Nicotto Town


濃すぎる毒入り日記


日本語に係る妄想:②「これは本です」は何と読む?

 前回から話を進める前に、「日本語とは何か」を別の角度から整理します。実は、日本では、今となっては私達が普段使っている日本語以外の言語が日本人の間では存在しないので、「共通語」「標準語」「公用語」ということを国家も含めて意識していない、世界的に稀有な状態にあります。
「共通語」とは、集団の中での意思疎通が可能な自然に存在する言語。
「標準語」とは、集団の中での意思疎通を可能とすべく国家が造り使用させる言語。
「公用語」とは、国家が公式に言語として使用する言語。
 前回お話した明治初期までの日本では、最小単位ではお国言葉が多数並立してお国の中での共通語となり、お国言葉の異なる人の間では京都言葉か江戸言葉が口語共通語として、文語では漢文書き下ろし的な言葉が用いられていました。これでは日本全体での意思疎通がままならないということで、明治政府が纏めたのが「標準語」としての日本語であり、私達が今使っている日本語のベースでもあります。しかし、明治政府は「標準語」を法定はしておらず、これは現在までそうなのですが、「国語」として教育することでの普及定着を図っただけです。
 
多くの外国では、これではどうにもなりません。
 
小国家が統合を重ねることで国民国家となった欧州では、「標準語」を定めたり(フランスやイタリア)、連邦・連合国家を中心に複数の言語を公用語にしています(イギリス、ベルギー、スイス)。また、ドイツではドイツ語の中の方言のいくつかを並列的に認めています。
 
一方、植民地支配や歴史的経緯から、他の言語もあるけれど、英語、フランス語、スペイン語等の旧宗主国の言語を「公用語」としているのが、米国、カナダ、中南米諸国や多くのアフリカ諸国です(アフリカ諸国では自国言語も公用語としていますが)。
 
あと、中国、ロシア、アラブ諸国では、少数言語も多々あり一応認めつつも、基本的にはその国の多数民族の用いる言語を「公用語」としています。この3つの言語は、世界的な政治力を背景に、世界的に使用国家の多い英語、フランス語、スペイン語とともに「国連公用語」ともなっています。
 
アジア諸国の対応は多様で、独立性を重んじ単一言語の国(タイ、ベトナム等)、複数言語を公用語とする国(マレーシア、インドなど)、あるいはインドのように個々の言語では国全体の共通語とならないので英語も公用語としています。
 
こうしてみると、日本語というのは、美しいとか伝統とか言語としての優劣ではなく、島国の単一民族で植民地にもならず方言にも配慮せず統一化したという歴史的、地形的要因から奇跡的に、法律もなく、「日本語って何?」を考えることもなく、日本語だけで暮らしているという、とてもラッキーだっただけということが分かるのではないでしょうか。

 
話を明治初期に戻すと、上記の通り、文語の共通語は1つしかなく、口語も江戸か京都かの二択だったので、ベースとしての「標準語」選定は容易だったのではと推察されます。この点は、この「標準語」議論の経緯に関する文献、資料が少ないことからも伺えます。但し、これを決めるよう頑張った人の苦悩とおかしさについては、井上ひさしさんの「国語元年」という名著があります。フィクションですが、実に面白いです。
 
あとは、政治的な動機として、あまりに共通語から離れた薩摩言葉は無理筋と薩摩人も思ったのだろうということで、京言葉の流れを汲む長州言葉が一部採用されたのではと推察することは前回の通りです。(「標準語」が定まったことで、「方言」とされた各お国言葉の推移は次回以降とします)

 
そして、今回最後に触れるのは、「言文一致」についてです。繰り返しになりますが、明治の日本では、学校での「国語」教育を通じて、「標準語」化が進んだことで、口語で異なるお国言葉が、まず文字として統一されていったことになります。
 
「こいつぁ本だぜ」「これは本やで」「こいは本でごわんそ」「こりゃ本だっぺ」は全て「これは本です」に統一されて、そこで「言文一致」の流れで、口語まで「これは本です」になっていった。
 
この点は、This is a cake.をディイズァケイク(米語)、ティイスアケーク(インド英語)、ディイズァカイク(豪英語)のように、言文一致でなく、共通語としての文語と、方言あるいは共通語としての口語が分かれてしまった英語をはじめとする多くの言語と大きく違う点だと思います。
 
