おフランスのように 避妊・中絶ノンノンざますよ
- カテゴリ:30代以上
- 2012/02/04 23:32:57
民主党のマヌケな 試算で それ以上に不毛な年金議論が起きています。
民主党の貧乏人へのバラマキ政策が、財源・効果の何れもないことがこれだけ明らかなのに、本気で一律7万円とかやるって、ありえないでしょうに。
ただ、「年金制度は破綻してるんだ」とバカでも分かる資料という点では、GJではあります。
「誰でも 結婚して 子供を二人持つ」
「高卒でも マイホームが持てて 終身雇用で 妻は専業主婦」
そんな前提のほぼ全てが崩壊して、ソ連とか社会主義経済とか1億総中流とかも全て崩壊したのに、なぜ年金制度だけが有効と考えるのか不思議で仕方ないです。
こういうときに、「出羽守」(でわのかみ)と言うんですが、やたら、北欧とかオランダを引き合いに出される「海外事情にお詳しい方」がいますね。
でも、人口が1千万人前後で、老若男女問わず労働力で、あと、格差の少ない社会ってコンセンサスで建国以来進んできた国、というか政令指定都市みたいなもんと、日本は比べようがないですよね。
あ、出羽守は「オランダ”では”」とか”では”では”いうからです。
それと、年金の話では、出生率を増やせば問題解決という人がいまだに多いのビックリです。少子高齢化に反した発言すると、コメンテーター干されちゃうんでしょうか?
このときの「出羽守」は、おフランスなんですが、カトリック国にして自由な文化で、避妊・中絶ナンセンスで、不倫や未婚出産にも寛容なお国柄ってバックグラウンドを見逃していいんでしょうか?
つまり、日本を「ビッグダディだらけの国」にしていいのか?ってことですよ。
これだけ産業が停滞し、空洞化が進む日本で、出生率が2を超えたら、2人のうち1人は失業者かワーキングプアですよ。まして、子供を多く産むのがヤンやビッグダディだと、一族郎党が税金頼みになっちゃうわけで、全く逆効果。
そう、少子化は歓迎すべきことなんですよ。貧乏で結婚できない人が、現在の10%から20%になるというのも、↑の文脈で考えれば何の問題もありません。貧乏な親が、子供に虐待したり、ロクな教育を受けさせない事例の多さを考えれば、子供も生まれない方が幸せです。
さて、「少子高齢化」の支える方が少ない、というか減る以上は、乗っかる側が90歳まで生きちゃうとかありえないでしょう。
年金制度が破綻していく中で、限界集落とか孤老社会とかになる中で、貧困に直面した生活を何十年も続けたいのでしょうか?あるいは、チューブでつながれ、人間としての尊厳や意識もなく、何十年も生きて行くことでよいのでしょうか?
こうした状態は、実は江戸時代がそうでした。
経済成長率がほぼゼロで、鎖国という環境で、国も民も「少子・非高齢化」を国是にしていました。子消しとか、姥捨て山とか、実にエコだったわけです。
江戸のエコは、ゴミリサイクルだけじゃないんですよね。
そこまで踏み込んで、正に国民一人一人が自分の人生を選択するという意味で、年金だけでなく社会保障制度また憲法25条をどう扱うのか、9条とか原発なんかより格段に真剣に取り上げる問題だと思います。
家族経営はみんな脛かじりになるな。会社は全部1代で終わりだ。そういう人たちの血のにじむような苦労など夢にもわからない。どうでもいいけど、公的扶助の不当さをブログで散々書いて、その記事で私的扶助が公的扶助の代わりとか?すごい認識だな。救済のきれいごとを並べて時がきたら一番に自分が公金の給付を受けにいくんだろ?根本的に公金に対する認識が間違っている。書いてることと、考えてることが違いすぎる。
プライベートセクターで福利を代価すると言うのは、マクロ経済でも厚生経済でももう規定路線だよ。その上で、数字で切って構造改革じゃ済まない。その受け皿に多くが安心できることが大切。その為に、高度成長期型の神話を捨てちゃえ。といっている。民間に金がない時代じゃない。一方行政サービスはうまくいっていない。だったら就労形態とか核家族とかの間違いを正して家族関係とか延びた寿命を前提として人に迷惑にならない人生を設計すればいい。間違った自意識が社会のコストを上げている。
この記事だけ確認しますが、<友達>は止め。時間の無駄です。共通の友達がいますが、コメントにリコメはつけないでください。
>でも、キミは 僕のチラシの裏に 頼まれもしないのに 書いて騒いでいる。
コメントをつけている回数はどちらが多いか?自分は12月来3回つけただけだし、はじめにつけるコメントがそれほど神経質なものだろうか?不要というなら止めるだけ。
>日本語で何が書いてあるか分からない
読みにくいというのはそのとおりだが、みんないつも日本語使って仕事してるわけじゃないんだよ。そういうこともあるよ。しかし日本語としてわからないわけではないだろう・・・・・わかってないのは概念だと思うよ。
>あんまり 本当にバカとか 言っちゃいけないけどさ
>「私的助成」って何? 「公的助成」の対の概念のつもり?
