日本語に係る妄想:①薩摩ん言葉で皆話そうかぃ!
- カテゴリ:勉強
- 2011/07/26 12:41:42
今回から、断続的に「日本語って何?」をテーマに妄想を書き連ねます。「日本語って何?」ということを、自分なりに解釈すると、「日本人同士の意思疎通に用いる口語(話し言葉)及び文語(書き言葉)」ではないかと思っています。
この解釈のポイントは、「現在ではほぼ一体の口語と文語が、過去には別々のものであったこと」「日本人という概念自体が時代時代で異なる場合、日本語というものも変化したり、複数あったりした」ということです。
このポイントを端的に説明すると、明治時代の初めまで、日本人は、地域や階層で異なる複数の日本語で話をしており、異なる地域や階層の人同士の意思疎通では文語がベースとなっていたということです。
地域で異なる言語というのは、方言のことですが、「言葉は見えない手形」というほどに各地の方言は異なっており、また、当時は「方言」という概念はないし、多くの人は自分の生まれ育った地方を離れる機会は極めて少なかったので、そもそも「日本語」という概念もなかったと思われます。でも、方言同士では意思疎通もままならず、弥次さん・喜多さんのように笑い話で済むうちはいいですが、幕末に各地の志士達が密談などすると、「桂さぁ、オイはそげん思うちょりもんど」「西郷くん、何を言っているのかわからないですぞ」「じぇんじぇん分からんのはイカンぜよ」「なんごて分からんでごわすか」なんて具合で、仕方なく、文語京都言葉という古文のような会話をしていたとも言います。このときの苦労が、明治政府において、「一つの日本語を持たないとダメですぞ」となるので、ここポイントです。
また、階層毎の違いとしては、武士や公家、あるいは豊かな町人は、今でいう漢文的な文語を公用書類に用いて、今でいう英語のように漢文が必須教養でした。一方で、町人は、平仮名と簡単な漢字を読んで書けることを基礎教養としていました。しかし、農民や漁民あるいは女性は文字を読み書き出来ない人も多かったようです。また、JINで野風花魁が話していた「ありんす言葉」も、吉原遊郭内オンリーの共通語だったりします。
あと、日本語の語源は、大和言葉なので、外来語(カタカナ言葉)はもちろん、漢字二文字言葉のような漢語も元々は外来語なので、ゆるゆるとしていました。女子サッカーは漢語と外来語の合成、漢語なら女子蹴球(じょししゅうきゅう)、大和言葉なら「おなごがけまり」、崩れた外来語なら「ギャルサッカー」とでもなるわけです。そして、「はい」「いいえ」「~です」なんてのも、江戸時代まではなかったので、信じられないくらい、面倒な会話だったり、逆に教養がないと会話も貧弱だったのかもしれません。
実は、こうした事象は、ヨーロッパ諸国でもフランス革命以降に国民国家として統合が進むと、一つの国家に一つの言語という必要が高まり、フランス語とかイタリア語が国家によって指定されるようになりました。国民同士で意思疎通も出来ないと、特に戦争での指揮命令や国家の命令が国民に直に伝わらないという問題があったことが大きな要因です。
で、明治維新を経た日本でも、特に言葉で苦労した新政府関係者の間で、統一日本語の議論が出てきました。その先達である欧州から学んだstandard languageを「標準語」と訳して、統一的な日本語、つまり、文語・口語の一体化と地域・階層で異ならない言葉を決めることとなったのです。
その議論は、結論として、江戸言葉と長州言葉を混ぜた文語ベースの言葉となりました。これを学校や軍隊で用いる中で、更に日常や役所等で用いることで、現在の日本語が形成されていきました。江戸言葉というのは、江戸っ子の方言というよりは、江戸で支配階級が用いていた文語・口語のようです。これは、江戸経験を新政府関係者が多くはしており馴染みのあったこと、また、東京遷都が既に行なわれ、首都住民が理解できる言葉が望ましかったことなどが理由と思われます。また、長州言葉は、文語京都言葉に近く、さすがに賊軍の言葉を丸呑みするのは不愉快だったからではないかと勝手に思ったりします。
私の第一の妄想は「薩摩の人は何で薩摩言葉を標準語にゴリ押ししなかったの?」です。そうなっていたら「がんばれ、女子サッカー」は「チェストいけぇ、おごじょん けったま」とでもなっていて、「でも、でっちさん、それはおかしいですよ」も「じゃっどん、でっちさぁ、そいはヘンごわそぅ」とかなっていたはずです。(この段落が、私のずーっと抱いていた妄想で、全ての薀蓄語りの源です)
