「ら」抜き言葉が出てくる歌詞
- カテゴリ:日記
- 2011/10/29 22:55:33
最近では日経ビジネスやプレジデントの表紙にでかでかと「XXXが見れる!」なんて言葉が踊ってるわけで、色々がっくりする日々を送ってるおっさんです。orz 半世紀も経てば日本語も変わってくるので、仕方ない。歌は世に連れ、言葉も世に連れです。だけど、歌詞ってくらいで歌詞は「詩」だから話し言葉とは違うようで、「ら」抜き言葉の歌詞はほとんど無くて、今まで当たる事は無かった。
しかし、今回イベントで大塚愛の「さくらんぼ」をカバーする事になって、ついに当たってしまった。
”書きあらわせれない”
元気があって、とっても好きな曲なんだけども、本当にそう歌ってるな。w 今のリアルな言葉遣い。w 色々悩んだけど、歌詞を替えた。たった一文字とは言え譜割が結構大変だったけど、なんとかなった。
”書きあらわせられない”
こんな事するから、一部顰蹙を買ったりするのかも。もっとも、これも自分にとって「楽しければ、それで良いのさ」の一つなので、よし。しかし、これからこんな歌詞が増えてくるんだろうな~。どこかで折れるよな、絶対。www
小学校でお前何習ってきた?って黄色いカバー付いたランドセル背負わせたくなるようなそういうblogもたくさんあったりするわけでw流石にババアが「~ゎそぅおもいますo」とか書いてるのは殺意すら芽生えそうになる自分の感覚はおかしいだろうかwで、書かれる中身はババアそのものだったりなw
そんなゴミ(失礼w)の引き合いに出すのが枕草子とは大きく出たなぁとw正直見てもオモシロクネーって奴も多いわけで。あ、そういう意味では自分の吐くものもクソつまらないから大差ないんだろうけどw
そんなのばっかりじゃないですが、玉と石の比率を考えるとどっちがメイン?っていうとね…。
あとは、なんか、妙なコメントの媚びっぷりとか、一極集中放火な炎上とか、イナゴか!脊髄が全てか!という状況や、稚拙なデマやそれを拡散するバカとか、もうリテラシとかが足りてない気がするのだよなぁ。
ってことも含めて「ノイズ」だよなぁって。
なので、人の生活を垣間見ることや、何かを言った気になることでの、共有してる気分とか、繋がってるっていう勘違いがお金のなる木なのかなぁと。
実際には「一部」であって「全部」じゃないし、その真偽すら怪しいのだけど、自分が偽る割には信じる人が多いようで。
まぁ、(無茶させてる屑飼い主は別として)親ばか炸裂のペットブログは意外と好きだったりしますけどね。
自分の家で飼えないのでw
>朝飯何食ったとかくだらないことが金になるとか普通思わんですw
後知恵と言われても、その通りだと思うけど。人間てのは昔からゴシップ好きな生き物なので、くだらない事に血道を上げるもんなんだよ。世界で一番古い小説は「源氏物語」らしいけども、その頃には「枕草子」も在る訳で。良く言えば日記文学、悪く言えばゴシップ本、普通の言い方だと自費出版のエッセイ集なんだ。www 人の人生を垣間見るのは楽しい事なんよ。
ブログとかの類が本当にゴシップメディアになってるなと思ったのが、この記事です。
●車運転強行した女性のむち打ち撤回 サウジ国王が命令
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110929/mds11092909230000-n1.htm
Twitterには「王様! お願いを聞いてくれてありがとう(ハートマーク)」みたいな事も掛かれてたみたい。orz
王様は売名行為で目立ちたくてやった訳ではないと思うんだが。むしろ、目立ちたくなかったと思うんだが。まあもう、風評の広がるスピードがムーアの法則で速くなってると思わないといかん。やれやれですよ。
最初に全部書いてしまえとか、最後だけで大丈夫とかw
そんなに凝ったことはしてないんで、普通に文法解析して段落の頭で重みつけて必要なところだけ拾えば、論旨は拾えるはず…なんだけど。
基本的に書き言葉で物も考えるってのが悪いんだろうかw
