Nicotto Town


濃すぎる毒入り日記


昭和に交ざれない僕の昭和感

僕は、昭和52年生まれなのですが、昭和世代・平成世代って分類の中で、どっちからもハブられている気がいつもしています。

昭和というと、野球は巨人で、五輪は東京で、万博は大阪で、スターは石原裕次郎や美空ひばりで、高度経済成長と三丁目の夕日で、素晴らしいって人達が支配しています。で、昭和が小学校で終わった僕には、そんな誇らしい昭和の思い出がありません。阪神優勝やたのきんやつくば万博なんて歴史には乗せてもらってませんから。

一方で20歳過ぎまで携帯がなく、うまれついてのPC世代でもないし、たまたま就職活動では地獄のような戦いを余儀なくされたけど、ずっと不況という醒めた気持ちもないので、平成生まれや昭和60年代組にもくみせないメンタリティがあります。

そもそも、天皇陛下の在位という、ぶっちゃけ一人の寿命で区分されるにすぎない年号で、世代や時代を区切るのはオカシイんじゃないかなぁ?というのが今日のテーマです。
まぁ、西暦使ってる欧米でも、共産国家の崩壊を90年代、テロとネットを00年代とか、10年単位の時代にあてはめる向きもあるようですけどね。

さいきん何冊か読んだ本で、戦前昭和は決して暗黒の軍国主義一色でないというテーマが並びました。まぁ、僕がそういう本を選んだだけですが、確かにこの手の本が相次いで出版されてもいます。そりゃ当り前だって思います。
だって、昭和元年=大正15年で、大正といえば大正デモクラシーや資本主義経済の進展や欧米化された文化の萌芽なんだから、昭和15年という1940年で、中国との戦争がこう着し、一年後には米国との戦争が始まっても、ある面では大正30年として、豊かさや明るさはやはりあったというのは、当たり前と思うのです。もちろん、一方では、農村社会が疲弊し身売りや移民なんてことがあり、都市部では今でいうネットカフェ難民や下層労働者もいて、派遣切りがカワイク思えるような蟹工船なんてのもありました。一握りの豊かさと救いようのない貧民群の混在というのは、現代社会とよく似ているという意見も、まぁありかなとも思います。

よく軍人達が日本をおかしくして、庶民を不幸な戦争に巻き込んだってなことを言う人がいます。実は、軍人と軍備は財政のお荷物として冷遇されていたのが大正なのでした。
ところが、これまた現在とそっくりなのですが、政党政治(二大政党!)がスキャンダルと脚の引っ張り合いとなり、普通選挙で増大した有権者が愛想を尽かしてしまったのです。軍人さんカッコイイ!リーダーシップで悪いシナ(いまの中国)を懲らしめろ!ってな声援で盛り上がったのは、軍人さん自身ではなく、庶民そのものでした。

利権をむさぼる政党と財閥(大企業)は許さないぞ!軍人さんの強いリーダーシップで内政を立て直し、悪いシナを打倒し、欧米と肩を並べる一流国となろう!不満をいう連中はアカ(共産主義者)だから逮捕・弾圧して当然!非国民を許すな!!
↑が、昭和のはじめから戦争が終わるまでの庶民の声です。イタリアやナチスドイツにもいた、独裁政権を打倒し、戦争を終わらせるという命がけのレジスタンスに身を投じた人がほとんどゼロだった庶民達は、私達の祖父母以上の世代です。
その人達の声は↑のとおり、よくネットで見かける庶民の怒りによく似ていませんか?DNAのなせるわざなのですかね。

時代状況はもっと複雑ですから、庶民の声にも道理はあるし、そう思わず言ってしまう背景もあったことでしょう。それにしても、悪いのは軍人、虐殺や蛮行も軍人というのは、あまりにアホな物いいでしょう。一方で、軍人や全体主義を容認・擁護する気も僕はありません。権力を志向した時点で軍人や軍隊は狂気の凶器です。これは昭和も平成も一緒なのだと思っています。キチガイに刃物を褒め称えた庶民こそが、自らの手で大正時代を終わらせたのだよなぁというのが、僕の思うところです。

