貧乏の再生産
- カテゴリ:30代以上
- 2011/12/28 10:06:16
(注:以下のブログは、現実に子沢山な方や、貧乏なのに子供がいる、あるいは家庭を持ちたい方を否定するものではありません。また、そうした方の生き方が愚かとか貧しいと批判するものでもありません。また、望まない形での出産や育児をしている方がいることも承知しており、そうした方には正しい支援・補助が必要と思います。)
貧乏だったり低学歴な親の子供は、やっぱりバカで貧乏になる。
その確率が高い
ようだ
ということを国が今更認めて、子供達に「おうちにはどんな本がありますか」「お父さん・お母さんの仕事はなんですか」といったアンケートをするそうです。
そんな聞かなくても↑のことは「認めたくない事実」として多くの人が知っているんだけど、そんなアンケートの目的は「貧乏人のガキが多くても学力の高い学校の取り組み」を知ることだそうです。
最初に思ったのは、それって「安全な原発」と同じことじゃないってことですね。
どこまで取り組んでも「貧乏人のバカガキ」はなくならないし、「お金持ちの賢いお子様」との比率も変わることはない。
だったらさ、「脱原発」と同じで「貧乏人はガキつくるな」って世論や政策には、何でならないんだろう?
子供手当の時に思ったのだけど、「子供手当(のおかげ)で(ファミレスや回転寿司で)家族で食事に行けるようになりました」って家庭で育つ子供は、これからの日本あるいは私達の年金を稼ぐような大人になるのでしょうか?
僕の世代に大量にいる就職氷河期という言葉に甘えてニートなままの人が増えるだけなのではないでしょうか?
2050年には日本の人口は8千万人になるという分析もあります。
つまり、人口がいっぱいいて国が豊かになるという 明治時代的な発想とは決別して、自分の力で豊かに暮らせる人でなければ不幸になるという現実を受け入れるべきでしょう。
そして、自分の子供に不幸になって欲しくない人は子供を作らない、あるいは結婚しないという生き方を評価する時代を作るべきでしょう。
僕は、そうした思想の下に、子供を作らない人生を選択しています。
その発想においては、子供手当は元の児童手当レベルまで戻すことが基本ですし、貧乏人への補助ではなく、子供を豊かに育てる経済力があるけれど、復職や仕事と育児の両立に悩む女性への、就業や託児所の保障こそが必要となります。
選挙があるので、小渕優子は決して認めないけど、彼女のように仕事と育児を両立していける女性を増やすことこそが、ハズレは許されない少子化日本の目指す道でしょう。
貧乏人が無秩序に子供を産みまくる怖さを抑制する手段は、お隣中国から色々学べます。そうでなくても、現在の補助を一変させて、「出産税」「偏差値40以下の高校の授業料は年間100万円(代わりに無償の職業学校を創設)」「協議離婚や未婚の片親家庭には生活保護を支給しない」といった政策は、財政的にも有効でしょう。
といった暴論はさておき、
誰でも豊かになれる
という
どうみても幻想とは
決別すべきでしょう
親には子供を幸せにしようとする本能がある
しかし、その本能が義務化しているところに、年金までも子供の小遣いにする親がいるように思います。
たんに「無料のセックス」や「寂しさをうめる」ために結婚したり、子供を持とうとするなら、あるいは「避妊うぜぇ」といって大家族になるなら、国営の売春施設やホストクラブやネット結婚を税金で賄うべきでしょうし、「避妊うぜぇ」には犬猫と同じ断種手術を無料で行えばいいでしょう。
貧困の根源は、貧困が再生産されることなのですから、生産できなくする。
そのコストは、無責任な貧困への補助より余程安上がりです。
親が「頑張らなくていい」って言っては、子供もどうしていいものやらですよね。
個人差はあるので、当たり前ですがNo.1には一人しかなれませんが、「取り返しのつかない」負けを喫さないように、頑張らないと大変です。
No1にならなくてもいい、という歌がありますが私はあまり共感できませんでした
負け組とか負け犬と言う言葉が痛かった記憶がありますが、いつも「だから何?」と(笑
自分の子供には頑張らなくていい、何て決して言いません
挑戦して、勝負してちゃんと生きていって欲しいと日々願っています^^
とりとめのないコメントですみません。これからも記事楽しみにしています
>今の問題は「どんな家庭でも同じようなゴールを目指そうとする」ところにあるのかもしれません。
ここがポイントだと思います。
イチローとか長友とかが、ずっと精進を続けて、世界で何10億円も稼ぐのと同じように、
ずっと勉強して働いた人が、他人より高い所得であることは、何の不思議もないことのはずです。
少年野球とか中学サッカー部で挫折した人が「同じサッカー(野球)なのに年俸が違うのはオカシイ」なんて言わないわけで、なぜ学歴や企業規模の違いは、是正されるのか?
「誰でも幸せになれる」という理想を、年収や学歴という本来は、個人の努力による「結果の違い」にすり替えた発想の過ちなのでしょう。
学歴の違い、職業の違い、婚姻の有無、子供の有無、それらで「差別」があってはならないけれど、そうした人生の選択あるいは努力の大小の結果としての「違い」を過剰に均等化する社会に発展はあるのでしょうか?
