Nicotto Town


濃すぎる毒入り日記


なんちゃって高校生

しばらく前に読んだ記事なのですが、高校入試で学力試験(いわゆるテスト)がない制度がいっぱいあるんですね。

推薦入学のようなものかなぁ?と思ったのですが、記事では「ゆとり教育の流れで導入」したが「学力やヤル気の低い生徒ばかり」で問題多いので「廃止や縮小の動き」ということなので、要するに、テストで決めたら、さすがに入学させられない人を高校に進学させるズル制度のようです。

ビックリしたのが、そんな「なんちゃって高校」や「なんちゃって高校生」の数です。
なんちゃって入試を導入する高校は、全国4,000の公立高校の半数以上の約2,300校。
なんちゃって高校生の数も、募集枠ベースで15万人!公立高校に進学する生徒数は概算で100万人弱なので、実に6人に1人がなんちゃってなんですよ!
医師や、調理師や、運転している人の6人に1人が無免許だったら、怖いですよね。
国が、そんな無免許のなんちゃって高校生を認めていたなんてショックです。

ところで、6人に1人っていうと約15%なんだけど、何か聞いた数字だなと思ったら、日本の貧困率と同じ割合だった。この場合の貧困率は、相対貧困率といわれるもので、指標としての妥当性に議論もあるものだけど、広く使われていて、日本国民を所得順に並べて、真ん中にいる人の所得の半分以下の人の割合って計算です。

そう並べると、「みんなが高校に進学する」という ちょっと前まで日本の教育水準の高さを示す指標が、実は「6人に1人は貧乏人」という事実から目を背けている日本社会と同じトレンドなのだと気付きます。

高校の制服を着ている子が6人いたら、中身は下手すりゃ小学生が1人いる。
オトナですと言う人が6人いたら、1人は貧乏人。
なんか、上手くは言えませんが、とんでもない国じゃないかと思います。


注:こういう制度の全てが、なんちゃてでは、ないと思いますし、この制度で入学した生徒全てがなんちゃってとも思いませんので、身内や本人が、この なんちゃっての人がいても、怒らないで下さいねw

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2012/03/04 19:27
<追記>

大学進学率だけでいうと、欧米の多くの国は、50%前後です。
東アジアの国に特有なのは、新卒一括採用というワンチャンスと信仰に近い学歴社会でしょうか。

一方で、欧米の多くの国では、日本のような東大卒より、もっとキチンとした意味でのエリートも存在する。エリートの存在が、国や教育をおかしくしているというのは全く間違いでしょう。

おかしくしているのは、偏差値52の人が、偏差値47の人を「おちこぼれ」と蔑む、誤った序列だと思います。その蔑みを持つ偏差値52の人は、偏差値57の人に上から目線で従う、誤ったイヌ根性も持っちゃうと思うのです。

それと、ご指摘の天下り先としての大学等の認可は、一番ひどい官製ビジネスと民間の癒着と思います。
これが余り厳しく庶民の批判を受けないのは、それで「なんちゃって大学生」となれた人達がいるからでしょうね。
なんちゃって大学生なんて、負債以外の何物でもないのに
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2012/03/04 19:18
たぬ休さん へ

>教育の義務って国の義務ではなく国民の義務なんですよね。
>つまり「親が責任もって社会人となれるような教育を身につけさせるように」という。
国は、義務教育を無償で供給する義務。
親は、その義務教育を我が子に受けさせる義務で、児童労働とかで学校に通わせないことなどを念頭においたものですね。
言われる通りで、国と親とが、子供を社会人足る教育を身につけさせるんですよね。

>でっちさんが想定しているような「授業内容についていけない」層に自分の子どもがいるとしたらどうすればいいかというのは親が考えるべきことなんだろうと思います。
多くの親は、これを考えた結論として、「よりよい高校、よりよい大学、よりよい勤め先」に喰いついて、でも、その「よりよい」の指標として、偏差値と年収とか知名度に喰いついたところが限界なのでしょう。
別に、その指標はそうそう間違っていないと思うけど、それが保障するのは、上位10%とか20%まででしょう。
大学進学率が50%ですから、上位30~50%の人は、必ずしも、この序列に従わない方がいいのですよね。その序列は、福沢先生やフランス人権宣言が否定した「己の能力や才覚」以外のものだから。
偏差値55と中2くらいの模試で言われた子供、そして、その親は、偏差値でないところ、つまり、試験勉強への強さでないところで、己の職業を探した方がいいと思うのですよね。

