機械の歌もここまで進んでんだがww
- カテゴリ:ニュース
- 2011/09/27 23:27:01
コメントにいっぱい書いても善いんだけど、ブログだとコインが貰えるので、こっちで。ww
僕は音痴で、僕よりも音程をきちんと聞き分けられる人が、知り合いにいくらでもいるんだが。なぜか、音楽や音質評価に関しては、自分が一番頼られるという。ww いわゆる経験値ってもんだろうな~。そんで、世間一般の人には、ボカロそのものをよく知らない人の方がまだまだ多い。
そして、写真は真実を写すと、思い込んでる(刷り込まれてる?)のと同じで。CDに入ってる歌は真実、つまり大した加工がされて無いと思い込んでるみたい。これは、CDの音しか聞いたこと無くて、ライブハウスやコンサートに行って実際の音を聞いた事が無い人ほど、そう言う思い込みが強い。
CMで使われる写真が加工されてるのは、当然だと思うんだけど、普通はここまで来てるのを実感できてなかったりする。
●美し過ぎて掲載禁止に!ジュリア・ロバーツ、ランコムの広告は「非現実的」と英広告基準局が指摘
http://news.infoseek.co.jp/article/cinematodayw_N0034106/
さて、人間の歌唱を機械に移すってのは、既にCDで実現出来てる訳です。音声合成は、自由自在に歌わせられれば善いな、と言う話ですな。
CSM合成って言葉は知らなかった。ま、こんなんだな。
●midiで音声を再現(ry - その3
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6883510
この人に、ボーカルの抽出とスペクトル分析プログラムの一般公開をして欲しかったんだけど、この動画以後、こっちの方には音沙汰無いんだな~。さみしい
そして、メグッポイドの本気
●GUMIの【ぼかんないんです><】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11188434
もう、あゆの歌真似やと言われたら、普通に歌うますぎるなと思うレベル。ww 怒る人も居ると思うけど、ぶっちゃけ、中の人より歌うまい。音楽のプロは日々このレベルの音声修正をしてるんだから、CDに入ってる音が相当加工されているのも、当たり前な話なんだよね。
正直言うと、みんな機械が歌うって事を特別って感じてるから、すぐに人間らしくないとか、言うんだけども。大抵のボカロ曲は普通人が歌うより、うまく歌ってると思う。少なくとも、僕の作ったUTAUの作品は、僕がカラオケで歌うよりも、はるかにうまい。orz
こんな事を言うと、「人間が機械に勝てるわけが無い!」と脊髄反射で反応されたりして、結局話は前に進まないんだよな~。だから、もう既に部分的に機械は人間に勝ってると思ってます。後何十年かしたら、ハイテクニックなこんな歌は、人間が歌っててもボカロだと間違われるようになるんじゃないか!? www
●アル・ジャローのスペイン
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4017180
世界一歌がうまいと思ってる。少なくとも声の楽器化を世界一突き詰めてる人だ。
でも、人の作品の複製を中に入れて、ずいぶんとまぁえらそうなこと言えたなぁってw
「引用」って言葉の意味と世間的な範疇をわかってんのかなぁと。こればっかりは人としてどーかと思うよ。
クレジット入ってるだけここで写経の如く書き写してる奴よりましなのかもしれないが。
まぁ、「数の引力」って奴があるから「鋭敏な感性(笑)」とか思ってしまうのですがね?
