ミュンヘンへの道
- カテゴリ:30代以上
- 2012/01/06 01:44:47
元バレーボール全日本男子代表監督の松平康隆氏が亡くなられた。
とはいえ、僕はスポーツに全く興味はない。お散歩とフリスビーくらい しかしない。
でも、今回のこの一件についてだけは別だ。
時は1972年 僕は小学生だった。
『ミュンヘンへの道』は、当時全日本男子バレーのミュンヘンオリンピック出場に向け、
取り組む姿をアニメにした物だった。
(このオリンピックは民族間紛争事件があったのでも有名であるが、ここでは割愛する。)
このアニメの登場人物は全て実名であり、ドキュメンタリーであった。
そして、このアニメの凄かったのは、オリンピックが始まる4ヶ月前に放映を開始し、
開幕直前で終了している所にある。
つまり、良い成績を修めたから制作されたのではなかったという所が大きな特徴なのである。
僕達はこのアニメを毎週一生懸命観ていた。(小学生だったし観るのが精一杯。)
そして迎えた本大会。とにかく毎試合、一生懸命応援した。(小学生だからテレビから応援。)
そして、何と優勝。堂々の金メダル。信じられなかった。とにかく当時はこんな凄い事が起こるんだと本当に思った。
そして、金メダルを祝し、『ミュンヘンへの道』は特別版がもう一本造られる事となったのだった。
だけど、今思えば、勝てるのが分かってて本編が制作されたんじゃない。
なでしこジャパンがワールドカップに出発する時は報道陣は誰もいなかった。と、いっていた。
そんな考え方ではやっぱりいけない。
(自分も知らなかったのはいけないが、報道が取り上げないのが一番いけない。それが仕事なんだから。)
結果を見た後で人を評価するならバカでもできる。
僕を含め、大人はみんなバカになっちまったんだと、今日 思い出してそう思った。
失敗するかも知れないことに、期待するのが みんな怖くなってしまったんだろう。
そんな臆病な事でどうするのか。
利口振ったバカを大事に抱えるのに、何の意味もない。
あの時の力強い感情を、当時を知らない人に言葉や文字で伝える事はどうやってもできない。
でも、当時を知ってる人間が、それを忘れてしまうという事は、何ともったいない事かと思うのだ。
今、こういった時には特に。
ミュンヘンの頃をご存知ないとは残念です。
しかし、軍手バレーや軍手野球は私もよくやりました。
軍手ボールはガラスを割りにくい事から、大変需要が高かった。ww
打つと以外によく飛ぶし。w
でも,ミュンヘンの頃は五輪のことも知りませんでした><。
記憶に残っているのは,モントリオールの頃からかな・・・。
男子バレーボールといえば,個人的には
世界一のセッター,天井サーブの猫田が忘れられません。
ワールドカップに触発された私たちは,
小学校の教室で休み時間には必ず,軍手を丸めてバレーボールをしてました。
きっと、選手の方はあまり変わってなくて、
今の風潮がどこかオカシイんだと思うんですよ。
澤 穂希だってミュンヘンの頃の選手と同じに見える。
おそ松くんのチビ太か、ア太郎のデコッ八が暴れてる様にしか見えないもん。ww
あと、一生懸命に前進というのと、もっと目を輝かせてワクワクしていたと思うですよ。
そのあたり説明がとても難しいんだけども。
私もその最後の言葉を目にしました。
それを読んだ時、
当時の事が目の前にブワッ現れて、今回のブログに至ったわけです。
自分が『評価』した後の責任追及を、妙に怯える風潮が昨今強すぎると思うです。
世の中がどうあれ、自分がそういう人間にならなければ良い訳です。
本当は勝利のためにどう努力していくかが常に大切なのであって、
結果は努力の方向が、正しかったのか、間違っていたのかを指し示すものです。
しかし、『結果がすべてなんだ。』という人が、自分の上の立場になってしまう事があります。
それでも、いつか自分が人を評価する立場に立った時、理不尽を押し付けない人間でありたいものです。
えぇ 見ましたとも一生懸命にね・・・
結果を見たら誰でもなんとでも言えますものね~
そうでしたね。 あの頃はみんな一生懸命に前進することのみだったのでしょうね~
いつの間にか 安全な道を選ぶ大人になってましたね。。。
昭和は遠くなってしまったのでしょうかねぇ
最後の言葉が
「バレーボール一筋に人生を終えられて非常に幸せでした。
自分の人生でやりたいことは全部できましたし、
思い残すことは何もない人生でした」
だそうです。 かっこいい。
そうですね、他人の評価に合わせようとする人、多いですね。
この文を見てなるほどと思った(
結果を見てからがやがや集まるのはおかしいですね。
M.OBrienさんが言うことは毎回ごもっともだぬ(`・ω・´)