わかりやすく現在に敷衍するなら、民主党が悪い、菅がバカだ、東電しね、中国・韓国に堂々と対峙しろ、国防強化だ、弱者は切り捨てろ。こうしたネットの偏った言論というのは、まさにどこかで弱者となっている者達の怨嗟の声なので、相手にすることなく、しかしそうした弱者を救済して行かないといけないですねということです。

僕は、なんで日本には極右政党がないの不思議でなりません。目をパチクリして汚れた言葉の好きなジジイ(どっかの知事らしい)でも党首にして、下層の人を糾合すれば、結構な勢力になると思うのですよね。現に、欧州諸国の多くでは、極右政党は無視できない勢力となっています。
この点からは、不思議なほどに日本人は理性があると思います。一方では、ジャスミン革命を遠い世界のこととしか思わず、ちゃらけたデモしか出来ない人達の政治意識の低さには物足りなさも感じます。

ヤマなし オチなし イミなし で 書いてみました(いつもながらですが)

#日記広場:勉強

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2011/07/23 08:46
「蟹工船」は、単なるプロレタリア小説とは違って、小説として面白いというのが、現代に復活できた一番の要因だと思います。

底辺労働者の辛さや社会問題を鋭く描くってのもあるとは思うけれど、どこかマンガ的というか、面白く読めちゃうんですよね。

さすがの僕も、これには乗りたくないけどw
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2011/07/22 12:50
蟹工船、また今になって(って少し前の話か。。。)ブームですものね~。

ちなみに私も昭和52年生まれです。。。^^
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2011/07/15 08:54
南京で起きたとされることへの事実関係についての、たぬ休さんの認識にはまぁそうかなぁと否定する材料もないので、受容します。
僕は、何十万人説とゼロ説はどっちもありえない、したがって、なにがしかの規模の死人が発生した。それは自分では数えられないから、プロがいう、数千から数万のどっかなんだろうという程度の認識で、殺害の方法や対象や経緯・事情は、一通りでなく、様々あると思います。
便衣隊を戦闘行為として射殺したものもあれば、民間人の誤射、八当たりでのなぶり殺し、強姦後に殺害、どれもゼロではないだろうし、全てでもない。少なくともWWⅡでの市街戦では東西問わず起きてますよ。規模は別にして。
ただ、占領後の人口増は、虐殺否定の材料にはならんと思いますよ。中国の歴史、特に民国成立以降の動乱の歴史を考えれば、日々の糧を求めて人々が都市に流入するのは当たり前だし、まして占領地の首都みたいな(それ以前も臨時首都だけど)もんだから、事件から1か月もすればワラワラとやってきますよ。たとえ、何かあったよと知っていても、一時的なトウセイの乱れであって、日本兵はムカツクけど、国民党の兵士よりよほどマトモですからね。

あと、空襲。重慶はゲルニカと並べられちゃってプロパガンダ的に使われた感があります。しょうじき、空爆というのは、当時においては最も効率的・効果的な破壊の最新技術ですからね、どっちもやってる。連合国は、ドレスデンや東京で、重慶やゲルニカの比じゃない無差別殺人をしていますから。
原爆はさておき、WWⅡでの都市無差別空爆ってのは、戦争の怖さの極みにも思います。そんな無差別殺人の主犯に、勲章あげた国には、東京大空襲についての模擬戦争裁判を起こすなんて発想ないだろうけど。
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2011/07/14 02:08
前の文章だけだと誤解を招きそうなのでつけたしを。

例え何万の軍隊であろうと統率が乱れてはいけないというのはどこの軍隊でも同じことです。

当時の日本軍は大都市は着実に占領していたけど面として中国国土を押さえきれずにいた。
だから国民政府は重慶に移動できたわけだし。

日本はこのあと重慶を攻めあぐみ空襲を実行するわけだけど、私からしたらこの空襲の方が南京の事件よりもたちが悪いと思っています。
軍の行動として実行されている上に一般人をも巻き込んでしまっている。
これがアメリカ軍の日本空襲を正当化する理由の一つともなってしまっているし。

