田中好子さん
- カテゴリ:日記
- 2011/04/24 01:37:17
その死を、ココで知った。
早期発見から20年後の死。
私はパソコンの前で、スイカはベットの上だったのだが
横に寝っ転がって、「知ってた?」と訊いた。
「うん、知ってたよ。
口に出しきらんだった。」そう言った。
私自身再発は、それこそお約束のようにしょっちゅうで、
実は何度か、さらに切除した。
幸い?B型肝炎なもんで、肝臓もしょっちゅう検査だ。
怪しければ、ツマンで取り除くということの繰り返しだ。
肺も弱いので、それも何か有るつど検査検査。
5年経過までになにかしらで再発するのを
その検査の嵐で、そのたび助かっている。
病気を飼ってる意味と意義がそこにあったか!と
これまたワケの解らんツキっぷりだ。
「気にするかなと思って、言い出しきらなかった」
とスイカはそう言い
私は内心(気にしてるのは、アンタだろ)と。
「あんまり知らせたくはなかったんだ。
でもこれだけテレビで言ってれば、そのうち知るだろうとはね。。」
20年間、おっとっととと頑張ってきながら
最後にこれかい!と、スーちゃんのことをなんと言っていいのか。
死がこわいかと言われると、よくわからない。
あまり怖がってもいないし、仕方ないとも思ってる。
よもや余命宣告を受ける日があっても、泣くことはないだろう。
でも、スイカを想うと、「まだ死んだら可哀想だな」と。
結婚を躊躇したのは、このことだったのだろう。
この未練とか、後ろ髪とか、そういう想いが嫌なのだ。
何も残さず死にたいのに、こういう想いは、うん、じゃまっけだ。
スーちゃんは、いつでも可愛かった。
私も、「闘病」すら知らなかったんです。
ほら、ヒロさんが前から「スーちゃんは素晴らしい人だった」とおっしゃってたじゃないですか。
そのことも、合わせて思い出していました。
お知りになって、ショックだろうなぁと。
長い闘病を気づかせることなくお振る舞いになるのは、とても勇気と心根の強さがないと
出来ないことでしょうに。。。
人に優しく、というのはこういうことなのか。。。と気がついた次第です。
他の誰かのブログか、ミクシーでの日記に書いたんやけど・・・・・・・・・
ワテも、このニュースを聞いてショックでしたわ。 第一、彼女が闘病してたことを知らなかったもんね。
ワテ、キャンディーズ時代から好きやった。 で、いつかは・・・・・って、考えていて、彼女が女優活動をしてる時に、やっとチャンスがやって来て、クライアントのイベントに来てもらったんよ。(何度もね)
打ち合わせを兼ねたお食事も何度も・・・・・・綺麗やったし、物言いも素晴らしかったですよ。
KINACOさんには、そうでは無い未来が待ってるから、安心と検査を忘れないようにね。
うん。。。そうだね。。。
長生きしましょ、くり子ちゃんは。
だってね、もう頂いた命じゃん?
これでそうそう手放したら、みんなが可哀想だ。
ああ、ありがとう、そう言ってくれて(笑
待てばいいんだよ。
焦らなくって、待てばいいんだ。
そしたらね、必ず出てくるよ、世界で1人って決まってる人が。
はやまんないことだよ。
それだけだよ。
なんだか言葉が出ません…
私は、もう誰も先に行かないでっ!と天にも周りにも言っていますが、
神様はどうもそれを許さない気がします…
…私は逆に長生きしそうな気がします、最近特に…
ここ最近、ちょっと大きめの余震やらトラブルの度に
誰かが足止めしてくれていて…危機一髪?助かってます…
たぶん、誰か憑いていてくれてるんだと思います。
(いるなら、会いに来て欲しいとも思いますが…)
スイカさんと仲良く長生きしてください。
私はスイカさんとKINACOさんのような“2人”になりたいです。
今は勉強に片想いですが…遠い未来の目標にします!