本当にバカって言わないほうがいいよね。恥をかくだけ。<私的助成>ってどこに誰が書いた?一言も書いていない。公金で扶養義務を育成してどうすんだよ。公費でないときに<助成>って言わない。何といっても、私的扶助と公的助成[両方共を<扶養>、<扶助>では置き換えられる]は、立派な対概念だよ!!教養で社会保障論も民法も学んでないのがわかっちゃった・・・
>>学歴とか現在の仕事を聞く限り、キチンとした教育もジョブスキルも積んでいない。
美術系の評価ができると思えないし、君は国立で入った所があるかな?高卒とかF欄ネットで見つけていびってんだよな。ちょっとリアルで見たことないよ。学歴ってそうやって使うもんじゃないんだよ。名門の末席汚して誰が尊敬するんだよ。
仕事はIT系だが同じ。評価できないはず。取引先の話を君に書くつもりもないけど、米国のIT系上場会社と証券会社だよ。内容はおろかやり方さえ想像できんだろ。大手ITでは在宅なんていっぱいいるんだよ。完全能力給で変動がすごいけど、そんなこと君にできるのかな?ジョブスキルについて評価できるなら、データマイニングについて400字で書いてごらん?
ずっと不思議なんだけど、DAIちゃんって 自分の言っていることが「正しい」とか「マトモ」ってことをよく言うけど、どうして そんな自信が持てるの?
悪いけど、学歴とか現在の仕事を聞く限り、キチンとした教育もジョブスキルも積んでいない。それでも、独学で世に通じる考えを持つ人も多数いるけど、DAIちゃんの場合はそれでもない。
ホント、正否の以前に、日本語で何が書いてあるか分からないのだもの(ホントまいっちゃう)
それを キミのチラシの裏に書く分には、誰も迷惑しない。
でも、キミは 僕のチラシの裏に 頼まれもしないのに 書いて騒いでいる。
そういうのは「童貞のオナニー」だから やめてくれと 前にも言ったよね?
僕は 意見が違うことには何のこだわりも持たないけど、バカは嫌いなんだわ。
キミは、自分がバカ扱いされて怒っているけど、ここでは書いたものが全てだし、僕はバカに「賢いねぇ」と書く義理はないので、「意味が分かりません」と書いただけだよ。
それを、的外れの僕の人格批判でしか返せないってのは キミが ネットで「友達」とか唐突に言い出す点と合わせて、本当に人生そのものの「童貞」だと改めて実感させてくれましたよ。
あんまり 本当にバカとか 言っちゃいけないけどさ
「私的助成」って何? 「公的助成」の対の概念のつもり?