チャットやブログで、アイデンティティとして関西言葉を連ねる人がいますが、あの人達も「これは本です」と書いてあるものを「これは本やで」とは読まないということです(1913字パチパチ)。

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2011/07/31 08:42
Olivierさん へ、

アクセント辞典って、確かアナウンサーの方が必携させられるものですよね。
日本語には、欧州言語やチャイニーズにある発音記号が、一般には知られていないから、アクセントも専門的に学ぶしかないですよね。
このネタのテーマに即するなら、日本政府の日本語政策が他国と比べて曖昧なことの証左なんだと思うのですよ。教科書の書き言葉とNHKアナウンサーの喋り方だけで日本語標準語化を進めたわけで、アクセントが地方でマチマチって、ある意味で方言の寛容であって僕は好意的ですが、政策の徹底と言う点では0点ですから。

そして、英語・米語ですが、階級と出自が言葉に色濃く出る言語ですよね。より上流の階級や主流の社会に這い上がると自分の子供には「きれいな言葉」を必死で教える社会、主流や上流は言葉の響きにお里を知ろうとする。まぁ「マイフェア・レディ」的な世界がどこまで残っているのか僕は知らないけど、これは現在の日本語あるいは日本社会が意識していない点で、これはよいことだと個人的には思います。
「ざます言葉」って死語なんだと思うけど、こんなもんで自分の学歴や出身を消していたマダムってのは、ありンす言葉を使っていた吉原花魁と同じ悲しさを背負っているわけですから。

「美しい日本語」その説明よく分かりました。どの言語でも語彙が豊富なジャンルが必ずあって、日本語だと、挨拶とか謙譲とか色とか魚なんかそうですかね。海や空の状態もそうだと思う。丁寧な挨拶・お礼には心が現れるし、地方地方の魚の名前には生活と密着した言葉を感じます。
英語・米語だと「他人を褒める」に長けてるなぁと思います。ファンタスティック!グレイト!マーベラス!こうした日本語では「いいですね」としか訳しようのない褒め言葉に、彼らのいい文化を感じます。イギリス人のナイス・ワンも好きですね。日本語の「よく頑張った」とは全く違う褒め文化かなぁと。
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2011/07/30 12:52
すみません・・・。
疲れた頭で書いていたので、言葉の正確性を欠いていました。(^.^;

『イントネーション辞典』ではなくて、『アクセント辞典』でした。(^.^; (^.^;
ただ、言わんとすることは同じで、
各単語の「アクセントはマスターできても、文章になるとコンパウンドしたりと千差万別」でした。

『助詞』がクセモノになるんですねぇ。
(単語の)第一音の高低&助詞の高低で、同じ文章を言ったとしても聞く側の印象が異なる。

例えば、生粋の名古屋人が標準語を心掛けたとしても、
第一音がびみょ~に(標準語の音より)低いんですね。
すると、「訛ってる!」と言われたりします。

英語についてですが、イギリス英語とアメリカ英語とでは「音」の点で違う印象を受けます。
勿論住んでる地域によって同じ単語であっても、アクセント・イントネーションは
(日本同様)異なります。
顕著な例は「R」発音でしょうか。米国の方が圧倒的に「巻舌」ですね。
また、米国内でも黒人の多く住む地域は「より巻舌」の傾向があります。
英国でも最近若者が(ハリウッド映画の影響か)随分巻き舌になり、「下品だ!」と報じられましたっけ。

イントネーションの点では、英国内で顕著に違うのは
「クイーンズ・イングリッシュ」と「イギリス英語」でしょうか。
前者は文字通り王室及び貴族・上流家庭の話す英語です。
印象を簡単に言うなら・・・「間延びした英語」です。
(ex, can't・・・「コ(カとコの間)~~ント」、「カント」ですかね。)

書き始めると止まらなくなりそうなので、止めます・・。
尻切れトンボ、ご容赦ください。

最後に、「美しい日本語」には多面ありますが、私の中では「丁寧」がポイントでしょうか。
「ありがとう」を心からいえば、言葉に思いが込められますでしょ?
口先だけの「ありがとう」と、全く別物だと思うのです。(声優等はテクニックで可能ですケド(^^)

