Nicotto Town


濃すぎる毒入り日記


オバカなネット住民

一週間くらい前の朝日新聞に内田樹さんの寄稿があった。タイトルは「情報格差社会」で、情報リテラシーをテーマとしている。
これほど、他人の意見に膝打って同意同意同意と思ったことは、久しくなかった。
全文は、こちら↓
http://blog.tatsuru.com/2011/09/16_1350.php

一番の肝を抜粋してみた。
>「情報の良否が判断できないユーザー」の特徴は、話を単純にしたがること、それゆえ最も知的負荷の少ない世界解釈法である「陰謀史観」に飛びつくことである。
>ネット上には、世の中のすべての不幸は「それによって受益している悪の張本人(マニピュレイター)」のしわざであるという「インサイダー情報」が溢れかえっている。「陰謀史観」は、この解釈を採用する人々に「私は他の人たちが知らない世の中の成り立ちについての“秘密”を知っている」という全能感を与えてしまう。
>そして、ひとたびこの全能感になじんだ人々はもう以後それ以外の解釈可能性を認めなくなる。彼らは朝から晩までディスプレイにしがみついている自分を「例外的な情報通」だと信じているので、マスメディアからの情報を世論を操作するための「嘘」だと退ける。
>こうやって「情報難民」が発生する。彼らの不幸は自分が「難民」だということを知らないという点にある。

格差社会ということで、「情報難民」の対として、「クオリティの高い情報の発信者」や「情報価値を適切に判定できる人」があるとしています。日本のいわゆる全国紙を皆が読んでいた時代にはミニマムな情報共有があったのが、ネット時代になって、大量の情報を選別できるかどうかで、皮肉にも情報格差が生じたといっています。

「情報難民」と呼んでますが、要するに「オバカなネット住民」ということでしょう。
ニコタのブロガーさんにもいますし、日本中に何万といる、ネットのどっかに書いてあったことを丸写しして、何か毎日警鐘を鳴らしている方のことでしょう。
ネトウヨさんとか、反原発の人とか、ユダヤの世界支配を見抜いた人とか、そんなブロガーさんですね。

内田さんは、「私は他の人たちが知らない世の中の成り立ちについての“秘密”を知っている」という全能感を与えてしまう。」から、情報難民は、難民である自分に気付かないといっていますが、むろん、バカは自分をバカと思わないのでバカなので、その通りですが、私が思うのは別の理由です。

コピペをするということは、他にも自分と同じくコピペをする人がいるわけで、お互いにトラバなり相互訪問して、「その通りですね」「激しく同意」と相互承認してしまう。こうすると、本当はバカがコピペしただけのものが、世間(www)から認められた自分の考えに転じていくのだと思います。
↑については、実は、いくつかのSNSで、ネトウヨさんや反原発なコピペを繰り返す人を、ヨイショして聞きだしたら、まぁそういう認識でしたので、あながち間違いでもないと思っています。

そういうおバカさんがカリスマとする人をきいてみると、すごく偏っているわけです。
逆の意見や異なる視点も踏まえているかというと、「No そうした連中は、原子力ムラとか国とか自虐史観とかに侵されている」というのです、異口同音に。

まぁ、自分だって、内田さんのいう格差社会で二分されたら、難民側かもしれないけれど、インターネット以降の情報ツールが、富や自由や革命を世界で生み出しているときに、日本では無駄にしちゃっている気はしますね。
ローマ帝国の末期に「パンとサーカス」で隷従する愚民がいたのだけど、「失業保険とネット」で満足して、決して国家や体制を打破するとか、自ら社会をリードするとか、そういうことはしない「脳内革命家」ですんでいるかぎり、たぶん、日本は変わらないでしょう。

脱原発について最も深刻に考え、最も過激にアクションしている政治家として、人間として大嫌いだけれど、自民党・河野太郎さんを、その点では私は評価しています。
彼のブログには、3.11以降「オバカな反原発ネット住民」のコメントが殺到していて。曰く「ブログ読みました。」「共感します」「サイコーです」etc.これに河野氏は激怒するわけです。「ブログ読みましたで、社会も原子力ムラも変わらないんですよ!」「コメントいらないから、その気持ちを地元の議員に伝えて下さい!」しかし、そのブログにまたまた「ブログ読みました」「その通りですね」の嵐www

しかし、内田さん、情報難民は新聞読まないんだよね?

