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パンダ発見の日

パンダ発見の日

 1869年(明治2年)3月11日。
 フランス人のダヴィット神父が、中国・四川省の奥地のある家で、白と黒の熊の毛皮を見せられたそうです。
 これが世界三大珍獣のひとつといわれる「ジャイアントパンダが、世界に知られるきっかけとなったとされたそうです。
 ちなみに世界三大珍獣とは「ジャイアントパンダ」「コビトカバ」「オカピ」のことだそうです。
 そしてパンダ発見から67年後の1936年。
 生きたパンダが初めて欧米に渡ったそうです。
 アメリカのルース・ハークネス夫妻が生まれたばかりのパンダを持ち帰り、「スーリン」と名づけてシカゴの動物園に引き取ってもらったそうです。 ところで日本にパンダがやってきたのは1972年9月です。
 日中国交正常化を記念して中国政府からオスの「カンカン」とメスの「ランラン」の2頭が上野動物園に贈られ、その愛らしい姿をひと目見ようと大勢の人がつめかけたという大盛況でした。
 現在は、1992年に北京動物園からやってきた「リンリン」が健在だそうです。

 ちなみに、最初に発見されたのはレッサーパンダの方であり、「パンダ」と名づけられたのもレッサーパンダの方が先です。
 さらにいえば、レッサーパンダは、レッサーパンダ科ですが、ジャイアントパンダはクマ科です。

 パンダは、目の周りの模様がたれ目のような形をしているため、一見してかわいいように見えますが、実際の目は鋭く、また、歯も牙のように鋭く、凶暴性も持つ。毛皮は、堅くて脂ぎっているそうです。
 実際、かなりの数の飼育員や見学客などが襲われているそうです。
 現在は竹林を住みかにし、笹や竹を主食にしていますが、かつては他のクマ類と同様に肉食を含む雑食性であったと言われています。
 昔は、動物園でも、肉を与えていたこともあるそうです。
 その後、気候の変動による食糧不足から偏食を余儀なくされ常に入手しやすい笹ばかり食べるようになったと思われます。
 パンダは、群れや家族を形成せず、基本的に単独で行動しています。

 ちなみに、中国では、パンダの密猟は重罪とされ、現在は終身刑が最高刑ですが、以前は死刑が最高刑で、実際に処刑(主に銃殺刑)が行なわれたこともあるそうです。
 さらに、生息地域だった土地の開発が進むにつれて、パンダが孤立する傾向にあり、繁殖期になっても交尾の相手が見つからないといった事態が起きているそうです。
 また、パンダの食物である竹は数年に1度、一斉に開花し枯れてしまうため、この時期には食料にありつけず餓死してしまうことがあるそうです。
 パンダは、ワシントン条約で「今すでに絶滅する危険性がある生き物」として指定され、取引が厳しく制限されています。




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