存在はするけど「憂う根拠のひとつの「数」」を考えるとどーかね?って。
その当事者の発言がなければ、「みんなが聞いているから」かもしれませんしそんなもん感性の対極にあるわけで。
歌い手さんは、「選曲」が大きいような気はします。
多くの人は「何かを言うのには基準を必要とする」ので、それが知ってるもののほうがほめるのもけなすのも楽ですしねぇ。
後は、曲に対して適正があるか。コメントや作品からにじむ人柄とか。
臨界点は確かにあります。どんなにくだらないものでも「みんなが見てるから」は価値や評価として大きいのですよ。
でも、そういうものに動かされる人たちですから、どれくらい「本当に気に入ってくれるか」は不定なのですが、それでも、届かないことには評価もされないのでね…。
何がほしいのか?にもよりますな。数だけでいいのか?心から気に入ってくれる人がほしいのか?理解してくれる人がほしいのか?似ていても違うのだよな。
名のあるPの人が、あんまり騒がれるのもいやなので別アカウントで作品投稿したら。まったく見てもらえなかったって話しは時々聞きますよね。そして、ボカロPよりも歌い手さんの方がはるかにうまい下手の差が小さいのに、なんであんなに再生数に差が付くのか。CD売り上げと同じような感じなんだけど、ニコニコ上ではそんなにプロモーションに差がつけられないと思うのにね。
ある程度有名になると一気に行くって、臨界点があるんだるーなあ。
いや、あの物言いで、引用の範疇を越えたコピーってのもライセンスなり許諾なりを明記せずにするのは「人として恥を知るべき」だと思うよ?w内容以前に。
あと、鋭敏な感覚じゃなくて「元からあのPV」ですからねぇ。映像美もあるので、知ってるあの曲歌いたい。ガキの感性なんて多くはそんなもの。だから、必死に広告して、引力を作れるような話題性を生むように画策したマーケティングが跋扈する。世の中憂う前に「本人に何を思って聴くのか」は確認しないとw
と、思ったりもしたけどこれは自分の主観。
あと、知名度、露出度という問題もあります。どうしても「知っている」曲や作者を探してしまうので、まずは「それなりの知名度」って壁を越えなければならず、コピーの場合はそれを免れる代わりに「オリジナル」という大きな壁があるのですよね。いい曲も聴いてもらえなければ、評価もされないってところもありますし、オリジナルのほうが「評価独り占め」なのは確かですが、聴いてもらえるところまでまず持っていかないといけないのが「普通の人」には難しいのです。
が、「初音ミク」とか「Vocaloid」タグはそれを実現するキーだったりするのがムーブメントとしては「凄い」所でして。
今は亡きMysound(プレイヤーズ王国)なんかにも凄いのも残念なのもゴロゴロしていたのですが、やっぱり曲にとっては「たどり着いてもらえる」までが茨の道のようでしたねぇ。
”BREEZE”はねえ、仰るとおりで実力の無さからなかなか手を付けられないでいたのが。他の人のカバーが出て、あこんなもんでも良いのかなと、思えたから手を付けてみようかと。上から目線と言うか、ひどい奴だ。w まあ、カバーしたくて仕方なかったし、良い機会ですよ。
「メルトダウン」とか「核」っていってるのになんかごねてるのもいるしwワードに脊髄で反射しないで海馬くらいは通してから出直せと。
ギャル文字なんかにも思うのですけど、テキストデータとしての可搬性、可読性を考えれば下らないのだけど、それでも「文字が実は線の集合体の図形である」って所まで戻して再構成するのは、すでにあるものを使うだけの人間は別として、それをやり始めた人の発想はなかなか柔軟であると思います。そういう対象のいろんな側面見てそれから考えないと。あれってあの世代の書き文字に似てたりしますしね。
退廃的なワードからネガティヴなイメージを受けた感性まではおっさんも多分間違ってない。でも、論理を構築する前の前処理が腐っている。
全体を聞いてない。構造を見てない、当事者にきかない。それが「耳」がないってこと。まぁ、「その音源の姿」すらイメージできないってどうかと思うけど。
海苔子な人は「いい意味でフリーダム」だとおもいます。
本人は間違いなく実力があると思うんだけど、それを「歌いたいように歌う。感じたように歌う」で、それがきちんと高いレベルで毎度昇華されてるってのがね。どれも、オリジナルと似てるわけじゃない。でも、聞いていて楽しいし、本人も楽しんでやってるのがわかる。曲目も…聞いたイメージよりも難易度高いものが多いんだけどそれを感じさせないようなできばえが多くw
同じ旋律が違う顔や表情を見せるところが「歌うだけで表現者を気取れる唯一の根拠」だと思うのですよ。
同時に「自分の歌声だ」と言い張れる凄みだと。物まねも芸ではあるけど、100点の側が固定されてると、減点法になってしまうから面白くないのだよなぁ。技術ではあるけど音楽なのか?っていうとね…。
しかしハードル高いもののカバーを所望したものだな。
Vocaloidのカバーが多いのは、そのマッシュアップがその原動力や文化の根幹であるのと同時に「未完成だから」なのだろうと。
BREEZEなんかだと、何かヴィジョンがないと、自分が作ったときのオリジナルを汚さない完成イメージを描きづらいのではないかと。どっかポンコツだと、これくらいならなんとか!って思える取っ掛かりがあるってのは大きいと思うのですよね。
>http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/L1/210612.htm
>こんなことを臆面もなく言えるようになるようでw
音楽だからって、なんでも耳のせいにするのも。www こんなん一々覚えてたら脳細胞がもったいない。しかし、面白いな。そして、最後にきっちり言われてるし。最初の二人はたぶんそれなりの専門家だわ。専門家過ぎて自分の物差しが一種類だけになってしまったんだよな。フロイト学派の人の書いてる文章とか読むと、本当にそう思う。w
リツカは知ってたけど海苔海苔の人は初めてです。海苔海苔の人すごいな。そして、再生数が...