どうだろうか。。。女性の云々より、これね、カミングアウトするってことは
認めることで、認めることは辛いことなんだよね。
なんだか自分で見限った感じでね。。まして人に「癌だ」というその行為がね
後ろめたいような、変な感じなんだよね。
部位じゃないと思う。
あの遺影のお顔がね、なんとも綺麗で。。
心持ちがほんとうに優しい人だったんだろうなぁと、ただただ見惚れるばかりで。
それはね、すこしゆみさんが私より若いからかもしれないし
性格の違いもあるだろうとは思うけど、自分自身のことを自分が知らないというのは
告知された苦しみより、もっと苦しいかもしれないわ。
これね、告知されてちゃんと確認した後に、よし、戦おう!
そう立ち向かうほうが、きっとその頑張りが体に反映するかも!なぁんて考える。
私自身の時は、どんな状況下でも告知して欲しいし、余命宣告も貰いたい。
じゃないと、身辺整理できないし、ちゃんとしたお別れも出来ない。
ありがとうをね、言いたいと思うんだ。。。
結婚してからずっと闘病していたなんてそれも知らなかったので更に驚きました。
女性の大切な部分だから公表したくなかったのかなとも思いました。
色々な方の話を聞くと本当に良い方らしくて・・・
スーちゃんもまだまだ女優としてやりたい事が沢山あったと思うと残念です。
まだ若すぎますね。
旦那様も夏目雅子さんのお兄さんで、実の妹が白血病で闘病したのに、
今度は奥さんまで癌に蝕まれてしまって本当に辛いと思います。
自分がもし余命宣告されたら頭がまっ白になりそうです。
私の亡き父も宣告をされたのを亡き母から伝えられた時も頭がまっ白で、
その後は何をしても頭に入らなくて涙がボロボロと出るだけでした。
突然いなくなってしまうのも悲しいですが、宣告されるのも耐えていないといけないので、
精神的には宣告される方が苦しい感じがしました。
KONACOさんも大変な苦労をされたようで・・・
身体を無理しないようにして下さいね。
乳がんは治るよって、アタシも言うけれど、ああ、こういうこともあるんだとね。
そっくりだもの、私の状況とスーちゃんの状況は。
なんとなくね、ああ、あと生きて10年か。。と、そう思ったよ。
かわいそうでねぇ。。。あと10年しかだよ。
なんていってね、わり〜と長かったりして、「あら御免遊ばせ」かもしれないけどね。
ご友人ね、残したくなかっただろうね。
まだまだ母が必要だったものねぇ。。。
私はもういいんだけど、とはいえ、あまりに短い結婚生活を思うとね
せめて、ずっと好いてくれていた25年をね、追い越す長さは結婚生活をしていたかったかな。
なぁんて、もう10年後に死ぬつもりになってるけどさ(爆
キレイって言葉、よくわかるよ。
透明感が出てくるんだよね。。
もしあと10年、友達でいたならば、もしもの時はさ、ごめんよ。
残される感はとても辛いけど。
「あちゃ、もっと早く死ぬ予定だったのに」と言ってそうだけどね。
b型だろ?b型はもともと癌のリスクがデカイんだわ。
それにほら、もうね、40過ぎだから治療が効かないのよ。
どのみち覚悟しとかないかんのだわ。
5年前に亡くした友人の最期の日を思い出して、手が動かなかったよ。
もう何も言えず、苦しそうにあえいでいるだけなんだけど
なんだろう・・・闘病で変わり果てているにも関わらず、とっても綺麗だった。
不謹慎かもしれないけど、彼女の手足をさすりながら、うらやましいほど綺麗だと思った。
枕元で話しかけながら、気づいてくれていることは良くわかったしね。
残された一人息子さん(当時中2だったかなぁ)が
気丈にも、出棺の挨拶を立派にして、深く礼をした顔を上げた途端に
