唐揚げ
- カテゴリ:日記
- 2011/05/15 02:20:58
私の小学校の校区は、
底辺生活者と所謂お金持ちの混在する地区で
一本道を隔てて、それはハッキリと分かれていた。
それと共に、家庭環境も大きく違っていた。
「かあちゃん。。。また家を出た」
小さな妹をおんぶしたトシオにバッタリ会ったのは、
家の近くの雑貨屋さんで
別冊マーガレットを抱えてレジに並ぶ私に、
マヨネーズを買いに来たトシオは、そういった。
「ご飯どうすんの?」
「オレとねーちゃんが作ると。
とーちゃん、どうせ酒のんで遅かし。。。」
「作れるの?」
「作るしかしょうがなかもん」
あ!出しなにママがポテトサラダ、大量に作ってたな。
そのことを思い出し、
「あんた、うち寄らない?多分ポテトサラダあるよ。
今日のおかず、それでいいじゃん!」
恥ずかしがるトシオを半ば無理矢理、家に連れてきて
「ママ、トシヤのおかあさん、また出てったんだって。
ねぇ、そのポテトサラダ、少し分けてあげてよ。」
それを聞いた母は、古いお弁当箱にサラダを詰めながら
「ねぇ、あんた、今から唐揚げ揚げるから、ちょっと待っておきなさいよ」
そう言った。
「うちのママの唐揚げ美味しいよ。」
私がそう言うと、トシオは「いや、よか。」という。
「いいやん、ちょっと待っておいきよ。」
「いらん。」
「なにいってんのよ!」
「いらんっていったらイラン!旨くなかくさ!」
「なんですって!!!ばか!」
「オマエが馬鹿たい!」
台所から、唐揚げを揚げていた母がこちらに来て
「トシオくん、トシオくんのお母さんのが
一番美味しいに決まってるけど、おばちゃんの唐揚げも食べてみて頂戴な。」
トシオは少し黙ってから
コクンと頷いた。
「ああ、よかった。沢山つくるから、遠慮は要らないわよ。
ほら、あんまりたくさん作っちゃうと
キナちゃんがおデブさんになるから、丁度いいのよ。」
トシオは節をつけたように、「きなぶぅ〜」と言って
フフッと笑った。
「あんた、いつまでもおぶってたら、重たいでしょ?
そのソファーに妹下ろしたら?
唐揚げ揚がるまで、私の部屋に来て、三人で遊ぼう。」
トシオのお母さんが家を出るのは、トシオの言葉通り初めてのことじゃない。
お酒を呑むと暴力を振るう父親に殴られて
今までだって何度か母親は、家を出ている。
私の部屋の本棚を見て、「いっぱい本があるとやね」
トシオはそう言って、一冊の本を手にした。
家なき子
「読みたいなら、貸してあげるよ。」
「うん。。借りようかな。どんな話?」
「家がない子の話。あらすじ言ったら、おもしろくないやん!」
かあちゃん、どこにいるんやろか。。。
トシオがそうつぶやいたけど、聞こえないふりをした。
私にだって、わかるはずがないじゃないか。
「おまたせ!唐揚げ揚がったわよ。」
母が呼ぶ声で、キッチンへ行き
トシオはオンブヒモで再び妹をおぶると、
新聞紙にくるんだ唐揚げとお弁当箱のポテトサラダを受け取った。
「ありがとう。。」と照れくさそうに母に言って、
私には「読んだら返すけん!家なき子。」
そうしてトシオは帰っていった。
「うれしいな!唐揚げ!一個頂戴!」
母にそうねだると、
「ごめんね。。。全部あげちゃった。。。」
あまりのことに私はびっくりして
自分の部屋に閉じこもると、二段ベットに泣き伏したっけ。。。
「あたしの唐揚げがぁ〜。。。(涙」
ひとしきり泣いて、ふと考えた。
トシオは、「ウチの唐揚げ美味しいよ」
その言葉が気に食わなかったのかな。
「ウチの母ちゃんのだって美味しいや!」
そう言いたかったのかな。。。不安で寂しいんだな。
悪いことしちゃったな。。。
「唐揚げぐらいのことで、ぎゃあぎゃあ不貞腐れないで頂戴!」
襖の外で怒鳴る母の声が聞こえる。
もうとっくの昔に、唐揚げのことはどうでも良くなってたんだけど
もうすこし、不貞腐れておくことにした。。
小学校3年の頃だった。
近所づきあいも減ってきて、
誰かのためを思ってすると「余計なことを!」と言われてしまい…
経済が成長すればするほど、心の豊かさが減ってしまう気がして、
お受験だとか、なんだとか、なんだか怖いなぁと思います。
…唐揚げとポテサラ、美味しそうですね!