生活保護や失業手当の代わりに、親の家に住んで、親に御飯つくってもらって、親に仕事の立ち上げのお金もらって、親に仕事回してもらっているってのは、一般世間では「脛かじり」「半人前」と言うんだよ。いくら、PCで繕っても、仕方ない。
でも、そんな低い所得水準の人が「公的助成」つまり生活保護や子供手当や7万円定額年金で、長生きしたり、子供をつくると、更に国の財政をひっ迫する。
だから、そういう人には、ちょうどDAIちゃんのように、親抱えで独身でいてもらうと、負の再生産は起きなくなる。
あとは、自分の貯金や保険で賄えない人に どれだけ国、というか納税者が面倒を看るかって話。
橋本市長は「掛け捨て」って言うけど、冗談じゃない。「年金制度の廃止」をした上で、それじゃ暮らせない人への「生活補助」(保護じゃない)を「税金」から払っていくとかね。
「不平等」というのは、どうして生じるのでしょうね?
身分や性別で、同じ「機会」を得られないことは、正に「不平等」です。
でも、同じ「機会」の中で、「結果」として職業、暮らし向き、所得が異なることは、よくないのでしょうか?「悪平等」という言葉もあります。
「年金」の多寡について考えれば、キチンと納付した人 と キチンと納付していない人 がいます。
前者が 国家財政の都合で減額減額とされています。
後者は、どんな人でも7万円で100年安心!なんて子供でも信じないインチキを 平然と「平等」「幸せ」の面で受け取ろうとしています。その原資は、「キチンと納税する人」の負担です。
人間は、世に生まれるにおいて「平等」であるべき。
しかし、「平等」に生まれたからこそ、切磋琢磨して「成長」するべき。
「成長」の違いが、「結果」の違いになり、より「成長」しようと人は思う。
以上が、道徳の授業。
でも、僕のブログの本題は、社会科の授業だったんだけどなぁ。
自分の年金・福祉 と お子さんの税負担やヤル気 比べて観てから
もう一度 僕の書いたことを考えてみませんか?
状況の推測で勝手なレッテル張りとか最低だな。
筆おろしで一人前、なんていう君の周りの育ちがすべてじゃないから。
ただの欲求不満だったみたいでマジレスしたのが間違いだったが、
福祉政策や公費の扶助を、プライベートセクターの蓄積との相対で考えるのは当たり前のこと。
親と同居をしたり、いろいろ助けてもらってるのは事実だが、脛を齧ってるわけではない。
一般的にも、公的助成は、私的扶助で本来解決すべきことは多い。
でっちくんは、何気なく書いてるけど、文字から透けてるユーザーの弱点を責め合って
不快になるようなことをネットでしたいのかな?だったら2CHでもいけよ。そんなことしてうれしいか?
同じことを他人はできないなどと思い上がるのは大きな間違いだよ。
ろくに考えも対案もなく、世評にかこつけて立場の弱い人をこき下ろしたり、個人攻撃ををするのやめろ。
自分は、批判的だし噛み付く悪い癖があるけどいいとこもあるし、鋭い文を書くモノも知ってると思った。、自分とは状況や考えが違う同い年ということで興味を持ったから友達をお願いしたよ。でもつまらん批評しか書けない、<友達>として最低なのがすべてなら交流はやめることにするよ。やめてもお互い痛いところはなにもないよ。
人類皆兄弟 平等を目指す社会 自由の国アメリカ 命を大切に・・・
理想的なスローガンの裏側には、わざわざ理想を掲げなければんらん
不平等のやりきれなさがあるからです。
子供でも豊かな生活でも 本当にほしい物があれば、勝ち抜いて手に入れるしかない。
誰かの好意や 税金をアテにしても、ダメなんですよねえ。
人間は平等ではない。まず、そっから気づかないと。
動くこともできんけんねえ・・・
DAIちゃんの場合、まず童貞卒業しないと、何の説得力もないよ
それと
何かイミフな内容は、親のスネかじってれば何とかなるさって自己肯定文ってことでOK?
