかな。。あ!そうそう、頭蓋骨がやわらかすぎるから、その伸縮をもろに感じて頭が割れるように痛むって聞いたんよ。
でもさ、痛みを感じてるってことも大人は育ちきってるからわかんないけど、
反対に、あんまりそうでもないよ、ってのもわかんないもんね。
お医者様が心配するほど、どうって本人は感じてないかもしれない。
あ〜、こっちはさ、加害者側って立場になっちゃうわけよ、どうしても他人から見れば。
私がその話を聞いて、「スイカはそうでもないよ。子供いらないって言ってる」
なんて言おうもんならさ、「あんたを思ってそう言ってるだけで、実際は」と話が長くなる。
んで、そうですねそうですねと言うんだけど、なんかさぁ、あ〜あってなるんだわ。
ダルイなぁって思う。
でも、もしかしたらそうなのか?なんて考えだすとさ、ほんと落ち込むしかなくなるから
そういうキッカケを作るようなこと、あんまり言わないでよぉ〜って思うんだ。
うん、ガッツポーズはね、ちょっと違う気がワタシするんだ。
赤ちゃんがガッツポーズするなら分かるけど、いま戦ってる最中だ。
戦い続けなきゃいけないんだわ。。。
野田聖子うんぬんよりも、いろんな場所で、いろんな状況下で戦ってる子に
がんばれがんばれって。
ありがとうね。
アタシは、幸せだと思ってる。
幸せなんかじゃないと言われると、どうしていいかわからなくなるんだ。
欲望は なっかなか自然の摂理に反するねぇ~
自然の秩序を破壊するんだわね
そーゆー人が政治家するっていうのも、どーなんだろ・・・・
自分の頭で思い描く、日本にしたいと思うんだろうなぁ~・・・
自分の思い通りにしたい = 良い世の中 になるとでも思っているのだろうか・・・???
ご辞退したい
子供と自分のリスクが、重々分かった上で、50歳で出産するのも、彼女の自由な選択だ。
連れ合いの意見も、産まれてくる子の未来も、盲目的な母の思いには及ばないのかもしれない。
それを人は「希望」と呼び、「傲慢」と呼び、「エゴ」と呼ぶ。
私には、痛々しさだけが伝わってくる。
その子は大きくなって、自分の出生や自分の体についてどう思うのだろう。
それでも「この母のもとに生まれて幸せだった」と思ってくれればいいと多くの人が願うんだろう。
声高に自分の頑張りを連呼するように、本を出しテレビにでる。
今の子供の辛さも、将来の不安も、一番感じて、なおかつ虚勢を張っている
そんな悲しい姿に見えて仕方ない。
病気の子を育てるのは並大抵の事じゃない。産んだからには責任を持って
人任せにせず、自分の手で、胸に抱いて育ててほしい。
それさえできないようでは、彼女に国政は任せられない。
少し、「イヤだなあ・・・」って気持ちを持ったのが謎だったんだけど、
(考えに反対だとかではないのに)
そっか、わかりました!
「野田さんがキライ!」っていうのが混ざってたからだ。
仲の良い年下の友人が不妊治療をしていました。
肉親に縁の薄い彼女は、結婚したら、手作りお弁当を持って子ども三人連れて
公園に行くのが夢でした。
不妊治療の世界は凄いんだよね。
お金もかかるし、肉体的、精神的に非常に苦しい。
入り込むと産むしか出口はない錯覚に陥る。
子どもが生まれない限り不幸から脱することができない。
泥沼のような精神状態で、心も身体も疲弊していく。
産めばよいだけではなく、育てていくことが大事で、大変なんだけどね。
そこが全く見えなくなるみたい。
彼女も精神が本当に病む一歩手前までいっていた。
経済的にも精神的にも危ういと自覚して
離脱した。
それで、また元気になったし、強くなったよ。
もちろん、物凄く寂しいと思うけど。
わたしもある時期、ちょっと考えた。
わたしは望まれずに生まれてきたと、幼い頃から言われることが多かったので
命は授かりもので、誰の為に生まれてくるんではないわい!
という自己防衛の為の信念を打ちたてて生きてきたので
それに反することはしたくなかったんだよね。
もし、本当にわたしのもとにやってきたら、命を賭けても守っていこう。
自然でないならば、違う道があるってことだろうと。
まぁ、それはいいやww
要するに負けずに産むことがすべてとなるのが
不妊治療の世界なんだよね。
彼女の生来の負けず嫌い気質が、離脱することを赦さなかったんだろうね。
おそらくだ。憶測でしかないけど
本人が自分の子どもの将来を一番憂いているんではないか。
それを素直に表に出せない。
非常に好意的に考えるだが。。
肯定する道しかないからだろうなぁ
ならば、素直に自らの痛みを認め、
異常な不妊治療の現場を、費用面を、精神面を
客観的に是正し、子どもを生むことがすべてではない。
少子化対策は、子どもに優しい助けてくれる社会、法制を考えるべきではなかったか。
子どもを生むことだけに執着した彼女は
生来の男性議員と同じ考えに捕まり過ぎた。
子どもを生んでいない女性、独身の女性の中には
フォスターペアレントで、恵まれない世界の子どもたちを支援している事が多い。
育てるところに参画できる社会を作らねばね。
あれはこちらの方でしたか^^;
ホントに余計なお世話ですよね~。
野田聖子さんのことをぜんぜん知らずにいたのですが、
確かにガッツポーズは違うよ~。
全部自分のがんばりの成果にしたいタイプなんですね~TT。
赤ちゃん、元気に育ってくれますように^人^
幸せに形なんかないと思うし、今のきなさんを(家庭的に)幸せでないという人がいたら
よっぽどきなさんのことを知らない人だとおもいますよ。
「完全な幸せ」なんて、どこにもないし、
人が自分のことを幸せだと思う邪魔をわざわざする考え方は、
正しい宗教ではありえない。って思えちゃう。
ささやかでも、幸せをかみしめて、感謝して生きていくものだと思うのに。。。
ちなみに飛行機、うちの坊も乗りましたよ~。
赤ちゃん、耳が痛いんですってね。
鼓膜の圧力の調整が出来ないから、(つばを飲んだりってことができないんですって。)
何でもいいから吸わせとくといいって教えてもらいましたよ~^^。
ポカリかなんかを離陸時飲ませてました^^v泣かなかったよ~。
あ〜〜〜、飛行機でね、あかちゃん泣くじゃない?