ゆとり教育の一番の失敗は、これは失敗と言うか不幸な偶然なのだけど、本格導入前後から、不況になって、社会が、ゆとり過ぎた人々を雇用しなかったことじゃないですかね。
ゆとりという形で、偏差値が高くなくても勝てるコースに誘導して、そこに相応の仕事を用意して、いわゆる3高とかじゃなくても、生きていける人生をつくれたらよかったはず。
経営学を身につけて親から農業や漁業を継ぐとか、中小の製造業で己を極めるとか、ビジネスとして成り立つ福祉を目指して行くとか、そういう職業をキチンと用意できなかったことが国の失敗でしょう。

そして、そういう「いまキチンとある職業」にトライせず、社会や国に不満を言うだけのコドモとその親という、人的資源だけど負債を多く抱えてしまった日本があると思います。
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2012/03/03 11:34
教育の義務って国の義務ではなく国民の義務なんですよね。
つまり「親が責任もって社会人となれるような教育を身につけさせるように」という。
親はそのための選択肢として学校に子どもを通わせているという構図。
であれば、でっちさんが想定しているような「授業内容についていけない」層に自分の子どもがいるとしたらどうすればいいかというのは親が考えるべきことなんだろうと思います。
ゆっくりと教えてくれる学校を探す、家庭で自分が個別教育する、勉強以外の得意分野を見定めて職業訓練校への進学を勧めるなり職人さんに弟子入りさせてもらうなりする。
その選択肢が社会に豊富にあればあるほど「落ちこぼれ」と感じる人は減ってくるのではないのかなぁ。

高校や大学が「なんちゃって」を量産しているのは文科省の天下り先と関係あるのかもしれませんが、昔のように減らしてしまって、「高校卒はそれ相当の学力がある」にした方が健全だろうと思います。
高校・大学に進学する人が半数もしくはそれ以下なら、「進学しない」が「落ちこぼれ」を指さなくなるだろうとも思いますし。
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2012/02/26 22:16
最近の教科書を見たことありますか?
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2012/02/26 11:04
しょこん さん へ

数学の話は、本来は大学に来る資格のない低学力の人が大学生になっていることが理由なので、大学生全部を問題視する報道は間違いだと思います。

言われているのは「落ちこぼし」問題なんだけど、もともと、下位2割くらいの生徒は、貧困層レートとほぼ同率ということからも分かる通り、どうしても「落ちこぼれ」なんだと思います。
それを、学校だけに全部押し付けるのはどうなんでしょう?
教科書の話も、聞く限りでは構造的な欠陥というよりは、その程度も分からない生徒と親の問題に思えます。文科省や教育委員会だけが悪いなら、全ての子供の知力が一斉に低下するはずです。

ゆとり教育の中でも、むしろ学力を高めたり、自ら努力している生徒もいるのですから、生徒自身や親としてもっと出来ることがあると考えないといけないでしょう。
そういう学力なら、無理に高校に行かないで、学校の詰め込み教育での知識を要しない、手に職をつけるような仕事や教育に子供を向けさせるのも親の役割ではないでしょうか。

それと、病欠なら留年はそもそも合法なのだから、学校や教育委員会に頼みこんで、留年すればいいんじゃないですかね?橋下さんや尾木ママが言っているのは、そういう話です。「教育を受ける権利」ってのは、そういうものなんですよ。そして、学校には「勉強の出来ない子に出来るまで教える」義務はないです。
40人で走って、ビリの子がゴールに着くまで、残り39人が一緒に走るなんてありえないですよね。
ビリの子が一人で走る時間ってのを、留年と考えたらいいんじゃないでしょうか。
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2012/02/26 10:32
たぬ休さん へ

ゆとりを求めたのは、週休2日をゲットした日教組さんですからね。
Olivierさんやたぬ休さんのように黙っていても勉強する人には、先生方が日教組ばっかでも関係ないだろうけど、学力下位の人には辛いんだろうなぁ。

で、目標がないから勉強しないって論なんだけど、僕はそれも怪しいと思うのです。
良くも悪くも、日本でも世界でも、勉強しない人が社会の成功者になる確率は低いことは誰でも分かっていると思います。だから、勉強する、頭がいいという実は曖昧な概念に、偏差値での学校序列をつくって、2人に1人が大学に進学している。この点では、ゆとり後もキチンと勉強している人はいる。
しかし、しょこんさんのいう数学試験の出来ない生徒が、下位大学つまりバカナ大学で多くが占められるように、中身は高校生以下の大学生という新たなオチコボレが出現している。これは、ゆとりとは無関係なんじゃないかと。つまり、もともとは高卒だった層が、金払って大学に乱入した、大学インフレの問題。