ボカロでオリジナルの方が偉いのは、歌ってみたでも同じ傾向って事か。自分なりのカバーをしても、あまり評価されない。歌い手さんもオリジナルで参戦した方が伸びるのかもな。
●祭屋 BREEZE
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10999542
この曲聴いてすぐに、作曲した人にカバーさせてくれってお願いしたんだ。なんだかんだで、ずっとカバー出来ずにいたら、つい最近までカバーが出なくて。なんか人間の曲には、カバー作っちゃいかんと言う不文律でもあるのかと思った。カバー一番乗りは出来なかったけど、来年早々くらいにはしたいなと思ってます。
歌詞のギミックが色々面白かったりするのですが、まぁ、わかってもわからなくてもわかりやすい映像付きでしたし。
着想的には、作り物、合成音、ボーカロイドって感じですけども。
「あたまわるいうた」なんかも普通に歌ってもなぁ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4534199
派手さも凄みもないけど、それでも聞いてて楽しいんだからしょうがないw
まぁ、きちんと聞く耳持たないと
http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/L1/210612.htm
こんなことを臆面もなく言えるようになるようでw
炉心融解は音と、歌の間あたりを狙っていて、歌詞も実質的な意味よりはイメージワードっていう印象があるんだけど…あの「人間じゃうたわねぇよな」っていう歌を歌っちゃう人がいるのも「人間もすげぇ」と思うゆえんではあります。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5696099
素直にリファインされた感じですし、
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5852944
この曲でもまだ、表現に余裕を残してたり。
ただ、「解釈や表現の違い」なんかはもっとあったほうが「面白い」んですが、「波形が近いほど評価が高い」ってのはいまひとつ納得いかない傾向だったりはしますし、素直に「歌うまい人間やっぱすげぇ」とも思います。
きちんと自分の解釈や表現を持って歌ってるのはむしろ違っていることが(好き嫌いこそあれ)とても面白いと思うのですけどね。
ただ、完全な理想はなくても、共通項に近いものはあるわけで、それがどういう要素で、何に惹かれるのかは興味があるのですよ。
ほんとに何がヒットするか判らんのだよな。
こんな事も、人間の顔とかと違って音楽には「万人共通の理想が無い」って例なんじゃないかな。
アタックだけPCMで、残りは演算っていう音源もあるくらい、アタック部分って普通の楽音でも大事ですし。
あの曲は、歌に全部を背負わせてないんですよね。
バックトラックだけで、すでに楽しくて明るい曲になってて、ちょっと加工することでかわいらしさだけうまく取り出せてると思います。
どうしても「普通の曲」はVocalが全ての表現の中心を担いがちなので、自己表現がないVocaloidは打ち込みを頑張らないと、曲の表現を支えられない気がするのですよ。
あと、音楽駄目だからしゃべらせてみるとか、とりあえず、ゲーム辺りから、音程抜いてきて食わせてみるとか、そういう「ネタ」とか、「遊び」が出てきにくくはなっていて、どっちかというとそういうのはMMDにシフトしたかもしれませんね。
うまい人が多すぎて、追い出されちゃった気がするのですよ。で、うまい人は「普通の曲」を書いてしまうしねぇ。
あの「ロボロボしたあたりに収束」させてしまうことが標準になるとこれまた、表現として飽きられてしまう可能性がある。今はあの「ロボロボした辺り」を喜んでもらえてるから何とかなっているけれど…。
「ハト」とか、「*ハロー、プラネット。」辺りは、普通に発表されたらどんないいVocalが付いても埋もれてしまった気はしますしね。そういう「ちょっと普通は積極的に耳にしようと思わないような曲」に需要を作ったのは「思考がとまってても」初音ミクだけで検索しちゃうような層にも意味はあったと思うのですが。
あと、「ココロ」と「ココロ・キセキ」辺りは、プロダクトの特性がうまく回った感じがしますね。