というか、すっごく軽くいい加減なことしか個々では書いてないがのぅ…。
多分突っ込んだ…とかいうと本当に音楽大好きな人に怒られるか笑われてしまう。
「さわり」ってサビみたいなもんだが、そんなに聞かせどころのある記事って多いかなぁ。どこぞの文系バンドのメロディーラインみたいに、だらっとあったことを垂れ流して、抑揚もなく読んだ人はとりあえず同調しとけばOKみたいなノイズが大半だと思うんだけど。同調と、黙秘しかないなら、そこに生産性は存在し得ないし、何かの意見の正当性の担保にすらならない。
生産性とか、再構築ってほとんどなくて、「大事なのは繋がってる気分」で「その集合体」がSNSの価値で金に換わる要素だと思うんだけど。最初に始めた人は凄いと思うのです。
朝飯何食ったとかくだらないことが金になるとか普通思わんですw
いやまあなんだ、決してなまくらではないと思うん。w はっきり言ってある種精読に耐える文章をいつも書いてるから、僕みたいに軽く書いて、軽くしか読まない人間には荷が重いん。だから、鋭利なカミソリのような文言をすっと出すんじゃなくて、大質量剛体のモーニングスターのような文章だから、読みこなせずに脱落する人が多いんじゃないかと。
SNSはノイズとかって風には考えてないけど、ブログには色々あるけどこうだったみたいなさわりしか書かないってのは間違いないもんな。なんにしても、リアルですらここまで突っ込んだ音楽談議はなかなか出来ないので、ありがたいことですよ。日記が口火になったんだから、あっさりとでも書いてよかったって事だわ。
ただ、ちゃんと…書いてあるんだけどなぁw
らを抜いてあるのはギミックで、表現や視聴者に対する指向性の方針じゃないの?って。
で、もう文字として崩してあるのもたくさんあるし、化石でも抜いてあるんだから、最近だからってことじゃないし、結果が出てて歌ったり聴いたりして楽しんでる人がいるなら多分ありなんだろうと。
んで、「最初に出た時のがお手本で絶対って納得行かねぇ」って何度もいってるのに「原作どおりだから」だけで「らを抜いちゃ駄目」って言ったら頭おかしいっすw
アレンジの方向性とか、別の理由があれば、「それくらいいいんじゃねぇっすか?」って言った可能性もあるのです。
相殺し、変更するだけの意義があるならそれは変更した人の表現だからぜんぜんありだとおもうのですよ。
もちろん「好き嫌いや、質の評価は別」なので、その理由が「ナンデヨ」って思えばそういうとはおもうのですけど、「考えて実行する」事は尊重はしてるのです。一応。
まぁ、「みんなまじめに働いてる」っていう性善説に基づいているので、ほんとーに適当に作られて世に出るものがないとは限らないんですけどね。
ちゃんと伝わらないってのはあっしの言葉がなまくらって事なんでしょうな。うーんw
僕なんかの日記、コメントにきっちりお付き合いくださって、本当にありがとうございます。
ちゃんと書いてくれないと、気がつかない、そこまで気が廻らないですわ。
あれ?って思うところも曲全体を引き締めるためとか、その歌詞に「世代」を明示的に与えるためとか、内容の仕切りの部分や、強調部分とか、理由があって仕組まれているので、だから逆に「気が付かなかったのね?」ってニヤリとされるような安易なことは自分だったらしたくない。今回の場合は「むしろ、らが『無い方が自然と感じる層に等身大と見えればいい』」という狙いがあると思うので。
対象になる相手が聞いたときに違和感未満で、より届くような仕掛けってのが、プロの仕業な気がします。
消費する側にとっては自分の嗜好にあえばいいので、どの要素も「何故そうなってるかという理由すら」どうでもよくて、無意味なことなので、関心がないのは当然だとは思います。
原作こそ至高とは言わないんですが、すぐに見つかる違和感は「仕組まれたトラップ」であることがおおく、全体的にも局所的にも「よく見てから判断すべき」だとおもうんだけどなぁ…っていう意見で、そのあたりを一周してイラネって思ったんならそれはそれでいいのです。多分。新聞の様な校正は場合によっては行間や空気を削いでしまいますから。