じゃぁ、元々のオチコボレが増えているとしたら、これは、ゆとりもあるかもしれないが、不況も大きいと思うんですよ。昭和では、高校まで頑張って社会でも頑張ったら、結婚して子供2人でマイホームで定年まで働くという社会モデルを多くの人が実現できた。それなら、辛くても勉強する。
でも、平成の高卒だと、正社員はありえねー、結婚とか金ねーし、ガキなんてオレが親にヘルプしてもらってますが何か?なのでは、勉強しなくなるんじゃないでしょうか。
つまり中卒程度の学力の高校生がいるというのが、本論のなんちゃって高校生。これも15~20%くらいいる。

教育は、学習という人間が一生行う努力を支える教える側のアクションで、このうち義務教育は、国民が勤労し納税するに足る、つまり人並みになる上での学習を国家が保障する義務だと思います。
つまり、国家は、納税できるレベルの勤労をする国民というイメージから教育を規定すべきであり、ゆとりで強制勉強しなくなった低学力者に、学力でない教育というセーフティネットを用意すべきだったというのが私の結論です。
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2012/02/26 10:17
Olivierさん へ

「ゆとり教育」って何なんでしょうね?
Olivierさんや姪御さんは、薄い教科書や授業数を指していますし、世間での批判もそっちに集中しています。しかし、私自身は経験してませんが、調べると、詰め込み知識(丸暗記)から経験知識(考える力)へのシフトも意図されていたはずなのです。
ところが、実際には、大学入試でのマークシート化が一層進む等、考える力に移行しないままに、詰め込み量=授業時間・教科書頁数だけが減ってしまった。こりゃ大失敗ですね。

しかし、それでも、僕は、ゆとり教育というネーミングは最低であっても、小中学校という公教育の基本量を減らすことには、今も正しさを期待しています。
つまり、Olivierさんも、たぬ休さんも、ゆとりで知力低下があったと言うんだけど、僕の感覚では、学力上位の生徒達は、中高一貫とか私学とかでより賢くなっているようにも思うのです。一方で、下位の人は救いようもなく落ちこぼれる。ここにも二極化があると思うのです。
で、この二極化は、公教育の授業数を増やしても解決しません。頭のいい子には公教育の授業数増は邪魔なだけでしょうし、尾木ママのいう「落ちこぼし」教育では、何時間授業を増やしてもバカはバカなままですから。

一般に言われることですが、どんな社会でも2:6:2で優・並・劣のグループが出来ます。これを↑でいった日本の二極化に当てはめれば、学力上位層が2から3に増えるのは、むしろ歓迎すべきことでしょう。
では、劣等生が2から3、4と増えるのはどうすべきか?
私は、公教育の外での職業教育だと思います。どんな日本になっても、中学校での学力が下位3割にいる劣等性が社会の中心にはなりません。なる人もいてもいいけど、マジョリティではない。つまり、円周率が3.14でも3でも関係ない、徳川幕府が何年に出来ても関係ない、知力の容量が小さい人に使わない知識を押し付けることこそが、劣等生に劣等感を与える最大の過ちだと思います。

橋下さんのいう落第が欧米の多くでは一般にあるように、本論に戻るなら、下位高校の20%を廃止して、劣等一掃一貫教育つまり、中学・高校の6年で中学3年程度の知識+職業教育をゆっくり教える学校に、それこそ無試験で生徒を誘導してはどうかと。
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2012/02/25 23:21
先日もっと恐ろしいコトをTVで知りました。
大学生のかなりの割合の方達の数学の学力が中学生以下という情報。

なんちゃって高校生の成れの果てはなんちゃって大学生&社会人てことなんですね(-_-;)

中学生の次女から毎回中学校の授業の様子などを聞いている私は
学校教育に対してかなりの不満を感じております。

教科書に沿った授業をしない教師。
教師が病気にかかって病欠が長引き、その間自習だけで対応することによって進度が遅れ
学ぶべき課程を学ぶ機会がないままに定期テストを受けざるをえない生徒たち。
さらにはそのまま学年を修了させられる生徒たち。