リンクの曲はほのぼのして良いな。僕がボカロ、ニコニコをウォッチし始めてまだ一年ちょっとですが、こんな曲が最近は少ないんじゃないかと思う。出てるのかもしれんが、ランキングが上がりにくい様に感じてます。
ボカロ3の動き次第ではボカロ系のブームも萎んじゃう可能性はあるかもですね。どうなっていく事やら。
ミクの成功って子音が比較的ちゃんと出ることで、MEIKOも、鏡音以降のそれもどうしてもその辺りが素直じゃなくてもごもごする。
あと、初期のユーザの力は絶対に大きいと思うのだよなぁ。OsterProjectのそれとか、ああいう曲が、「下手だけど作編曲者とガンバリマス」的なイメージを生成してるわけで。
でも、思考がとまった「キモチワルイ」人が増えると、多分「普通の人」は引く。
あと「無機的なそれ」もうまく使わないと、表現として死ぬ。
いろんな意味で次のブレイクスルーを必要とする時期にはきてる気がします。
加工の部分については、自分がハードウェアよりの考え方をするからって言うのもあるんだろうなぁ。
自前でエフェクトをMMLとかで入れてたほうなので、楽器そのものが持ってるポテンシャルを引っ張り出すことと、その外で音として磨くことって違うんですよね。感覚的に。
だから、最初の出力の波形でどれだけ頑張るか?とか「どうやって制限を越えるか?」を見てしまう。
そういう意味ではボリュームを出力としてDACとして使うとかトリッキーなことも凄いと思うし興味もあるけど、その特性をそのままにどういう表現として昇華するか?にも興味があるわけです。
豪勢な編成のオーケストラも大好きだけど、YMCKだって大好きなのですよw
まぁ、むしろ自分があのタグをキーに使うのは「ボーカルのピッチの最低ラインが保証されている」自由な楽曲群だからだろうなぁw
素人だから?いや、あの自由度とか、普通考えちゃいそうなところを考えない荒削りなところが楽しいんじゃないかと。
何より作ってる人が楽しそうなのがいい。そんな風に思うのですよねぇ。
整った曲がいいなら、売られてるものを買えばいいんだし。
ただ、「好き」なら「相手を見て」、「何が得意?何が出来る?何が苦手なんだろう?」って考える必要があると思うのだけど、意匠とかキャラクターばっかりで、コアになる声が追求されないのがなんだかなぁと。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3017317
こんなのとか、「無駄に頑張らせない」良い作品だと思うのだけど。
製作者がシンセサイザを使い慣れてる音作りがされてると思います。
声は加工されてますけど。
ぶっちゃけ学生時代に己の才能の無さから、楽器は止めたからな。DTMを初めたからって、いきなり凄いのを作れるわけが無い。今は調声もさることながら、いかにしてもう少しましなオケが作れるかに悩んでますです。orz カバー専門だから、参考曲があるのに、それでもオケのMixはめんどくさい。ゼロからオケを作ってるって、一事だけでもオリジナル作ってる人を尊敬できるわ。
http://entame.smaf-yamaha.com/jp/new_story/
こんなのあります。
あと、
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1085333
こっち貼ったつもりだった…ミク入りじゃわかりづらいw多分ちゃんと歌えてるほうがミクさんです。
SMAFは、ツールもあるんで、使おうと思えば使えるんで、興味があれば、何かしてみてもいいかもしれないです。
ただ、「最終的なVocalトラック」なのか「仮歌」なのかで話が違うと思うのですよね。
なので、後者をぼかろきょくーって喜んで、「立派なうたってみた」が出てからもそれを崇め奉るのはいかがなものかと。作曲者が必ずしも歌うまいわけじゃないんで、タグで釣って、いい歌い手に出会えたなら、きっと皆が幸せなので、どのアプローチも否定はしていないのですが、打ち込みにやるきがねーのはどーしたもんかと。そのやる気がないポンコツがその歌を体現してることになってしまうのは歌がかわいそうだと思うのですよ。
あと、「言葉が届かない」なら「音のままでいい」とも思ったりするのですよね。そういう意味では詞が意味を持つ曲なのに脳内でゲシュタルト崩壊してるようなのはどうかなぁとも。