こう書くとカツマーのようですがw少なくとも、僕は、ポピュリズムの中で批判される格差社会については、肯定しています。
格差があるから、人は豊かさを実感でき、進歩していくことは、ソ連の結末をみれば明らかです。
僕が認め難いのは、格差を無理矢理に努力しない人や貧しい人に合わせて引き下げることです。
格差を認めた上で、貧しくても安定した生活、そうした生活を支える仕事(林業とか漁業とかを低賃金で行わせてはダメなの?)そうしたものを国が担えばいい。
これだけネットとか衛星放送とかあるのだから、就職も満足に出来ない大学に行かずに、30歳でも40歳でもそういう通信教育を受けて、それからでもキャリアアップする制度とか、そういうのでもいいと思うのです。
全く纏まりがなくて、すみません
>では、公務員を養えるほどの収入を持たない人のことは考えなくていいのかというとどうなんでしょうね。
>それを突き詰めると普通選挙の是非なんて問題にも行きついてしまいます。
普通選挙は、数の力で、弱者が強者に伍して、貧者が富者にタカル制度ですから、仕方ないっしょ。
純粋な社会主義経済がほぼ失敗に終わった21世紀において、普通選挙制度による間接民主主義政治は、最も成功確率の高い富の再分配制度なので、今更是非の話をしても意味はないです。
問題は、これからの日本が、中間層が底が抜けたように、どんどん貧しくなり、しかし、貧しくなっても、天保の大飢饉とか大正の米騒動とか昭和の大恐慌のように、貧困=死ではなく、緩く長いぬるま湯でしかない中で、本当に「みんなが世帯年収三百万円」に成りかねないことではないでしょうか。
つまり、年収300万円以下の人がマジョリティになって、間接民主主義を通じて、愚かな政治家をとっかえひっかえして誤った政策を続けさせ、豊かになろうとする人の経済貢献の足を引っ張るという構図です。ギリシャのようになる・・・と言えば分かりやすいかもしれません。
>人は子供を一人前に育てることによってようやく自分自身が本当の意味で一人前になることが
できるのではないかと。
>そんな考えが生まれたものですから。
>私の子どもたちは迷惑にも未熟な親に育てられている被害者なのだという
悲しい現実を背負って生きておりますの。
その考えだと、しょこんさんだけではなく、全ての親が未熟者で、全ての子供が不幸な被害者になっちゃいますよね(笑)
どんな人でも、初めて親になった時点では、親としては未熟でしょ、当たり前です。
それと、人間として未熟なのとは別の話です。
また、親にならなきゃ未熟というのも、おかしな話ですよね。父親・母親でなくても立派な大人はいくらでもいるし、人の親でもクズのような大人もいっぱいいます。
子供として幸福か不幸かは、その子供が決めることでしょう。親の自己満足で、幸福だ不幸だと決めつけられるのは、取り敢えず不幸なんじゃないですか?子供にとって。
しょこんさんの家庭の事情は全く知らないのだけど、他人様に迷惑かけずに、人並みの生活を過ごせる大人になったなら、しょこんさんの親としての役割は果たしたのだし、子供達も取り敢えず不幸ではないと思うのですよ。
例えば公務員バッシングでは「私たちの税金で養っている・・・」という主張をする人が必ずいますが、現実問題として公務員を養えるほど税金を納めている層って限られているんですよね。
そもそも課税されるほど稼げていない人、課税されていても各種手当等と差し引きしたらチャラになる人・・・
そう考えると公務員を養える人って実はそこそこ稼いでいる人でないとなれない。
では、公務員を養えるほどの収入を持たない人のことは考えなくていいのかというとどうなんでしょうね。
それを突き詰めると普通選挙の是非なんて問題にも行きついてしまいます。
貧困層の子が貧困になるのは「スタートラインが平等でないから」という話がありますね。
選択肢の数や内容が富裕層とは違っているのは当然ですよね。
手当をどうにかしたところで解消する問題ではないのですが、今の問題は「どんな家庭でも同じようなゴールを目指そうとする」ところにあるのかもしれません。
大学までいって、企業面接を受けて採用されるという。
それ以外の選択肢を社会的に評価することで生きやすくなるのかも。
そのためにはおっしゃるような「職業訓練校」の充実という選択肢もありだと思います。
のような話が聴こえてきたことがありましたが、
テレビやゲーム、パチンコ等で安易に充足感を得るだけで満足してしまう
モノをカンガエナイ国民が増えるというのは、
誰にとって都合の良い状況だったのでしょう。
自分が育った家庭では、両親が子供の将来について
本当の意味で心をくだいていなかったのでは。と感じていました。
私が育てている子どもたちには、本当の意味での必要を
満たしてあげることが出来なかったと反省しております。
出来るだけのことをしているつもりではありますが、
120パーセントの力一杯子育てに全力を注いでは来られませんでした。
ただ、私が思春期に考えたことのなかに、
人は子供を一人前に育てることによってようやく自分自身が本当の意味で一人前になることが
できるのではないかと。
そんな考えが生まれたものですから。
私の子どもたちは迷惑にも未熟な親に育てられている被害者なのだという
悲しい現実を背負って生きておりますの。