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2011/09/24 08:05
たぬ休さん へ、

>まあ、どっちもどっちなんだろうなぁとは思いますが。
>情報媒体が何であろうと見る人は見るし、見ない人は見ない。
 全く見ない人が、昭和の日本では奇跡的に少ない(欧米の20世紀には、知の寡占というのがあったとも内田さんは書いてますよね)そこを前提にして、それが崩壊しつつあるってのが、この「情報格差社会」というテーマなので、↑のような認識だと、話は進まないですね。
 事実どうだといえば、新聞・ニュースあるいは読書の時間が減っているとか、日本人の色々な面での知力の低下とか、フジテレビに何万人が殺到するとか、バカが増えていることを窺わせる事実はいくつもありますよね。
 少なくとも、昭和の時代に陰謀論読んでるバカが、その話を世間に広める手段もないし、バカがバカ言うのをバカ言ってらとスルーするだけの常識がありました。いまは、真珠湾は米国の陰謀とか原発は核兵器製造のために導入されたとか、バカの中でどんどん無検証に流布していく。
 かつては、バカ個人の中で、少なくとも拡大再生産されずにバカの自己完結があったものが、バカが放射能かネズミ講のように増殖しているのがネット社会の一面だと思いますよ。

>大衆は大衆としての日常を全うすることが最大の仕事なんだろうと思います。
>そして選挙権は責任を持って確実に行使する。
 その通りだと思いますよ。
 このことを考えるときに、いつも僕が思うのは「ネトウヨの人って選挙権行使しているの?」「自分に叶う候補がいないなら極右政党を何故つくらないの?」ってこと。シャミンな方には、みずほちゃんと素敵な仲間達という受け皿があるんだけどね。ネトウヨさんは、アベシンちゃんとか立ちあがれないジジイとかに投票してんのかなぁ?
 それと、日常を全うしてないオバカがいっぱいいますよね。一日中ネットに張り付くことが一概に悪いとは思わないけれど、働きも活動もせずに、ネットの中で勇ましいことやカッコイイことだけ匿名で書く行為ってのは「生産性ゼロ」でしょ。

 河野さんのくだりについては、彼のブログを読んでみることを進めます。たぬ休さんの意見は、河野さんとブロガーのやりとりを踏まえていないので、その文脈においては失当になっていますから。
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2011/09/24 07:50
ペー子さん へ、

無知の知とか、己を知るとか、人間が生きて行く上で基本なので、ペー子さんが書いている認識があれば、そうそう道を誤ることはないと思います。
その上で「知る」ってことが、案外と簡単でないというのがあると思います。

世の中の情報で、鵜呑みにして、それを唯一絶対としていいものなんて、ほんと少ないですから。
 近所のスーパーの卵が「特価セール」でも他店はどうよ?ホントに底値?ってのがあるし、
 阪神は巨人と引き分けってことも、勝ちに近いのか負けに近いのか、この時期とか試合内容とかで、全然違う。
 バス運転手が垂れた電線掴んで感電死だって、勤務中か否か、運行に必要だったのかとか、色々分からないとアホなのか高い職業意識なのか分からない。

まして、歴史的経緯を踏まえた日韓関係とか、我が国における原発の必要性と収斂アプローチなんて、なんで偏った意見をコピペして納得できるのか、全く理解できない。
オバカと言ってしまうのは、物を知らないからではなく、物を知ろうとしないからです。
そして、かつては、「物を知らない」環境にある人は、知らないということを知っていて、自分の持つ生活の知恵とか人間としての規範とかで、自分に必要な範囲で考えていたと思う。

いま、ネットでコピペという猿でも出来る行為が、「自分は物を知らない」という事実と、「自分は知らなくてはならない」という責務を、見えなくさせているんだと思います。
ネットでコピペ自体は僕も多用してますが、ジャッカー電撃隊の4人個々の動力源なんて、知らなくて当然だけど、知らないで語るわけにもいかないから、wiki写すわけですがwww