んで、個人的には、「音の特性」をわかってやってほしいと思うのですよ。
矩形波をDACとして使うのはさすがにPSGの「声」じゃないと思うのですよね。技術としては面白いけど。
DACとして使えば、PSGでオケも歌もできるけどそれはあの音源の個性じゃない。
FM音源も元は再現性を考えて作られたものですが、あれはあれで音色の創造性とか派手さとか、パラメータによっては普通にはない音が出るわけで、「楽器が持つ構造の色、固有の声」があると思うわけですよ。
人の紛い物じゃなくて、それが本当に価値があると思うのなら「良いところをより伸ばし、苦手なところは克服する」のが正しいんじゃないかと。全部できなくたって、苦手なものは別のパートにやらせればいい。
まぁ、ぼかりすが中途半端なのは確かだと思いますけど、当時の打ち込み水準からすれば「近い」わけで。
中途半端な近さの不気味さも壁のひとつの形かなぁと。
下手な歌が気持ち悪いっていったら、打ち込みと調整が不十分なそれのほうがはるかに酷いわけでして。
う~ん、確かに話の流れ的にはきちっと分けといた方が間違いが無いけど。「加工」ではないすっきりしたネーミングが欲しいな。なんの捻りも無いけど「ヒューマナイズ」とかどう?
と言うのは、実際に作業する僕なんかからしたら、ボカロエディタの出力に対して、メロダインとかで作業するのも。人間さんが歌った歌に対してメロダインとかで作業するのも、心構えこそ違え、内容的には大差ないと感じてるから。まあ、この心構えの違いが名前の違いに繋がんだけどさ。そんなんだからあかんのかな。
サンプル曲の大漁節とか、データ抽出元の歌じたいがあまりうまくない事を見てると。ぼかりす作ってる人達、少なくともリーダーはあんまり音楽好きな気がしないんだよな~。少なくとも僕は楽しく音楽談義出来る気はしない。ww
あれは、不気味の谷を感じてるんじゃなくて、単に下手な歌が気持ち悪いって話なんだと思うんだけど。もっとも、中途半端に人間ぽいのが気持ち悪さの原因と言う意味では、不気味の谷と言えん事も無いのかもしれんが。
ニコニコでボカロが正統派で他の音源が亜流みたいな見方が蔓延してるのは、単純にコメント書く層が若い子が多いから、他の物を知らないってだけの話だと思うよ。以前書いてたOSではWindowsが一番と同じで、単にメジャーになってしまった物しか知らない人達。これはこれで、超上から目線だけどな。
そんで、ボカロ曲が人間にも歌える風なのが多いのは、やっぱり良くも悪くも作曲素人が作曲してるからだけの話だと思うん。ボカロ曲は人間にも歌える風のくせに息継ぎの事、考えてないのが多いと感じるし。なんにせよ、僕も含めて音楽から離れてた層に音楽回帰のきっかけを与えてくれたボカロは、とてもありがたい存在だと思う。フォークだって、テクノだって、電子音楽(シンセミュージック)だってミュージックシーン登場当初はとりあえずその名前で呼んどけだったのが、時とともにジャンルが確立されていった訳だし。今はボカロで一緒こたな物も15年もして今の若い子がおっさんになる頃には、それなりにすっきりしてると思うよ。過渡期にぼやいたってしょうがないと思ってる。ww
「加工してもなお」あのザマだということ。
ぼかんないですのそれを「加工」と取れるのだがそれも違う。
ぼかんないです自体はデータに人間の歌の「楽譜に無い要素」を「実際の音声波形を元に反映させて」居るので、「波形の加工ではなく、データ自体の「人間的な歌としての精度」が変わっているということ。
ぼかりすもそうなのだけど、音程の変化、音量変化など、「楽譜に無い動き」を抽出し、落とし込むという作業であって、人はそれを感覚的にやっている。加工ではなく、VSQ(元ファイル)へ多くの要素を反映させる試み。
人間のそれは「表現」に対し、本来あるべき音程などへの調整をしたりしているので、存在する波形の補正だから意味合いが違う。
で、GUMI、ミクの声と、それ以外を比較すると、少なくとも「クリプトンは自然な歌声なんて狙って調整していない」というプロダクトの傾向も見える。リン・レンの初期のそれが顕著なのだけど、かなりピーキーな設定になっていて、素直に入力しても実に残念な結果しか待っていない。目指していたのは「人の声を基にしたそれじゃない何か。」だと思うのですがね。
