涙ぐんでもいいよな
- カテゴリ:日記
- 2012/03/09 21:17:10
確かにな~、書いてある通り、捏造とか、やらせかも知んないけど...
http://news.infoseek.co.jp/article/sunday_4132878
「もうバッテリーが無いよ 痛いと言わなくなったので妹はさっき死んだみたいです(ToT)
埼玉は大丈夫ですか?またお父さんと一緒にディズニーランドに行きたかったです。
最後まで書けてないのが、また哀愁をそそる訳だけど、そこんところが、また物議を呼んでる訳で...
まあ、冷静に分析できる人は、偉いと思う。震災で死んだxxさん(仮名)の最後の手記(紙に書かれていた)、妹のところもxx子(仮名)とかしておけば、もっともっと リアルになるな。
なんて、下種の勘繰りするのも情けない気もする。なんだかな。
ただ、「お涙頂戴で駄文作って笑ってるクズ」に善意は感じませんし、やるにしたって本気が足りないし、事実であるように「欺く根性が気に入らない。」が、「それ以前に共感するものが一切ない」からなんとも思わないw
自分が何も感じないのは真偽以前に「こいつの心にやさしさやぬくもりなんてものを一切感じないから」だろうと思う。このメールを書く立場に無批判に自分を置いて考えようとする人には自分がこのメールを書く立場になったらとイメージして響くのかもしれないけど、この語彙や表現の選択が自分と同期するものがゼロだから不愉快になるだけなのだろう。
「妹」だって「父にとっては娘」なんだがなw大事な人だと思わないのか?父って別の意味のパパかよw
まぁ、そういう「不仲」なご家族なのかもしれませんがねw
天国へのラブレターで泣ける人?自分は紙ごみにしか見えないのだが。
因果応報とはいわないが、死んで惜しいとかかわいそうなんて「まったく思わなくなるほど」の素敵なやり取りがなされてます。少なくともああも下世話なメールや手紙のやり取りをしたことは自分はない。
たいそうな悲劇の主人公気取ってましたが、善良なる市民を気取れるほどの人間じゃないじゃん…としかw
んで。「まじめに生きるってくだらないな。ああいうひとも善良な一般市民気取れるんだ。」って感想しかなかったw
個人的には事実が現実に起こった事で、唯一絶対の単なる出来事。真実なんてのは、人の心の中に勝手に出来上がってるものなので、気持ちが揺らげば、その人に取っての真実が揺らぐのは普通って考えてる。
最初に文章をパッと見て、涙ぐんだってのが、事実だし、僕の言いたかった事。文章が、捏造かどうか、なんてのは、僕に取ってはどうでも良い事なんだがな。文章が本当なら泣けるけど、嘘なら怒るとか、そんな人にはなりたくない。ただ、しょうもない文集で儲けようとか思ってる輩の片棒担いだってのなら、恥ずかしさで泣きそうになる。orz
こんなのもありますな。
前述のとおり、あんまりお涙頂戴に興味はないんで、ここまでまともに考えませんでしたけど、あの日確かに平日の昼だったのだよな。
さっき死んだみたいですなんて、ペットにすら言わないと思うし。
仮に真実だったとしても、自分の心には何一つ響かない。だって、「そういう人」の「心配」がどれほどのものだろう?
サンタのときにもいったけど、才能がない人間が作り話しても薄ら寒いだけなんだと思うよ。
真実は疑っても揺らがないはずなので、信じているから確認してみるっていう考え方もありますな。
アメーバはあんまし興味無いんだよね~www
たしかにニコッとはゆっくりできるw
そういうことがあったのね。物語じゃないならそれ以上の意味はない。だから当事者以外に真偽に価値もない。
何かを思っても何のつながりもない人なのだし。
死んだみたいですの後に記号を書くような脳みそには死んでもなりたくありません。その一行に妹に対する愛情は感じないのですよね。
埼玉は大丈夫ですか?と相手を気遣う気持ちは忘れたくないけれど。
どうやって受け取ったか?によっても真偽が判断できる要素があるかもしれませんが、感動していい人気取りたい人は実害がないならそうしてればいいし、釣られてるよwって思いたいひとはそうしてればいい。