震災を逃れて
- カテゴリ:日記
- 2011/09/01 21:20:02
こんにちわ 皆さんお元気ですか
僕は元気です。
さて、先月の末から今日まで、東京都のある取り組みに関わってきた。
その取り組みというのは
「東京都が今回の震災で被災した児童、生徒で、何らかの理由で親元から学校に通えなくなった子供達を、都内の施設に引き取り、勉学を続けさせる。」
と言う物だ。
この施設に預けられた子供達は、期間中、衣・食・住に関わる費用、東京都内の学校に通うための授業料、交通費などは一切を東京都が負担する物である。
期間は今年の4月1日から来年の3月31日まで ちょうど一年間である。当初、スタートした時点では7月末までだったのが、反響が大きく年度末まで延長された。
子供達は 下は小学校一年生、上は高校三年生に至るまでの 総勢20数名である。
彼らは全員が 一カ所で集団生活を送っている。
そして今回、実際にこのプログラムを利用している子供達のすべてが
「福島県出身」なのだ。
親元から通えない、とはどういう事かというと
「学校そのものが原発に非常に近く学校が閉鎖されてしまった」
「両親が被災した結果、仕事を失い金銭的な負担が出来ない」
「親は福島県下に仕事を持っていて 本来なら親も一緒に避難したいが、仕事を今辞めることが出来ないので子供だけでも避難させたい」
などなどである。
子供達はとても仲良く暮らしている。こういった集団生活だと「いじめ」とかが気になる物だが、彼らの間にはそういった物はない。楽しく合宿生活、と言った雰囲気さえある。高校生達が小さい子達を邪魔者にせず、良く面倒を見ているのには感心させられた。同じ境遇にある、と言うことを皆共有しているのであろうか。基本的には東京都の職員が数名、全員の面倒を見ている。夜間には小学生の部屋に一緒に寝泊まりしている。
でもやっぱり寂しいのだろう、小学生は泣き出してしまう子供もいた。そういったときに高校生が慰めていたりしていた。
高校生達も 最初は何となく『東京に来れてラッキー」みたいな感じだった子が多かったらしいが、皆、それぞれの将来を模索し始めている。
特に夏休みに入ってから高校3年生達は、否応なく選択を迫られ始めた。
「就職するのか、進学か」
である。
ちょうど学年の変わり目に震災が起き、ばたばたと東京へやってきた彼ら。
3人の高校三年生のうち、はっきりと進学の希望を示しているのは女の子一人。
集団生活の中で受験勉強のペースを作っていくのはとても難しいように感じられた。
団体生活であるから自分の時間が持てない、一人になれる時間があまりないからである。でも朝五時には起きて、廊下で一人勉強している。東京に来て、勉強のレベルが違うことを実感したそうで、気を引き締めて頑張って勉強していくと言っていた。
就職することに決めた男の子は、正直、とても親にこれ以上の学費の負担はさせられない、福島に何時戻れるかも分からない、と覚悟を決め、東京で就職先を探すことに決めたそうだ。そして転入してきた東京の高校で猛勉強して1学期の成績は学年3位になったそうだ。学校からの推薦で就職できるように頑張ったそうだ。
実は彼はフィリピン人との混血である。小さいころからそれを理由にいじめられたこともあり、昨年までの学校の成績は良くなかったそうだ。
でも 震災がきっかけで 彼は成長することが出来たようだ。
「いつか 親を東京に呼び寄せて一緒に暮らしたい。だから正社員で、頑張れば昇級もしていけるような、そういう職場に行きたい」と僕らに語ってくれた。
この二人とは逆に、もう一人の高3の男子は、震災以来、彼の中の時計は止まってしまった。何にも積極的になれず、決断することを避けてきてしまった。「震災が起きて一番嫌だったことは、3年生になっちゃったことだな」と彼は語った。ご両親も仕事を失い、辛い時期を過ごしている。何とかしてあげたい、と思うのだが、手をさしのべることが出来ない。力になってあげられないままだった。
高校二年生の女の子は元々吹奏楽をやっていたが、転入先の学校に吹奏楽部が無く同じクラスになった子に誘われて、今は野球部のマネージャーをやっている。学校が宿舎から遠いので誰よりも早く出て行き、かなり遅くまで帰ってこない。でもマネージャーという新しい楽しみを見つけて、この夏は真っ黒に日焼けしていた。ご両親としては実は夏までで引き取ろうと思っていたのだが、彼女の充実した生活を見て、年度末まで東京に置くことにしたそうだ。彼女は何とかして、来年も東京の学校に残りたいと考えているそうだ。
今日、九月一日。高校生は夏休みがおわり、学校生活が始まる。僕が彼らと過ごすのも今日までだ。この宿舎の生活には たくさんの人生が詰まっている。そしてその多くの人生が震災をきっかけに良くも悪くも変わってしまった。
5年後。またこの生徒達に会いたい。彼らが一体どんな人生を送るのか。


























不便でも同じ悲劇を体験した人達と、一緒に過ごす方が心強いからってことならしい。
年齢の幅があっても、子どもたちがとりあえず同じ場所で暮らせるのはいいことだと思う。
他人の人生に関わる事ってめったにないですが スゴイ事ですね
お忙しいジョージさん ご自分の健康管理を1番にして下さいネ^^
彼らとの出会いに感謝ですね^^
私も是非5年後の彼ら・彼女らを知りたいのでまたブログに書いて下さいね。
5年後もニコットが存続してますように(笑)
ではまた~。(--)v
当時その理由は「親からの自立」って偉そうに言ってましたっけ。
今になると実際は「親への反発」だったのだとわかる。
大人と子供の狭間で
決断しなきゃいけない状況にある彼らとは
比べ物にならない「甘ちゃん」だったので
状況は違いすぎるけれど・・・。
ただ同じく色々もがいている中で
理解して欲しいとか
助けて欲しいは思わなかったけど、
見てて欲しかったかも。。。
今より数段大人な考えがあったけれど
それは子供の背伸びの部分でもあったかな。
きっとみんな5年後には強くなっているはず^^
噛みしめますよね。
そして、どんな小さなことにも感謝の気持ちを持つようになります。
自分達の将来、親の事、手を差し伸べてくれる人達への感謝。
同年代の子供より思慮深くなり、そして人間的にとても成長できる機会なのだと
+志向で捉えて、頑張って欲しいと思います。
そして、忍耐と努力に見合う幸せを、掴んで欲しいと思います。
それでも時は刻まれていくから、前を向いて歩いていくしかないね。
そうやって人生を乗り越えていくことがそれぞれ貴重なんだね。
このブログを読むまで広い視野でしか日本を見れていなかったけれど、
改めて人間の営みをクローズアップして感じることができた。
お疲れ様でし。
知り合った20人との再会が叶う事をお祈りいたします。
てか。。。
ジョージよ。。。君は一体何者さwww∑(゚◇゚ノ)ノ
ジョージさん、5年後にまた彼らに会ってください^^