「もとがそうだから」ってことを拠り所にしてないってことと、本当にそれは瑣末なのか?ってことも含めてよく見た方が良いんじゃないか?と「違和感を理由に」作業をしたと書かれているのでそういう意見を書いたって事だけわかっていただければw
逆に文章としての違和感以外も考慮してそういう答えだったなら言うことはないです。
あ~、それは判る気がする。何故か人から見ると何故そんなところに拘るんだと言う。ww 結局僕の「ら抜き」の話も個人的な拘りって事なんだろうかな。
ただ、変えずに済むものは変えたくないかなぁとか、「おかしい」部分ってまともな人間ならわざとやってる部分なんですよね。アクセントだったり、指向性だったり。なので、まともじゃない部分は全体見て意図と目的に応じて…だと自分の場合は。
すきかってやってしまうなら何もいわずに書き換えられてしまう部分だろうとおもうので、「ら抜き」にこだわるのはなんだろうなぁと思ったり。
R-15はよくわからんす。酷い歌詞をざっとさがしてたら掘り当てたのでw
タグ周辺を見てみるとなにやら同タイトルで作品があるらしいですが。
正直歌はアレなのですが、動きは下手な売れている人たちよりきちんと踊れてる気がするのですよ。いや、動きというより静止点とそのタイミングなんだろうけど、テレビでよく見る人たちのダンスはもっとぐだっとしてるぞw
初音の骨の人はもっと素養そのものがある感じでしたが、歌の質を考えれば結構な練習量で質を上げたような気がしなくも無いですし、あの歌ならまだ練習で延びる余地があるところだと思うのですよねぇ。
あんなに踊れるんですから、指導したらもっと歌も結果出せた人たちの気がするのですよ。
頑張ってるけど…何かとセットなグループだと作品が展開しないと売り続けられないんで、多分その常識的な売り方は出来ないんじゃないかとwそれに…声優だったら声のほうが動きより商売道具でして、商売道具に近いほうが残念ってのもどーかと。
ただ、いわれてやりましたじゃこの出来にはならないよなぁとは思ったりしますし、もっといい作品で日の目みるといいなぁとは。
作詞・作曲とかされてんですかね。言葉を大事にするのは素晴らしいと思うけど、僕とは考え方・感じ方の違いやろなとも思います。
僕は根がええ加減なのか、ジャズ育ちだからか判りませんが、人様の作ったメロディーラインのフェークとか、おかずや合いの手、スキャットやシャウトの追加とかまったく気にならん性質です。今まで作ったカバーもほとんどは一、二箇所はメロディライン変えたりしてるしな~。歌詞も男言葉を女言葉にしたりとか割とやるデスよ。特に今回の「さくらんぼ」はショートバージョンにしてカラオケも自分でMixだったので、出だしのラジオボイスもハモリを弄ってきれいなコーラスにしたり、合いの手山ほど追加したり、オケの音作り含め思う存分自分色に染めました。ww そんでも日記の箇所だけは最後までどうしようか悩んだって事ですね。
>言葉が変われば詞が持つ色も変わる
言葉が同じでも歌う人間が変わると雰囲気変わったりしますよね。僕は作曲できないから、カバー専門だけどカバーするのは何か自分らしい部分が出せるかもって思う曲に限られます。逆に言うとあまりにこの人のこの曲が一番良いって思ってしまうと、それが一番なので、いくら良い曲だと思っても、カバーする気はまったく起きない。自分らしさなんて欲しいと思わないからな。カラオケにしても、カバーにしても、物まねなコピーバンドを目指してる訳ではない。完全なコピーを目指すのは、練習の為でしかないと思うんだけども。
まあ、ちょっと別の話で洋楽で割と簡単に歌詞を弄り回されてる曲を知ってるので、また日記に書きます。
R-15は声優のユニットなんですかね~? 確かにダンスは気合が入ってるな!www しかし、歌唱力よりもダンスや振り付けに重点を置くのは90年代後半からのアイドルの王道ではないのかと!?www 歌がうまくなって来た頃にはアイドルとしての賞味期限が切れてるってのが、業界の常識じゃないん?
