遠きを謀る者は富み 近きを謀る者は貧す
- カテゴリ:グルメ
- 2012/03/16 22:59:07
おだんご 欲しさにでカテゴリーと全く関係ない内容になっとります。w
タイトルの格言をつぶやいたらば、沢山質問を頂戴してしまったので少々その件で書きたいと思います。
この格言は二宮尊徳の言葉です。
私と同年代の方は小学校で銅像を見たことがあるはずです。(薪を背負って本を読んでるアレね。)
全文を書き出してみますと、こんな感じ。(格言と言うにはちょっと長いかも。)
遠きを謀(はか)る者は富み、近きを謀る者は貧(ひん)す。
夫れ遠きを謀る者は、百年の為に松杉の苗を植う。
まして春植えて、秋実のる物に於てをや。故に富有なり。
近きを謀る者は、春植えて秋実法(みの)るものも、猶(なほ)遠しとして植えず、
只眼前の利に迷うて、蒔かずして取り、植えずして刈取る事のみに眼をつく。故に貧窮す。
それ蒔かずして取り植えずして刈るものは、眼前利あるが如しといへども一度取る時は、二度刈る事を得ず。
蒔きて取り、植えて刈るものは歳々尽くる事なし。故に無尽蔵(むじんぞう)と云うなり。
佛に福聚海(ふくじゆかい)と云うも亦同じ。
(略)
計画的に生計を立てれば豊かになるが、目先だけを考えていると貧乏になる。
長期的に計画を立てられる者は、次の世代までを考え、松や杉の苗を植える。
まして春に植えて、秋実のるものに対して計画するのは当然である。だから裕福になる。
計画性のない者は、春に植えて秋実のるものでさえも、待っていられないとして植えようとしない。
ただ目前の利益に迷って、蒔かないで収穫し、植えないで刈り取る事だけに奔走する。だから貧窮に陥る。
蒔かないで収穫して、植えないで刈り取ってしまうものは目前に利益があるように見えるけれども、
一度取ってしまえば、二度と収穫する事はできない。
蒔いて取り、植えて刈るものは年々歳々尽きる事がない、これを無尽蔵(むじんぞう)という。
観音経の「福聚海(ふくじゆかい)無量」というのも、また同じことである。
ウチには小中学生も訪問して貰っているけども、その方達には少々早いかも知れない。
バカにしてるワケではない。
この言葉は作物等の収穫になぞらえた、人材育成の根幹を説いているからだ。
(小中学生でそういう立場におられる方がいらした場合は謝ります)
しかしなぜ小学校の校庭に銅像があったのかなあ・・・
所で、ワタシもこの言葉をほんのつい最近まで知らなかったのです。( いや、お怒りはごもっともw)
今週のビッグコミック(3/25号)『総務部総務課山口六平太』 に、この名言を基にした
エピソードが描かれています。是非一読をお勧めします。(ゴルゴ13のついでに是非w)
いつもは立ち読みで済ませてますが今回は買いました。
私の人生がわずか20ページに凝縮されていたからです。
( 小学館を儲けさせるつもりなかったんですケドモ・・・(^^;)
けれども、この二宮尊徳の言動ってのは、今週のゴルゴ13の
"支配者の決めたルールを守るのは弱者だけ"というのと まさしく対極にあるな。
それに気付く読者がこの日本に何人いるやら。
それに付けても、なんだな、"華中華"はつまんねーな。
いつも思うんだが、"あらすじ"が簡単に書ける物語つーのはホントにつまらんな。
引き込まれるストーリーってのは『クチで説明できないから、とにかく読んで!』ってなるもんな。
"マスターキートン"とかそうだよな。
おお、"マスターキートン"と言えば、まさか第二部が立ち上がるとは思わなかった。
あれだけ原作者問題で揉めた作品が続編とは・・・・・
愉しみなんだけど胸に不安いっぱいw
ここが日本である限り、
相手が何語を話そうが、私は日本語で押し通します。
白人に英語で道を聞かれても日本語でのみ話します。
私達が異国に行けば、その国の言語を多少でも準備するはずです。
それが当り前です。
確かに今の長野は誇れることがいっぱいだよ。
しかし厳しかった過去があった事は忘れちゃならんと思う次第。
それは恥ではない。
チバハハジサラシバッカリデネ。ホントノコトカイタラ、ソレコソタイヘン。
ホントはもっとくだらないブログ書こうかと思ってたんですけどね、
"六平太"に感激しちゃったもんですから・・
私のより3/25『総務部総務課山口六平太』を
読んで欲しいと思うナ♡ (アイドルおねだり風)
まぁ 郷に入っては郷に従えといいますからね。
戦いを挑むとは さすがでござる。
オリンピックのお陰で高速道路も繋がったし、新幹線も・・・
山に囲まれたいいところだと思いますよ(Y)o\o(Y) フォッフォッフォッフォ...