あれってさ、割れるように頭がいたいんですって、あかちゃん。
大人が耐えられるものが、赤ちゃんは耐えられないんですって。
痛いもんは、覚えてようと、覚えてなかろうと、きっとさ、痛いんだわ。
あの宣伝は、妊婦でも安心していけるTDLアピールだったのかもしれないなぁ、今考えれば。
招きさんから言われて初めて気がついたよ。
実際は奥様がおっしゃるように危険度いっぱいなんだろうけど、
向こうの意図は、そういう事だったのかも。。。オナカの赤ちゃんにいい物見せましょう!
ってのもあったのかな。。。だとしたらさ、やっぱCM奥が深いね。
実際は、うん、奥様がそうおっしゃるならば、そうなんだろう。危険なんだろう。
意味はあるんだと思う。
専用か専用じゃないかはわかんないけど、どんな条件下で生まれても、必ず意味はある。
だからね、幸せを願うんだわ。出来る限りと。
下でも書いちゃってさ、なんども重複になるんだけどさ、
これってガッツポーズのことか?って思う。
ましてやさ、「第二子を夫はもう望んでる」って、望むか?
この状況で望んでるとしたら、よっぽどの馬鹿だよ、その男は。
言わせてんだ、タブンネ。。。その意図の見え隠れがね、小賢しいわ。
まずね、今頑張ってる子にありがとう、すまないがもうちょっと頑張ってくれ。
きっと幸せにする。これなんじゃあないかなぁ。。。
まえさぁ、お子を3人亡くした飲酒運転犠牲者の人が、
子どもを産んで、賛否両論あったよね。
あれって、賛成も反対も、どっちでもいいじゃん!いらん世話じゃ!って思ったんだよ。
乗り越え方はいろいろだ。
その「いらんせわじゃ!」と、野田聖子のこの話は、すこ〜し違う気がするんだ。
公人として、利用もしてるしね。
たださ、いまそのお子が、頑張ってるのは間違いなんだわ。。。
親の云々関係なく、頑張って生きていこうとしてんだろうなぁ。。。
いや〜んになっちゃうことはあるよ。
ましてや、年下志向が強くなってる今の世の中よ。
流行りに乗っちゃってるみたいでさ、それだけでもいや〜って感じなのに
それ以外のこどもがどうのとか言われるとさ、なんともね。。。
まぁいいけどさ。
ありがとうね。
そのお方が何を目論み、どんな行動を取ろうがその真意はわかりかねます。
以前ね、妻がテレビCMを見て言ってたんだ。
それはね、妊婦連れてTDLに夫婦で行ってるCM。
すごく微笑ましいシチュエーションに仕立ててあるCMだったんだが、妻曰く
バカ夫だなこりゃ・・・と。
妊婦連れてなんでこんな危険な場所へ行くんだ。
一発コケればあかちゃんはおしまいだし、母体だってどうなるかわからんのに。
ま、親になる事への自覚とかさ、責任感無い者もいるなぁって思うし
きなさんの言う事はいつも強くて、そして正しいと思う。
ただね、ワシひとつ思う事がある。
命ってさ・・・なんか、うまく言えんが
例えばウチの息子さ、ワシらが創らなかったとしたら、アイツは別の親から産まれたのかな?って。
それともアイツはワシらの子専用の命であって、創らなかったとしたら永遠に産まれることなく終わったのか?
もしも前者だとしたらさ、高齢によるリスク背負ってまでって思う。
でもさ、後者だとしたら、どんな形であっても、命がけであっても、意味があるのと違うかなぁって。
まあね、ハッキリとした答えなど出せるはずも無い事なんだけどね。。。
答えが出ない以上、やはりスイカさんの呟きも当然なんですよ。
きなやん、愛されてるなぁって思う。
周りの戯言はほっとけ。
所詮その程度の価値観の、哀れな輩よ。
実際のところは、あたしもなんだ。
大して執着がない。
でもまぁ、それはほら、個体差があるからなんとも言えないね、と思うんだ。
いない特権ってのもあるしね。
本当に欲しければ、何らかの努力を惜しんでないんだろう。
それをしてないところを見ると、あたしゃ、そうでもないようだ。
ただね、「ガッツポーズするようなことなんだろうか」と、ふと思うんだわ。
ガッツポーズしたかどうかは、あははw知らないけどね。
小さい人が1歳までに6回の手術を余儀なくされる。きっと痛いだろう。。。
苦しいだろう。そのよこで、「夫は早くも第二子が欲しいと言っている」と。
嘘つきだね、と思う。そんなこと普通の神経の持ち主なら言わないね、男。
自分が本当に愛してる嫁さんが身を削って子どもを生む、赤ちゃんもまさに今頑張ってる。
そんな横で「第二子」なんて言うかな?野田聖子の演出だね。
そういう嘘をいけしゃぁしゃぁというところがもうね、
「愛以外のなにか」がココロを支配してる、とあたしゃ思うんだ。
子どもが欲しくて心が追詰まってる人はいる。
「アタシにも子どもが持てる可能性が!」と、喜んでる人もきっといるでしょう。
その人達にはね、アタシもなんにも言えないよ。希望の人だろうと思う。
ガッツポーズで第二子がうんたらとかの前に、頑張ってくれてありがとうだろ!と。
小さい命がさ、いま頑張ってんだわ。
おぎゃぁと生まれたら、生きていこうとさ、頑張ってんだわ。
ごめんね、でも頑張って!だろうと思うんだ。。。
KOOLぐらいにしか言えないけどさwなにがいいたいかってぇと
「ばっかじゃねっ!なんでもかんでも踏み台にしてんじゃねぇよ!
