湛山の「地方自治維新」
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- 2012/02/16 17:56:40
石橋湛山という首相も務めた政治家がいた。
彼は、戦前・戦中の日本を、ジャーナリストとして客観的な視点から見つめ、論じてきた。そして、戦後に政治家となり、1956年という、日本が占領から脱し、真の戦後を歩もうとした時期に鳩山一郎の後を受けて、自民党内閣の首相となった。
しかし、俄かの急病で約2ヶ月で退任の止む無きとなり、その後は、湛山に総裁選で負けた岸信介が受け、翌年の日米安保条約新規締結に始まる、親米反共の戦後日本が始まった。
そんな湛山の詳細は別に調べてもらいたいが、彼が1924年という普通選挙導入直前の大正デモクラシー真っ只中で述べた論をwikiで見つけた。
「国民一般が一人前に発達したる後おいては、政治は必然に国民によって行われるべきであり、役人は国民の公僕に帰るべきである。」
「政治はできるだけ地方分権でなくてはならぬ。できるだけその地方地方の要求に応じえるものでなくてはならぬ。現に活社会に敏腕をふるいつつある最も優秀の人材を自由に行政の中心に立たしめえる制度でなくてはならぬ。」
「これまでの官僚的政治につきものの中央集権、画一主義、官僚万能主義が如き制度は根本的改革の必要にせまらざれるを得ない。」
「今や我が国はあらゆる方面に行き詰まってきた。しかしてこの局面を打開して、、再び我が国運の進展を図るためには、いわゆる第二維新を必要とする。第二維新の第一歩は、政治の中央集権、画一主義、官僚主義を破壊して、徹底せる分権主義を採用することである。この主義の下に行政の一大改革を行うことである。」
橋本市長の先達としての湛山ということでは、決してない。
何故なら、それから十年を経た1936年、つまり、2.26事件で軍部が日本のデモクラシーをぶち殺した直後に、湛山はこういう論を張っているからである。
「日本人の一つの欠点は、余りに根本問題のみに執着する癖だと思う。この根本病患者には二つの弊害が伴う。第一には根本を改革しない以上は、何をやっても駄目だと考え勝ちなことだ。目前になすべきことが山積して居るにかかわらず、その眼は常に一つの根本問題にのみ囚われている。第二には根本問題のみに重点を置くが故に、改革を考えうる場合にはその機構の打倒乃至は変改のみに意を用うることになる。そこに危険があるのである。」
「これは右翼と左翼とに通有した心構えである。左翼の華やかなりし頃は、総ての社会悪を資本主義の余弊に持っていったものだ。この左翼の理論と戦術を拒否しながら、現在の右翼は何時の間にかこれが感化を受けている。資本主義は変改されねばならぬであろう。」
「しかしながら忘れてはならぬことは資本主義の下においても、充分に社会をよりよくする方法が存在する事、そして根本的問題を目がけながら、国民は漸進的努力をたえず払わねばならぬことこれだ」
その論のタイトルは、「改革いじりに空費する勿れ」であった。
そして、もう一つ、2.26事件を起こした軍人達は、それを「昭和維新」と称したのである。
自らが強く求めた「維新」が、おそらくは彼の理想とは正反対の形で、彼の願ったものを踏み躙ったことへの、湛山の無念や怒りが強く感じられる。
維新を生き抜き、維新を実現し続けるため「斬新的努力」に生涯務めた明治・大正の政治家を見てきた湛山だからこそ、「維新」という言葉を畏敬して使っただろうに、その「維新」を僭称する者達に、政治家も国民もメディアもが感銘し共感した世相に、強い言葉で警鐘を鳴らしたのだろう。
彼の前後の首相は、吉田茂(麻生さんのじいちゃん)、鳩山一郎(友愛のじいちゃん)、岸信介(安倍ちゃんのじいちゃん)である。
湛山は子供に政治家の仕事を引き継がせなかったが、私達、国民こそが湛山の言葉をこ受け継いで「一人前に発達した国民」となって「政治を自ら行う」ことが必要なのだろう。
政治は、官僚のモノではない、だから地方分権だと湛山は言う。
私は思う。官僚のモノではない、同時に、どっかの維新志士を名乗る者達のモノでもない。
誰のモノでもない。政治は、私達国民一人一人が担うモノだ。
任せっきりで文句を言うだけではいけない。任せたら託す。任せられないなら、自分で出来ることを法の定める国民の権利を通じて行っていく、それが「自治」である。
だから、日本の地方政治のルールは「地方分権法」ではなく、「地方自治法」なのだ。
子供の件ご指摘感謝です。湛山は子供に政治家を継がせなかったということを言いたかったので、本文を直しました。
湛山は、理念に忠実すぎたところがあって、選挙はまぁ勝ったのですが、病床に着いたときに、ポリシーが異なり総裁選で戦った岸(副総理)に政権をすぐに譲った点を悔やむ意見もあります。陰謀論どころか妄想の世界ですが、湛山の中ソへのシンパシーを嫌い公職追放にまでした米国が、他の国でもやっていたように、CIA等に毒をもらせたという説もあるくらいです。
湛山が病気にならずに総理を続けていて、安保締結の1960年を迎えていたら、というのは、戦後史のifとしては面白いのですが、米国の圧力と、岸達親米派の策謀の前に、結局は辞任だったのかなぁ・・・
面白いのは、親米か全面平和かで、吉田・岸vs鳩山・湛山なんですよね。その孫が自民vs民主なんだから、湛山の遺志を継ぐ者が子孫だけでなく政治家としてもいないことは本当に残念です。
ちなみに、湛山は、田中角栄さんと同じく、召集されて兵隊さんをした数少ない総理です。(中曽根さんは、賢くも海軍主計軍人として、戦地に行かない選択をしています)
その湛山だからこそ、再軍備した上で、米・中・ソとの平和条約を結ぶという理念は、空理空論には聞こえないのだと、僕は思います。
あと、橋本さんについて、思いを強くするのは、彼を強く支持している国民の中に、彼が本当に日本を立ち直らせるとは思っていない人が結構いるんじゃないかってこと。
公務員とか、金持ちとかが酷い目に遭ってくれればザマアミロと思う、ただそれだけ。自分達が頑張るとか、日本がどうなるとか、そういうことはどうでもいいって思っているっぽく思うのです。
誰も真剣じゃないから、彼のハッサクの中で「首相公選」が最も支持されている(ヤフーかなんかのアンケート結果w)。首相公選って、世界のどこでもやってないのにねぇ・・・ 一院制でネジレが生じなくなるメリットを、首相公選で首相vs議会のネジレにしてどうすんだろ? 二大政党制でないマトモな国(つまり、連立内閣が当たり前の国)で大統領制にしている国ってのもどこにあるんだと思うし。
こういうタイプの人って意外と選挙が弱かったりするんですよね。
逆にハトポッポみたいなのが強かったりするのが何とも・・・
(ウィキの項目には子どももいるように書いてましたがウィキの記載間違いかな?)
最近「維新」という言葉をやたらと目にするのでうんざりしてきてます。
そんなにバーゲンのワゴンセールみたいに大安売りする言葉ではなかったと思うのですがね。
地方の第1党として具体的な成果を何ら挙げられていない議員団と、1期で公約であったはずの財政改善を全くできなかった元知事の集まりなんですよね、客観的に見れば。
「地方が国を変える」というなら、まず地方の現実的な(且つ山積している)問題をなんとかしてみろと。
とてもじゃないけど、人件費をいじったくらいでどうにかなるような状態ではないでしょうに。
国政については、民主党で散々時間を無駄にしているのに更にもう1回無駄にしてみようという気にはなれません。