雪が降りました
- カテゴリ:日記
- 2012/03/11 23:58:15
雪はそそぐ、とも言いますが、今日降った雪は、何かをそそぎたかったのでしょうか。
はらはらと優しい感じだったので、癒そうとしているようにも思えました。
去年にあった災害は、運命の暴力としか言えないような惨状で、たくさんの人が悲しみ、傷つき、そして怒っていたと思います。
自分も、その一人です。
悲しい悲しいと言葉で言う裏で、とても怒りを感じていました。
安全圏であれこれ言う人、新興宗教のような運動を呼び掛ける行為、それに踊らされる人、人間の責任で命を奪われていった罪のない動物たち…。
これらに対して、平然といられるわけがない。
しかし、一年間被災地のことを見聞きして、長く考えている間に、ようやく何かが納得できたような気がします。
それは、震災を肯定するわけではありません。
ただ、「すでに起こったこと」として、事実として胸の内に修まっただけです。
失ったものにすがり、いつまでも悲しんでいる人がいる中で、新たに一歩を踏み出した人も多いです。
たとえ借金を二重に背負ってでも、津波に流された家を建て直そうと決心した人がいます。
お客の喜ぶ顔が見たいからと、店を再開させた人もいます。
ほかにも、残された家族のためにがんばろうと決意した人達がいます。
誰かのために、と決めた人達の顔は、みな輝いていました。
苦しい中で立ち上がった人の姿は、それだけで希望を与えることを知りました。
1年前のあの時は、自分が生き残ったことにさえ罪悪感を感じていましたが、今は、生きていて良かったと思えています。
この震災に怒りを感じている人は多いです。それだけに、達観したようなもの言いや、「早く」元の生活に戻れますようにとか、まあ無責任な励ましも多いです。
きれいごとで済ませようとするのも頂けない。
…と、こんなふうに、いろんなことに腹が立ってしまうのですよね。実際に目で被害状況を見てしまうとね。
もし目の当たりにしていなかったら、自分も彼らと同じことを言っていたんだろうな…。それも悲しいですね。
けれど、震災の甚大な被害を耳にするたびに、過去、戦後からこれまでの大震災を思い浮かべていました。
今まで大変な状況になっても、こうしてみな復興を成し遂げている。だから大丈夫だ、と。
きっと、今がれきだけになっている場所も、いつかその地にふさわしい姿を取り戻すと願っています。
私も、しばらく罪悪感を感じていました。
内陸というだけで、普通の生活に戻るのは早く、
沿岸の親戚に物資を送っても、近所から妬まれたそうで、なんだかモヤモヤで。
私のブログコメ欄は閉めていましたが、伝言にありがとうございました。
この、ブログのコーデは、希望を感じます^^