以前、片言の日本語を話す外国人に「キレイな日本語ですね」と言われたことがあります。
その時は「わたしは日本人だからなぁ」などと思っていました。
でも、相手に分かりやすく話す・・その「思い」がキレイにつながるのだと、後々知りました。

すみません、長くなってしまいました。
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2011/07/30 09:30
たぬ休さん へ、

鉄道のアナウンスというのは、面白い指摘です。
なぜかというと、あの独特のイントネーションやアクセントは、ワザとだからです。
地元だけでなく、たとえば、東京山の手線のアナウンスもヘンテコリンです。
これは、スラスラと共通語で話すと乗客の耳に残らないので、わざと変な発音や節回しにするのだとか。で、それを先輩から後輩へとキチンと伝授しているのだとか。そう聞きましたが、全部が全部そうかは不明です。
この面白さは、中川家の弟・礼二さんが、実に見事に再現してますね。南海、近鉄、JR、御堂筋線とか使い分けられるらしいです。

そして、おじいさん・おばあさんの世代でのお国言葉のインパクトも、よいポイントです。
その方達は地元で生まれ育ち生涯を過ごしたから、共通言語が標準語より多く使われる環境にいたということでしょう。同じ世代でも、社会人となったり結婚してから郷土を離れた人は、次第にお国言葉を使わなくなっていたはずです。僕の祖父母は、高知と秋田なのですが、土佐弁も秋田訛りもついぞ聞かなかったのは、一つには二人が東京で結婚し、東京で暮らしたからかなぁと。

で、最後の沖縄の言葉については、次回のメインテーマです。標準語政策の進展と明治日本の急成長が軌を一にしたことで、標準語が正しいと次第に人々の心に根付いた気がします。その流れの中で、琉球人に日本語を強制し、朝鮮人から朝鮮語を奪うことにつながったと僕は思っています。善意からのお仕着せは、悪意の強要より、ずっと性質がが悪いのですから。
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2011/07/30 09:20
Olivierさん へ、

ご指摘の通り、イントネーションは、標準語化や言文一致を以てしても解消できなかった、お国言葉の最後の砦なのでしょうね。「訛り」って、一般にはイントネーションのことだろうし、あと「橋」「箸」のアクセントが地方によって異なることを指すように思います。
お国言葉って、単語、語尾、イントネーション&アクセントの三要素があると思うのです。「僕は東京育ちです」「ワシは浪速育ちですねん」の違いは、文字では「僕は大阪育ちです」と直せば標準語ですが、イントネーションとアクセントが大阪言葉のままだと、頭隠して尻隠さずなのですよね。

このイントネーションの違いって、日本語固有なのですかね?
イギリス英語とアメリカ英語とインド英語では、顕著なのは単語の発音で、次にアクセント、そしてスペルの違いとなりますが、イントネーションはどうなんだろうなぁ?インド英語は何か違うけど、英米の違いは僕には分かりません。まぁ、僕のイントネーションが違うってことはわかるんですけどw

そうそう、「美しい日本語」ってたぶん幻想だと思います。その概念が成立する前提は「醜い日本語」の存在であって、他者や他の言葉を貶める形でしか、それは証明できません。その過ちは標準語という「正しい日本語」を振りかざして、「正しくない日本語」を抹殺した過去を忘れちゃったからなんでしょうねぇ。

まぁ、Olivierさんはそういう政治的な意味合いでなく、一般にいう流れるような響きのいい日本語で、若者言葉や文法のみだれがないことなどを指しているのだとは理解しています。
確かに、先日、金沢の老舗料亭の女将と延々と話すことになって、築地育ち→京に嫁ぎ→金沢で過ごすというキャリアの言葉は美しく聴こえました。でも、それはブランドに酔っているだけかも?沖縄育ち→薩摩に嫁ぎ→五島列島で過ごす人の言葉も、前者と等しく美しいはずなので。
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2011/07/30 09:04
ヨシさん へ、

まぁ、京阪神の関西人のお国言葉への誇りと固執は、この国の標準語政策を潜り抜けたことも含め、もうビックリ称賛するしかありませんです。
あの影響力って、大阪発祥の大手商社さんで、今となっては社員が関西人ばかりでもないのに、「儲かってるの?」「いやぁ、ボチボチ」と標準語っぽくなってはいるが、いまだにそう挨拶している人も多いってあたりで感じますね。