僕の主張は、「どういう生き方でもいいから、税金アテにすんな」に尽きますから
その範囲においては、どうぞどうぞ お好きに生きて下さいってヤツです
専門的な学校教育だけを学んで対人接近戦が苦手でお人柄がもう少しな大人や、逆にナンパや容姿のことばかり気にして経済力のない糞度胸だけのDQNが生まれてくるわけだけど、そういった場合に、核家族が標準とか、今の労働慣行にこだわり過ぎている事が、全うな結婚を阻害し<弱者>を作り上げる理由である気がする。そういった場合に、プライベートでもその上の世代にできることは頼っちゃえというのが自分の考えです。
逆に言うと成人しても人生は長いし、人間や生業を手堅く築くにはそれぞれ課題があってもっと時間がかかるということです。
日本の現在の想定されている恋愛や仕事や結婚や出産は難しすぎる綱渡りみたいでトリッキーすぎる。それは、すべてフツーのこととしてできるためには、成人した後も、親やそれに類するプライベートな大人(教師やバーのママや裸の大将や虎次郎)に、若い労働力として使われている時間のなさや、人格や経済的な未熟さといったそれぞれが欠いているリソースを補って支援してもらえばいいと思う(個人的には労働依存の強い日本人の上司やメンターは除く)。そういう社会の静脈の循環をセットで考えないと、市場主義、構造改革、財政再建は難しい。
公費での福利厚生政策は、やはり日本には必要が薄いと個人的には思う。この手の話↓で抜け落ちてると思うのは、日本の個人資産の多さ。例えば生活保護や介護が必要な老人・障害のある人というのは、本当に天涯孤独なのかな?家族も仲間も作れないのは、どこか動物としての基本原理を欠いている気がする。プライベートセクターの人たちに<弱者>が喜んでもらうことを難しく考えすぎてる気がする。それに、貧乏というのは人間を強くしたり、何でもできちゃう恐ろしい強さもありますよ。
障害者と高齢者をごっちゃにしたコメントにレスをしたところから、話が脱線していったなぁと読み返して思いました。
障害者という 誰もがなるわけじゃない存在を加えると とたんに道義とか理想とかが介入して 収拾のつかない話になるということが分かりました(苦笑)
前に書いたことがあるかもしれませんが、社会保障制度の受給者側だけで極力完結するコミュニティって作れないのかなぁと思うのです。
要介護の老人、心身に障害のある人、失業保険受給者を、限界集落とか空家の多い集落に集めて、失業者が介護を担うことで、最低賃金と3食を提供される。これに、福祉を専攻する学生をインターンで働かせる。
たぬ休さんのようなプロの仕事を軽視するわけではなく、税金投入を最小限にする社会保障の取り組みとしてどうかなぁと。
同様に、母子家庭と独居老人を古い団地に住まわせて、働き口のあるシングルマザーの代わりに子守や家事を独居老人が行う。仕事のないシングルマザーに買い物代行とか風呂掃除とか老人の代わりに家事をさせるとか。
今もきっとあるんだと思うけど、福祉も二極化を進めればいいんじゃないですかね。
↑のような「安かろう悪かろう」な税金を最小限に投入した自己完結的福祉と、これまた税金は最小限にしたまま裕福な個人が自身の資産で受ける優雅な福祉。
何れにしても、税金投入は最小限にするということを目的にして、そこから手段は考えればいいかなぁと。
どこかで、弱者基準の政治・道徳を改めないと、野田総理の唱える「手厚い中流」が完全にメルトスルーして、人口の90%が貧困層「でもみんな笑顔」という偽りの「三丁目の夕日」国になると思うのです。
これまでは障害者をとにかく「保護されるべき対象」として手当やら福祉サービスやらを与えていればいいというような考え方だったんですよね。
だから障害者は施設に「措置」で入所したりしていたわけで。
これって高齢者も実は同じで、年金を掛け金を大幅に上回る額支給してもらったり生活が行き詰っても養護老人ホームという受け皿があったり。
これらは現役世代の税金+未来への借金で賄ってきたわけですが、でっちさんもおっしゃっているように雲行きはかなり怪しいと言わざるを得ない。
障害者施策にも発想の転換が求められる時代になってきているんですよね。
そこで飛び出したのが「障害者自立支援法」。
マスコミや各種団体にはとかく評判の悪いこの法律ですが、この法律は今まで法の保護から漏れていた障害者への支援に焦点を当てたことの他に2つ注目すべき点があります。
ひとつは施設の役割を明確にしたこと。
もうひとつは将来の財源について初めて考えようとしたこと。
以前の施設は利用目的以外のことでもかなり請け負っていました。
