本屋大賞。
- カテゴリ:小説/詩
- 2008/11/19 13:37:15
大好きで、とても大切な本があります。
「博士の愛した数式」「夜のピクニック」
本屋大賞に輝いた本だとは知らずに図書館や書店で手に取り、何度も読み返し、後に本屋大賞だと知り、今は所有している本です。
静かで美しい小説を、好んで読みます。
風景が美しい、でも良いのですが、言葉が穏やかなもの。
つまりは、その人の文章の書き方を、気にするのです。
だからね、ごめんなさい、多くの人に愛されていると知っていても、A川次郎やM部みゆきは好まないのです。
要は、描写や言葉の選び方、行間、句読点の使い方が好きならば、
筋がつまらなくても、一応は読み通せるのです。
1冊の本を好きになると、その人の本ばかり読みます。
今は、伊坂幸太郎祭開催中。森博嗣祭は、そんなに盛り上がってはいません。
伊坂氏のいろいろな本を読んできて、昨晩は「ゴールデンスランバー」と「ラッシュライフ」を読みました。
読み終わって気づいたのですが、「ゴールデンスランバー」は、2008年の本屋大賞に輝いた本でした。
とてもとても好きな本が本屋大賞を取っていた。
だから、本屋大賞を取った本も、好きなのではないか。
そう思って、書店で手に取り、本屋の煽りポップを読み、買うことのなかった本でした。
読み終わって。伊坂幸太郎の中の本で、一番好きだ。一番面白いと思った。
どきどきしたし、悲しくなった。
しかしその魅力は、書店のポップからは感じ取れなかったのだ。
今晩は「ゴールデンスランバー」の双子作、「モダンタイムス」と「砂漠」を読んで寝ます。
明日はInterBEEの為に早起き。
女性向けの雑誌を見かけると、中を読むかどうかとは関係なく「女性向け」の雰囲気を感じる。
そんな見え方です。
「博士の愛した数式」を読んだ時、僕には「ああ、女性が書いた物語だ」という気分がしたのです。
例えば、テレビで女性タレントが「離婚」の話などすると、相手の前夫でも、物事でも、切り捨てるような態度で話すのを見ることがあります。
良くも悪くも、いかにも、女の「終わらせる方法」という感じがします。
「博士の愛した数式」では、作者の小川洋子さんは、意外と、作品中の人達と距離を置いて、話を組み立てているのではないかと感じます。
僕がもしなにか書くとしたら、極端な話、全ての登場人物が、自分の分身になってしまいます。
このあたりの距離感が、少し、突き放したように感じます。
伊坂氏は、伏線を幾つもばらまいて、そんなこともあったっけ、としばしば混乱してしまいます。
ちゃんと回収しているのが、すごいところなんですけどね。
単純に、話は面白いです。ただ、全然違う話なのに、別の小説で出てきた人物が出てくるのは、私は好きじゃないかなぁ。
そういう話がたくさんあるのは、知っているのですけど。
ガレッキーさん>>
ハードカバーだと、あらすじの書いてない本が多いですから、ポップが大事なのに
ポップで全然惹かれないのは問題ですよね!><
それも、本が好きな、熱心な本屋店員の仕事の一つだと思います。
ハードカバーにもあらすじが書いてあればいい!
ですよね! でも食わず嫌いもいけないと思って、ケータイ小説、読んだことあります。
最近話題になった、200万円を受賞した「あたし彼女」と、瀬戸内寂聴の「あしたの虹」。
はい。ぺらっぺらで、全く中身もない。文体も読みづらい。本当に自分より年上の人が書いた文章なのか。
でも、それは確かに文章の1つの流れであって(文学、ではないにしても)、それ自体は否定することはできないのでしょう。
好き嫌いは、別にして。
れおポンさん>>
私は小説が先だったので、そうか、映画にもやっぱり限界があるよなぁ、と思いながら映画を観ました。
突き放した感じ、ですか。今度気をつけてまた読んでみますが、とても暖かい話ですよね。
何度読んでも泣いてしまいます。
博士の視点から見た世界は、どんなものなのでしょうね。
私はその作家の息遣いって言ってますけど、それがその作家の色になりますからね^^
ポップは酷いのが多いですよね。これ書いた奴本当にこれ読んでんの?って言いたくなるものが多い。
ポップはポップを書いた人の色を消してくれるとありがたいんですけどね^^
今度読んでみます。
ぼくは句読点とか、改行とか、そうしたスタイルよりも、
その作家が作り出す風景にすんなり入れるかどうかが、大きいかな。
ぎりぎりに正確さを追求した文章を目指していたから、
その反動か、正反対な文章も、意外とすんなり受け入れられる。ようになった。
後から小説を読んで、良い本だと思いましたが、、ちょっと、映画の優しさに対して、原作の方が、ある面、突き放した感じがしました。
女性が時々見せる、冷めた視線といいますか。
女の残酷さは、女性がどの程度自覚しているか知りませんが、僕にはちょっと目を背けたくなるものです。
別に、具体的に「博士の愛した数式」のなかに描写されているわけではありません。
「博士の愛した数式」は好きな本の一つです。
ただなんとなく、僕は、小川洋子さんとは仲良くならないタイプの人だろうと感じるだけです。
逆の視点で、この小説を好きな女性が、後から映画を見ると、主人公である「私」が可愛い女でありすぎるかもしれませんね。
もう一つ、
博士自身の心の奥は、小説にも、映画にも描かれなかった。
これは、「記憶が定着しない」という状況、その心を、普通の人が想像で描いてしまったら、それは無責任だということだと思います。
でも、僕は、「博士の愛した数式」とは別の作品として、この心に踏み込んだ作品を読んでみたくなりました。
これ、すっごいわかる!
だから今のケータイ小説はまったく読む気がしない。
自分を表現するのはいいことだけど、表現に値する作品ばかりではないのが現状。(辛らつ?)
ボク自身もたまに小説を書いたりしてるから、よけい気になるのかもしれないけど・・
"風"や"空気"を感じることができる日本の小説が好きな反面、「動の描写」や想像力をかきたてられる一部の海外作品も好きです。
だから図書館の存在は欠かせません(笑)
滋賀県は日本で一番、図書館の利用率が高い県だって(´ー`)
ボクもその一人です。