堰を切ったように泣き出した。
自分自身は、もう充分生きたと思っている。
なにか大きな幸せを得たいという欲も無いしね。
でも、あの日の彼を思い出すと、残して逝く側になるのはつらいと思う。
ああ、そんなんだよね、どんどん恐怖はなくなる。
昨日さ、地震があったんだ、熊本。
そりゃ火山地区だもの、しょっちゅうなんだ、デカイのはそうそうないけど。
スイカがさ、裸で寝るわけよ、あの方。
もしものときどーすんだ?この人。。。と(笑
なぁんか、そういう事は考えるようになったわ。
そうなんよね。
生きてればさ、毎日毎日のなかで、なにかしら取っ散らかしながら進んでいて
足跡がつくように、それは仕方が無いことなんだよね。
仕方がないのだけれど、傷跡も残さない、それに憧れはするわ。
ああ、そしてあげたいねぇ。。。
「もういいだろう」と思えるような年までね。
キャンディーズの歌って、全部覚えてるんじゃないだろうか、あたし。
んで、その振付も、ピンクレディよりもちゃんと覚えてると思う。
記憶より、活動期間が短ったみたいで、それにちょっと驚いたわ。
再結成の話は、頑なに断ってたみたいね。それもまた美しいわ。。。
昨日スイカが髪を切りにいって、一緒についていって「妻夫木くんのように」という
赤っ恥のお願いを、ズーズーしく髪切屋に言ってやった。
切上がりが可愛かったので、「ああ、ずいぶん年下だったな」と、そこで再確認した。
ってか、はねっさんがカラオケに行くということが、ちょっとショーゲキだったっすw
夏目雅子さんのお兄様でしょ?
あの方も、どんなにお辛いだろう。。。
おたくもね、子供いないじゃない?
その乗り越え方を考えるとね、ああどうやって乗り越えればいいんだろう、どっちが先だとしても。
とね、なんだかねぇ。。
うん、ご主人可哀想だわ。
よっぽど自分が残ったほうが。。。と、そうおもうよねぇ。。
でもね、うちはね、私のほうがヘタレなんだよ。
だからね、私が先でいいんだと思うんだw
あんなに良い女優さんになるとはね。
「スーちゃん」の頃には、想像もしなかったよ。。。
ましてね、20年の闘病を、人に感じさせないままでしょ?
よっぽど優しい人だったんだ、あの人は。。。
年金ももらわないままだなんて。。。
いろんな楽しいご計画もあっただろうに。。。
でも、かまぼこさんがいらしたりして、おかあさまはそれでも乗り越えられた。
ねぇ、子どもがいない夫婦の乗り越えかたって、どうしたらいいんだろうね。。。
残されるのは、本当に辛い。
自分がいっちゃったほうがどんなに楽かと思うよ。
だからね、とっとと行きたいわけだ。
ただね、その悲しみを人に与えるのかと、それを考えると、それも辛すぎる。
痛し痒しだ。
強い人だね。スーちゃんが、あんなに強い人だったとはね。
20年間闘病の果てって。。。んでとうとうこれって。。。
哀しいねぇ。。。かなしいよねぇ。。。頑張ったのにねぇ。。。
でも、私は全く知らなかったんだ、その闘病を。
人に分からせないあの人は、本当に優しい人だったんだろう。
そうだな、アタシも大してガタガタしたりはしないな、自分のことにはね。
スイカは、私がいなくなったらどうしよう、これは恐怖みたい。。
さりとて、ガタガタするわけではないけれど。
眼に見えるようよ。
アタシが死んで、淡々と毎日を過ごし、どんどん無口になって、人とも付き合わなくなって
私のお墓をキレイに掃除して、毎日お水を替えて。。。
田舎のことだから、「まだ若いんだし」と、再婚話でも出て、怒り出すスイカ。
でも「化けて出るんじゃないかな」と楽しみにするだろう。
手毬さんのご主人様は、残したくないね。
かわいそすぎるわ。