あと、「何がうまいという定義なのか」も実は問題で、ピッチだけなら、確かに大抵の人間はかなわなかったりするのだけど、バロックより後の近代的な曲はそうじゃないと思うのだよなぁ。
あとは、スペクトルからの実験的な試みとしては、
http://www.youtube.com/watch?v=muCPjK4nGY4
素直な正弦波じゃなくてもそれなりの精度がでるものだなぁと思ったり思わなかったり。
個人的には、チップチューン的な制限に挑む歌の追求もひとつの道だろうし、素直にベタ打ちに近い出力特性を前提にした波形に着想を受けた曲を作るのもひとつのあり方だと思うのだけど、「Vocaloidだから」ってなんでもいいやってのはどうかと。
無名なそこらの趣味の人なんて耳を傾けてもらえることも少ないんだからVocaloidのタグが付いてるだけで「聞いてもらえる機会が増える」のは大きなことではありますが、「きちんと聞いてもらえない」なら微妙な気も…。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1312498
これとか。
ただ、「ミクさんの新曲」なのに「どう考えても人間の声帯」を意識した譜割りとか、歌詞とかどーかしてるとおもうのだよ。
SAMナイトシリーズとか正直イラっとする。どう考えても牽引できるだけの声の質量がないのにあの曲調で歌詞にだけ名前は入ってて、出力波形を考慮した形跡がないんだよなぁ。オケに声が埋もれてるし、何で名前まで入れてるのかって思うほど「どーでもいい音づくり」になってる。おまえ作った相手見て物書いてんのか!って思う。おなじよーな曲を別製品で歌わせるってのは比較用のサンプルとしてはいいのかもしれないが、それにしたって、あの曲調とバックトラックじゃ特性と合わないし、アイツの曲は実谷ナナ辺りが歌っとけばいいじゃないかw出来の悪い打ち込みじゃなくてさ。
いつまで「ポンコツ」な名義の曲なんだろうって思うし、いい歌い手がいたら、その人にあげちゃえばいいじゃないかとかねw
むしろ「すばらしい歌ってみた」が出た後で「原典だから」ってあがめられるポンコツ動画はどうかと思うんだ。
歌ってみたで聞いてもらったほうがいいと思うのだよ。
もう生まれてきたメロディーがかわいそうで仕方がない。
歌にだって楽しくきれいに歌ってもらう権利があると思うのだよ。
ただ、Vocaloidの出力特性も考えて、曲を作っていたり、音を作っていたりする人もいるので、「考慮されてるなら」そのままでもいいとは思うのだけども、「何でもかんでもボカロ曲」っていうあの変なファンの思考のとまった頭は何か歯がゆいw好きだって曲は再生数ソートしただけかよ!みたいなレパートリーとかw
本当に自分の耳で聞いて頭で考えて気に入ってくれって思うんだよなぁ。で、いいと思ったら、その作曲者の名前でめぐれと。
不気味の壁は「ぼかりす」のレベルで「らしくない」とか「気持ち悪い」っていうのが出てきてたのでやっぱりあると思うのですよ。アペンドのときもそうだっけか。「ポンコツであり続けろというのかねw」って思ったけど。パフュームはあの三人を前面に出してるから、「あれを加工している」って意識を植え付けてるから容認されてるわけで。
そして、時々出てくる「不気味の谷」だけど、喋りには出てきそうだけど、歌には出てこないんじゃないかと思ったりし始めてます。何故かと言うと、パフューム、ボコーダやアンプで歪ませたりの音声加工がごく一般的に受け入れられていること。楽器音などではもはや打ち込みかどうかすぐに判断できないレベルまで来てて、やはり一般に受け入れられていること。
元々不気味の谷が出来るのは「日常よく知っているものと、微妙に違うものに」違和感や、拒否反応を示すからで、今の状況を見てると、歌声は仕草程にはよく知れちゃいないんだと思う。そんで、不気味の谷を越える方法として、人間に近づけるのではなく、とっとと理想に近づけるって方法が使えるかなと思うから。ファイナルファンタジーのCMを見るまでも無く、昔から物凄い美形や物凄いパフォーマンスには人間を越えてるって事で、理想の存在に譬える事がある。
「絵に描いたような美人」「人形みたいにかわいい」「お人形さんみたい」「人間離れした」「神がかってる」「機械のように正確」「精密機械のように」、etc...