あんたに上昇志向以外のなにがあるん?正義もアンタの上昇志向の犠牲だね!」
と、実際はこう言いたいのかもしれない(爆
でも、そういうと、実に2ちゃん的で言ってはいけないのだ、うんうん♪
夫婦2人だけで、十分だといつも思ってるし。
でも、子供が本当に欲しくて欲しくて、なかなか出来ない人達の努力は
身近にも多いから良く聞くんだけどね、なかなか壮絶なものがあるよねぇ。
45過ぎても出産とかね、もちろん、勇気あるなー、とも思うけれど
一方で、恐いほどの執着心だよなぁ、と感じちゃう。
それは自分が生んでないからかもしれないけど。
でもさ、出来ないなら、出来ないなりに、選択はあるだろうに、と思うのよ。
なのに、母性なのか、自然の力、なのか
なにがなんでも自分の血肉を分けた子供だけを欲しがる女性の性って
やはり壮絶だと思ってしまう。
野田さんでなくても、産まれてくるお子には愛情を注いで欲しい。
母親の自尊心やら執着心やらを背負わされるのでは可哀想すぎる。
そう言われて考え込んだなぁ、あたし。
私が、ということじゃなく、そういう状況下で産んだ人を、責めるか。
いや、責めないね。。。頑張れというね。
じゃぁ、何に釈然としてないのか、わたし、と。
するとね、野田聖子の場合、「私が私が」が全面に出すぎていて、そこに愛を感じたか
それなんだろうと思った。
下にも書いたけど、いままさに赤ちゃんが頑張ってる。必死で生きようとしている。
それなのに「第二子もと、主人が言っている」と言い放つ。
そこには赤ちゃんの今の頑張りは不在の気がした。
そして、「嘘付いてるな。」もしくは「旦那にそう言わせてるな」それを感じる。
そういう人が、「やりとげました!」と言って回ってる。
これが釈然としないものの一つだろうと。
オナカの中ですでに何らかの障害を持ってると分かってる場合がある。
その子を生むか否か、私これには何も言えない、言うべきでもない。
自分ならどうするか、これもちょっと今は避ける。
だけど、その人は「愛してる」と確信して、決断してるよね。
この子に会いたい!そう願って産んでるよね。。。
「出産は賭け」そのとおりだと思う。
五体満足に生まれてくれたときは、ほんとうに「ありがとう!」
そうでないときは、「ごめんね、でも一生懸命しあわせになろう!」
五体満足は、「当たり前」じゃないもの。。。
でもね、50の初産に希望を見た人はたくさんいるんだろう。
その人達の心根を思うとね、それはそうなんだろうと思う。
きっとその人達はね、純粋に「自分の子を抱きたい。私の子に会いたい」そう思う人達なんだ。
少なくとも「やり遂げた!」と、諸手を上げる人ではないんだ。
私が嫌悪するところのものでもないんだわ。。。
ダンスインザダーク、見てないわ。見てみよう。なんで見てなかったんだろうねぇ、あたし。
創価ね(爆
こっちさ、北九州の貧民窟に多かった印象が強くってさ
その人達の生活を思うとね、創価に救われることも多かったろうと。
でもね、土足でどっかどかやられると「ハウス!」とは言いたくなる(笑
ああ、それって真理だわ。。
「選べないほうが幸せなこともある。」
でも、こうやって不可能が可能になることは、幸せと思うしかないね。
事実、目の当たりにしたのだからね。
もう、人は後戻りはできないね。。。或りきで考えるしか無くなっちゃった。
さてさて、どう使いましょうかってことなんだろうなぁ。。。
昨日から、こうやって書いてるとね、ひとつ見えてきたことがある。
とどのつまりね、「あたし、野田聖子、きらぁ〜〜〜い!」だったwww
嫌いでも好きでもなかったんだわ、これまでは。
ただね、なんだかなぁ〜、このひとって。。。ぐらいだった。
すっかり「嫌い」って確信したんだわwww
目の前にいるアナタに対して、決定的なことはね、誰もきっと言えないよ。
担当医やご家族が、真剣に取り合ってないのでなく、取り巻く環境は変化するから
いま出さなくって良い答えなのかもしれないね。
今の不可能が、可能になる日だって来るかもしれないものね。
事実、こうやって野田聖子が50の初産を可能にした。
不可能ではなくなったわけだわ、これに焦点を当てれば「希望の人」だろう。
昨日から、くり子ちゃんは自分を「暴走」というけれど、そうは思ってないよ、誰も。
アナタが言ってることは、正論だよ。正しい。
ただ、あまり凝り固まるのを避けさせようと、大人はするんだね。それだけの話だわ。
一緒になって同じ方向で怒るとね、ますます増幅するよね。
こうも考えてみよう、あっちの方向でも考えてみよう、そう言ってるだけだよ。
だからね、結果が変わることに対して、いまは突き詰めて考えこまなくっていいよと、
そう担当医もご家族も、このことに関しても、そう緩めようとしているのかもしれないね。
若い子は、よく笑う。
でもね、「不機嫌な顔」もよくするんだ。考え込んで不機嫌な顔をね。
でもね、私自身を思い出してもそうだった。
「まぁ、今決めることでもない」と思えるようになったのは、ある程度年をとってからだったわ。
混乱もしたよw
「頑張ってるワタクシ
しか前に出てない気がして、そこが鼻についてるのかも、あたしも。
今頑張ってるのにね、必死で生きようと赤ちゃんがしてるのにね、
「私はやり遂げた!」的な顔をされるとね、どうよっ!ってなる。
まして「主人は第二子も望んでいます」なんて、ああ、この人嘘つきだ。。。と。
男は「目の前の壮絶」に弱い遺伝子の生き物だから、そういう状況下でそういう言葉は
