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つかっちゃたごみ子


「あっ、つかったちゃった」と、ごみ子が言いました

アメリカに占領された日本には、何にもありませんでした
アメリカの爆撃で沢山の人が死にました
生き残った人も焼け野原の中、食べ物も無く、住むところも無くなったと思われます
そんな中、生きるためにアメリカの兵士を相手にあそこを使う女性がいました
パンパンと呼ばれた女性だそうです

パンパンは、1945年以降の占領統治下、主に在日米軍将兵を相手にした街中の私娼(街娼)を指す言葉。「パンパン・ガール」「パン助」「洋パン」ともいう

敗戦により、経済的に困窮した家庭では、生きる為に止む無く身体を売る女性が急増した。特に進駐軍占領軍)相手の売春は、金・物資ともに乏しかった日本人同士を相手にするよりも儲かったとされる。なお興味本位や封建的な時代と戦うために働いていた、という記録もアメリカ側にはある。

特殊慰安施設協会
とくしゅいあんしせつきょうかい
第二次世界大戦後、日本に作られた連合国軍(占領軍)兵士向けの売春婦がいた慰安所である。
日本で第二次世界大戦の戦闘停止発令から3日後の1945年8月18日内務省が「外国軍駐屯地における慰安施設設置に関する内務省警保局長通牒」を各県に発令し、これを端緒として、占領軍対策の一環として26日に設立された。戦後の進駐軍の日本占領に当たり、日本の婦女子の操が進駐軍兵士らによって汚される恐れがある。それならば性の防波堤を作って一般婦女子を守りたい、との思惑からである。占領軍がこの種の「サービス」を提供するよう命じたという俗説が一部にあるが、内務省が忖度して自主的に作ったものを連合国軍最高司令官総司令部が許可したものである。

基本的な発想としては戦時中の慰安婦施設と同様のものだが、慰安婦のように仲介業者を通さず、「日本女性の防波堤たれ!」というスローガンの公募に応じてきた一般女性たちが集められた。戦時中にあった女子青年団が終戦後、半ば強制的に集められたケースもあるとされる。また警察が戦時中に青線売春で検挙した者に慰安婦になるよう要請した例すらあった。
1946年1月21日、前アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト夫人エレノア・ルーズベルトの反対、性病の蔓延を理由としてGHQにより特殊慰安施設は廃止されたが、女性たちへの補償は無く、多くは当時パンパンと呼ばれた街娼、水商売等に進んだと見られている

売春防止法(ばいしゅんぼうしほう)
1956年(昭和31年)5月24日法律第118号
売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照らして売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずることによって、売春の防止を図ることを目的とする日本の法律である。この法律の制定に伴い1958年(昭和33年)に赤線が廃止された。

売春(ばいしゅん)
金銭などの対価を目的にし、性別を問わず性行為を行うこと

いつもの ”ウィキペディア” よりで、とても想像がつかない世界です

ごみ子は一般女子を守るために、1945年の8月より1958年の4月までの13年間、性の防波堤になって、毎日やりまくりの生活をしてたようです
これまた、毎日何回もやり続けるとは想像がつかない世界です

#日記広場:自作小説

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2011/07/24 03:01
売春相手は特定の人だけ(つまり、現地妻的な?)と言う人もいたようですよ。
女性は、男性とは体のつくりが違うので、毎日、複数人相手も可能だったのかも
しれませんねぇ^^;



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