僕の場合は東京言葉ですが、自分のお国言葉だけで、別の共通語を覚えていないと(いわゆる方言で育った人が、東京圏や関西圏で暮らすと、方言と中央言葉のバイリンガルを余儀なくされることを要しないということ)、インパクトのあるお国言葉に免疫なく、自分の話し言葉を引っ張られますよね。
そして、引っ張られるだけなので、イントネーションやアクセントが滅茶苦茶なので、ネイティブ・スピーカーの心を逆なでしてしまう。
大阪で、何度「えせ関西弁使うたら、アカンて」と言われたことかw
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2011/07/30 09:02
みなさんの書かれているイントネーションは確かに違和感がありますね。
新幹線の駅名呼称は標準語のイントネーションですが、地元の人はまず呼ばないような抑揚なので正直気持ち悪く感じたりします。
在来線の車掌が地元訛りだとほっとしたり。

関西方面はテレビ・ラジオも独自番組も多いですし、アナウンサーも標準語でないことがままあります。
周辺の大人はもちろん普通に地元の方言を話しています。
標準のイントネーションというのは、普段からそれに触れていないと身につかないものなのかもしれませんね。

方言と言えば。
うちの地域の祖父母世代くらいまではかなり強力な方言を話していました。
孫である私達世代が聞いても首をかしげることが多々あるくらい。
戦前から少なくとも初等教育は受けているはずなので、標準語に触れる機会はあったのでしょうけど。
親世代からはそうでないことを考えると、テレビの普及と人口の流動化の影響って思ったよりも大きいのかもしれませんね。

余談ですが、戦前一番標準語化が徹底されていたのが沖縄だという話をどこかで読んだことがあります。
沖縄の学童が鹿児島に疎開したとき、鹿児島訛りがそのまま残っているのにびっくりしたとか。
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2011/07/30 08:57
ヴィオラさん へ、

調べてもいないのですが、「訛り」って表現って、東京以東の言葉にだけ使われることが多いように感じます。
関西訛りとか言わないし、なんか差別的?
他だ、啄木の句のように「訛り」としなければ伝わらない何かも確かにあるとは思うのです。
漱石が、坊ちゃんに託して、「なんだかさっぱりわからんぞなもし」と囃した松山の言葉や人へのカラっとした想いとは、随分違う感じです。

茨城、栃木も含め、東北言葉って、イントネーション自体が東京言葉とかなり違うので、なかなか東京言葉に切り替えられないようですね。単語や語尾(だっぺとか)の違いなら「おら、みとなっと(水戸の納豆)まにぬつ(毎日)食べてっからよぉ」のようなものを「僕さ、イタリアンをよく食べてるんですよ」と言い繕えても、このイントネーションがU字工事(彼らは栃木だけど)みたいだと、「おめさ、茨城だろさぁ」みたいに周囲にはバレバレなんでしょう。

お国言葉恥ずかしいという感覚が外国人も等しく持つものなのか知りませんが、歴史や民族あるいは宗教的な差別要因もなく、ひたすら標準語と違うというだけで方言を差別した感覚はちょっと異常な気もします。(次回以降で論じますが、たぶん、戊辰戦争で敗者となった東北・越後への蔑視が基底にあると私は思っています。)

外国語の教科書というと、僕は大学での第二外国語がロシア語だったのですが、ソ連が崩壊してもなお、日本のロシア語教科書って共産主義チックでした。
「歴史とは科学である。」)(イストリア エスティ ナウカ)というA is Bの基本構文、いったい、歴史とか科学なんて単語、どこで使うっちゅうねん?そもそも、isで結ぶ関係?といった疑問をはさむ余地もなく、そうした例文だらけの授業が進んでいましたwおかげさまで、文字以外なにも覚えていませんw
それにしても、ヤ・リュブリュー・バスとスコリカ・ストイット?を一連の文章で覚えてるのは何でだろう?w


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2011/07/30 08:43
ペー子さん へ

そんなに褒められると、困りますです。
ただ、自分達が自然に覚えられた言葉が、=共通語、公用語ということが世界的にはラッキーということに無関心だから、かつては方言を弾圧・蔑視したり、一転して英語を公用語にとか、無茶なことをしてしまうのかもしれません。