しかし、逆に言うと日本は作戦行動の途中であったということであり、南京でお役御免なんてことはなかったのですよね~
だから軍の統制化にきっちり置かれていた。
激戦で突入したというわけでもなかったし。

南京大虐殺を実行したと語る人が終戦後中国で思想教育を受けた人であるというのも不審の理由だったりします。
ラストエンペラーをただの民間人に変えるような思想教育ですからね~
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2011/07/14 01:58
南京大虐殺は話し出すと長くなりますからね~

細かいところはさておくとして。

「中国人を大量虐殺しているところに中国人がわんさか押しかけて日本が占拠する前より居住人口が増えました」なんてことありえますか~

例えていうなら。
大阪に中国の軍隊が来て大量虐殺している最中に兵庫や京都辺りの人が「大阪に行こう」って乗り込んでくるような・・・ありえないでしょう。
普通なら逃げます。

戦前と今では常識が変わっていますが、戦前中国の租界は中国人に人気がありました。
清が滅んで統一国家が形成されていなかった当時、租界は他の場所より治安が安定し商売のチャンスもあったからです。
満州国に中国人が大量流入したのも同様の理由。
南京を占拠したのが日本軍だとわかっていて中国人が大量流入したのも同様の理由だと思われます。

蒋介石はそのようなことを理解できていたから日本軍との対抗より国土の統一を優先させようとしていた。
クーデターがなければ、そのまま彼が国土を統一していた可能性が高い。
台湾の政治を振り返ればそれが中国人のためになったかはわかりませんけど。

中国人が当時から宣伝していたのは承知していますが、写真も偽物と言われているものばかりで証拠に欠ける。
大量の人骨にしたところで中国には「文化大革命」という数千万人の大虐殺がありましたから、細かく調べないとどっちのかわかんないだろうし。

便衣兵はテロリストという呼び方の方があるいは実態に近いかもしれませんね。
日本兵を歓迎する振りをして近付き銃を乱射した事件や邦人の僧侶をいきなり殺した事件など、当時の新聞には掲載されていたようなので、便衣兵が危険という認識は当時の日本人にはあったはずです。
そして彼らの面倒なのは服装が一般人と変わらないこと。
正規の軍隊だって負けると便衣兵に早変わりする。
それを捕まえて処刑すると「虐殺」が成立したりします。
(ちなみに国際法で捕虜として保護されるのは正規軍のみ。テロリストは対象外です。)

でも、何万という軍隊の中で全ての人が規律正しく品行方正だったとも思えないので、非道もあることはあったんじゃないかなぁとは思っています。
人口20万人の当時の南京で40万人虐殺は絶対ありえないと思いますが。
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2011/07/12 12:43
たぬ休さん、コメントありがとうございます。

ほぼ同意です。外交については、外務省という組織が確立していくことで、後にどっかのオバハン大臣が「付魔殿」と罵る原型が出来ていき、政治家そっちのけで官僚主導になっていった気がします。
さいきんは少ないですが、戦前の外務大臣って外務官僚が殆どだったのでは?このラストが吉田茂さんか。
軍人さんと異なり終戦を望んだとして善人扱いの多い東郷外相も、結構外務省ズブズブの意見や判断しているときがあるので、真の外交官というのはホント難しいことなのでしょうね。(そもそも、そうした国際外交を何百年も展開した欧米諸国に、ひょっこりと小さいのが加わっても、正直ウザがられてたんでしょうね。盟友ナチスからも中国利権で邪険にされ、真の民主主義・資本主義の敵ソ連が日本攻めるのも米英は黙認ですから)