まぁ、なんだ、自分で言っちゃうと、あたしってほら、すごい子だから、
おむつはめてた頃のことも、覚えてるよ。
アタシのおむつがとれたのは、1歳位になる前らしいから、その頃の記憶なんだろう。
んで、もっとすごいことに、「記憶の泉」ってのは、どうも数量が決まってるらしく
そんな事ばかり覚えてると、おとなになってからの記憶が、ものすごく無いのだ。
一瞬前のことすら、思い出さないのだ。
年齢じゃないぞ、若い頃からそうだったのだ。
今怒ってたのに、怒ってる原因を一瞬で忘れて、不毛に怒ってたりするのだ。。。
ボケってんが、元々はいいのにダンダンってのならば、その範疇じゃないね。
全くもうね、記憶の能力の残りがないのだ。。。
寂しかっただろうな。。。たしかに。。。
もしくは、唐揚げにはちょっと気がひけたとかw
まぁわかんないけどさぁ、小学3年生の時のそんな出来事を覚えてるんだね。
男の子なんてすぐ忘れちゃうのにw
あ〜。末っ子なんだ?
兄弟5人。。。へぇ!賑やかそうだ。
あたしね、すぐ下の妹とね、随分年が離れてたのよ。
だからあんまり遊びもしなかった。
一人っ子のような育ち様だわ。
だからね、一緒に遊ぶ兄弟を見て、いいもんだなぁと思ってたよ。
一様に貧しくあったんだろうけど、それでも毎日が楽しそうにみえた。
他人に何かすることを躊躇しなかったのは、そうね50年代までかもしれないね。。。
懐かしく思うよ。。。
あたしもだ。
あたしゃ、今でもだ。
言っていいことと悪いことが、イマイチわかってないのだ。
だもんで、横で聞いてるスイカを、びっくりさせることも多いのだ。。。
その話をスイカにしたわ。
あんたの望むものは、大変なことになる!って(笑
「いえとる!」と、予期せぬお腹の緩みをナデナデしながら、言ってたわ(笑
野菜中心に切り替えつつはあったんだけど、お魚がすきじゃない子だから、困るわぁ。
その誕生会の話、悲しいわぁ。
うちね、誕生会したときにね、母に「〇〇ちゃんは、自分の誕生会の次の日に
誰それのプレゼントが貧乏臭かったから嫌だったって、言って回ってた。それが嫌だ」
そう話したの。
その日の夕食時にね、パパも含めて三人で話し合ったのよ。
ウチの誕生会はどうする?って話。
んでね、うちはプレゼントもってこないでねってことにしようって。
みんなにお誕生日を祝ってもらって、みんなに楽しんで帰ってもらう日にしようって。
くじびきで、持って帰ってもらうお菓子の福袋とかね、準備が楽しかった。
ケーキを乗せるお皿とジュースのカップを可愛い物にして、
それももって帰ってもらった。
みんなが「楽しかったァ」って行って帰ってく姿が、嬉しかった。
みんなもね、プレゼントは買わないでねって言っていたら、
隣の家のお花をもらってきたり、いえがお商売してる子は家の商品くすねてきたり
作った袋を持ってきたり、絵がうまい子はカードを書いてくれたり、
アタシが好きなアイドルの切り抜きを持ってきたり
そんなんだったわ。
「おもてなしをすると、自分が楽しいね。良かったね。」
そんな気持ちを覚えたわ。
その「誰それは変なプレゼント持ってきた」とか言う人が、もうね大嫌いだったの。
なんて品がない、心ないことをいうんだろう!って。
そういうのを聞けば、「おれ、持ってくもんがないもん」って言い出すこも居たのよ。
胸がね、ぎゅん!ってなったよ。
「私が美人に育て!と祈ってくれればいいよ。アタシの誕生日なんだから」
その子にそう言ったら、その子は「美人券」をくれたわ(爆
少し大きくなると、こんどはその気持が「ブルジョワジーの奢りなのか」と自問自答
それをするようになって、なんだかどんどん複雑な心中になってくのね。
タブンネ、アタシがすこしばかりアカ寄りなのは、その過程があったからだわ。
貧富を受け入れつつ、それでも納得できずに、葛藤するのね。
人は平等に生まれるはずなのに。。。なんてね。