うちの通所施設でも一応の主体は作業だったのですが、手芸などの余暇活動やお泊りの練習、旅行の引率、入所施設の見学付き添い等まで対応していました。
今はそれぞれ他のサービスが存在し、うちは作業に集中できる環境となりました。
その影響か就職された利用者さんも何名かいらっしゃって、みな「大変だけど施設より働く方がいい」と語っています。
施設と職場の違いは「自分が必要とされているか」でしょうね。
人間もらう方は際限ないですが、与えるのは少しであっても心を満足させることができますから。
重度の方も能力に応じて評価されてくると意気込みが違ってくるものですよ。
ただ、この法律の「財源について考える」は「人権派」になし崩しにされてしまいました。
「生きるための支援にお金を取れない」なら「介護保険」だって同じなのにね。
私としては今負担が軽くなっても将来利用者さんが高齢になったころに超高負担になるのであれば、今から真面目に向き合わせておきたいと思うわけです。
若いうちの方が対応力も伸びシロも家族のサポートもあるので。
未来永劫障害者の費用負担はゼロ円なんてことがあり得るのなら話は別ですが。
なるほど、そういう世界が理想ですよね。
そういう世界が、過剰に税金を使うことなく実現できるなら、それは 当事者達で頑張ればいいんじゃな
いですかね。
障害を持つ長男がいて、視覚障害や聴覚障害を持つ友人がいて、
身体障害を持つ高齢者を介護してきた目線からのつもりなのですが。。。。
障害者ダロウガ高齢者ダロウガ自分の持つ能力を最大限に活かして
人の役に立つというのは喜びなのですよ。
経済活動という考え方ではマイナスに考えられがちかもしれませんが。。。。
教育のことでも思うのですが、
個性を殺して同じレベルの均一な国民を増産するのを目的にした教育よりも
それぞれの個性特質を見極め、長所を伸ばす方向で
多様な教育方法を選べるような形が理想だと思うのですよ。
確かに延命治療的な医療や、安らかに死ぬ権利を認める事も必要とは思いますが。。。
何もしないで(楽をして)税金で余裕の暮らしを送れるニセ障害者がいるのかもしれませんが
障害者を雇用出来る場を税金でつくることは無駄なことになるのでしょうか。
利益を出せない。自転車操業になるから無駄だと考えるのと、
ただ上から目線で障害年金や生活保護で金銭面を支えているから良いという考え方。
間違いなのではないでしょうか。
一人ひとりの能力を活かしてはたらく場を創れば
人の役に立つ喜びが得られ、
その時間に応じた最低限の収入を保証出来れば、
何もせずにお金をもらうだけで、楽しみをパチンコやゲームなどに
求める生活をしなくてもよくなるのではありませんか。
暇を持て余している高齢者が小さな子供の面倒を見つつ子供たちの成長に癒され
子どもたちは高齢者の体調の変化を目の当たりに見ることによって、
やがて自分らの両親の身体もそうなっていくのダト理解しつつ育つ。
以前は大家族の中で当たり前にあった子供と高齢者との身近なふれあいを
家を一歩出た地域のばで新たに作る。
高齢者や障害者や産前産後の経験や知識に不足した妊婦やら
働く両親を持つイワユル保育に欠ける子達が
互いに触れ合い、助け合える「駆け込み寺」ではないけれど、
自由に集まれる場所を作ってそこに管理者を置くことによって
良いコミュニティを作れるような気がするのです。
長寿とか子沢山を=無条件に善いことと思う自体が、長く見ても、この100年の概念なんですよね。
僕は、元気で長生きな人や、障害を抱えながらも社会で生きて行く人を、否定する気持ちは毛頭ありません。そうした人が幸せに暮らせない国は、結局は、誰も幸せになれない国だと思いますから。
でも、元気でないのに無理矢理生かされるとか、親が後期高齢者で障害のある子供を気に掛けながら老いて行くとか、「自然の摂理」に反しながら、「幸せ」(幸福追求権ですね)という大義名分のもとに、なんか突き進んでいる部分もあるように思います。
ただ、この話をもう少し進めると、確実に我が国にあった優生保護法やナチスに代表される優生学の話に突き当たってしまいます。
しかしまぁ、憲法第25条第2項の全面的実現が困難になる中で、第1項が実現できないなら、そうした人生そのものの終了を選択する権利ってのもあっていいと思うんですけどねぇ。
>障害者や高齢者の力をどれだけ引き出せるか。
こういう言い方をする人が多いのだけど、結構、無責任な上から目線に思います。
社会的弱者が、それ故に社会にアクセスできないことがあるなら、それは是正されるべきだと思います。
たとえば、バリアフリーとか雇用差別とかですね。
でも、変ですよね?