それと、南京では相応の規模の虐殺があったというのが私の認識です。人数はどうでもいいというか、軍としての統制を欠き(未必の故意)民間人を含む大量といっていい単位の人を、法にのっとらずにバンバン殺した。この時点で、世間の非難が起きることが分かんなくなっていた日本軍あるいは日本政府は、何であれ裁かれても仕方ないでしょう。
一方で、ナチスドイツに対するニュールンベルグ裁判の劣化コピーでしかない東京裁判では、ナチス同様の計画的戦争にあてはめるために、15年戦争なる無茶苦茶なワンピースが出てきましたし、ユダヤ人虐殺相当のものとして何にもないのにアッタアッタと南京事件を見つけたわけですから(チャイナ側は事件当時から騒いでいたけど、米英等はスルーしていた)。
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2011/07/12 06:08
南京大虐殺は(少なくとも中国が喧伝している規模では)なかったというのが私の考えなんですけどね。
一部の部隊が虐殺を行った可能性や便衣兵の処刑を誤解された可能性までは否定しませんが。
(当時は便衣兵による邦人虐殺事件が続いて敏感になっていたはずです。)
中国人だって馬鹿じゃないんだから、組織的虐殺が行われている都市にのこのこ殺されに出かけたりはしないでしょう。
東京裁判を成立させるためには「日本軍はナチスのような組織だった」と強弁せざるを得なかったのでしょう。
つまり欧米は怪しい証拠であっても南京大虐殺を支持するしかないということです。

アメリカは(今もそうですが)中国進出を悲願としていましたから、日露戦争後、共同での鉄道経営の約束を反古にした段階で敵対化は決定していたのかもしれませんね。
日英同盟の破棄はアメリカの策謀もありますが、第一次大戦での日本の振る舞いが招いた外交的失策だと思います。
日本は第一次大戦時イギリスから欧州戦線への助力を依頼されましたが、日本はアジア戦線に終始し、少数であれ欧州戦線参戦したアメリカ軍とは対照的でした。
日露戦争の時にロシア海軍のスエズ運河通過を認めなかったイギリスの助力を考えれば、「日本頼むに足らず」と思わせるに十分だったといます。
日本が「なぜ日英同盟を締結できたか」常に念頭においていればもう少し上手に立ち回れたと思うのですが。

日本はおっしゃるように「よくいえば素直、悪くいえば単純」で外交下手だと思います。
国民に「あれはどうやったのだろう」とうならせるような外交を展開できる人が少ないのがなんとも。
アメリカは国益次第では平気で日本を見捨てることができるし、中韓もある意味狼のようなもの。
それを承知で駆け引きできるような人が外務大臣であってほしいと思うのは高望みしすぎですかね~

私の昭和天皇のイメージは「永遠のおじいちゃん」ですかね。
祖母が昭和天皇と同じ年なのが自慢だったので自然と存在を意識しました。
そこにあるのが当たり前みたいな存在だったので崩御されたときにはびっくりしました。
とんでもない量の輸血を受けているという報道に接していたのにね。
(そこまでして延命されるというのも大変ですが・・・)
皇太子殿下が今上天皇となられた段階で「時代が変わった」と意識しました。
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2011/07/10 17:49
イチヤさんへ、

永遠の25歳なんですね、54年ってことは、もうすぐ還暦ですのに、すごいお若いですね・・・
って、ぶっ殺されますよね、すいません。

そうそう、先輩や上司から今でもたま~にレジェンド大戦のように語られてしまうバブルってもんは、僕らにとっては、妙に元気で明るい歌謡曲やドラマが体現してるのかもしれないですね。
あれ以来、呑気に明るい歌や元気な歌はあまり聞かないけれど、自分が生きている間に、一度くらいはそういう時代が戻って欲しいなぁ(しみじみ)

福井といえば、旅をしたときに、「今年はすごい降ったんですよね?雪。38豪雪以来だそうですね」というと、何かリアクションよかった気がします。気付けよ、どうみても、僕が38豪雪知らんことに!と思いましたけどねw
ホントかウソか知りませんが「地震と豪雪を語ってこそ一人前の福井市民」なの?

