くじ将軍
- カテゴリ:勉強
- 2011/06/08 21:06:28
次の総理は誰なんだろとか、相変わらずマスコミも政治家も無責任に騒いでいます。
ビックリですが、世論調査では過半の人が「菅代われ」と思いつつ「誰がなっても現状変わらず」と思っているそうです。そんな気持ちの国民なので、あんな政治家しか持てないんじゃないの。
というわけで、タイトルですが、今を遡ること約500年前の室町幕府の6代将軍・義教(よしのり)のことです。
一休さんの将軍サマにして金閣を建てさせた3代将軍・義満の息子なのですが、将軍の位は彼のお兄さんが継いで、彼は出家してました。しかし、その兄またその息子が死んでしまい、後継者を誰にするのかで幕府関係者は大弱りです。
「くじはどうよ?」「それはヤバクね」「マジ?」「マジで」「やっちゃう?」「やっちゃえ!!」てな感じでクジ(といっても由緒正しい神社のくじだけど)で義教が選ばれました。
クジ将軍と軽んじられた彼は、次第に権力を集め、恐ろしい本性を見せたのです。
それは・・・マジキレ・・・ちょっとしたことでキレては、死刑、火あぶり、坊主刈り、追放などなど、周囲の人は気が気ではありません。
ある人の日記の一言が義教の代名詞にになりました「万人恐怖」
そんな彼の最期は?・・・まぁ、今の総理大臣もある意味「万人恐怖」の政治ですが。
その小説は冒頭だけですが立ち読みさせていただきました。
足利幕府の混乱は初代尊氏のよく言えば「やさしさ」悪く言えば「優柔不断」がもたらしたものと考えていますが、その後始末が彼の時代に回ってきたのだろうと。
彼の改革が完結していれば幕府は安定していたはずですが、実際は横死することにより混沌とした世相と相成ります。
もちろん、おっしゃるとおり「後から考えれば」の話ですが。
菅首相は未だになんだかんだと任期を引き延ばそうと画策しているようです。
それが震災対応や景気浮揚につながるようなものであればまだ救いがあるのですが。
党の集まりであれ、自ら「退陣」に触れたことの重さを彼は理解していないのでしょう。
義教の話に戻りますが、当時日記を残すのは学問のあり紙も不自由なく入手できる知識層ですから、その内容は「彼らの所属する組織(貴族階級など)から見た世相」ということになります。
例えば、無事世子を出産した義教の妻の実家(日野家)に対して祝いに行く行為は貴族からすれば「礼儀」の世界ですが、義教から見れば「自分が謹慎させた日野家当主に挨拶をしにいくことは自分に対して叛意がある」ということになる。
当時の知識人の常識から考えれば前者の方が通常であり義教の考え方は理解不能ですが、権威を分散させない、あるいは縁故を特別扱いしないという意味では彼の考えも今日的には理解できます。
正妻腹ながら異母兄の影に隠れて一度は出家した経歴がそういった「権威の前での平等感」に影響を与えているのかもしれませんね。
(この辺りは「ふたりの天魔王」ベースです。)
最期の三段オチの冨子はちょっとご勘弁願いたいですね~
自分の世界に浸っているハトポッポが屋敷に帰ってきたら、女装した御仁がぬっと出てきた光景を連想してしまいました・・・
まあ、冨子も守銭奴などといわれつつ、応仁の乱後の幕府の体裁をその資金でやりくりしていた部分もあったのだから共通項はあるのでしょうけど・・・ねぇ。
義教のやったことって、その後の将軍家で多少なりとも野心と権力のあった者達の政策の原点ですよね。
むろん、義教自身は、父・義満の政治が念頭にあったとは思いますが。
私が、そんな義教をピックアップしたのは、そうした史実としての「強い政治家」という点ではなく、
周囲から制御不能と思われ謀殺された彼に、不信任決議すらショボいウソで無効化して権力の座に居座る菅首相もまた周囲からも国民からも制御不能と思われている点です。さすがに、謀殺することもできないし。
天魔王ということでは、信長とか、もっと時代に近いとこでは細川政元も、確かなビジョンと権力を以て己が理想に進んでいたのでしょうが、それを認められない者や分からない者には魔王と映ったわけで、両名とも家臣に謀殺されている。(政元「天魔王」説は、最近読んだ「天魔ゆく空」ベースw)
私達は未来からの目線で過去の人間を評価できますが、同時代人にとっては、やっぱタダの切れやすい怖い人じゃないですかね。
過去の人に現代の人をなぞらえるのは難しいけれど、ふざけるとこんなのもあり?
菅 =義尚(低い実力に不相応な野心、側近にも見はなされ無謀に走り頓死、両親への愛憎)
鳩山=義政(実務軽視の夢想主義者、政権を譲っての院政命。パートナーに服従)
小沢=富子(悪評プンプンだが、その剛腕を認める向きも。史実の富子は息子溺愛だが、小沢は菅が元々大嫌いw)
たまに無責任・適当な歴史ネタ書くかもしれないので、よければコメントください!
足利義教がくじによって選ばれたのは確かですが、実際問題としてあの時期には彼以外将軍にふさわしい格のある人物は存在しない。
彼は僧侶としても天台座主・大僧正という一流の地位まで上り詰めた人でしたからね。
くじはあくまでも「臣下に選出されたのではなく神意である」という儀式の一環と捉えたほうがよさそうです。
彼がやったことは、守護達から与力を出させて直属軍を作り将軍の発言権を強めること。
神輿で強訴を繰り返していた寺社を沈黙させるための延暦寺征伐。
(僧侶として最高位にいた彼は僧兵を全く恐れなかったし、還俗後も儀式は執り行ったりしている。)
二重権力解消のための鎌倉公方征伐。
南朝組織が残っていた九州の制圧。
主だった守護たちへの発言権を強め後継者争いに関与。
この最後の方針が命取りになりましたが、「万人恐怖」と呼ばれたこの時代が足利時代の最大版図であります。
ただの気まぐれやにはそんな軍事行動は取れない。
彼のはひとつの行動だけを見ると唐突で考えなしに見えますが、実は緻密な計算がある。
菅首相とは比較にならない「政治家」です。
(貴族層の日記は自己の権益を侵害する人には辛辣になるものです。)
ちなみに、彼の異称は「天魔王」。
後に天魔王と呼ばれた歴史上の有名人の行動をよく見ると彼の影響を受けていることは明らかです。
菅首相を足利将軍家で例えるなら「芸術の感性がない足利義政」かも。
「決断できない、責任を取らない」を極めて応仁の乱を引き起こし、100年の騒乱の時代を作り出した元凶です。
最近きいた言葉です。
地震は、天災だった
原発事故は、人災だった。
こんな災難もう来るなと思ったら
もっと凄い災難あるよ 菅災ってやつ
このまま日本はどうなってしまうんですかねえ
大連立して「平沼」さん
どうよ♪^^