まぁ、不満があって喧嘩売ろうとか、同じメロディーから別の姿を描こうというのなら、それはそのヴィジョンにあわせた変更が必要だと思うけど、崩したなら崩した理由が作者にはあると思うのですよ。だから、「必然性や主張が無いなら自分なら崩さない」ラインだなぁと。自分が作ったものなら遠慮しないけど。それは聴感上とか譜面としてじゃなくて、オリジナルへの尊重としてね。大差が無くても「その表現を選んだ」ってことを自分なら理由が無ければ尊重する。
言葉って、それ自身が音や色、リズムをもってる。判決文に出てそうな言葉と、チャラい兄ちゃんが話す言葉は同じ意味でも違う色と空気をまとうのですよ。だから、たかが一文字ってなんとなくいじるのは自分はしないかなと。まぁ、あんまりだって思うものは手を入れるくらいなら捨てるなぁ。小細工でどうにかなるものとならないものがありますし。
R-15は何かを経由して見たんだが、
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15415458
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15157062
歌も歌詞も作品も残念な代物なのに、ダンスに中の人の取り組みの本気を見た気がする。
指導がいいのか、中の人の頑張りなのかわからないが、見た感じよりこの動き絶対に難しい…んだが、こんなに頑張れるんだったら歌唱指導と、もうちょっとマシな曲と詞を与えてやって欲しいと思ったよw
ポリシーは無いな。歌詞の尊重は考えたけども、自分に忠実にした。ww 別に文法がどうのこうのでは無いのよ。若い奴がそう喋ってても、怒ったりはしない。そう言う言葉を使う自分に合わせたってこってす。Vambrace さんがどう感じるか判らんけども、僕には元々の譜割りも今一に聞こえるしな~。だから、実際に歌詞を替えたものを、聞き比べてみて、かまわないって思ったな。
そして、R15やガクトの場合はカラオケで歌う事は有り得ないので、問題ない。身体も、脳みそも拒否反応を起こすので、無理だわ。「HIRAMEKI! ピース(≧▽≦)v」は曲は良いと思うのだけど、カバーしてくれと言われたら、耳コピ、空耳になるのかな~。今日は自分に加齢臭が出てるのを思い知りました。
桑田さんの場合は元々日本語と思ってないし、カラオケで歌っても何の感情も沸かない。ww やっぱり脳みそのどっかが受け入れ拒否してるんだろうな~。
だから、サザンの詞が許せて、「さくらんぼ」の「ら抜き」が許せないのは、サザンのは書き替えてどうしたいってのが思い浮かばないだけって事かもしれません。「ら抜き」の「ら」を入れるなんてまさに大した作業でない。「TSUNAMI」の歌詞に手を入れるなんて、オレには無理。たぶん、なんか良い歌詞が浮かんだら、それで歌ってしまうだろうとは、思うな。
でも「地雷がない。耳なじみがいい」って点では、悪くないと思うのだけど。
ただ、「ら抜き」って「そういう言葉を使う層」が「そうそう」って同調するのが作品の持つ指向性なので、文法を基準に書き直してはいけないと思うのですよね。で、同調した層がカラオケでもーいっかい!ってやるのが「売る工夫」なのでw
だから「色々何か言ってるけど、別に主張するものはない」でしょ?崩すことを意識してれば許すなら許されるべき物。
多くの人の手と目を通っているのですから、その語彙の選択は意味や意図、思考思想があって紡がれるので、ポリシーが無くて尊重するなら安易に変えるべきではない…とは思います。
http://www.kasi-time.com/item-55256.html
http://www.kasi-time.com/item-55255.html
http://www.uta-net.com/song/80642/
さぁ、思う存分地面に食べたものをおすそ分けするがいいw
探せばもっと酷いのも出てくると思うけどw
サザンというか桑田なんちゃらはTSUNAMIが自分にとってはテロ同然だった。
あのサビって美的感覚がどうかしてると思うんだ…いろんな意味で。気にしない人にはきにならないんだろうが楽音としても詞としてもあの語彙選択はどうなんだ。一連の彼らの曲や詞が許せるなら「ら抜き」くらい許してやれよって思ってしまうwそれくらい瑣末なことに見えるくらい酷いw