よっぽど想像力のない男じゃない限りでてこないはずだわ。
友人が家を建てたの。20代でオーダーの家を建てる。
これはスゴイと思う。よく稼ぐ子だ。
「でも、寝れない日がある」という。
「おれは嫁と2人の子と、飢えさせないで育てられるのか、それを考えると寝れなくなる」
ああ、そうなんだろうと思う。
嫁さんが出産でヘロヘロになっていて、お子も頑張っていて、
それで第二子もなんて言い出すバカはいないから、野田聖子が勝手に言ってるもしくは
言わせてると思うんだ、そこに別の匂いを感じる。
私の釈然としない思いは、それにもあるのかもしれない。
ってか、わたしもそーとーひねくれてんだろう(爆
生めない肉体はとても辛いもので、なにかに後ろめたく感じながら実際生きている。
言い訳として、「でもいいもんねぇ〜」と言っている。
これが「生まない」と決めているならいいけれど、
選択肢のない「生めない」の時、どうしょうもない。
例えば私ならば、結婚する前から分かっていたことなので、
そこはある程度クリアして結婚しているからまだいいけれど、結婚してから「妊娠しない」
これは幾許かと、察して余りある。
そこをとれば、そうよね。。。ねぇ。。きっとね、野田聖子は希望の人。。。
がんばれがんばれと、自分を重ねた人もきっといる。
そうだなぁ、ヘラヘラ笑ってるよ。
「スイカが可哀想。スイカに似た可愛い孫を、きっと抱きたかっただろう、ご両親は」と
そう言われればもう、答えようがないもんね。
「欲しくないって言ってるよ、スイカは」なんて言おうもんなら、話が長くなって仕方ない(笑
だからといって、この方法が選択肢としてしっかと入って来れば、
喜ぶ人もいる、強要される人も出てくる、いたしかえしだなぁ。
ガッツポーズなのかな。。。と、そこに疑問が生まれる。
いまあんなに自分のお子が頑張ってる状況下で、「第二子も!」なんて言えるのかな。。。
すべてが想像だから、そこに私の足りなさがある。
「ウチに赤ちゃんが来た!」っていう喜びは、ほら、私知ってるじゃない。
家中にミルクの臭いがしてて、「あ〜、なんか幸せだ」って。
それを思うとね、あの感覚をスイカにもね、味合わせてあげたかったなぁとは思うんだ!
いいよね、やっぱりさ!わくわくするよね。
昨日今日とね、コメント頂戴して、それにコメ返して、考えていくとね
あはははは、どうもね、とどのつまり「野田聖子が嫌い」に落ち着いてる気がしてきた(爆
嫌いでも好きでもなかったんだけど、「嫌い」が確信になった。
なにか他のことが臭う気がしてるんだろう。。。
その子は大きくなったら確実に失明する。
でも手術すれば失明はしない。
主人公はそんために必死に働いてためたお金を警官に盗られます。
「どうして遺伝するとわかっていたのに子供を生んだんだ」と責められる。
「それでも子供を胸に抱きたかった。」
女の業なのかはわからないけれど、そういうのは心の奥底に持っている人は多いんじゃないでしょうか。
野田聖子は結婚しない人と思っていました。
スポーツや仕事に生きる人なのかなと。
子供のことはきっとかなり悩んだと思います。
代理出産や人工授精はこれから技術も進歩してきて、出産の形態自体が変ってしまうかもしれません。
それを時代の黎明だとは言わないけれど。
親戚の女の人達は「出産はな、賭けや」と言っていました。
創価の人は厄介(>_<)
特にお金が絡むとダメですね(-_-;)
選択肢が増えて、
選べる幸せがうまれたと思ったら、
選べることが不幸せ?だったり・・・
出産に限らず、
選択の余地が無い方が人間しあわせかも(ラクかも)、
と、思うこともある。
なんて言うか、なんて言うか…
担当の医師も、まわりもまだだろうと
あまり真剣に向き合ってくれなくて…
相談しづらい話でもあり、で…
どこにも言えない、どうしようもないものだったのに、
(勝手にコメントしまくってるんですが)
なんて言うか、本当にありがとうございます。
私はやっぱりまだまだ未熟で、
答えのないものを考えて、こうやってその名前を聞くかもしれません。
その問題と道しるべをいつもここでもらってる、そう思います。
だんだん意味の分からないコメントになっちゃってますが、
混乱してますが…感謝です。
大人は自分で選んだことだと思うから、どんなことになっても
自分で決めたことと思えるけど、子供は違うもんね。
1歳までに6回の手術を受ける。。。ってニュースで聞いた時も
ほんと生まれて間もない子供には相当な負担だって思えて
何でそこまでして産むんだろうって思いましたよ。
ほんとはね、本出したことも、「何で?」って思ってしまう。。。
なぜ世間にそれを公表したのかなぁ。 「自分こんなに頑張ってます」って言う風にしか聞こえない。。。
ははは^^; 私、相当ひねくれてるねw
野田聖子さんのその話題を聞いた時、たしかにそこまでして。。って印象は
あったと思います。金銭的にも年齢的にも。
私には、子がいるけれど、KINAさんが言うように、子がいない人たちには
また別の使命が与えられているのだとも思っています。
でも、こどもがいないお友達から、そのことで苦しんだ日々のことを聞き、
そこまで追い込まれ、傷つくことであったのかと思い知らされました。
子どもを生むために生きていると、そう宗教は教えたりする。
それが「生命の倣い」だという。
でもね、人はいまを生きているのは、子どもを生むためでもなんでもなく
自分の幸福感の確信のために生きていると思う。
「女の勤め」と言われると、それってすごく嫌悪しない?