それと、オバカとか連発すると、オマエはどうなんだと当たり前に突っ込まれるのですが、僕もバカですよ、ペー子さんと同じ文脈でバカ。
でも、バカが他人をバカと言っていけないというのは、金持ちは貧乏人を蔑んでいいといった選民主義につながるので、反対です。バカでも天才でも、バカにはバカと言っていいのです。バカでない人にバカというのは誹謗ですが、バカにバカというのは事実の指摘ですから。
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2011/09/24 07:37
shokonさん へ、

別に新聞は取らなくてもいいと思いますよ。
新聞を取る者は賢く、新聞を取らない者はオバカということではないので。
むしろ、朝日or読売 に 日経読めば、宮仕えが務まるという昭和・20世紀は終わったということでしょうし。

>何であれ、入ってきた情報は自らの感性のフィルターを通して
>重要と思われるものだけが記憶に残り、他は記憶の底に沈んで行くのみ。
>そのわずかな真実とおぼしきものたちをこれからの道しるべとして
>人とコミュニケーションして生きてます。
 極めて正論だと思います。
 自分が社会と関わる上で必要な知識を十分確保・更新するために、新聞でもネットでも効率的なツールを用いて、情報や言論を収集して、自分なりに消化していく。それに尽きます。
 
>言いたいことは言うべき時が来たら言うべき場所で言えたら良いな。
 これが、ネットで匿名であっては、多くの場合には何の進化も生まないのでしょう。
 どうでもいい芸能人のブログが一時閉鎖になる程度の影響力かw

なんていいつつ、僕がこうしたことを書いているのは、↑の論でいえば、全く必要のない進化も生まないことなんだけど、それはその通りですwww
要するに、暇人の暇つぶしですから。
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2011/09/24 07:29
DAIさん へ

>『テロリストのパラソル』の人だね。
 それは、作家の藤原伊織さん。
 内田樹は、大学教授を生業とする思想家。
 藤原さんと内田さんは、同じ世代で東大仏文卒だけど、wikiで確かめたら、キャンパスを同じくしたことはないみたい。

>1 思い込みたいということはネット以外に自分の信条を補強してくれる共感者や、環境が少ないということだし、
>思い込みたい人というのは、別の目的があって自分の探究心を鼓舞したいのですね。
 僕の論旨は、「思い込みたい人」とされる「コピペのオバカさん」に「探究心」はないってこと。ここでの「探究心」とは、20世紀的・昭和的な向上心や社会アプローチを内包しているわけですが。
 それと、僕は「思い込みたい人」自体は否定していないし、それどころか評価しています。街宣車乗って靖国参拝を閣僚に求めてもいいし、UFOの実在について懸命に探究してもいいし、原発が何故不要かをキチンと調べて東電にデモしてもいい。そうした言動は、私個人の思想信条からは同意し得ないが、彼ら・彼女らのアプローチはむしろ評価したい。
 「オバカ」なのは、思索も咀嚼もせず、ひがなコピペをすることです。

>2思い込みを明確に非難したりするのは、人々を不要に傷つけたり、人によったら言質どおりの非難であると思われても仕方のない危険な行為だけどね。
>肉体活動の一部として出る音声言語が、相手を知らないで文字だけで飛んでゆく記述言語と同じと思って、使っていると火傷するよね。
 言っている意味がよく分かりません。
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2011/09/24 00:01
『テロリストのパラソル』の人だね。DAIにはなぜか村上春樹とイメージがかぶるんですが。

ネットの時代になって、強力な思い込みは増長されたね。

思い込みたい人というのは、別の目的があって自分の探究心を
鼓舞したいのですね。そういったときに出る対象への非難が、
対象への言質そのままの非難なのかどうか、見極めるのは人間力が要りますね。

ただ、
1 思い込みたいということはネット以外に自分の信条を補強してくれる共感者や、
環境が少ないということだし、

2思い込みを明確に非難したりするのは、人々を不要に傷つけたり、
人によったら言質どおりの非難であると思われても仕方のない危険な行為だけどね。

肉体活動の一部として出る音声言語が、相手を知らないで文字だけで飛んでゆく記述言語と同じと思って、
使っていると火傷するよね。
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2011/09/23 22:44
ゴメンナサイ新聞とってません(-_-;)

読む暇ないし、たまるし。朝刊配達してたときは、マンションのエレベーターの中で
一面の見出しと書籍の広告とかを読んでましたが。

今は携帯電話のニュースとかくらいです(-_-;)
自家用車で通勤してたりすると、ナカナカ新聞読む時間作れません(笑)
ニコタの時間はとれるのに変ね?