こちらのブログは高尚で
この格好で来るのはちょいとお恥ずかしいwww
ワタシは左寄りのヒトですけど
日本の国でケンカになって日本語で話さなくてどうすんですか!
ヤツには、『日本語の注意書きも読めず、
日本のルールも守れないなら自分の国へ帰れ!!』 と言いました。
お国自慢もいいんですけどね、これに関してはダメです。
事実を正しく認識しないと飢え死にした人達が浮かばれないからです。
長野が飢えなくなったのは戦後の農業技術の進歩と交通整備に寄与します。
私は長野の到る所で虫料理を有り難く頂戴いたしました。歴史を噛み締めるとは正にこの事。
只、現在は、新潟とも高速道路で結ばれ、
新鮮な海と山の幸に恵まれる数少ない県と言えます。
それは自慢していいと思います。
まぁ確かに蕎麦を食すのはあまり肥えた土地ではないということでは
ございますが、場所によっては中々の米どころでもございますよ。
それに長野県人はあまり「信濃川」とはいいませんな
あれは 「千曲川」でございます。
・・・と云々いうのは理屈っぽい長野県人が故でござろうか(^_^;)
追伸:インド人とは日本語で言い争いをしたのですか?
こういう人物には"天命"があると思っています。
そういう人達と一緒にいられるチャンスがあったら
話しを聞くだけでなんとかなっちまうもんです。
ワタシもそういう人達のオーラを見極められるようにありたいです。
私はその意味は解ってても、頭が悪くて先が読めない人です。
目先の事以外考えてる余裕は今はないので、ほとほと困ってたりします。
自分の事なのに、解っているのに、出来ない自分に落ち込みます。
むーん
二宮尊徳は神奈川県小田原市あたりの人ですからねえ。
旦那さんも長野のヒトでしょ?
あれかなあ、長野県は作物が全然採れなかった所ですから、
それに因んで建てたのかもねえ。
ざざむし漁て、漁期は冬で、12月から2月までの3か月でしょう?
氷点下の信濃川に入ってトビゲラやベビトンボの幼虫を
捜し回るとゆーのは、冬に食料が無かった証拠です。
そして蕎麦の名産地ということは、米の採れなかった土地を表してします。
長野に越して来て気付いてたんですけど、
各々の寺の施餓鬼会の多さと善光寺参道の大きな六道地蔵を見れば
昭和初期まで餓死者を沢山出したのは解るところです。
『天保の大飢饉』を凌いだ尊徳にあやかりたいのは良く解る気がしますね。
何故だか 相方の実家の庭には彼(二宮くん)がいます。
松の木の横にいます。
理由はナゾのまま・・・ ご先祖様はなにを考えたのか・・・ムムム
sweeney殿とはシモネタの関係でいたかったw (下半身だけの付き合いダネ!)
そんな事はともかく、
無論、ワタシなぞが尊徳翁のマネなぞ出来るワケも無い(^^;)
ただ、『そうかっ!』 と感じるだけなら安いもんです。
そういう人物のそばにいるだけで、何か出来るもんです。
"娘さん"の件のブログを拝見しました。
輝いてます。きぃぃ~っ、正直妬ましいです。w
うっわー。取引先の天下り部長。
聞いただけでアフォと理解できそうな展開。
二宮尊徳の物凄いところは
こういった知恵により『天保の大飢饉』の時、自分の"町"から餓死者を出さなかった事です。
当時は村レベル社会ですから、"町"を救えるというのは大変なことです。
実際、チェックリストが増えても事故は減りません。(キッパリ!)
ヒューマンエラーは焦りと勘違いから発生するからです。
そこを意識しないと事故は決して防げない。
これは本人の自覚が一番キモです。
チェックリストは○×の箇所を憶えて、敢えて適当とする。
勿論、誰にも内緒の事よ♥
先生! ウチの学校にはドーゾーなかったんで、ちょっくら掘り起こしに行ってまいります!(`・ω・´)キリッ
思えば、お取引先の天下り部長が来られてから、せっせと作成されて。
備忘録にはなりますが、やればやるほど思考を硬化させる効果もあるかと。
うまくいかないものです。
仕事でも後輩の指導でも、目先ではなく将来の事を考えるというのは
大切さと分かっていても非常に難しいです><
継続する忍耐力が必要な上、職場では早期の成果を求められますし。
日々試行錯誤しております。
その膨大なチェックリストが逆に ("逆にィ~"って流行ってますなw)
作業効率を悪くし、ヒューマンエラーを誘発したりするワケですねえ。
本末転倒とは正にこのこと。
他の課に迷惑をかけないように,と思うことはたびたびあります。
ミスをして,再発防止の全社チェックリストが増えないように,とか。。。