あたしはするよ、嫌悪。
「産みたいなぁ」と朧気に思う。強く思う。どっちでもいい。
そう思うなら産めばいい。
産めない状況下(精神的、望み、肉体的もろもろを含め)であれば、
それ在りきで考えなきゃいい。他の形の幸福もある。
ただしね、「生む」には責任がつきまとう。
子どもが大きくなって死ぬ前に、生んだ親は死ぬ。
その時に、出来る限り苦痛の種は取り除こうと、親は愛して育てるんだと思う。
私はね、生まれてすぐ何回も手術をしなくっちゃいけない子に対して
「ごめんね、おかあさんがんばるね」の前に「私はやり遂げました」と自分自分を出すことに
あまり愛を感じない。
たとえば、私は状況をよく知らないけれど、くり子ちゃんが妊娠が難しくて
お子の健康に自身が持てない状況でしか産めないかもしれないとするよね。
それでも産みたい、我が子に会いたい、全身全霊かけて、一生をこの子の幸福のためにと
そうココロに決めて挑んだであったのならば、誰も何も言えないよ。
自分のエゴで産んでしまったけれどと、くり子ちゃんが申し訳なくお子に思ったにしても
お子はきっと、それを感じて余りある愛を感じ取るはずだよ。
私はやり遂げた!だなんてその時は思わないんじゃないかな。
ありがとう、お母さん頑張るよなんじゃないかな。。
その言葉が出てこない人に、私は釈然としていないってこともあるんだ。
という感じの記事を読んだとき、
自分がずっとそう言えなかったことに気づきました。
私は、病気の経過観察をしている状態で、まだまだ学生で、
相手もいない、考えられない状態のときに「難しいと思う」と言われ、
消化不良を起こしていたようで…それがすとんと、落ちました。
その意味では、私の中に救われた部分もあるのかもしれません。
たぶん私は、産みたいけど、でも産めない人もいる、
そのことを伝えて欲しかったまでなんだと思います。
そこから「だから、産む」という結論は、でて欲しくなかったな、と。
うまく言えませんが、私が思う彼女にたいしてのもやもやは、これかな?と…
産めないけど産めるを良いことにしたら、それを認めてしまったら…
余計苦しみそうな私がいます。
今はそれよりも将来の夢をとるつもりですが^^でも、たまにもやもやします;;
あなたさまらしいご意見だ(笑
ただ、そこって抜かりねぇんじゃね?
なんとか財団とか基金とか作って、収益はそこに入って活動費になるんじゃない?
気が勝ってる人だからね、野田聖子は。。
生い立ちの欠落を、何かで埋めようとしている人に思える。。。
生まれないことで、辛い思いをしてきた女の人は、ほんと過去にも現在にも
たくさんいるとおもうんだ。
そのひとたちが少しでも辛い思いをしなくて済むように、いろいろなインフラが出来れば
それもまたいいことのようにも思う。
障害を持っていると、お腹にいる時点から解っている赤ちゃんはいる。
それを掻爬するべきとも、生むべきとも、アタシは言えない。
それは個々の価値観、生きて行き方になるとおもう。。。
でも、この今回の件は、そのこととは少々異なるものだと感じている。。。
赤ちゃんの危険度が、はじめから高い出産に臨んでいる。
それも少々他の思惑が見え隠れする。。。
それを「正義の人」「希望の人」と表現していいのかしら。。。
私の憤りは、多分そこから出てるんだろう。。。
ナントカカントカルージュの凱旋の人だよね。
まだ読んでないんだ。そういう本だったんだね。ジーンワルツ。
どんなに女性のライフスタイルが変わっても、これは出産は誰も替われないものね。
女の人の仕事だわ。。。
そして、出産は、病気でもないわりにとても危険で偉業。微妙な位置づけ。
でも、産んで当然と思われてはいる、まだまだそんな状況。。。
そういものなんだよね、出産。
なんかね、「子供も産んでないのに、子育ての話やそういう問題が理解できるのか」と
ずいぶん悔しい思いはしていたようね、野田聖子。
母になりたい気持ちもあったとは思うけど、ああ、利用ですか。。。の感も拭えない。
なんともね。
また第二子を産んで欲しいと夫が言ってる。と野田聖子は話した模様。
これは嘘だと私は思う。
普通に考えて、普通の出産でも、「ありがとう、お疲れ様、ご苦労様」はあっても
まだ責任を果たせてない状況で、「次の子をほしい」と言い出す男ってどう?