何であれ、入ってきた情報は自らの感性のフィルターを通して
重要と思われるものだけが記憶に残り、他は記憶の底に沈んで行くのみ。

そのわずかな真実とおぼしきものたちをこれからの道しるべとして
人とコミュニケーションして生きてます。

言いたいことは言うべき時が来たら言うべき場所で言えたら良いな。
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2011/09/23 22:15
情報貴族にも情報難民にも属さず、情報格差社会にさえも置いて行かれているであろうペー子さんですが、自分がおバカなことだけは知っている、ちょっとまともなバカなので、なんにしろすぐ鵜呑みにしないようには気を付けていますw時事問題なんかの難しいお話に限らず、日常のたわいないことでも、何でも一方からものを見るのはよろしくないかと。ネットの情報にしろ、新聞の情報にしろ、私のような人間には、どっちが真実かなんて判断もできないので、どちらも、情報として耳・頭に入れて、後は、必要そうなとこだけちょこっと覚えておくw物事を総合的に判断するほどの情報や知識もないので、身の程を知ってつつましやかに人生を送ろうと思っていますwそんならイチイチコメントしなければいいのにね、ゴメンなさいね、出しゃばりなおばさんで。なんだか、これだけだらだらと自らバカ宣言して、自分の生き方まで宣言して、一体何がしたいんでしょうね、人のブログでwあ、そうそう、たぬきの休息さんのおっしゃるように大衆の日常は全うして選挙権はきちんと行使してますので、まぁ、見逃してください・・・ホントごめんなさい・・・w

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2011/09/23 21:25
まあ、どっちもどっちなんだろうなぁとは思いますが。

ネットだけで情報収集すれば、価値がない情報や虚偽の情報もあふれていますし偏りもありますから、その中の大勢に沿って頷いてみたり、おっしゃるような陰謀論者になってみたりという危険性はあります。
しかし、一般にネットなんてものがなかった頃から陰謀論の書籍は様々ありましたし、新聞やテレビの報道が常に公正だったわけでもない。
文化大革命の賛美やらイラクの核ミサイル疑惑における対米追従報道やらをみてもね。

情報媒体が何であろうと見る人は見るし、見ない人は見ない。

ネットについては、知らない誰かと意見交換できるようになって気兼ねないというレベルでとどまるのか、そちらに軸足を移して日常を切り離してしまうのかという違いで見る方法もあるのかも。

大衆は大衆としての日常を全うすることが最大の仕事なんだろうと思います。
そして選挙権は責任を持って確実に行使する。

河野氏の意見は正しいようにも聞こえますが、現実問題として彼の主張通り全有権者が政治ニュースを隅から隅まで把握して地元議員に意見を伝えに行くようでは困ります。
政治は一義的には選出された政治家がすべき仕事。
有権者があれこれ動かなければ何もできないのなら直接民主制でも採用すればいいのです。

政治家のブログへの賛同書き込みは所詮「自分の活動を知っている人がいるんだな」レベル。
そんなものに一喜一憂している暇があったら「どうすれば必要な法案を通すために議員の中に賛同者を増やせるのか」、議員として自身が具体的に考えて動けばよいのです。
ネット上の通行人に「おまえらが議員を動かせ」っていうのは職務放棄に近い。
(過激で芸術的な舞台の入りが悪いのをファンに当たり散らしているのと同じような印象。宣伝するなり、とっつきやすい要素を提供するなりするのは開催者の責任ですよね。)
政治家に政治をしてもらうために多額の費用をかけて選挙をし、各議員には歳費他の必要経費を支給しているのですから。



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