明治以前は、帝や将軍の代替わり以外にも、天災や凶事あるいは何らかの思惑なんてもんでも年号が変わっていたようです。平成の世なんて、昔のルールなら5回くらい年号変わっていそうですよねw
ふと思ったのですが、年号を決めるのを、国民投票とかアンケートでやったらどうなんですかね?私達の天皇陛下のお名前wを私達国民が決めるってことでwww
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2011/07/10 17:36
ペー子さん コメントありがとうございます。

今回は(も?)書いた本人すら、よく整理できていないので、読者の方が分からんのも無理ないです。

でも、ペー子さんとイチヤさんと、僕から3年並び(トリオ?)で、自分達にとっての昭和の思い出を語ってもらって、拗ねても昭和メイン世代を逆転できないんだから、自分達の思い出は大事にするかぁと心新たになりましたよ。

そうそう、昭和ネタそのものじゃないんだけど、僕達の世代固有?のネタとして、デートの連絡アイテムの変遷というのがあるかなぁと。
家電(いえでん:ヤマダ電機ではありませんw)とラブレターの中学・高校、そのあと、中継ぎでポケベルがあって(僕は使わなかったけど)、大学で携帯もったときは文明開化~!ってすごく思って、社会人になって携帯メールとなって、そのあとは自分のITレベルと恋愛環境が進化しなくなって、現在に至る!んですけどね(苦笑)

しかし、そんな世代の変化も乗り越えて、40年近く毎年毎年を新ネタ?で時代に適合しているってのは、すごいですよね。よく、ドラえもんとかウルトラマンがすごいというけど、あっちのがずっとすごいと思うんですよね(何の話?www)
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2011/07/10 17:20
54年生まれのナビィですw(数年前から25歳で通してますけどね!!!!!!)
実はでっちさん、ペー子さんと並び順でしたw

まあ、私の年代からはちょうど尾崎豊の歌のような学校の荒れてる時期が収まり、次の世代へ移行しかけていた、という時代だったかな(どんな認識だwww) 

それと、邦楽がとにかく売れた時代。
バブルが終わった後。
エリマキトカゲのブーム。(その後、ウーパールーパーになりましたね)
学生運動をまったく知らない世代。
幼心のアイドルは、松田聖子だった世代。
「小さい頃はもっと雪が積もってたはずなのになー最近は少ないよなー」と福井でつぶやく世代w
(50年代後半~60年代にかけて大雪でしたので)


でも年号って、私たちの世代とかはどうしても昭和の認識が強いのですが、昔はもっとコロコロ変わってますよね。昔は存命中に位を譲られていたから?なのかな??

学生運動以降は、自分自身を勿論含め、人任せになってしまった世代じゃないかなーとかは思います。若者の自主性とか政治・生活面での改革への意識がないというか。(自分を含め)

※昭和天皇崩御、ナビィは当時小学校低学年(で今25歳…?)でしたので、「東京(=都会)のとにかくすっごいえらいおじいちゃんが今危ないらしい」という認識で、よくTVで流れてた状態についての速報テロップなどを見ていた記憶があります。
崩御された後、全校集会で校長先生が「天皇陛下が亡くなられたときには、「死んだ」「亡くなった」という言葉ではなく、「お隠れになった」と言います」というのは今でも本当に耳に残ってる。(とにかく凄く印象的だったので)

なので、昭和の最後のイメージはこの言葉かな…。
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2011/07/10 15:24
私は歴史の難しいことはギブアップなので、今のNHK朝ドラ「おひさま」の時代かーなんてのんきな感想を思いつくwwwスイマセン。

あ、同年代として一言。
53年生まれの私は、すごく狭い範囲でのことですが、教育方針の変更で男女そろって家庭科や技術をするようになったり、古くからの伝統校が突然共学になりだしたり、あ、そうそう中学生の丸刈りがなくなったのも(田舎なんで・・)そうだし、ちょうどなにかしら変革の時期に当たってたような気がします。だからどっちつかずー、といわれるとそういうことが頭に浮かび、なんとなく納得できます。まあ、でっちさんのようなみんなが理解できるような正当性のある理論でないのですがww昭和から平成へ、過渡期がちょうど青春時代とリンクしていた感じでしょうか。でも、逆にどっちからもハブられてる分、すごい狭い同年代の「あーそうそう!!」っていう頷きが嬉しく、なんか妙に親近感、仲間感を覚えてしまうのは私の都合のいい解釈でしょうね・・・ww
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2011/07/10 12:17
たぬ休さん へのコメントが続きます。

