大分日出町での報道を警察・マスコミは謝罪しろ
- カテゴリ:ニュース
- 2012/02/25 08:46:14
まるで光市母子殺人事件の死刑判決に隠れるかのようにコッソリと、大分県警は発表した「この事件は解明できませんでした」と。
大分県日出町での事件は、スーパーで数分一人にした娘がいなくなったとの母親の通報から、誘拐?殺人?と、日出町では原因不明の行方不明事件が数件起きていたことも含め、マスコミは大々的に報道しました。
そして、真相が分からぬまま皆の記憶の外に行こうとしていた事件は、突然に臨時ニュースとなって耳目を集めました。行方不明は母親のウソで、死体は埋めていた!
翌日のメディアは、母親の氏名・顔写真はもちろん、家族のプライバシーにも踏み入り、まるで殺人犯扱い、更には本来は無関係の他の行方不明事件まで紹介する始末。
しかし、この辺から、警察も報道も迷走?というか口を噤み始めるのですが、母親は当初から死体遺棄だけ、それも夫に告白して促され、警察に一種の自首をしていた。つまり、大分県警は、本件で素人のそれも混乱していた母親から、あえて言えば第一容疑者から、自供を取れなかった。これは、県警の無能さの表れと言わざるを得ない。
そして、母親は一貫して本件が殺人でないと主張していた。曰く「7歳の息子が、娘にシーツをかけた。翌日、娘は死んでいた」実は、7歳の息子は知恵遅れの傾向があった。
混乱した母親、知恵遅れの幼児、死んだ娘・・・真相が導けない、ある意味で密室での死亡劇・・・他に殺人者が出ようもない状況の中で、県警が拘留中の2週間で、真相解明を放棄した理由は何か?それこそ、マスコミは追及すべきだろう。
死体から、殺人や死亡原因が導けなかったのか?についても報道はない。
何より、マスコミは、推定無罪の原則に反し続ける犯罪報道から、本件が、我が子の死に混乱して狂言と死体遺棄をしただけの母親とその家族を大々的に報じた自らの罪こそを報じ謝すべきだ。
推定無罪とは、逮捕・起訴・公判中の「容疑者」は無罪として遇せられるべきという刑法の大原則。容疑者の氏名等の特定情報を一切報じるべきでないとの主張にもつながる。
この事件で、僕が一つだけホッとしているのは、母親逮捕後の関係者(親族、知人、近所の人)のコメントの中に、母親をネガティブ(ここでは殺人犯をうかがわせるとか、虐待とかの話)にいうものが一つもなかったこと。
マスコミからの煽りもあっただろうが、障害児をふたり抱えながら懸命に育児をしていたこと、明るい普通の人、そうした曇りのない周囲の思いだけは、この全てがウヤムヤな事件の中で間違いのない真実だろう。
それと、マスコミといっても、所詮は記者クラブで警察の大本営発表と世論誘導に乗っているだけという点も、忘れずに指摘しておきたい。
ここでは、大分県警が、ネットを中心に、過去の捜査も含めた無能ぶりを言われていたことを見逃してはいけない。死体遺棄=殺人という多くの流れにのって、喜び勇んで記者発表した県警の罪も見逃しがたい。
実は、大分県警本部長は、数少ないノンキャリ組、つまり、町のお巡りさんから経験を積み上げた貴重な人材。それでも、これかぁ・・・
光市母子殺害事件での死刑判決に意を挟むものではないが、ニコタも含めたネット掲示板での「人倫の皮を被った死刑に大はしゃぎなバカ」が多くいることが、大分の報道が大きくなったことの背景にあることを最後に触れておく。
どんなサル芝居も、それにウキウキするサル客がいなければ、成り立たない。
最初に「幼児誘拐?」ってな大きな見出しを打っちゃったところからツマヅキがあったのでしょう。
最初から「怪しい?」とは県警も思ったんだろうけど、一方で本当だったら、公開捜査にせざるを得ないというジレンマの中で、とにかくつまづいた。
この時点で、何らかの殺人以外の事情で子供が死んだという自白が取れていれば、後の過ちは全部起きなかった。
やはり、大分県警はダメだなぁと思う訳です。
この件もそうなのですが、メディアの犯罪報道は、ご指摘のようにムチャクチャです。
例えば、一昨日だったか、自分の母親と娘2人の3人を保険金目当てで焼き殺した男というのが、一審から死刑求刑されながら、最高裁まで3度とも無罪判決というのがあったのです。この事件の証拠は、逮捕後の男の詳細な犯行供述しかなく、男は公判後に全て否認に転じたので、裁判はすっごい真剣でした。
でも、これ冤罪でもなんでもなくて、最高裁も、男の自白は信憑性が高く、男が犯人である可能性は高いと断じています。しかし、その自白を男が否定する中、それ以外の証拠で男の有罪を立証できなかったので、「疑わしきは罰せず」の原則を最高裁まで貫いての無罪となったわけです。
この部分が肝のはずが、ひどいメディアはここに触れないし、触れたとこもメインは死刑求刑でも無罪判決というところばかり。
そのくせ、この裁判と同じ、直接の証拠はなく被告人も犯行自体を否認というケースは、奈良のカレーおばさんや さいたまのデブ女と同じなのに、やはり、メディアはおばさんやデブは死刑当然という。
なぁんとなく、人民裁判みたいな浅ましさを感じるわけです。
警察関係者の犯罪は実名出さないのに、初犯の痴漢逮捕は職業まで書くのとか。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120207k0000m040091000c.html
http://www.nhk.or.jp/lnews/oita/5073130771.html
この事件に関しては、当初から母親の供述(「スーパーで買い物している間にいなくなった」)には無理があるという指摘はありましたよね。
で近隣の捜索も母親からの事情聴取もされていたはず。
夫に告白して出頭するまで自供が取れなかったのは「よくあること」なのかどうかはわかりませんが、当初娘の死に動転して遺棄しただけであったら、話の聞き方によっては早期に解決することは可能だったんじゃないかなぁ。
「殺したか、殺してないか」で迫られたら「自分が殺人犯にされる」と思うのが自然とも思いますし。
母親が供述した遺棄場所は同じ市内。
しかも落ち葉などをかぶせた程度で深く掘った形跡がない。
(これは母親の遺棄に計画性がなかったという供述とも一致するところです。)
母親の供述がなくとも発見された可能性が高い場所だったのではという気もします。
細かな経緯を知らないのであれこれ書いても仕方ないのですが、何にしろ娘さんを早くご家族の元に返してあげて欲しかったなぁ(もっといえばお祖父さんの言うように、「孫が亡くなった時点で相談してくれていたら」)というのが素朴な感想です。
警察の側から見ても早いうちなら死因も特定できた可能性が高いでしょうし。
官公庁とマスコミというのは持ちつ持たれつですからね。
定期的に安定した情報をもらったり、取材に便宜を図ってもらうかわりに、マスコミは報道に関して常に紳士協定状態になる。
今回のに限らず事件報道は被害者家族の個人情報をひとしきり暴いて終了、というのが多いような気がして好きではないです。
「その報道は本当に必要なことなの?」って一度自省してみてほしいのだけど。
光市の件については、ご遺族の判決後の会見が全てではないかなぁ。
この方には、少なくとも被告の弁護業務に支障が出かねない発言をした某弁護士のような軽率さはなかったと思う。