いま全力で助けようとしているお医者様にも、助かろうとしているおのお子にも、
なにもないまま、「第二子も」なんていう人がいるならば、よっぽどの心根が悪い人間だ。
そういう人を旦那に持ってんの?野田聖子は。。。恥をさらしてるの?と。
これを私は嘘だと思ってる。
織田聖子が勝手に言ってるもしくは、言わせてること。
そして、これが嘘ならば、すべてが嘘だと思う。。。野田聖子に限ってね。
生まれない状況から、一生懸命生まれてきた子供に、まず「ありがとう」
余計にがんばらなきゃいけないそのこの体に対し、「ごめんね、でも頑張って!」
これなんじゃないのかなぁ。。。
しかも国会議員は公務員、手記出版は政治活動ではないので副業...あきらかに違法です。
というか、代理母出産について、で。
私は病気の後遺症で、妊娠はかなり難しいだろうと言われてます。
でも、時々思っちゃうんです。子どもがいたら、と。
それでも、無理矢理産むことは違うと思うし、
じゃあ産まないのが正しいか、というとそれも分かりません。
どうしても子どもが欲しいのなら、引き取る、という事は考えないのかと、
そういう意見もでました。
私はそれでもいいと思えるけれど、そうも行かなかったりするのかな?とか
色々考えてしまいました。
相手のいない今の心理では推測すらできないだけかもしれませんが…;
高齢出産はリスクが高すぎますよね…
答えのでない問題なのに、一方が持ち上がると他方で苦しむ人がでるのに、と;;
答えが出せない自分にも、もやもやしちゃいます。
それまで知らなかったことが沢山書かれていたのでとても勉強にもなりました。
その中でもやはり高齢出産のデメリットや代理出産なども書かれていました。
子供さんが欲しいという気持ちは分かりますが、
これからの赤ちゃんの事も心配です。
議員だからといって手厚い医療を受けているとは思いたくはないですが、
後先を考えずに生んでしまうのもどうかなとも考えさせられました。
庶民ではこんな事はなかなか出来ないと思うので・・・
あたしさぁ、諦めが早いと、よく言われる子だった。
それを危惧されることもあったけど、
でもね、いまでも粘るところと、異様にあっさり手放すところがあるんだ。
諦めを甘受するのは、嫌いではないんだ。
複雑な家庭環境にもあったんだろう、野田聖子。
表れ方だとは思う。
彼女はそれを受け入れるには、あまりに気が勝りすぎてたのかもしれない。
同じく母と父、そして姉妹に感謝しようと思う。
ご先祖にも感謝しようと思う。
もともと、私は上昇志向が強い女性が、あまり好きじゃないのかもしれない。
まぁ、そこは置いておいて。。。
室井佑月が「結局、特権階級の人みたいじゃないですか。」言ってたらしい。
「政治家だから、まず卵子提供ができない日本の法律を変えようと戦うべきだったんじゃ。
自分に残された時間が少ないなら、いっそ体外受精を日本で強行して、戦って、
法改正する道筋を付けて欲しかった。
そうしたら不妊に悩む女性はみんな彼女を応援したでしょう。」
室井さんをあまり好きではないのだけれど、直感的でいい意見だと思ったの。
戦略としても、あまりお利口だとは言えないと、野田には思った。
「力任せ」の野田らしい、ブサイクさ加減かなと。
実践論者?であろうとしても、今回のはちょっとね。
私は、不妊に悩む女性を敵に回したくはないので、「どのゆう子どもが生まれるかの可能性」に終始しようと思うけれど、でも実際は、ジョーさんの言うところのことにも、憤ってはいるの。
「何かを代償に何かを手に入れて」ジョーさんがおっしゃるとおりだと思う。
その選択で、人は寝れないほど悩んで、そして選択してきたんだわ。
「全部全部全部欲しい!」そのワガママお金持ちさんでも、手に入れられないものがある。
ここに安心があった。
ここに平等もあったし、「死ねば同じシカバネ」の安心もあった。
老いも金次第になってきた。
平等に訪れて、そこでいろんなものをフラットに打ち消した「死」まで
お金次第になってきた。
「お金さえあれば、この病気は治ったのに」なんてことは昔からあれど、
それでも死はあったし、生もあった。
そこを激しくコントロールできるのが「お金」であることに、躊躇する。
生活感がないと言われる。
それは結婚も遅かったし、子供もいないからだと思う。
「いいね」と主婦たちからはいわれ、
「そうでっしょ♪でもね、子供欲しくないことなかったのよ。いいね、うらやましいよ」
それが、いいバランスだったのではと。
全国の不妊に悩む女性の願いが、「産める可能性を、希望を」とそこにあるならば
極端な室井佑月の言ってることが、ほんと正論だ。
でもね、女性の力が強くなったこのことで、なくしたものが「生物としてある」と、
私は思っても居るんだ。
ジョーさん、コメントありがとうです。
「うま・しか」の子どもにうまれなくて、ほんとうによかったです
ただただ、両親に感謝です
実はアップされてたときに一番乗りしたんだが~書けなかったな~^^;
でも書いてみましょう^^
俺自身の感覚で言えば~
人ってのは、どっかで代償を払って、
欲しいものを手に入れてきたんじゃないかな~
時間をかけた努力だったり、金であったり、(金の場合は不労所得でない金ね^^)
そういうものであれば・・・皆納得するし・・・
でも、いわゆる金で買えないものがあった。
「時間」だったり「愛」だったり、「健康」だったり…「子供」だったりしたわけだ。
それが、所謂俺らみたいな一般大衆にとって、金と権力がある者に対して、
ささやかな優位?だったりして、均衡を保ってきたのかな^^;
森羅万象、自然の摂理にはなかなかあがらえなかった。
でも世の中、科学の進歩に加えて金の力が強くなってきて~莫大な金があれば~
金と力で・・・本来、代償として支払った、時間?を、買い戻してるように感じちゃう。
なんか・・・ずるくね?って感じが俺もしちゃうね~。
その上…さらにそれを広告塔に・・・って感じがあるもんね~
あ~でも・・・このことで・・・何人かは、そのことに気付いたから・・・
代償は支払ったかも^^;
とりとめもなく…失礼しました。
ジョーさんでしたっ!
