ココチュの哲学概論④「スコラ哲学」
- カテゴリ:勉強
- 2012/03/25 11:07:32
キリスト教の誕生から信仰者の大発生により哲学という学問は神様を考える学問に帰る事になってしまう。
教義が不明確なキリスト教に教義を付けるのに哲学が有効そうに見えたのだろう。
教皇などの御用哲学者が何人か排出されていたりする。
それらを以ってスコラ哲学というのだが、僕はこいつら大嫌いだったりするので、発言に対しては辛辣な評価を下して楽しんでいたのです。
エラスムス
「有るものだけが有って、無い物は無い。無い物はまた、考える事も出来ない」
その様な事を言って神様を考える人間には神様が居ると訴えたのだが僕は反論してやる
ココチュ
「無い物事を妄想して楽しむんだよなぁ」
この勝負
ココチュの勝ち!!
トマス・アクィナス
「神の意志の全てが善なのである」
全知全能の神なのだからそんな言い方になったのだろうが、人が恨み、時に殺人を起こすのも神様の善なのですか?アクィナスさん。ええ~~~~!?
ドントゥ・スコトゥス
「神の意志の前に善のフィルターが有るのですよ」
その意見は何かぁ?全知全能の神の存在全否定かい?ああ~~~~!?
まあこんな調子で大嫌いだったりするのだが、神に代わって国家を支配する王や教皇にとっては必要なプロセスなのかも知れないが、危うく神様は居ないと言ってしまいそうじゃないか
で、ごちゃごちゃ考えている内に事も有ろうにキリスト教自体が強烈に腐敗と堕落を繰り返してしまった。
「うんうん、君は罪深い。彼女の前であんな風にこんな風にしちゃうなんて。でも大丈夫、ここに免罪符が有るから5000円で買いなさい」
こんな調子で罪を金で贖わせ、教会ばかりが大繁盛してしまう世の中に呆れたアウグスティヌスは、拝む理由を忘れてしまうような事を言いだした
「神は救う人間と救わない人間を予め決めてるんですよ」(予定説)
まあ、仕方ない意見なんだろうけど熱心な信者は文句を言い、不熱心な信者は祈りだしちゃうだろうな。
そもそも知る事が楽しいと訴える学問に神の教義を考えさせることに無理があった彼らの哲学なので有りましたとさ
何故西洋は多神教を捨て、一神教に切り替えたのかとか
そんな事にまで発展しそうですね^^
何故外の国の神様にも納得できるのか
それは宗教そのものの発端が『皆を何とかしなくては』という気持ちから始まっているからです。
お釈迦様もキリストさんも、マホメッドさんも集まって話せばそこに行き着く筈なんです
問題はその教えにいくらの尾ひれが付いてしまったかなのです
あ、ちょっと、哲学からは離れちゃったかな??ごめんなさい(^^;)
名前変更了解です^^
変態さん困ったものですね
後日調べてみますがホントに困ったもんだ
僕も完全ならざるヒトが
完全なる神の存在をぼやこうなどとおっかしいと思います
僕は神を信じるのは良い事だとも思いますが、そこに盲目を求めてはいけないとも思うのです。
これは神の存在を理屈で何とかしようと考えた罰かもです^^
神はそこいらにいまし
汝物欲しそうな顔をしながら祈るべからずなのです
おたまちゃん☆です!!よろしくね♪
おとーさんもうちょっとわかりやすく書いてよー!!!www
コメありがと♪ また変態オヤジが家に来てた!!!友達消したのに!!!
家に入れないようにするにはどうすればいいの?
それとも暇つぶしにあえて、人類の脱落を黙認したのか?
でもそうなると神は善とは言えないのでは?
そも有限の人間が神を説く事自体が間違いなのかもしれません。
私は哲学っというカテでこういうのを見てしまと
ほうほうっと。一生命体、一尊重w
これでOkっと聞き流してしまいますね♪♪
知る事が楽しいと訴える学問に神の教義は難しいですね