第1次世界大戦以降の日本の一番の失敗は、最後まで米国との戦争回避のシナリオを作れなかったことです。
これは、インドシナ出兵とかハルノートなんて最終段階ではなく、軍縮と中国権益の扱いをめぐる大正後半まで遡ります。
米国が本格的に中国に経済進出してくる、その上で、お互いに巨大化した海軍が太平洋で対峙することは、日本側でも分かっていました。一つのシナリオは、幣原外交に代表される米国を含む有力国との協調を中国権益も含め実現することです。しかし、米国にそんなつもりは全くなかったので、日英同盟廃棄という大きな頸木の打ち込みから初めて、着実に日本を追い込んでいた。ここで、協調か敵対かしかシナリオを最後までつくれなかった。というか、米国を最後まで信じてしまった(終戦前のソ連工作でこのお人よしは再現される)ところが、とても悲しい現実と思われます。
満州に代表される中国権益が、軍隊という抽象的な存在でなく、庶民の血と汗そして移民先として放棄しえないものとなっていたことが、中国をめぐる外交を困難にしていたことも残念な点です。また、カイライ国家や要人殺害など、日本は欧米がしなかった政略に手を染め過ぎたことも愚かなことでしょう。

ポイント・オブ・ノーリターンの見つけがたいところですが、個人的には、1938年に「国民政府を対手とせず」と軍すら反対したのに政治主導wで中国での和平の機会を失った近衛声明、米国に絶好の日本包囲の理由を与えた1940年の日独伊三国軍事同盟あたりが、愚策の極みと思えます。
この2つは、政財官軍のいずれにも相応の反対勢力があったわけで、ひよらず信念を貫く人達があと少し多ければ、ゴールは一緒でも、もう少し対米戦争を先延ばし出来た気もするのです。

それと、真珠湾がなくても、年単位のスパンでみれば、極東から東南アジアにまで勢力を広げた日本に、米英は必ず対決したんじゃないですかね。インドシナ出兵時点では、ドイツの英国空襲が続きソ連侵攻もまだだったので、日本との二面戦争を回避したかったという外交的判断もあったわけですし。日本との共存なんて当時も今も米国の支配層は考えてないと思いますよ(笑)あるのは、自分の支配圏での朝貢国としての存在ですから(それを私は悪いと思いません)
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2011/07/10 11:57
たぬ休さん、コメント感謝です。

大正時代はご指摘の通り多くの事象が同時並行で起きた激動の時代です。私が、その中で評価したいのは、政治家や民衆にリベラルという思想が芽生えたこと、現在につながる資本主義の定着の2点です。この根っこがあったからこそ、戦後の急速な復興というのも出来たのだと思います。そして、こうした大正の一番の成果は、実は昭和天皇そのものではないかと思ったりします。昭和天皇がリベラルなど興味のないお飾りや弟達のようなお調子者の軍国主義者だったら、今のような日本という国はありえず、そもそも、国家としても存続できなかったでしょうから。

私は、素朴な心情として国民生活を巻き込んだ総力戦や一方的な戦力差での虐殺的戦闘また大量破壊兵器の使用には反対ですし、繰り返してはならない愚行と思います。しかし、国権の発動としての最終手段の戦争は否定しませんし、そういう形が結果としてとんでもない惨劇となったにしても、1930~40年代の一連の戦争を否定もしません。
GHQの洗脳工作は否定しませんが、自分達は悪くない、悪いのはアイツだ、我々は騙されていたというのは、常に起きる庶民感情です。ドイツではナチス、日本では陸軍、しかし、ドイツがナチスに追わせたのはユダヤ人を初めとする虐殺行為と組織的侵略がメイン、これにあたる罪が実は日本にはなかった。そこで、南京虐殺や15年戦争といったナチスに鼻で笑われそうな成り行きの愚行が計画的組織的犯罪となってしまった。そして、日本では「戦争」という行為そのものが否定されてしまったby憲法第9条。
全否定と不存在の軍隊を、国民も政治家もリアリズムとして考えられない。だから、たぬ休さんの言うような再軍備・平和主義・大国への従属という価値観の択一ゲームになってしまう。世界の大半の国が軍隊を持ちしかし平和を願い外交を行っています。択一でなく場面場面での最善のベストミックスが必要だと思いますよ。その際に、勇ましい声やデカイ声に惑わされないこと、それこそが昭和の愚かな戦争を通じて庶民が自らを省みて学ぶべきことだったと思います。朝日新聞や産経新聞の投書欄あるいはYahoo掲示板なんてのをみると、こういう人に社会福祉が回っていると思うとガッカリします。

