光市母子殺害事件
- カテゴリ:30代以上
- 2012/02/20 22:59:04
タイトルに思い切り書いたので、これについて読みたくないと思っている人は読まないで頂きたい。
また、この事件の詳細については書かないので知らない方は自分で調べてください。
ズバリ言うが、僕は死刑はあるべきだと思っている。
正し、社会の円滑性重視の為の冤罪は止むを得ないという考えには絶対反対なのでそこは勘違いしないで頂きたい。
自分の愛する肉親が同様の罪を犯した場合でも同様の考えなのか?と問われれば悲しいが死刑を呑むしかない。
どこで聞いた話か忘れてしまったが、(内容も正確ではないと思うけど骨子は正しいと思う)
愛する夫の死刑の軽減を訴えた奥さんがいた。
『私の夫は優しいひとでした。掛け替えのないひとです。どうか助けてください。』
『奥さん。****さんの罪は良い夫だった事ではありません。罪のない子供殺した事です。死刑は免れません』
もっともである。そこまで懇願するなら逆に犯罪を防げなかった家族にも罪があると思うのだ。
殺人の罪を一緒に償えとは言わない。失う悲しみが贖罪ではないかと思う。
罪を犯した人物の更正の機会を奪うのか?という意見もある。
それは取り返しの付く場合だ。謝罪して済む場合とか、弁償できる場合とかだ。
被害者とその家族に対して罪を償うという考えが欠落している。
それに本当に更正したなら、取り返しの付かない事をしてしまった事に気付くはずで、甘んじて刑を受けるべきだろう。
でなければ、[更正できるなら、どんな酷い事をやっても良い。] ということになってしまうではないか。
それは大変危険な考え方だ。思想的にも社会全体の安全性を考えた時にも、あってはならない。
被害者に対して償うものを償ってから社会に復帰するべきだ。更正とはそういう事ではないか?
ただ、[人を裁く権利は人にはない。本当の罪は死んだ後、神が裁く。]
と教えている宗教はたくさんある。そういった教えを信じる人の信条まで否定する気は無い。
併せて被害女性の夫であり、被害女児の父である本村洋氏には崇敬の念を禁じ得ない。
また、名前は伏せられているが、彼の当時の会社の上司も同様である。
本村氏は事件当時、会社を辞めようとした。
彼の上司は、『この職場で働くのが嫌なのであれば、辞めてもいい。ただ、君は社会人たりなさい。
君は特別な経験をした。社会へ対して訴えたいこともあるだろう。でも、労働も納税もしない人間が
いくら社会へ訴えても、それは負け犬の遠吠えだ。だから君は社会人たりなさい。』
この言葉に批判的な人もいる。
しかし違う。この人の考えは正しい。
なぜなら社会人でなくては日本の司法では闘っていけないからだ。
そして、この上司は本村氏の裁判を全力でサポートしたはずだ。
サラリーマンが裁判を13年間も闘っていくのは大変な事だ。
会社と上司が本村氏の生活と闘いを援助したのだ。
しかし、本村氏の望み通りに死刑が確定しても『おめでとう。』とは口が裂けても言えない。
言えない事が、この事件がどんな事だったのかを表しているのだと思う。
娘さんが実際にそんな怖ろしい目に逢っていたのですか!
まさしく他人事ではないですね。
身近な日常に潜む恐るべき事件として認識せねばならん事です。
『誰よりも愛し、育んできた者が突然奪われる──未来にあった時間ごと。』
こういった他者の人生を護る事など弁護団には、どうでも良い事なんでしょうか?