話がぶっ飛んだわ(笑
う〜〜〜ん。。。年代もあるのかもよ。
私は昭和40年代の子だからさ、まだ戦後20年なんだよ。
復興してさぁこれから!ってな勢いもありつつ、それでもまだまだ町とはいえ付き合いが密だった。
しかもね、うち商売人だから、人馴れしてるのよ。
思いついたことをすぐ出来る、そういう環境ではあったの。
あ〜、そういってたよね。
子供の中で、その問題が大きかったんだと気がつくのは
ずっとずっと後だものね。
近所つきあいとなると、それはキツイところも多々出てきて、大変だろうと思う。
親単位では、そういう話は出てきてたよ。
「あそこの人たちは話にならん」的なね、そういう事はあったみたい。
さもありなんと、子供は思うばっかりよ。
だって子どもの話でも、「話しにならん奴等」その認識はあったもの。。。
あたしゃ、あなたがいつの間にか居酒屋の店主になってたことが、ショーゲキだよ。
しょーげきしょーげき!
しかしだ、くいもん商売は毎日だから、大変そうだ。
がんばって!
やつはねぇ〜。。。仕方なくキレイにしなきゃいけないとき、その時は圧巻だったよ。
華美ではなかったけど、さすがに垢抜けてた。
紺色の、エンブレムが付いたような金ボタンのね、トラッドの仕立てのいいダブルの上着に、
チャコールグレーの隠しヒダのスカート。
水色のペンシルストライプのカッターシャツにスカーフ。。。
ニューヨーカーだのラルフローレンだののトラッドね、そういう恰好だった。
あの人にチビたちの洋服も任せとけば、間違いなかったわ。
小公女みたいに仕上げてた。
まるで皇室の子かよ!セーラかよ!ってな感じだったよ。
大きな貧富の差がない土地って、それなりに仲がいいだろうね。
環境的にも安定している家庭が多かっただろう。
土地柄もあるかもしれない。。。
穏やかに育つためには、それって必要だね。
私たちって、けっして穏やかには育たなかったもの。。。
先日、ほら、どこそこの息子が死んだって聞いたじゃない?
あれに少々びっくりして、私と同級はその下の弟だったんだけど、
その子は、どこかいい子だった。ワガママで、どうしょうもない男だったけれどそれでもね。
上の兄の方は、ちょっと腐ってたよ。性根がね。
なんかさ、大金持ちだったけど、何が幸せで不幸せか。。。わかんないもんだね。
なんかさ、没落していくその感じを、肌で知ったような。。。
そういう土地に育つとさ、判断が出来てくるんだよね。
個人を蔑むことはなくても、「そういうところで育つ子は」と、なんだろうな、
ある程度の「こういう時には相手はこう動くだろう」みたいな、警戒心だけは育つ。
うまく折衝しながら、それを身につけていくんだろうけど、
選択する人生の狭さ、それが露呈する時期がどうしても来てしまって、
その道を一本隔てたそれが、たかだか一本の道の話ではなかったんだと。
う〜〜〜ん。。。
とにかくね、性根がお人好しの両親に対して、どっかこっか怒りながら
それでも似てくる自分を戒めつつよ(笑
そうね、「あーーーばかばかばか!」ってな感じかな。。。その唐揚げは(笑
共働きの家庭はかぎ掛けしてない家多かったよ。
育った街が東京のベットタウン川崎でね
アパートも連なって建っててね
近所のおっちゃんが遊び帰りの夕暮れ時に私を見かけてさ
こっちおいでと、やきとりの屋台で好きなの食えってね
5人兄弟の末っ子でさ、貧乏丸出しだったから近所さん良くしてくれたよ
昭和50年代半ばまではいい時代だったと思うです
きっとひどいこと言ったりしたんだろうなぁ・・・。ああ、振り返るなんてコワイ (+o+)
計算かな。
あんまりプライドと呼べるほど確固たる何かがなぁ
ないんだよね。。
基本的に何も持ってないのよ。
だから、イザって時に強いこともあるけど。
自分で言うのも何だけど、ちっこい時は頭の良い子だったの。
そこから成長しなかったのが哀しいところだw