賢明に行きた生きていないよりね、なんだろうね。。。
人に哀しまれることもなく、ひっそりと、というのは、ある意味幸せなことと思うのだ。
そう考えると、いつも身辺整理をしておくってのは、なんて難しいんだろう。。。
生きてれば、毎日毎日、とっ散らかしながら進んでるわけで。。。
覚悟ができる時間を与えられた人は、それなりに幸せなものかもしれない。。。
お父様、そうだったんだね。
退職して、いろいろ考えていたご計画もあっただろうに。。。
そうそう、水谷豊さんの奥様【伊藤蘭さん】が、ランちゃんだわ。
可愛かったのよ、いまでも可愛いけど。
いまはほんとに普通の人として生きてるミキちゃんもね、可愛かった。
おばさまも、早すぎたね。
ご主人様の心の依存度は大きかったんだろう。
男性のほうを、本当なら後に残さないほうがいいんだろうな。。。
バランスを崩すんだろう。。。
死への恐怖ってね、種の保存のために組み込まれているものだって思うんだ。
だからそれを越えようと、いつも思ってたなぁ。
「怖いと感じるのは、勘違いだ」って(笑 遺伝子の見せる幻だって。
もし、みんなが怖くなかったら、絶滅だもの(笑
「死んだ方がマシ!」は口癖のようです、あたし。連発しますw
そうなんだろうなぁ。。じゃまっけじゃないんだろう。
でも、「哀しい出来事の可能性の芽」が、どんどん増えていくのは
「楽しいことの可能性」が増えることより、なんか耐え難いよ。
悲しまれるのはイヤだけど、その分何かを残してあげたいです。
昔ほど死ぬのは恐くなくなりました。
腹が座ったというか、しかたがないと思えるようになりました。
スーちゃんの追悼だ!とキャンディーズを歌いまくってきました。
うろ覚えだったり、全然知らなくて諦めたりしながら
本人たちの映像をたくさん眺めてきました。
年下の男の子、を歌いながら、
KINACOサンとダンナ・スイカ氏を思い出してました。
仲むつまじく、どちらが先に逝っても「もう仕方ないよ」といえるだけの歳まで、
ずっとずっと楽しく暮らして下さいな、お願いします。
姐さんはスイカさんのために体大事にしてね!
私は旦那に私より長いきするようにと言っていた。
愛する人に先立たれたくない!と思っていたが、しかしねぇ・・旦那を残して死んだら、案外うちの旦那はどーーだかなぁ・・・とちょっと心配になってきた。
耐えてくれればいいんだけど。。。さっさと再婚したっていいんだ(笑)
そう考えると、案外私が残った方が楽なのかもだ
20年近くも闘病してたってこと全然知らなかった、私。。。
うちの父も60を前に亡くなって、年金も貰わず逝くなんてと母はぼやいてたけど
スーちゃんも若過ぎる。 うーん、ほんとショックだー。
キャンディーズとしてはもちろんだけど、女優さんとしてもすごく好きだったのに。
自分が残されるのはとても嫌だけど、後に残してしまったら、と考えるのも切ない。
そうそう、同時ならどんなに良いか……
ただ、私は本当に甘ちゃんだと思うんだ。
まだ残された人の本当の辛さは知らないでいるから。
その分余計に想像すると怖い、ってのもあるけどね。
あ~、だけどスーちゃんは本当にショックだ。
そして、すごい人だよね。
あんな人前にでる仕事をしながら、その闘病の様子を全く人に感じさせることなかったなんて。
青春の一頁を飾ったアイドルだったからね。
わたしが驚いたのは20年も闘病されていたのか
ということだった。
乳癌を経験した人は知っているだけで5人は周りにいる。
高校の時、仲の良かった友人は
美人薄命を地でいき、34歳という若さで逝ってしまった。
ある時、わたしも病になった。
これからの人生「死ぬ」のもありと考えなきゃいけない