お人形さんは既に人間を超えてかわいくなってるので、わざわざ毛穴の再現なんかに現を抜かさずに、もっと天使に近づける努力をした方が速い可能性もあるかなと、思う。これに比べると、やはり歌声には一般的な理想形は感じ取れない。たまに「天使のような」って形容が付く事があるけど、他の人の声と格段に違うわけでなし。
ここで、参考にすべきは画面に表示されるフォントかなと思ったりすんですよ。明らかに人間が書いた字ではないのだけど、人間が書いたよりも遙かに見やすい。まったく苦にならない。人間が話すよりも遙かに聞き取りやすい声が開発されれば、アナウンサーの仕事とか激減すると思うんだけどな~。工学的な追求が必要なんじゃなくて、心理学的なものが、必要かと思うんだけど。
携帯チップのHVは面白そう。でも、サンプル音源聞きたくても、ようつべとかに無いな。orz やはり携帯タンとかキャラ付けが来ないと人気が出ないのか。知ってる人が少なすぎるってのはあるだろけど。ニコニコのFM音源で声の人は母音だけだな。UTAU SNSにちょっと書いてた人じゃないだろうか。子音の扱いをどうするのかが、物凄く興味のあるところだったので、母音だけと言うのは少し。がっくりですた。まずは母音からってのは、判るんだけども。
>「仮歌で渡されるようなもの」がゴロゴロしてるのも実情でして。
僕が前に「ボカロファンと言うよりPに付いてんじゃないか?」と書いたのも、そこら辺関係してんですよね。今のニコニコの状況だと明らかに オリジナル曲>カバー曲 の関係になってて、どうしてかなと考えた事がある。ま、自分はオリジナル作る力がなくて、カバー専門なのでね。それで、思いついたのが
「うまい曲や、良い曲が聴きたいのではなく、ミクさんの新曲が聞きたい」
って欲求です。もちろん、良い曲なのに越した事は無いんだけど、今の曲消費の速さからも、そんな風に思ってしまう。なので、オリジナル作る人は仮歌で良いのよ。その曲を気に入った人が「歌ってみた」「別音源でカバー」すれば良いだけの話。そゆ意味ではオリジナルはPVやオケまで頑張って完成度の高いのを作られると、色々と困る。www
で、「仮歌で渡されるようなもの」がゴロゴロしてるのも実情でして。
ここで「こき下ろすなんて酷い!」って怒るのが今のファンの多くの姿。
「何かが出来ない≠何も出来ない」だってことがわからないらしい。
PCMで何でも録音できれば無敵か?っていえば、FM音源や、矩形波にだって出番がないわけじゃない。
「得意なことを与える」ことが大事なのだと思うけど、今の「アレ」のそれって何だろう?と思ってしまうのですよねぇ。
CSMって携帯電話使ってる人が多いはずなのになんでその特性に気が付かないんだろうって思うのですよ。
MIDI=シーケンスデータって固い頭もどうかと。明らかにパートの出力と非同期なんだから「声」じゃなくて「音」だとなぜ気が付かないんだと。YAMAHAにもってけとか…むしろあそこが民生品で一番組み込まれたソレを作ってたところだと思うけど。
上の「それ」は「出来ることはわかっててもそれを実際に実装してみせる」あたりが「優れている」とおもいます。実際にやってしまう行動力も才能です。
YAMAHAはといえば、
http://entame.smaf-yamaha.com/jp/lecture/
こんなこと相変わらずやってるわけで。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1066528
ご先祖様ですわな。相変わらずの「コレジャナイ」っぷりがチップ内蔵プリセット音やサンプル曲がダメダメなあの会社らしいといえばらしいのですが。
PLG100-SGなんてのもありますけど…あれも数は出てないだろうなぁ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15421209
これがちょっとちかいことしてるかなぁ。
ただ、「サブセット」なのですからどっちも本気なら越えられるわけはないんですよ「今は」ね。
http://www.youtube.com/watch?v=8cTIiI8uNEc
オペラ調のそれも、作った声も一人の人間の声帯から出ているもので、これ以上の幅が人の声にはある。
だから、ソレを踏まえて「おいしいところと、長所はなんだろう?」って考えないと居場所はなくなるんじゃないかなぁと。