おまけに子どもの時に大人だったから
大人になってから子どもを取り返そうとするww
手本になる大人がおらんかった^^;;
真似したらエライことになるでぇ~かなり幼いうちに気付き
父や母のようにならない為に注意せねばと
自分を縛ったんだと思う。
見せつけるとかそんなじゃないんだなぁ。
優しさや好意に対して
素直になれない。
何かを貰ったりしたら、返したいし、対等でいたいけど
それが絶対にできないじゃない。
それが哀しかったのね。
向こうはそんなことを気にしない良い子であればあるほど
自分が卑屈になる気がしたんだよね。。
相手にではなく、自分の問題なんだなぁ。
同性だと、好意を持っていた相手でも
何となく離れて行ったなぁ。
お誕生日会に持っていくプレゼントが買えないのよ。
そういうのが辛いのね。
父の機嫌が悪いと遊びにも行けないし。
異性だとちょっと違うかもよww
そういう甘えも許されるような関係になれるかもしれないw
本当に気にしてないことが自然だと
何となく分かるもんよ。
イヤミな子かどうかっていうのはww
トシオくん、キナちゃんが初恋だったかもwww
それとね~
スイカくんが喜ぶ料理ばっかり
食べさせていると、体重増加は間違いなしよww
わたしもホイホイと作っていて
あちゃ~と思ったんだからwww
子どもが喜ぶ料理はだいたい子供向けの
栄養満点なんだからさ。
美味しいけど。。
自分そんな行動できるかどうか…
前にもほのめかしましたが、poの実家はダークな地区、
近所付き合いもほとんどありません。
子供は普通に遊んでいましたが、親は...。
唐揚げは、きっとおいしかったでありましょう。
とりあえず、きなこさんが別冊マーガレットを買ってた事に衝撃を受けました。
今のブランドって全然知らないから出てこないけど
昔で言う所のラ・ブレア辺りのシルク混の高級薄手サマーニットを
惜しげも無く唐揚げ中に着ていそうな気がしたのだ。
しかし良いママだね。
遠足に大きなお弁当だなんて…
ここは昔から平和だった気がする。
大きな貧富の差も感じた事がなかったし
差別とかも聞いた事が無い。
同じ日本でもえらい違いだね。
子どもたちに同じ体験をさせてしまったわ。
本当に道ひとつ。
多少の混在はあるけれど、ほぼ別の世界に分かれている。
我が子に当たり屋をさせる親。
組の幹部の父親の出所に怯える子。
父親の出所後、妹だけを連れて逃げる母親。
呼べば、レゴの大事なピースを持ち帰ってしまう子。
いろんな体験をして、大人の意見とは別次元の理解をし
傷んだり思いやったりしながら、いろいろ考えてくれたと思う。
後々、なにかの拍子に子どもたちに聞いてみるとね
母さんが、誰にでも、どこまでも公平であることが
一番理不尽だと思ってた。だとさw
ベッドに泣き伏した理由は、唐揚げだけじゃないねw
あんまり考えてないのよ、私は。
「あ!たくさんあったよ、イイよおいでよ、わけたげるよ!」
そのぐらいのもんだし、うちの母も、その程度のもんだろ。
大体うちの母も私も、「何人家族よ!」ってぐらい作っちゃうの。
肉じゃがとかさ、それからよくおすそ分けしたよ、トシオんちに。
たくさんつくるからね。
鍋に入れてね、歩くのがキライなアタシが、歩いてもってくんだわ。
その唐揚げから、トシオの気持ちも緩んだんだろうね。
喜んでたよ。
珍しい物が入ってると、次の日に「あれなに、あれなに?」と訊かれるのが
うとぉしかったけど。。。。
そうなんだろうね。
アタシも、うちのご飯が一番美味しいと思ってた。
スイカに訊くと、スイカは「あんたのが一番美味しい」という。
「子どもが食べたがるようなものを、何一つうちの親は作ってくれなかった」と。
そりゃ仕方ないね、農家だもの(笑
ただ、自分が信頼を寄せた人の料理を、男の子は食べるものだと、
父から聞いていたから、そうやって寄り添っていくものなんだなと。
ああ、ウチのかーちゃんやろ?