そう思った。
何よりも、これで終わっても
案外後悔しない。
それが可笑しくて、内心クスッとした。
自分で思っていたより、我儘で心のままに
生きてきたわけだ。
わたしも死ぬことは怖くない。
しかし、それを知った連れの動揺は激しかった。
どちらが病気やねんというしょぼくれ方。
母には言わない。
担当医に泣きすがる可能性があるからだ。
それでもって、自分が訳のわからん床に伏したりして
足を引っ張ることまで想像して、絶対に言わんとこうと決めた。
入院すると病名は明かさず義母に告げると
これも、ものすごく狼狽していた。
おかげで、わたしが一番てきぱきと自分の入院準備をし
ニコニコと元気でいた。
連れは最後まで病院に付きそわせなかった。
担当医が夫婦仲が悪いのかと勘違いされていたようだ。
病院慣れしていない連れは
長時間待たされるだけで疲労困憊するだろう。
それを気遣うあまり、気持ちが伝染してきても困る。
わたしは淡々としていたいのだから。
こう書くとやっぱりスイカ君系のタイプでしょうww
たいしたことがなかったと分かると
連れは大喜びで、お寿司をお腹が壊すほど食べた。
わたしは反対にガクッと疲れた。
友達に、なんでそんなに暗いのよと言われた。
精神的疲労がドッと出たのヨ。
震災でね、行方不明のご遺体を探し続けている
夫や妻、遺された家族の姿は
あまりにも痛ましくて、痛ましくて。。。
「死」は
遺された者にこそ
大きくのしかかる試練だと痛感する。
ご冥福をお祈りしましょう。
懸命に生きた結果が後に残るのです。
ウチの親父は定年退職後だったっけ。
死ぬのは、残された人が心配ですよね。
やる事を片付けて、心おきなく死にたいです。
55歳。。若いよ。
状況は全然違うけど私の叔母が57歳で癌で死んだから、本当に早死に。
叔母は海外旅行の計画を母に何度も話してたらしいのでやりたいこと一杯有ったはずなんだ。
叔母は「子供たちはもういいけどお父さん(叔父)が心配」と言ってたらしい。叔父はとっても頼りになりそうなエリートだった。しかし叔母の予想は正しく、叔母の死後、叔父はうつ病になり再就職してた会社を辞めてしまった。今はだいぶ回復したみたいだけど行動のピントがずれてるような気がする。
ウン
死んじゃった方が楽だとか、もう死んでしまいたいとか
軟なハートで、そう思う事があっても、のらりくらりと、ここで生きている。
残されるのも残すのも辛いね。
心も体も傷だらけでも、愛する人のために生きていなきゃと思うよね。
じゃまっけじゃないさ。生きるエネルギーだわ。
そうやって人は生きてきたんだと、今さらながらに感じてる。
ねぇ〜!
わたしもね、もう残されるのは嫌なのよ。
かといってね、病気で残すのもね、なんだかなぁと。
淡々と暮らすと思うのよ、アタシが先に逝ったらさ。
再婚でも考えようもんなら、化けて出る所存だけど。。。
憔悴しきってるスーちゃんのご主人見るとね。。。
あ〜、これはぁ。。。って。
可愛かったよね。
でも、あたしゃランちゃんのヒラメ顔が好きだったよ!
アタシは、いつも残される側って感じ。
あんまり若い時から友やら好きだった人やらの死に遭遇してきてるからかなぁ。
そのせいもあって、旦那にはアタシより先に死なないでね、って言ってるよ。
また取り残されるぐらいなら、アタシはさっさと逝ってしまいたい、と思ったりw
けど、旦那が一人になったらどうなるんだろう、って思うと、それはとてもとても胸が痛む。
このヒドイ矛盾ときたら・・・w
一緒に逝けたらどんなに良いだろう。
アタシが数秒先で、彼がその直ぐ後。
イヤ、心中とかじゃなくて!!www
普通にそうなったら、いーなーと、思うのよw