授業でやり残した部分を補うべく、習ってもいない内容を
イキナリ、ワークなどで宿題として出されて
教科書などを参考に解かなければならないのに、

あてにしたくともどこに何が書かれているのか全く分かりづらい教科書。

一番ひどいと思うのは教科書。

今の教科書はカラーで写真や図などゴテゴテと飾り立てられている上、
知識として体系だってまとめられることなく、読み物として頭から教科書の通りに辿っていけば
それなりの知識や力がつくのかもしれないが、
そうするために必要な授業時間が取れないためか、
なぜか教師たちはそのような教科書の使い方をしないので
生徒が病気で学校を休んでしまうとどこをどのように勉強したら良いのかわからなくなってしまう。

習っていない事を宿題で出されて困った子供からわからないと泣きつかれ、
過去の記憶を頼って教科書をめくって見ても、あるはずの内容を探すのに苦労する。

元々何と言う言葉について探したら良いのかも分かっていない子供には
どこ探せば求める答えが書かれているのかわかるはずもなく。非常な憤りを感じてしまいます。

使いにくい、使えない教科書を仕方なく使って授業をしなくてはならない教師も大変なのは想像できますが、
だからといって、生徒たちの学ぶ権利を最大限阻害しないように工夫する義務が学校側にはないのでしょうか。

今使っているような教科書を認めている文部科学省が悪いのか
そのような教科書を採用している教育委員会が悪いのか
成人した長男の時からどんどん悪化の一途を辿っている気がして物凄く嫌な気持ちです。

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2012/02/23 02:48
中高一貫教育みたいなのかなとも思いましたが、本当に試験なしってあるんですね。

昔聞いた話ですが。
中高でも小中でもいいのですが、一貫教育の流れで自動的に進学した人より、試験で編入してきた人の方が学力が高いことが多いらしいです。
一貫校なんてのは最初に受験があるんでしょうから、通っている子はある程度「できる子」のはずなのですが、Olivierさんも書かれているように進学試験なしだと目標を立てにくいのでしょう。

私の時代も「ゆとり教育」とやらとは無縁でした。
戦後の教育史は「ゆとり」と「詰め込み」を振り子のように行ったり来たりしているそうです。
でも「ゆとり」で学力が向上したことは一度もないのですよね・・・
学習する力が一番強い時期に学習しないで過ごすなんてもったいない話です。

教科書がぶ厚かろうが試験範囲が広かろうが「ゆとり」は自分次第で作り出すことは可能なんじゃないかなぁ。
(ブラブラするというのではなく「心のゆとり」という意味で。)
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2012/02/22 16:20
最近私も学力試験無しで高校に入学できることを知り、呆れ返りました。

そもそも「ゆとり教育」とは何なんでしょう?意味がわかりません。
私達の時代を「詰め込み教育」と称されますが、正直実感がありません。
知識を詰め込まれた実感も、受験地獄の実感もないからです。

私などは「定期試験」や「入学試験」があって良かったな~などと本気で思っています。
だって、人間なんて本来怠け者ですからね。
「楽していいよ」な~んて言われたら、よほど志の高い子ども以外は
底なし沼のようにズルズルと楽~な道へと向かうでしょう。自称勉強好き(?)の私だってそうです!

「次こそは満点とりたい」「◯△高校に入りたい」という目標・志があるからこそ、
苦手科目を克服したいと思うわけですからね。そのためにも試験は大切な「通過点」なのです。
それに出題範囲が定められているというのは、学ぶ上ではとても楽なんですよね。
計画的に勉強できますから。

それを課すことなく高校生になったところで、砂上の楼閣以外の何者でもありません。
「授業で習う」のと「理解を深めるために自主勉強する」のとでは質の上で大違いです!

「ゆとり」とやらを考えだした御方々は、往々にして高学歴の持ち主でしょう。
よほど勉強漬けの毎日が苦痛だったのでしょうかね?
もっと「ゆとり」のある学生時代を過ごしたかったのでしょうかね?
中一の姪も言ってます。
「“馬鹿なゆとり”が終わってよかった~。教科書も分厚くなるんだよ!楽しみ~」と。
『知は力なり』ですからね。この大黒柱はしっかりしてもらわないと。

もしも勉学至上主義を懸念するなら、国民に他分野(スポーツ・芸術etc)も同程度に柱になりうる、
その意識の定着に尽力すべきです。

私の育った街は勉学至上主義で、いくらスポーツや芸術の才能に恵まれていても
決して尊敬(?)の対象にはなりませんでした。勉強ができないと落伍者のような。
それが関西に来て驚きましたね。
「勉強のデキる子」が「オモロイ子」と同等に評価されている。(スポーツ・芸術でも同様)
み~んな「個性」として認められているのです。
すると子どもも卑屈になったりしません。誰だって「取り柄」があるわけですから。

この話題、考えさせられます・・。







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