年金が支払えないという理由で、定年がどんどん延長されていくって。
あるいは、障害者も「社会の一員だから」という無理矢理な理由で、仕事させてないです?
望まないなら働かずに、静かに暮らす生き方も認めるべきじゃないですか?
それと、身内や近所で子供を育てる環境を持つのは勝手なんだけど、税金とかガンガン使ってまで、子供を産む人やその子供を過剰に支援するのってオカシイと思うってのが、↑での僕の意見です。
「力を出し合って助け合う」って、そのやり方が税金ベースである以上、所得の高い人間の方がロスが多くて、使い放題の人の方が得をするんですよね。
今までどの政権も公言しなかったけど「小さな政府」を標榜して、年金・生活保護・子供手当・医療保険とか全面的に縮減する議論が必要なんですよね。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
生活保護法等の根拠となっている条文です。
現在の年金制度に関する不満のひとつに「何十年も掛け金を納めているのに掛け金ゼロの生活保護以下というのは納得できない」というものがあります。
(実際には年金には疾病時の保障もありますから単純比較できるものではありませんが。)
更に「自分たちが対象年齢となったときには十分な年金は受け取れないのではないか」という不安(事実だと思いますが)があるため、サラリーマンや公務員など強制的に徴収されている人を除けばかなりの割合で未納が発生しています。
年金制度は崩壊云々を議論するまでもなく「今でも強制徴収分がなければ崩壊している制度」なのでしょう。
だからこれを全て消費税で賄おうという議論が出ているわけなのですが、今の高齢社会が持続するようならそれもかなり難しいでしょう。
(労働世代の労働意欲がなくなるくらいの税率になるでしょうし。)
今の100歳くらいまでお元気に生きておられる世代は徴兵制度や2度の大戦、昭和大恐慌や戦後の食糧事情などを潜り抜けた猛者ともいえるわけで、団塊の世代より丈夫だという話も聞いたことがあります。
そしてその下の世代の体力などを考えると高齢社会は自然解消されてくるという見方もないではないのですが。
ただ、そのことをあてにして政府に国民の生活設計をされても困るわけで・・・
「働く人が報われる社会」でなければ子沢山でも意味はないですね。
江戸時代のお江戸の街は男性比率が異様に高かったから結果として子どもも少なかったとか。
結婚できるのはそれなりに甲斐性のある男性だったわけで、これも今とは違っているのでしょう。
親の脛が極端に細くなってくる数十年後の日本はどうなっているんでしょうね。
人権関係ナンですか?
障害者や高齢者の力をどれだけ引き出せるか。
子育て世代をどのようにバックアップ、フォローするのか。
子供を周囲の人々がみんなで世話をする。出来る事を出来る人がする。
出来ない人がいるのなら出来るように手伝うのか。
出来ないままでも安心して暮らせるように助けるのか。
力を出し合って助け合って生活するのが日本人らしくて良いのではないのかな。