打算的、この言い方もぴったりなかもしれないなぁ。。。
向井亜紀の時にもね、若干の違和感を感じはしたんだけど
「それでもそうしたい」と思うその気持を、全否定は出来ない気が、だんだんしてはいたんだ。
それとはちょっと異なるものに思えた。
悩んだ挙句の決断を後押ししたものが、いったいなんだったのか。。。
これがさ、清々しい(?)決断と受け取れない何かの存在があるんだろうなぁ。。
例えは悪いですが、野菜や果物がハウス栽培で旬がなくなったのとちがい、
何時でも子供が出来るようになったことは違和感が有ります。
確かに悩んだのかも知れませんが、打算的な物が見え隠れしてしょうが有りません。
うん、本当のところは、それなんだ。
そこにすら納得できない何かがある。
でもね、それを望んでまで子どもが純粋にほしい人はいるので、
それまでを私は口に出せなかった。
でも、らてぃあさんの言ってることが、とても府に落ちるってか、納得出来るんだ。
特に「人の欲にはキリがない。どこまで手段を講じるか」これはグッとくる。
ああ、「希望の人」にぶつかった?
そうなんだよ。。。それにね、なんか釈然としない思いを抱くんだ。
強い強い自己満足と、それを「美しいもの」と言い放つその受け取り手に
なにかしら大きな違和感を感じるんだ。。。
そこに赤ちゃんの苦痛は不在なんだ。
ああ、それで免疫が落ちるのかなぁ。。。なんとなくそれは納得出来る話だなぁ。
趣旨から飛ぶけれど、お友達に外科医が居る。いま、美容整形に誘われて、随分悩んだ。
健康な体にメスをいれるということに、かなり抵抗を感じていたようす。
んで結局、二重まぶたや、皮膚科っぽい、そういう美容のほうで開業した。
メスをいれるのは、最終手段だと、いつも言っていたっけ。。。
うん、つらいよね。。。
大人はそれが身内でなくても、代われるものなら代わってやりたいと
そう思わせるほどのツラさを感じるよね、小さい子の病気に対しては。。。
信じてやることしか出来ない、そうかもしれないわ。。。
人の欲はキリがない。
子供を持ちたいと思うことは当然だとしても、どこまで手段を高じるか。。
今ネットで野田聖子のこと調べたら思いっきり「希望の人」と書いてあるHPにぶつかってモヤモヤしてます。
ないのかもしれないけど。手術というのは なんというか体の中の血液や体液や神経や気の流れ
一度断ち切って違うところにつなげてしまうようなものの気がするから。
それが大きな病原を取り除くためのものだとしても。
KINACOさんほどじゃないけど 自分も小さな子供が病気で長く苦しんでいるのを見るのは辛い。
痛々しくてね。KINAさんが書いてるとおり変わってやることもできないし。
医者でもない自分は ただその子供の生命力を信じて 良くなることを祈るしかできないしね。
うん、そのイニシアティブ、この部分が「政治家としてのワタクシ」に終始しているように
そう思えて仕方ない。。これを言っちゃうと話の論点が変わっちゃうので書けなかったけど
ほんとうはそうなんだろうと思う。。。
自分の成長のために生むのは、うん、あるだろうなぁ。
ひとは、子供を産んで一人前というのは、まぁ、言えることだと思ってる。
生むために必死になってる人もいる、これを「おかしい」とは思わない。
結婚する意義をどこに持ってきてるかなのだと思う。
一緒にいたいから結婚するならば、子供子供というのは本末転倒に気もするけど
それも個々のことなので、なんとも言いがたい。。。
うん、そうなんだ。。。
わざわざ苦痛を与える必要もないと思うんだ。。。
危険度が高いならば、風邪薬は飲んじゃいけないんだ。。。
どんなに万全を尽くしても、幸せを願って産んでも、仕方ない出来事はたくさんある。
その時に、すこしでも生きていきやすいように、不要な苦痛を社会が与えないように
手を差し伸べる、アタリマエのことと意識するでなく意識するって大切だと思う。
どんな状況下で生まれても、子供は未来の担い手で、大切な人。
みんなで慈しむモノ。。。
ねぇ。。。小さな身体で、だれだって頑張って生きて行くのに、それ以上にいきなり頑張らなきゃいけないって、私考えただけでツライんだ。
何回も何回もメスを入れられて、ツラくてたまらないんだ。。。
おぎゃ〜って生まれた途端に、人は生きていこうとするけれど、痛いよ。きっと痛い。
転んだだけで、大人になったって痛いのに。。。
私、あの人嫌いだ。。。きっと子育て問題とかでも出張ってくるんだろうけど
みんな五体満足に生まれて欲しいと願って願って、それでも、あああ。。。ってことがあって
一生懸命生きて行くのに、幸せを願うのに。
きっと演出し続けるんだ。。。大嫌いだ。
うん、反論もしないけどね。
でもね、すまないなぁと思うんだ。。。
私のせいで、こうやって見られるねって。
アタシが大金持ちだったら、こんどは金あるからねと言われる。
アタシが貧乏なら、いいとこ騙されたって言われる。
仲がいい訳ないって言われる。。。
ぎゃははは、仮面夫婦ねw