人生を踏み躙る事を赦し、放置する事に何一つ罪悪感を感じない
弁護団に対して犯人と同じ憎しみが吹き上がってきます。
弁護団の目的が女子高生コンクリ殺人事件の犯人を社会に復帰させてしまった様に
この母子を殺した人間も社会復帰させるつもりだったと思うと、
弁護士そのものが不要な存在としか思えないです。
無論、弁護士不要説は危険な考えです。判っていても感じずにおれない。
(『北斗の拳』の悪党と同じ死に方をすればいいのに。)
本村氏の意思が一般市民の意思そのものであると司法は推して知るべきでしょう。
そして、あらゆる法は犯罪者を護る為に或るのでないという事をもっと認識するべきだと思います。
私の娘は二年前、不審者に連れ去られそうになりました。
犯人は学校の門のすぐそばにワンボックスカーを横付けし、連れ込むために初めから後部座席のドアは開けたまま。
桜が綺麗だったので写メろうと携帯をいじっていた娘は、突然後ろから視界をふさがれました。
幸い夕方でまだ辺りは明るく、少し離れた先にいた娘の友人達が車にひきずりこまれそうになる娘を見て駆け寄り、皆で死に物狂いで犯人に抵抗して娘はことなきをえました。
初めから「拉致」するつもりだったのは状況からして歴然。
娘の事件の前にも近くの学校で未遂の連れ去り事件が起きており、同一犯でした。
乱暴目的だったのはたやすく想像でき、そしてその後のことを考えるだけで今でも震えが走ります。涙が出ます。
あの日、娘は永遠に帰ってこなかったかもしれない。
そのことを思うといろんな事件が起きるたび被害者家族の気持ちを思います。
誰よりも愛し、育んできた者が突然奪われる──未来にあった時間ごと。
そのことをつぐなえるのかというと、どうやったってつぐなえるはずはないんです。誰にも。
人は忘れます。
時間が経てば日々の日常に押し流され、過去は色あせて錆びていく。
やった当人は忘れやすく──辛さのため忘れようとする。やられた方は痛みを抱えたままいつまでも時をさまよう。
娘を襲った犯人は精神障害が認められ、いま病院に収容されています。
女子高生コンクリ殺人事件の犯人の一人は今は家庭を持ち、子供もいるそうで、後年別件で逮捕された仲間のことできた取材カメラに「もう関係ねぇだろ」と言い放っていた映像は今でも胸の奥に重くあります。
誰かにとってかけがえのない命は、誰かにとっては紙よりも軽い。
我が国ではひと一人の命を奪ったくらいでは死刑にはならない。
強姦罪も驚くほど軽く、強姦にいたっては世間による二次被害がひどすぎる。
一体誰を守るための法律なのか──
本村さんは本当によく戦い抜いたと思います。
相当な精神力の持ち主だと目を見張りました。立派な人物なのだろうと思います。
彼が切り開いた道が続いていくことを心から願わずにはいられません。
私は死刑の適用年齢は13歳以上で良いと考えます。
最低限の善悪なら子供の頃よく観る勧善懲悪の物語で充分学べると思います。
本当に頭を悩ませる件は実は交通事故ではないでしょうか。
母親の立ち話中に小さい子供が飛び出して死亡事故となった時、
無惨な遺体を母親は目の当たりする訳で、これは厳しい。
しかし、加害者ドライバーだって目の前が真っ暗です。
ヨチヨチ歩きの幼児の身長は
車体の高さに丁度隠れる位であり、発見は大変困難です。
更に不幸な事故は自分の孫を自分の車で轢き殺してしまう事ですが、
こういった事故は毎年たくさんあるのです。
事故を起こしたドライバーは道交法によって裁かれるため死刑にはなりませんが、
悪質な轢き逃げや殺傷を目的で車を使う以外の事故は最も難しい裁判になるのではと思います。
この事件がどういうものなのかあまり詳しくわかりませんが、
Mさんのブログや下の方々のコメントなどみて、色々考えさせられました。
つい最近コンクリート事件のことやアベック殺害事件などのことも知り、
ウィキペディアで事件の詳細を詳しく見て、とっても仰天しました。
当時未成年だったからという理由で(他にも色々あるでしょうが)
あれだけひどいことをしておいて死刑にならなかったのか!!と・・・
本当に遺族の方を思うと、加害者に同じことして、自分がどれだけヒドイことをしたのかわからせたらいいのに!!と、そうすることが正しいのかどうか、亡くなられた方やご遺族の方がどう思うのか、そうしたって心は晴らされないだろうなと思いますが、そう思ってしまいました。
同じ「殺した」でも、
お酒で酔ってて殺してしまった、精神病でちょっとおかしくなって殺してしまったなどだったら、
罪が軽くなり、本当だったら死刑だったところが死刑にならなくなったりもしますよね。
しかし、そんなことは遺族の方には関係無いんじゃないか、
何故こんなに加害者ばっかりの見方をするのかと、思ってしまいました。
私だけでは無く、皆さん思っていることだと思いますが
裁判員裁判制度で、少しでもこういう事がなくなったりすれば・・と、思います。
難しいでしょうけれど。
あまり知識など無いので、変なことを書いていたらごめんなさい。
実は私は死刑は被告の利する所だと思っているのです。
己のしでかした事は出口のない事だったと考える機会が与えられた訳です。
