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ブラックマンデー

●ブラックマンデー
 1987(昭和62)年10月19日月曜日、ニューヨーク株式相場が大暴落しました。
 ダウ30種平均の終値が先週末より508ドルも下がり、この時の下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった1929年の「暗黒の木曜日」(下落率12.8%)を上回りました。
 この日は、1929年10月の同市場での株価暴落ブラックサーズデーにちなんで、ブラックマンデーと名付けられました。
 ブラックマンデーは、コンピューターで大量の株式の売買を管理する「プログラム売買」が暴落を加速させたといわれています。
 翌日アジアの各市場にこれが連鎖しました。
 日経平均株価は3,836.48円安(14.90%)の21,910.08円と過去最大の暴落を起こしたそうです。
 更にヨーロッパの各市場へもつながっていったそうです。
 このとき、就任間もない当時のグリーンスパン米連邦準備制度理事会(FRB)議長の対応で混乱は沈静化し、その後の金融当局による適切な対応の結果、実体経済へは甚大な被害をもたらすにはいたらなかったそうです。
 しかし、日米欧の金融政策の足並みの乱れは日本をその後のバブル経済へと導いたのでした。




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