あやつはほんっとバカなのよ。
少し残したって、よさそうなもんだ。。。
そのあとやっぱりそのおかあさんは帰ってきて
参観日の時にね、「今日は母ちゃんくるんだ。」とトシオが言ったのを覚えてるわ。
嬉しそうだったわ。
こどもってね、面白いもんで、わりーと人ンチの複雑な環境ってのを知ってんだ。
その受け止め方に、その親の移入があるもんだから、嫌な伝え方をしてる家の子は
やっぱり嫌な言い方をする。子供は親のミニチュアだわ。
だからといって、それでもそこはほら子供だから、一緒に遊ぶんだけどね。
「それぞれ事情がある」ぐらいの言い方を親からされてるもんだから、
私はビンボーが悪いこととも、環境がいまいちであろうとも、「その事情の一つ」
そのぐらいに受け止めてた。
だもんだから
「あんたんチ、水飲むのも困る位のビンボー?それともおかずがない位のビンボー?」
なんて訊いて、びっくりされてた。
だいたい失礼なのよ、むかしっから。
そのあとあんまり不貞腐れてたもんだから、母親に切れられて
「買いに行ってくれば作ったげるわよ!唐揚げ!」なんて言われた。
いくわけないじゃ、歩くの小さい頃からキライなのに!
そうそう、トシオのお母さんね、その後あまり話したこともなかったらしいけど
うちに突然きてね、うちの母親になにか相談事したみたい。
アタシは庭で遊んでいて、
「ちょっとそこの喫茶店にトシオくんのおかあさんと行ってくるわ。
パンケーキ食べてくる!」と母は出て行った。
なにをーーーっ!私を置いてかよ!と、少々怒った。
子供に聞かせたくなかったんだろう。
相談する相手もおらず、きっとトシオのお母さんも大変だったんだ。
次の日に、トシオが「昨日、カーチャンたち、すっごいもん食べたらしい」と言いに来て
「パンケーキだろ」と。
「パンケーキってなんだ?」とトシオはまた訊くので、
ほんっとコイツ何食って生きてんだと(笑
僕なんか、どんな気持ちであげたらいいのか、きっと分からないや。
鍵、掛けてたかなぁ。。。
そりゃ、寝る前はさすがに戸締りしてたけど
昼間、鍵閉めてただろうか。。。
お商売してる家とかは、ひとつお茶碗が多くても気にしないみたいな家も多くって
中学になって、両親ともに家出して、子供しかいない家なんかが出てきたのね。
ほら、サラ金問題とか出始めた頃じゃない?
そん時に、友達ンチの酒屋さんは、しょっちゅうそういう子たちに御飯食べさせてたわ。
「あんたも食べてきんしゃいよ」みたいな感じでね。
知ってんのよ、親がいなくなって困ってるってこと。
そうやってみんながね、垣根なく、子どもを守っていたように思うよ。
アタシも、遠足の時は大きめのお弁当を持たされて、
菓子パンとかの子とかと、一緒に食べてたわ。
そのツモリで、特大のお弁当をもたしてたんだろう、親。
悪い時代じゃなかったね。
高校受験の時期にまたお母さんが出ていって
(この話の時は、また戻ってきたの、なんども繰り返した)
お姉さんが高校やめて働くから、あんたは高校行きなさいってな話にまでなった。
そんな子が何人かいたもんだから、そのたびに父親に、「お金出してあげてよぉ〜」と言って
「そんなに簡単なこっちゃねぇんだぞ。気持ちは分かるけど。」と叱られてた。
仕方がないから、奨学金だのなんだの調べたけど、その頃はやっぱ成績が良くないと
その奨学金も出すところがなくて、揃いもそろってそいつらは成績も悪く
いくら教えても、イマイチ出来ない。
「もーーーー!千鳥饅頭に行け!そんなに勉強できないなら!」
などと、千鳥饅頭が聞いたら怒るようなことを言っては、おしりを叩いてたっけなぁ。
千鳥饅頭とひよこは、中卒でもちゃんと雇ったんだ。どんどんそういう会社も少なくなっていた。
トシオは、びみょ〜な時期に母親が帰ってきて、
なんとかお姉ちゃんは高校をやめずにすみ、トシオは公立ならナントカ行けそうだ
って環境になった。工業高校に行ったよ。