そして文字通り『死んで償う』事もできる訳です。
無論、本当の償いは『2人を生き返らせる』事ですが、
これは全日本国民1億2500万余が望んでも叶わない。
私も本村氏の望む人生が在る事を願います。
ご遺族が、どんなに過酷な状態でも常に冷静沈着に意見を述べて
闘っておられたお姿を、ずっと拝見していました。
それを支え続けた周囲の方々にも頭が下がります。
新しい伴侶を得られたと報道にありました。
過去を忘れることなどできるわけがありませんが、これから少しでも
楽しく幸せなお時間を過ごして頂きたいと切に思います。
でも俺は右翼でないですよ。
反戦主義だがサヨクでもない。
上手く気持ちを伝えるお返事文が書けそうにありません・・・・
短文でごめんなさい。
大半の方が13年を永いと仰います。私もそう思います。
というより この場合、即死刑判決、即執行が妥当です。
この考えはオーバーでもなんでもない。
なぜか。
国連には戦時国際法というものがあります。
この中に『非戦闘員の女性、幼児に危害を加えてはならない』という項目があります。
(どの国も守りませんが・・・・)
つまり、戦争の相手国民に対してすら、してはならない事を行った訳です。
いちいち議論することすらバカらしい事だと私は思います。
上司の方のお話は中々解り難いものがあります。
しかし、この話は本村氏本人の口から出た言葉であり、
氏本人が絶大な信頼を置いているのが読み取れます。
また、裁判の度毎、有給を使ったり、書名活動をしたりとなれば
会社の同僚たちのバックアップは欠かせません。
氏はそういった意味では恵まれていたのだと思います。
残念ながら、社員の私事を厄介な お荷物と視る会社は多いのです。
その判決がおりるにはそれだけの事をした訳だし。
ただ現状では刑が確定しても執行されてないケースが多いですよね。
それもどうなのかなと疑問を感じることが多いです。
それ以前に裁判に時間がかかりすぎ。
もちろん慎重に審議しなくちゃいけないのは充分理解できるけど、
この事件にしても13年は長いと思うわ・・・
13年は長い、死刑や更生の考え方、本村氏への思い、、、同じです。
上司の方の話は知りませんでした。。。すごいな、私にできるかな。。。
ただもう悲しみと怒りとでいっぱいです。
他にもいろんな殺人事件ありますが、ほんとお話の中だけにして欲しいです。
なんか弁護団の連中、交通事故とごっちゃに考えてるとしか、
思えない発言ばっかしで呆れちゃうんだよね。
私も死刑と無期懲役の差はたしかに酷いと思います。
終身禁固という刑もあっていいとは思うけど、
税金を圧迫するのも困り物です。
なんの罪もない人の命を奪ったことに対する罰は
その命をもって償うべきだと思います。
更生の機会を奪うというけれど、命を奪っておいて
やり直せるということ自体どうなんだろうと思う。
勿論 一律に裁くというものではありません。
死刑と無期懲役ではあまりに差がありすぎです。
終身刑というものも考えるべきだとも思いますが。。。
この13年という月日があまりにも長く重い時間を
必死で歩き続けた本村さんにはかける言葉すらありません。
ただただ 彼が心おだやかに今後を過ごされることを祈るばかりです。
コメントありがとうございます。
私も本村氏のあるべき幸せを思った時、泣けました。
仕事で疲れて家に帰る。
愛する妻の笑顔と生まれたばかりの赤ちゃん。
どこを探しても見当たらない。
奥さんの実家に電話を掛ける。
ふと、押入れを開けて見たとき信じられない妻の姿。
天袋にも。
この状況を思う時、
極刑を回避しようとする運動をするという考えの人達が全く理解できない。
理論など無意味だ。
自分達も同じ目に逢えばいい。
そう思うのは私だけでないはず。
私も簡単でしたが,ブログに残したいと思って書きました。
簡単にしちゃいましたが,ほんとはもっと書きたかったことがありました。
死刑制度や,報道被害など。。。
答えは無いかもしれないけど,考えなくちゃいけないことだと,思います。
本村氏の13年間は,社会に大きな足跡を残したと信じていますが,
ほんとうなら,幸せな13年を過ごせたかもしれないと思うと,
泣けてきました:;
コメントありがとうございます。
たしかに、あまり熟読せずにコメントされる方もいますが、コメントそのものは嬉しいものです。
(ドリーノさんの事でナイよw)
僕もニコタに書くには重過ぎるとは思いましたが、
心にずっと引っ掛かっていた事件が決着したので書かずおれませんでした。
冤罪に巻き込まれたかもと思うと、それは凄く怖ろしい事ですね。
また、的外れなことを書いても失礼かもと・・・思いましたので・・・。
13年は長かったですね。
当時、私たち家族は隣の市に住んでおり(結構近い)、子供も小さかった事もあり怖い思いをしました。
あの頃は、ご主人も疑いの噂がたったように記憶しています。(記憶違いだったらごめんなさい)
私も死刑に関しては賛成です。
遺族の事を思うと、当然だと思います。
きっと、刑が確定しても遺族には終わりはないんだろうと・・・そう思います。