基本的に詞なんて要らない人なので、歌詞があるって事は、音やリズムとしての詞が曲と相乗関係にないと無価値だと思うのですよ。だから、譜割りが言葉が持つリズムとずれてると嫌な反面、韻を踏む為に文法を崩してあっても許せたりはするんですが、譜割が言葉と違う拍をとったらそれ、詞の中身つたわらねぇだろうって思うのですよ。
音としての歌詞はすっごく気になりますw中身はそんなでもないけどw
なので、歌い手も「まっすぐはっきり歌う人」が好きです。アーティスト気取って脳内で言葉がゲシュタルト崩壊しちゃうような人よりねw
譜割りが変わってて気が付かないって回りもどうなんだろw言葉が変われば詞が持つ色も変わるのだけどな。
単におっさんでそいう風に育ったから、「ら抜き」が気になるだけで、若い子はまったく気にならないのと違うかな~。愚痴ですよ愚痴。w
生きてる人間が言葉の移り変わりを実感するくらいだから、百年千年の単位ではなくて、10年の単位で変化していってんですよね。大正時代から百年も経ってないけど、当時は「ちょうちょうが飛ぶ」は「てふてふが飛ぶ」とか書かれてたわけだし、横書きの時はアラビア語みたいに右から左へ字が並んでた。三百年前の井原西鶴の原本なんて、一般人にはまったく読めない。ww
相変わらず、厳しいな~。15年位前から、トップチャートに出てくる局はトンと積極的に聞かなくなったですよ。「さくらんぼ」はボカロ、アニソン以外で今世紀最初で最後に好きになった曲かもしらん。仰るとおり、古臭いから気に入ったんだと思う。そして、オリコン今月のアルバムランキングに入ってる歌は、歌詞読むと嫌になるのばっかりかもしらん。そんな曲に出会わないと言う事はありがたいことだ。
ところで、私は基本的に聞いてるだけの分には、歌詞はどうでも良い人なんですね。気に入って、カラオケで歌ったり、今回みたいにカバーするまで歌詞を真剣に見る事は皆無です。桑田啓祐みたいに日本語から外れる事を意識してる分には全然気にならんな。www 「あいう」の音の並びが気持ち良いかどうかはよく判らんけども、サザンは好きですよ。「さくらんぼ」はな~、文章として突っ込みどころ多いわけですが、一応日本語として文章になってて「ら抜き」のところだけが、どうにも気になったので替えました。僕からこの話を振るまで、誰一人替えたのに気付かなかったんだから、微妙な違いでしかないとは言える。
『日本語はこの様に変化しました』と大学の教授が説明しているかも知れないよ~www
『昔はここに’ら’が入っていた時代があります』とかねっ。ふふふ
でも、やっぱり綺麗な言葉は残して行きたいですね☆ ^^
シナプスのネットワークが希薄そうな曲だと歌詞カード見るだけで脳みそかゆくなるような「記号」が踊ってたりしますし、ら抜き程度で引いてちゃ根性足りてません。一瞥して読めねぇよ!って言いそうになるものだって多いんですよ。
…というか、そのターゲットの人は「まともだったらつまらん」とおもうのだけど。
SNSとおなじで「ノイズであることに意味がある」というか、共感を世間の人が得られるというかね。
曲のほうは…ほら、有りがちなフレーズが多くて、つぎはぎですか?って検証されちゃうような感じですし。
それゆえメロディーラインは耳なじみが良かったりするので、聴きやすい曲は多く、地雷は少ないのですけれど。
壊してリビルドするのがアレンジの目的にないなら元のそれを大事にしたほうがいいような気がしなくもないです。
だって「そーいうもんだから。それは」。リビルドしてしまうなら、思ったとおりに作り直すのも正義ですが。
まぁ、ジジイだって使ってるんですよ。
http://www.uta-net.com/song/2199/
ほら。いい歳して品性ってやつをどこかに置き忘れたような曲が多い人なのでアレですけど。
詞の方も音としてどうよってのが多くて、世代以外が先入観なしに評価してどうなの?って常々思うのだが。
JPOPとしちゃ化石みたいな代物にだって使う奴はつかってんです。なかったんじゃない。聴いていないか避けてきたのです。
もっとも「文系バンド」なんて呼ばれてる人たちのほうは今度メロディーラインが致命的にアレでして。
…世間で無作為、無意識に耳にする曲で「美しい言葉だな」って思うものは少ないです。
音としての面白みが出てればまだましなほうで。
曲に乗せるって事を考えて組み立ててあるのは「歌であることの意味」をわかってるようなw
…まともなメロディーライン構築できないなら詩集でも書いてろって思うバンドが居るのは秘密です。