あのおんぶってのは、そうだよね。
暖かくって、安心と「どう!背が高くなったよ!」って(笑
かたぐるまだと、空に届く気がしたなぁ。
あたしね、すぐ下の妹を、おぶったことがないの。
背が伸びなくなるからダメ!って言われて。
オブってもオブラナクッテも、背なんか伸びなかったんだから、おぶっとけばよかった。
小3でそれに気づいたKINACOさんは、大人でしょう。
ちっちゃいうちは、気づかない方が多いですもんね。
うう、全部あげちゃう気持ちは分かりますが、子供にはキツイ事ですねw
あのはにかんだような、困ったような、
そんな複雑な顔ってのをトシオがするのを、初めて見た気がしたわ、その時。
次の日にね、「あの四角いのなんやったと?」と聞いてくるので「チーズだろ」
「あのビロンと長いのは?」「マカロニだろ。あんた、たべたことなかったの?」
「ない、初めて食った」「あんた、何食べてんのさ、家で!」「煮物」
それで大笑いしたのよ(笑
チーズがね、輸入品のチーズだったから、学校の給食で食べるチーズと違って
ぜんぜんわかんなかったらしい(笑
バレンタインデーに、トシオにもあげたのよ。
モロゾフのだったんだけど、トシオが「あんな美味しかと食ったことがない、余っとらん?」
と言いに来たのが、おっかしくっておっかしくって。
「相変わらず何食ってんだ」と。「フルタのチョコばい、チョコといえば」
今考えると、なんだろうね、悲惨な家庭環境の中にも、明るかったね、みんな。
ざ〜んねん!
ジャージだ、ジャージ(爆
緑のジャージなのだ、うちの樋口可南子は。
パパが「おれってそこまで稼いでないわけないんだけどなぁ」と(笑
「なんでいっつもジャージよ!」とwww
その後よ、「そんなに食べたいなら、お肉買ってきなさいよ!」と言われたわ。
歩くのだいっきらいなのに、あたし。
身内にひどすぎやろ、あいつ。
小学校の家庭科で、ご飯を炊くというのがあって
女の子たちが握ったおにぎりを、男子は食べなかった。
私はハナッから家庭科がキライだったので、握りもしなかったんだけど、
女の子たちは男子に食べさせようとしたのね。
頑として、みんな食べない。
一人が「きちゃない」と言い出してさ(笑
家に帰ってその話を両親にすると、「そりゃ仕方ないわ」と父が言ったの。
「女の子に比べて、男のほうが貞操観念っていうか(子供に平気で難しい言葉を使うのだ)
母親とか、自分が好きな女の人が作ったものしか食べたくないもんなんだ。
小さい頃に、それが平気で出来る男は、浮気する男に育つ。」
それって、ものすごく子どもに話す話じゃないけど
的は得ていたと、今でも思うわ。
いまでもね、胸が痛むんよ。
「見せつける行為」だったのではないかとね。
あたしが少々浅はかだったのではないかと。。。
施した風に取られたのだろうかと。
トシオは、長屋のようなところに住んでいて
共同の井戸があったりした家だったの。
強制的に作られた時期があったんだろうね、お手洗いだけはきれいで、水洗だったけど
これも共同だった。
和式だったから、私はその隔てた一本の道をわたって、自分の家に帰ってトイレをした。
そんなことがあったわ。
「あんたの家、これでおしまい?」ってぐらい狭い家で、どうやって寝てるんだろう。
そうおもった。口には出さなかったけど。
2部屋しかないのに、家族6人だもの。。。よれよれのおばあちゃんまでいたんだ。
それでも子供には、そんなことあまり関係なく
トシオは同じ班(小学校って班分けがあったじゃない)だったし、その後よく行き来はしたよ。
ものすごい臭い成犬を拾ってきたときに、捨ててこいと親から言われて
どこに連れていこうかと、トシオんちに持っていった。
「俺んちだったら、その臭い犬でも大丈夫と思っ取ろうが!オマエんちがダメでも!」と(爆
「うん、ちょっと大丈夫かなぁとおもって。」
その私の言い方が可笑しかったらしく、二人で大笑いしたよ。ヒドイけど(笑
