一年
- カテゴリ:日記
- 2012/03/11 14:48:47
早いことで
「東日本大震災」
から
一年がたとうとしています。
あの日を思い出すとなんだか悲しい気持ちになりますね。
私はあの日中学校の卒業式だったんです。
だから特に印象深いですね。
あの日を境にみんなと離れ離れになり
一緒に通うはずだった高校にも行けず・・・。
本当に悲しいことです。
私の通っていた中学校は山側だったので
誰も亡くなる人はいませんでしたが
海側に近かった中学の子は何名か亡くなってしまったそうです。
違う中学の子でも「同級生」なので
その話を聞いた時は涙がでました。
本当に虚しい気持ちでいっぱいでした。
実を言うと私も死んでいたかも知れなかったんです。
午前中に卒業式が終わったので
宮城県の名取市というところに
行こう!という話があったんです。
そこのなにが危なかったかというと
名取市に行くまでの道のりは
海の見えるきれいな
道路だったんです。
たぶん名取市に行ってたら
車に乗っているので
地震のこともきずかず
もちろん津波のことも分からなかったでしょう。
名取市に行くまでの道のりは
すべて津波にのまれ
悲惨な状態だとテレビで見ました。
では、なぜ名取市に行かなかったかというと
その日、私の部屋の
壁紙の寸法を測りに業者さんが
来るということを
前日に知らされていたからだったんです。
逆にいえば前日に知らされていなかったら
私と母は死んでいたということです。
地震がきたときも
業者さんがいてくれたおかげで
というかその業者さんがかなり冷静なかたで
「外にでないで!ここにつかまって!」と
的確なアドバイスをくれたおかげで
私と母の混乱は少し中和され
なんとか地震の間は冷静でいれました。
なんだか
この話を書いている今も
「昨日」のことのようで・・・・。
運命ってホントに不思議ですよね。
不毛な疑問だけど、何で震災なんだろう。何でこの人たちは死んだんだろう。って
そう考えてしまったね。
すずさんが生き残ったのも何か運命的なものを感じるね。
今回の震災で沢山の人が亡くなりました。自分も福島とのゆかりが深くかつて自分が福島でかかわった人たちがどれだけ無事なのかものすごい心配でなりません。
今回のことで生と死というものは常に隣り合わせであるということを思い知らされました。そして今現在も友達の祖父が危篤状態にあるため人の生き死にについてもっと真剣に考えねばと思うようになりました。
以前両祖母の死で大変苦い思いをしているだけに誰かの死に立ち会わねばならないときそれに見合うだけの人間になりたいと強く思います。