Nicotto Town


アニメ日記


もののけ姫

亡念のザムドを観た後何故か無性に観たくなりました。
再視聴です。
なかなかよかったですね


概要(色字はwikiより引用)
エミシの隠れ里に住む少年アシタカは、村を襲った「タタリガミ」に死の呪いをかけられる。
ただ死を待つより、己の運命を見定めるため、はるか西方の地を目指して旅立つ。

そこでアシタカが見たものは、森を切り拓いて鉄を作るタタラの民とその長エボシ、
森を守る山犬一族、そして山犬として生きる人間の少女サンであった。
アシタカはその狭間で、自分が呪われた理由を知る。
やがて、森を守ろうとする動物たちと、動物たちの長「シシ神」を殺そうとする人間の壮絶な戦いが始まる。


感想
ずいぶん昔に観たので記憶はあまり無いですね。
そもそも映画版ナウシカの焼き直しのイメージが強かったのでその当時はあまりいい印象が持てませんでした。
冒頭にあった濁りなき眼で見極めよという里長のセリフも視聴者(既視感を覚えた人)に向けられた様にも見えます。
まぁ時間も大分たつので今回は濁りなき眼で見れるのではと思います。


改めて観ましたがかぶっている部分がやはり目に付きました(それでも幾分和らぎました)
人と自然との共存がテーマなのでしょうが映画版ナウシカとは大分表現が異なると思いました。


大昔森に神々が住み人々に畏怖されていた時代というのは深層的に多くの人の中にあると思います。
その中でもシシ神は森の長であり生と死を司っています。


エボシは平和に過ごす為森を切り開き犬神と戦っている。
森を守る犬神達は力が弱まりつつも森を破壊する人間を憎み戦っている。
そして人側でありながら人と自然が共に生きる道は無いか中立の立場にいるアシタカ
人により(生贄として)捨てられ犬神に育てられ自然と共に生きるサン
この対比がいいですねどちらにも正義があるし答えが無い


自然対人の構図で映画版ナウシカと変わりませんがラストが大きく異なりますね
腐海の底で新たな自然の息吹を感じさせるラストでしたが
その後を考えると人は腐海の脅威に怯えながら共に生きそして(長い年月をかけて)滅ぶという風に取れます。
人よりも腐海の方が圧倒的なんですよね
そして何より人が悪として描かれている

一方もののけは人と自然が対等、どちらも生きるための戦いで勧善懲悪ではない
その上で自然の権化であるシシ神が人々の脅威とされていたが人が倒してしまう
シシ神の首が戻ったことで森に自然が戻るがそこには神が住まう森ではなくなっている。
最悪の事態を免れハッピーエンドに見えますが人が支配者になっているんですよね。
主導権は人間にあり森とどう接していくか責任を持って生きていかなければならない
この責任こそがシシ神から人間に向けての呪いなのかも知れません。


ラストのアシタカとサンの距離感もよかったと思います。
タタラ場に住む事にするアシタカは人側であり共存を模索するこれからの人間の象徴
自然と共に生きる事にするサンは人間嫌いは変わらないある意味自然の象徴
二人の関係が今後どのようになっていくのかも興味深いですね。

登場人物
アシタカ(cv松田洋治さん)
サン・カヤ(cv石田ゆり子さん)
エボシ御前(cv田中裕子さん)
ジコ坊(cv小林薫さん)
甲六(cv西村雅彦さん)
ゴンザ(cv上條恒彦さん)
トキ(cv島本須美さん)

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2011/08/03 20:51
あの主題歌はぞくぞく来る物がありますね。
作品にあっていてとても感慨深いです
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2011/08/02 23:12
主題歌を聴く度に鳥肌が立ってしまいます。
米良さんの歌声に涙が出そうになる><。
沁みます。。。
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2011/08/02 08:02
私なりの解釈ですが恋愛モノとしてみると物足りないと思います。
感情移入できる部分がほとんど無いですからね。

アシタカの行動原理は生きてほしい死んでほしくないという事によるものだと思います。
カヤの小刀をサンに渡したのも装飾品のプレゼントではなく生きていてほしいというお守り的な意味合いに取れます。
サンはもっと単純で優しさ怒り全て狼そのものなんですよね。人としてみるとあまりに・・てか観れないかw

人それぞれの解釈なのでいろいろな受け取り方もあると思います
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2011/08/01 01:14
そこまで深く考えてなかった。
ジブリシリーズとしては、中途半端な終わり方とは感じていたけど、その二人の関係を、視聴者達にリアルにおいての、人類と自然の関係のあり方を問いかけるメッセージとしてつくられたととらえれば、こういう終わり方もありなのかもしれないと少し考え直しました。



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