(つづくw)
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2011/07/10 11:10
ヴィオラさん、コメント感謝です。
ぜんぜんテーマの範疇ですよ、そのコメント。

テレビやCMの業界、あるいはそれに広告料を出しているクライアントの広報部門、この中心がアラフォーくらいの人が多いです。彼ら・彼女らの青年期に流行ったり思い出になってるテレビや歌や役者・歌手を起用するのはある意味当然ですし、「そういう風な起用するために、ここまでやってきたってのもあるよ」ってな話も聞いたことあります。

これがまた「80年代」は最後の数年しかキチンと記憶できない僕の世代では、「ケッ、バブルも最後の尻尾味わってよかったですね」ってヒガミになっちゃうんです。
ターゲットにすらならず、世代としても認知されてない。唯一の括りが「就職氷河期世代」www
企業の中でも、採用数自体が少ないので、バブル終盤の体育会軍団と、そのあとの優秀世代に挟まれて、何か肩見が狭いんですよねー


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2011/07/10 09:29
大正という年代は短い割に、第一次大戦だの、戦中の成金出現だの、戦後の恐慌だの、軍拡とその反動の軍縮だのという結構激動な時代だったりします。
軍縮による装備の規制が全て新装備の開発に向かえばよかったのかもしれませんが、おっしゃるように軍事費は削減の方向にあり、軍隊は精神論が先行するようになります。

敗戦にいたる責任が全て軍隊のものというのは戦後のGHQの宣伝によるものです。
当時の国民が敗戦という事実を手っ取り早く納得するために宣伝に飛びついて軍隊の存在と一緒に葬ったというのが実相では。

昭和の始めに世界的な大恐慌に巻き込まれた日本ですが、日本は大陸進出によって事態の打開を図ります。
日露戦争で獲得した利権をフル活用しようとしたわけです。
満州国は日本の陰謀によって成立した偽装国家として位置づけられることが多いのですが、日本の関与は大いにあるとしても辛亥革命で排斥された満州民族が父祖の地で独立国家を建設するというのは言うほど不合理なことではありません。

日本軍(特に海軍)が敗走した一番の理由は戦線を拡大しすぎたことです。
極端な話、真珠湾攻撃をせずにインドネシア進駐で留まっておけば、ハルノートを実質的に無視してもどうにかなった可能性が高い。
当時のアメリカ世論は戦争反対でしたから、日仏の戦いに積極介入するのは難しかったはずです。

現在の二大政党と昭和のそれとは違いもありますが、ストーリーとしてはおっしゃるように似たところもあるように思われます。
自前の軍備を整備して自国の安全を確保しようとするのか、チベットのようになっても構わないから平和主義を貫くのか、それともアメリカへの従属外交を継続するのか、どれを選択するかは国民次第。
ネットの意見は顔が見えない分偏っているところもありますが、ひとつの本音でもあります。
政治家には些事に囚われてほしくはないと思っていますが、全く無視するのも賢い手段とはいえないでしょう。
政治を職としているわけではない私としては、ネット世論とやらが扇動されたものでないかくらいは気にしないとと思ってはいますが。
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2011/07/10 09:16
昭和について…ってわけではないのですが、

テレビで80~90年代の歌、ドラマが取り上げられると、
「自分たちが懐かしがるターゲットにされてるんだなあ」と思います。
昔なら「ナニ?これ知らない。つまんない」と思ってたのに。

CMの音楽なんか特に。
銀行キャッシングローンのCMで「愛は勝つ」流れてますが、
あれを見ると「我々が金貸しのターゲットなんだな」と思うんです。
ちょっと悲しい気分。



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