僕の見た地震、津波、原発
- カテゴリ:30代以上
- 2011/10/29 09:24:39
10月に、仕事と遊びの両方で、東北に行く機会がありました。
福島県は、完全な旅行でした。
風評被害に負けねぇと明るくオモテナシの心を見せてくれた宿の方々、
浜通りからの放射能難民の方が(することもなく遊びに来るから)一番の観光客だと色々と考えさせられるコメントをしたタクシーの運転手さん、
その運転手さんも孫だけ疎開してきて預かっていることの心苦しさを語ったときは少し泣いてたし。
でも、効用ある温泉、歴史豊かな街々、ホント美味しい郷土料理などなど、福島(正しくは会津だけど)行ってよかったし、皆さんにもおススメです。
そうそう、乗り換えに時間あったので、福島駅前をぶらついたのだけど、誰もマスクとかしてないし、イベントでは原発ネタ?をフツーにみんなで笑ってたし、中央メディアのさもありなんな風景だけみてると、福島間違えちゃうよなぁ。
フツーに僕らと同じ日本人が、フツーに僕らと同じ生活をしている。そういう人の方が、ずっと多いってことは、福島考える時に忘れちゃいけないと思った。もちろん、僕らと違って、ふっと気付くと原発や放射能のことに想いがいっちゃうってことも忘れちゃいけないけど。
宮城県は、仕事のついでに友人を訪ねたり、石巻から女川原発までタクシーでドライブしました。今回は、仙台近郊ドライブ編。
仙台の近郊だと、ドライブの車窓からだと最初はよく分からないんですよ。そこに立ち並ぶ家々の全部が、一階の窓が全て破られ、扉が奪われ、部屋が全壊していることに。でも、いったんそれに気付くと、怖くなってきます。どれもこれも人が住んでいない住宅街!
さらに沿岸に向かうと、住宅の数が減って来ます。とっさには、田舎の野っぱらに家が疎らに立つ風景なんだけど、元々は家がいっぱい建っていたと聞くと愕然とします。
そして、津波に蹂躙され荒れ地と化した元・田んぼと、そのくせ青々と光り輝く海だけは3.11のことなど素知らぬ顔で、しかし、松並木は魔女の国の呪いの木のようにネジレ赤くなっている。
そんな異常と日常が混在した中で、何もなくなった土地にテーブルと椅子を置いて缶コーヒーを飲む老夫婦(と思う)がいました。たぶん、自宅のあったところなのでしょう。3.11直後に多くの人の心を打った報道写真がありましたが、そんな写真と同じような風景が被災地にはまだいっぱいありました。「被災地は24時間被災地。被災者は一生被災者」とは陸前高田市長の言葉ですが、言葉を理解するには、自分自身の中でリアリティを持たせなくてはいけないということを改めて認識させられました。
友人は、仙台市民で四季を通じて賑わっていたという海水浴場だった場所で、本当に座りこんで、うつろに呟きました。「ここさぁ、人がいっぱいいて、すっごいきれいで、それ分かるかよ?」「オレもボランティアとかでは気仙沼とか石巻いくけど、仙台市内の被災地は来てなかった。そこに何があったか分かってるから、失ったものの大きさを知るのが怖かったから」
僕は、3.11以降の誰の言葉より、どんな映像より、彼の言葉が心に迫る物でした。
まぁ、そんな彼は、数時間後には、牛タン屋で、あやまんJAPANのポーズで僕と二人で写メを、店員さんに露骨に嫌な顔されつつも、撮ってもらうのですが。
それと、仙台から近い街にユリアゲというところがあります。難読地名なんだけど、僕は昔から知っていて、それは赤貝の国内有数の名産地だったから。そこは、漁港や水産加工工場も多く、思ったより大きな街だったようなのですが、いくつかのマンションと工場の外装以外は全て津波に奪われたので、想像もし難い状況でした。
そこに小さな丘があるのですが、階段と鳥居がありました。神社だったようですが、そこも全てを奪われた後で、階段もガタガタで、ねじきれた手すりがなければ参道とも分かりません。鳥居もご神体も残っていたわけでなく、鳥居は廃木でつくった代用品、ご神体も関係なエビスさんです。
小さな丘がいっぱいになるほどにお参りの人がいました。火事や腐食を防ぐため、お線香もお花も禁止です。本当に無言で心からの祈りを捧げる人々の脇に、唯一津波がさらわなかった「英霊碑」(戦地で死んだ出征兵士向け)がが建っていたのは、すごい皮肉なものを感じました。
そんなユリアゲですが、漁師さんたちの頑張りで赤貝は今年も収穫できたそうです。
「この赤貝のように、秋刀魚も、マグロも戻って来てるよ。みんな(漁師さんや水産関係者)もみんな戻ってくるよ。お客さんもまた来てよ」お寿司屋さんの言葉も忘れられません。
こうした人達を前にしても、放射能汚染のこと言えるのかなぁ?ガーガーな皆さん。
ここじゃなくて? 38.177481,140.947967 ←GOOGLEMAPで、窓に入力して
この辺をほんとに心配してたよ。
現地に行ったことはないけど、地図を見て。
川の河口ってのは普通洲になってて土地がすごく低いよね。
しかも外洋むき出しで・・・・・・・
>ユリアゲ地区って、たしか 閲 みたいな字を書くところで、北上川とか最上川かどっか大きな川の最河口付近じゃないかな。
>震災が起きてすぐ地図で調べていて、この町は絶対にただではすまないだろうと思っていたのでよく覚えている。町自体が、地図で見ると川の洲の上にある。
何か別の街と勘違いしてますね。
ユリアゲはただの漁港だし、最上川って日本海に面した山形県を流れる川だし。
ユリアゲは、相当詳しい地図でも見ないと載ってないですよ。
>被災地の人は、冗談言っててもやっぱり内心はかなりきついと思うね。
>現地の小学生じゃないが、しなければならないことがあって人とかかわらないかん時って、
>結局笑うしかないんですごく元気そうに見えると思う。
僕は、極力「被災者」とか「被災地の人」って括った言葉は使わないようにしています。
それは、「被災者」でもなく、そこに知人親族もいない自分が、何十万、何百万といる彼らを分かったように一絡げに論じることこそが、「被災者でない者」の奢りか無知に他ならないからです。
僕は、被災地に数日いただけの旅行者だから、そこに住む人の数人と数時間過ごしただけなので、その時に客商売の当然の振る舞いとして彼ら彼女らが笑顔であっても、それを以て「笑うしかない」なんて断じ方は出来ないですね。
人知れず泣いている、やり場のない怒りをこらえている、そういう風に考えますけどね。
DAI先生はどこに住む人なんでしたっけ?
被災地を一つでも見る機会があったら、多少なりとも私が書いていることがわかっていただける気がします。
皮膚感覚では、なんとなく被災地の人と東京の人と大阪の人と九州の人は、違いそうだなーという気がしている。
被災地の人は、冗談言っててもやっぱり内心はかなりきついと思うね。
現地の小学生じゃないが、しなければならないことがあって人とかかわらないかん時って、
結局笑うしかないんですごく元気そうに見えると思う。
ユリアゲ地区って、たしか 閲 みたいな字を書くところで、北上川とか最上川かどっか大きな川の最河口付近じゃないかな。震災が起きてすぐ地図で調べていて、この町は絶対にただではすまないだろうと思っていたのでよく覚えている。町自体が、地図で見ると川の洲の上にある。