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長崎26聖人殉教の日

長崎26聖人殉教の日

 1597年の2月5日、豊臣秀吉がフランシスコ派の宣教師6名と日本人信徒20
人を長崎西坂で磔の刑に処されました。
 その後、時を経て磔の刑に処された場所は、「日本26聖人殉教地」とされ、キリ
スト教弾圧の最初の犠牲者達を追悼した場所になりました。
 「西坂の丘」になった理由は、宣教師らが、キリストが十字架にかけられたゴルゴ
ダの丘に似ているという理由でが願い出たそうです。
 その後、日本が鎖国政策を解き、開国後1865年大浦天主堂が建てられました。
 
 処刑された人々は、1862年6月8日、ピオ9世教皇によって列聖されたそうで
す。

 1950年(昭和25年)ローマ教皇ピオ十二世によってカトリック教徒の公式巡礼
地に指定されました。
 1981年、ヨハネパウロ2世が日本でのキリスト教迫害の歴史を聞き、この地を
訪れたたそうです。

 では、なぜ、26人のものキリスト教徒が処刑されることになったのでしょうか?

 その背景は、キリシタン大名の神社・仏閣の破壊が秀吉の敬神崇仏と対立したこと
が大きな要因だったといわれています。
 また、豊臣秀吉は、キリシタンの急激な増加で一向一揆のような争乱を懸念しまし
た。
 豊臣秀吉はキリスト教の布教活動を認めていましたが、上記のような要素が、豊臣
秀吉にとってキリスト教が邪魔な存在になったのでした。
 そして、領土的野心のために宣教師を派遣して信徒を増やしているとして、26名も
の宣教師や信徒が十字架にかけられ処刑されるという事件も起きました。




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