似てるよ。
父にもだけど、そうね、母にはそのおひとよしさんのところに、いたいらいらいらして、
絶対にあんなにはならないぞ!と心に誓っていたのにね。似てくる。
それをチビたちが見て、ああいやだいやだ、お人好しはいやだ。
といいつつ、だんだん奴等も似てきてる。
「あんたんち、ビンボーだからなぁ」「オマエがそこまで言うほどじゃないばい!」
そんな会話を、良くしたなぁ。トシオの限らず。
私はそう言っても、なぜかしら受け入れられていた。
今考えれば、私は上からではなかったのかもしれない。
ただね、心がそこまで毅然としていない子が多かったから
手毬さんのように、凛とはしていなかった。
その姿には、うちの母の姿を重ねるよ。
母の家は没落士族と没落華族で、貧しくって、でも毅然としていた。
そしてね、ほんとにプライド、これが彼女を支えたの。
いい話だなぁ~
黒猫手毬さんも書いていらっしゃるけど、小さな子供なりにプライドもあるし、お母さんが悪いわけじゃないとしても、自分たちを置いて出て行ってしまうお母さんにいろんな複雑な思いもあるだろうけど、でもやっぱりお母さんが大好きで……
子どもって、小さいからだと心の中に大人よりもたくさん大変な物を抱えてるんだよね、本当は。
ほら、だって大人は自分でなんとでもできるけど、子どもはそんな親でも親が居る限りどうとも出来ないこともあるじゃない。
から揚げだってさ、子どもは「自分の分が無くなっちゃった~」って悲しむだけだけど、大人だった自分でもう一度鶏肉買って、作り直して、ってできるのに。
子どもって、ほんと大変だ。
古きよき時代を振り返れた気分
暖かい心になれました^^
温かくて、安心で、ちょこっと背が高くなったようで幸せだったな。
トシオクン その後どう生きられたかな。
私は、私をおぶってくれた人の背中の温かさが、長い間 心の糧で
「愛されてる」という心の栄養になっていたように思うよ。
道徳の教科書に載ってそうなお話ですね
子供ながらに なかなか本音を言い出せずに
でもその想いや感情が よく伝わってくる
KINACOさん ホントは作家なの?
羨ましかったんだろな。
のほほんと生きてきた私には想像でしかないけど。
しかし唐揚げ全部は悲し過ぎる。
今の私でも不貞腐れるのだw
うちのが一番とまではいいませんが、友達に言われると
そう言いたくなるような気持ちも分かるような気がします。
唐揚げばっかり食べると脂肪が付きますよ^^;
子どもだからね、美味しい物はやっぱり欲しいもの。
何だか、道徳の本に出てきそうな話じゃないw
たぶんこんなすれ違いが
重なっていったんだろうね。
ポテトサラダをあげに連れてきたキナちゃんと
自分の家のおかずの空揚げ全部を
あげてしまうお母さんと
やっぱり似ているんだと思うよ。
わたしね、トシオくんの気持ちがなんとなくわかる。
とってもありがたくて嬉しかったと思うよ。
でも、ちょっと羨ましかったんだな。
キナちゃんところがものすごく幸せそうに見えて。
綺麗なおかあさんだもん。
ますますだろうなぁ。
優しくされればされるほど
切なくて、寂しさが増すしね。
自分がどんどんみじめに思えてくる。
それに甘えすぎると、泣きだして止まらなくなって
弱気になっちゃう。
それにプライドもあるんだろうなぁ。
おかあさんの味に思い入れもあるけれど
憐れみをかけられすぎるのも
辛いもんなんだ。
おかあさんは、きっと優しさの方が勝ったんだろうね。
トシオくんみたいな子はその違いに敏感なはず。
トシオくん、きっと今でも唐揚げとポテトサラダの味を
忘れていないだろうなぁ。
わたしはね、
独りでいる事が多かったわ。
図書館によく行ってた。
なんていうのかな、違いが分かり過ぎるのが
辛かったんだろうね。
嫉妬心や卑屈になる心を
守りたかった自己防衛かもしれないなぁ。。
そうだね。やっぱり羨ましかったのよ。トシオくん。