Nicotto Town


かずくん。鬱病の闘病日記


日本と核3


毎回字数の制限とかあってかなり粗っぽい書き方ですみません。今日はビキニ環礁で水爆実験が行われ第五福竜丸が被曝した事件です。
マーシャル諸島共和国におけるアメリカ合衆国の水爆実験は
1946年から1958年にかけて、太平洋核実験場としてアメリカ合衆国が67回もの核実験を行なわれました。このうち日本漁船第五福竜丸が大漁被曝したのは1945年3月1日に行われたものです。偶然操業中に巻き込まれたものですが忌まわしい核実験の犠牲になったことに変わりはありません。この原因の1つはアメリカが核爆弾の威力を4 - 8Mt(メガトン)と見積もり、危険区域を狭く設定したためとされていますが、実際は15Mtだったそうです。第五福竜丸は米国が設定した危険水域の外で操業していたのですが危険を察知したものの漁に使う網の回収に時間がかかり結果数時間に渡って放射性降下物の降灰を浴び被曝したものです。危険水域を修正したところ、この水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、被爆者は2万人を越えるとみられています。この事件で同船の故久保山無線長(当時40歳)は、、同年9月死亡しました。日本の医師団は死因を放射能症と発表しましたが、アメリカは、「放射線が直接の原因ではない」との見解を取り続けています。当時の日本国内に強烈な反核運動を起こす結果となった。反核運動が反米運動へと移行することを恐れたアメリカは日本政府との間で被爆者補償の交渉を急ぎ、「米国の責任を追及しないこと」の確約を日本政府から受け、事件の決着を図った。1955年(昭和30年)に200万ドルが支払いました。占領からの主権回復後間もなかったこともあり、賠償金でなく好意による見舞金として支払われたものです。この事件で死亡した故久保山無線長は、「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言を残したそうですが、爆弾ではないものの事故としてチェルノブイリ原発事故やJCO東海事業所事故などで、彼の本当の望みがもろくも崩れ去ったことは遺憾ながら万人の知るところとなりました。核がいかに人類の手に余るものかを実感するところです。いまさらながらアメリカ合衆国の対応に理不尽さを感じます。2010年、第34回世界遺産委員会において、UNESCOの世界文化遺産に登録された。マーシャル諸島共和国初の世界遺産となったことを付記します。

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2012/01/08 04:32
そうだね。これからどうするべきか考えよう。^^
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2012/01/08 03:59
第五福竜丸が放射能灰をあびたお話しは、学校で詳しくは教えてもらっていないような記憶があります。
むごい事です。




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