そして、薩摩言葉を標準語にするような流れとなった場合、漢語や外来語の受容にも意外な変化があったかもしれませんが、それはまた次の話(2000字だよw)。
「標準語」で一つの日本語=方言の排除という政治的動きは、戦争に負けたことで一旦終わるのですが、ご指摘の通り、戦前からのラジオそしてテレビによって、「方言かっこわるい」と地方の人達が思ってしまうという北風と太陽のような形で、方言はずーっと衰退していたようです。
皮肉なことに、大阪漫才が東京でもブームになったり、地方の独自の文化や言葉をテレビが取り上げたことで、逆に「方言かっこよくね」となってきているのも面白いです。
ところで、NHKのアナウンサーと注釈されている通りで、全国ネットでない局のアナウンサーさんって、大阪局でも、結構地元言葉の発音してますよね。意図してかなぁとも思うけど、前に広島かな、本人普通に話しているつもりのようなのに、広島言葉丸出しというのをみて、ビックリしました。緩すぎじゃけぇーw
で、後半は次回以降に書こうとしていた大事なことですよ。
一つは、書き言葉と話し言葉が別々で、武士や公家の手紙はそうなんだけど、庶民の手紙は、話し言葉をそのままひらがなでつづっていたりするようです。
そして、名古屋弁がメジャーにならなかったことについては、清水義範さんの「金鯱の夢」という笑える小説をお勧めします。秀吉に隠し子がいて、彼が名古屋に豊臣幕府を打ちたてて、その幕府が300年続くという時代パロディなのですが、標準語を名古屋弁にしちゃうんですよ。誰かがひとおししていれば、名古屋言葉でもよかったんですよね、標準語w
誰がペー子さんの長文コメに苦情を言ったの?ひどいよね、それ・・・って、僕?ひどいよね、それw
なんか、さすがに濃く長すぎて、流されたかぁwあかんなぁw
まぁ、この「標準語」については、その反作用で「方言差別」が生じます。日本では、戊辰戦争で東軍だった東北等の言葉が、特に「訛り」「ズーズー弁」なんて言われ方になった気がします。同じような地方や訛りのきつい言葉でも、たとえば三重・和歌山とか島根とか佐賀はあんまり言われないんですよね。
さすがに「会津言葉」を標準語にとはならなかったと思いますが、緩やかな雄藩連合のまま維新が進めば、みちのく言葉も、京阪言葉や、江戸言葉と並んで、「色々な日本語」として認められていたかもしれなかったのです。
僕は、薩摩言葉って、NHKの大河ドラマ以外で聞いたことないんですよ、実はw
ただ、それ故にというか、あの独特の言葉が日本中で話されているという妄想は、長く僕を離してくれません。
確かに、江戸の頃から、薩摩言葉は独特なものと思われていたようですが、それを100年以上みんなで使っていたら、違和感ってなくなるのかもしれません。
日本語の伝統とか美しさって、たかだが150年前に割と適当に造ったのになぁという違和感もありましたので、あえて、「もし日本語が薩摩言葉だったら」というところから、始めてみました。
確かに「方言」をなんとかしなければ、狭い日本といえどもスムーズに意思の疎通がはかれませんね。
今でこそ「標準語」=「NHKアナの話す言葉」と(私は)認識していますが、
その昔は「手紙」ですものね。
そういえば野風(JIN)の(昏睡状態の)龍馬に宛てた手紙も「ありんす言葉」でしたね。
あれを見て(聞いて)、「正確に意味を把握できたのかしら?」などと考えていました。
手紙は文字が全てですからね。発した言葉は、イントネーションから推測することも多少は可能ですが。
さしずめ三英傑時代の尾張なら『おすまいやすませ。御みゃーさんら、まっとらないかんがね』
(こんばんは。貴方がた、待っていないといけませんよ)・・・文字だけだと分かりにくいですねぇ。(^.^;
余談はこれくらいにして。
薩摩言葉をゴリ押ししなかったのは、「三英傑時代」に尾張言葉が
一世風靡(?)しなかったのに似ているのかも?
素人考えですが、所詮「地方の一口語」のマイナス思考が、
今ひとつゴリ押しできない深層心理にあったのかと・・・??(^.^;
私自身の頭の中で起きている事象を”妄想”と呼ぶのは申し訳なくなるほど、でっちさんの果てしない妄想に便乗し、想いをはせてみましたが、なんだか生で聞いたことのない薩摩言葉を話す自分が想像できませんでしたwww次の妄想ではうまく便乗できるかしら?期待してます。
(苦情が多いので短めでw)
でっちさんは、どちらの生まれなんでしょう??
ちなみに私は大阪の河内です^^