ココチュの哲学概論⑤「宗教改革へ」
- カテゴリ:勉強
- 2012/03/29 23:43:08
アウグスティヌスの発言は自身が祈る意義を見失わせてしまいかねない
ならば救われていますようにと祈りなさいってルターとカルバンが言い出した。
どうもこいつらも好きにはなれない。理由は後ほど説明します。
まあ、彼ら新教の登場は免罪符で生活に困り果てた人々を一時救済はしたのだから仕方ないのかもしれない。
で、なんで禁欲だの何だのかんだの禁止事項が増えてしまったのだろう
全く分からない
人間ってさぁ
欲が無いと生きていけないって思わない?
食欲ってとても大事だと思うし
性欲も大事だし
睡眠欲・入浴
どれも大事じゃない?(ん?入浴?)
必要以上は断ち切りなさいとは言うものの、それを沢山欲しがるのが人間の性な訳で、楽しくなくては仕事もやる気起きないじゃない
てなわけでしつこく禁止事項が多かったカルバンの意見は浸透率低かったりしてさ
てなわけで禁止事項が多いのか免罪符を取るのか
困り果てた時代だったりしたのでした。
その後もう言わねばならない所にきてしまっていたのです
行き過ぎた異常世界には行き過ぎた反論が返ってくるものです
ちなみに
今のそれが若干橋下に垣間見える気がしてます
多分橋下さんは
次回失脚します
あ
情欲忘れてたぁ♪
~したらいけない。。。とか
罪悪感と隣り合わせだと何か違う気がするよね。。。
本当にその人にとって意味がないと感じたならば
それを捨てる。。。それでいいと。。。
色んな考えがあるし、何があってて何が間違ってるってのもないし
しょせん、人間の作ったルールで都合よく生きるために作ったルールもあるし
わたしなんぞは幻想の中で死ぬまで勉強ですなw
日光浴もね\(*^▽^*)ノ