さもありなんだわ、そういうこといわれるってことwww
わたしが思うことは一つだなぁ。。
彼女は母としての重要性よりも
政治家の立場をとった人のような気がする。
問題提起の仕方も今日的だ。
本も出すんだろうし。。
子どもは自分の為に産むんだろうか。
それも重要なことかもしれない。
わたしは授かりものって言葉が好き。
授かりものだから、大事にして育てて
お返しせねばならない。
命は科学的な解明ではなくて
生まれるべきにして生まれてくる。
望むとも、望まれぬとも。
神秘と尊厳は、どんなに医療技術が進歩したとしても
大事にしてゆきたいね。
子どもを生むのはその人自身、親だけどね
生まれてきた途端、その子は親とは別の人格
その子自身の人生を、その子の力で生きて行かねばならない。
ならば、せめて、ベストな状態で生んであげたいと
願うのが親心ってものだろう、とわたしは思う。切に。
確かにいつがベストか、いい状態かっていうのは
イロイロあるだろうけどね。
なんだかね、すっきりとしないよね。。確かに。
まぁ、人はちょっと違うとイロイロ言うさww
本人たちが仲が良ければ、それで何より。
夫婦仲良しって、意外と少ないんだもんね。。
あるところで
仮面夫婦、みんなそうでしょうと言われ
口があんぐり開いてしまった。。
下手に反論するより、口を閉じてバイバイしてきたww
それもね、拭えないことなんだよね。
それも言えることなんだよね。
不幸ではない、不幸ではないけど、メスを入れられることはとても苦しい。
大きくなる頃には忘れることなのかもしれないけど、それでもメスが身体に一回でも入ると
そこからちょっと身体は大変だよね。
親が大変なのはまあいいとして、本人が大変なんだよね。
親を恨んだことはないけれど、恨む範疇でもないし、
ただ、今までに3回メスが入ってるの、あたしね。
そのたびごとに、免疫力、抵抗力が落ちてるのは、ひしひしと感じるんだ。
五体満足が絶対の幸せとも、五体不満足が絶対的な不満足とも思わない。
それは、タコヤキさんと多分同じく感じること。
けれど、これは人為的にとまで言わないまでも、容易に予測できたこと。
それを強いる権利が、親だとしてもあるのかと思うんだ。
妊娠中は不用意に薬を飲まないように、というのと「出産には適齢期がある」というのは
同じライン上にあったりするとおもうんだ。。。
どんな出産であっても、障害を持って生まれなかったことが偶然で、なんらかのビハインドを背負って生まれたとしても、生まれた命の尊さは同じだと、アタシも思ってるし、
等しく幸福感が持てるような世の中じゃなきゃいけないとも思ってるの。
でもそれは外側が尽くすべき命(メイ)で、どうしたって健康じゃないことは本人は辛い。
私のチビたちが病気になったとき、たかだかヘルパンギーナ程度でも
それは苦しそうで、喘息の時も苦しそうで、替われるもんじゃないから、なおさら辛くて。
そのことを思い出すとね、なんてことを強いるのか!と怒りが出るんだよ。
小さい子が、病気と戦う姿は、本当に可哀想なんだよ。。。
高熱にうなされて、手で宙を掻くような仕草や、手術の痛みに耐える姿や。。。
子どもが苦しいのは、本当に本当に。。。どうしていいのかわからないんだよ。
代わってなんかやれないんだよ。
でもね、タコヤキさんの言ってることも、ほんと、わかるんだよ。。。
だからきっとナーバスなことなんだろうねぇ。。。
高齢出産になれば母体や赤ちゃんへのリスクは高まっていく。それは当然だ。
しかしだからといって高齢出産の女性に子供を持つなとも 諦めろということもできない。
出産適齢期間はある。しかしその期間に子供を産めるかどうかは相手との巡り合わせだったり
身体的や経済的や はたまた精神的なもので必ずしもそうであるとは限らないだろう。
勿論 生まれてくる子供に何の責任もありはしない。もし障害を持って生まれてくれば
周りは(親も)可哀想だと思うだろうし、親は申し訳ない気持ちを持つのではないかと思う。
でも その障害を持って生まれた子は絶対 不幸せなんだろうか?
自分は少なくとも そう言いきれないな。
ただ子供が欲しいというのはエゴだろう。好きな人の子供を欲しいというのも もしかしたら
人間の本能もあるだろうけどエゴなのかもしれない。
結局はその自分のエゴに対して責任を負えるか、ということなのだと思う。
その上で産むか産まないかを自分で決めればいい。
スイカさんの流した涙は そういう人生への責任をしっかり分かっているからのものだと思う。
それにしても・・・だ、
その創価学会(だからイケナイというわけじゃないが)の知り合いとかには腹立つな!
ソイツが口出しすることじゃねえってんだ!!
浮気云々の陰口を叩く奴らも。そんな陰口叩いてる暇があったら その口を叩く自分の性格を
見つめなおして見ろよ!って言いたくなるね。
ナイーブな問題に自分勝手な意見ばかりで さらに長文でスマンね。
気に障るようだったら削除しておいておくれ。