今となっては、他の県の人に通じないようなお国言葉も少ないでしょうから、何の遠慮もなく、大きな声でお国言葉で話していくことが大切だと思います。言葉の印象もあってか、我慢強いとか口下手とかステロに決めつけられることもある東北人も、お国言葉で大きな声でどんどん必要な復興に向けた施策を要求すれば、長州言葉の総理も少しは耳を傾けるかもしれないですね(って、100%ないかw)

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2011/07/29 00:39
確かに「これは本です」は日本中の人が、文字のとおりに読みますね。
ただ、べー子さんも書いていらっしゃいますが、土地によってイントネーションが違います。
これは一種の「方言」かもしれませんが、文字表記は同じなのに「音」が違うわけですからね。
ことばの印象が変わり、ユニークです。

私もサラリーマン時代は、このイントネーションに苦しめられました。(T_T)
私の郷里は、関東ではありませんでしたからね。
大学時代(in東京)は、生粋の東京人の友人に頼んで、
片っぱしからイントネーションを直してもらいましたっけ。
(「多すぎて直しようがない!」とも言われたりなんかして・・(^.^;)

『イントネーション辞典』が存在するのはご存知ですか?
各単語の標準イントネーションが付記されています。
ただ、各単語のイントネーションをマスターしても、文章になるとコンパウンドしたり
音の高低が変わったりと・・・千差万別で。
少しでも「音」が違うと、聞く人が聞けば「変!」でしかなく。
これには泣かされましたね。(T_T)

今も『美しい日本語』には憧れがあります。日本人ですからね!
でも、イントネーションの点では・・・・見果てぬ夢カナ。
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2011/07/28 21:32
生まれてこの方、ずっと関西に住んでいるので言葉ももちろん関西弁です。関西人でも標準語の方とお話しするとすぐに話し方が変わってしまう人もたくさんいます。それを聞く周りの関西人は、普段の関西弁を知ってるだけに聞くに堪えない気持ちになるのも確かです。「なんやねん、あいつ、すぐに影響されやがって~!」ってな具合です。。。^^;

ちなみに私は、影響されにくい人間だとは思っていたのですが。。。学生時代、ある土地のある施設で1ヶ月間、住み込みの実習をしました。1ヶ月で、利用者さんと人間関係作って、一緒に生活して、実習記録書いて、、、心を寄り添った結果、あっという間に、その土地の話し言葉が定着してしまいました^^;

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2011/07/28 21:03
青森では小学校高学年になると、国語の授業の音読では
青森弁のまま読むか、共通語(風)に読むか、
自分で考えて自然と選ぶようになるそうですよ。

私は茨城の実家に帰ると、必要以上に茨城弁になります。
両親は水戸市内で働いてるし、別になまってないだろうと思ってたのですが、
東京出てきて数ヵ月後に実家に電話した時に
「あ、親もなまってるんだ」ってショックでした。

その後、自分が茨城の人と話すときは、
上京前より強力な茨城弁を話すようになってしまいました。


ところでこのタイトル、なんか土屋賢二みたいですね。
シュールなかんじが。

そういや、昔英語の問題集であったのが
「これはペンですか?」「いいえ、カメラです」
どんなカメラやねん。
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2011/07/28 16:56
日本に生まれて良かった・・・w
それなのに、日本語一つさえも満足に使いこなせてないというのは、反省せねば。
こんなこと考えたこともなかったなあ。
こういうこと知ってたら、国語嫌いの人たちももうちょっと真面目に勉強するかしら!?
日本語だけで生きていけるありがたみを知って、言葉をもっと大切にするかしら!?

あ、そうそう、福島県民も「これは本です」とちゃんと読めますね、イントネーション違うけどw

全く関係ないけど、方言遣い県民としては、通じるけど若干ニュアンスが違うんだよねー、標準語、と思うことがあります。それは県民性とか風土とか、独特の感性?感情?だったりするのかなあと。私が使いこなせるw方言とは、とかく、バカにされがちな方言なのですが、それでもやっぱり、方言や、故郷って大事にせねばならんな、と思うのでした。ただ、やっぱり共通語?標準語?公用語?を話せる能力は身につけないとねw実家の祖母が、在京中、アルバイト先に電話をくれた時、上司から「何語?」と突っ込まれたのは私ですwww



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